連載第23回「成約聖徒のためのヨハネの黙示録解明」第二十章「千年王国」と「最後の審判」

●はじめに

前回連載第22回は、ヨハネの黙示録第十九章、「子羊の婚苑」挙行奉献についての解明でありました。

本日は、第二十章、「千年王国」と「最後の審判」を解明します。

 

 

●解明01
ヨハネの黙示録第二十章は、「新天新地千年王国時代」(「子羊の婚苑」以後)の中のどこに位置するのでしょうか。

下のスライドを参照していただきたいと思います。

ヨハネの黙示録・第二十章は「新天新地千年王国時代(「子羊の婚苑」以後)」の二番目の章に位置することが分かります。

「新天新地千年王国時代」は「子羊の婚苑」以後の時代を表します。

 

七つの「鉢」の第七の鉢は「テネシ清平聖地」奉献を表します。この聖地奉献は「第三祝福」の摂理的出発を意味するものと理解できます。

そしていよいよ、「聖地奉献」の基台の上で、精誠を奉献してきた「子羊の婚苑」の挙行奉献が、黙示録第十九章で勝利しました。

この「子羊の婚苑」を妨害するために、サタンは、ありとあらゆる試練を三大王権に行い、三大王権と国進様の御家庭は、それを乗り越え勝利したのです。基督教の正典、ヨハネの黙示録の大団円は、まさしく、第十九章の「子羊の婚苑」挙行奉献だったのです。

今回の第二十章は、「子羊の婚苑」以後の「千年王国時代」について、預言されています。

それでは、さっそく本文の解明に入ってまいりましょう。

 

 

●解明02
【千年王国】をどのように理解するか

20:1またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
20:2彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、 20:3そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
20:4また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した
20:5(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
20:6この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

 

【千年の期間】をどうとらえるか。

「後千年説」「前千年説」と基督教神学でも議論のあるところですが、簡単な解明を試みます

1)「後千年説」はイエス・キリストと聖霊が、キリスト信徒ともに霊的な王国を築き摂理を導いてきたという意味で正しいです。
2)「前千年説」はキリストの降臨が、死人の復活と掲挙という終末理解に難点がありますが、単純に再臨主の降臨とその基に集う聖徒による千年支配と考えれば、これも大枠で正しいです。
3)三代王権確立で「殉教した聖徒」の再臨復活が進むことが期待されますが、人間の責任分担と愛の蕩減原則により復帰には時間が必要となります。

【神の言を伝えたために首を切られた人々の霊】

⇒殉教したキリスト教徒はもちろんのこと、成約聖徒も共産圏伝道で殉教した人、拉致監禁で苦難をうけた人々がいます。

 

【獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々】(成約聖徒)

⇒韓鶴子女史と偶像崇拝の象徴である「白い韓鶴子女史彫刻像」を拝することなく、「毒の聖酒」によって祝福家庭の権能をサタンに奪われなかった、世界平和統一聖殿聖徒を象徴的に表現した聖句です。

●解明03
【ゴグ、マゴグ】【獣とにせ預言書】をどのように理解するか

20:7千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。
20:8そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。
20:9彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。
20:10そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。

【獣とにせ預言書とゴグ、マゴグ】

⇒「」とは「韓鶴子女史」を、「預言者」は清平聖地を統轄指導していた霊媒師「金孝南訓母」を象徴的に表していると理解できます。

⇒「ゴグ、マゴグ」はまさしく、6章に書かれている4つの馬、「金融資本勢力」「共産主義勢力」「陰の支配勢力」「原理主義者」などの諸勢力が、「子羊」を亡き者とせんとする「反キリスト勢力」と結託して最後の決戦をすることが描かれています。

しかし神様と天界の真の御父母様の守護の基「天から火が下り」この世の支配勢力を滅ぼし、神の御国が地上に現れることを預言した聖句です。


●解明04
【いのちの書】【最後の審判】をどのように理解するのか

20:11また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた
20:14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

【かずかずの書物】(八大教材教本)

⇒「かずかずの書物」は、文鮮明師師が遺言として遺した「八大教材教本」(2010年2月7日決定)を意味しております。

1)『文鮮明先生御言選集』
2)『原理講論』
3)『天聖経』
4)『家庭盟誓』
5)『平和神経』
6)『天国を開く門真の家庭』
7)『平和の主人血統の主人』
8)『世界経典』

【いのちの書】

⇒真の御父母様と三大王権に最後まで侍り、精誠を尽くした成約聖徒(祝福家庭)の御名がしるされている書であります。神が「いのちの書」を何度も何度も強調せざるを得ないのは、ラオデキヤ教会の手紙にあるように、信徒が「冷たくも熱くもない」からであり、命の道への主体的な決断を求めているのです。

 

【最後の審判】

⇒黙示録を根拠に、キリスト教会は「白い御座」に座られる方が、「いのちの書」の記録をもとに、最後の審判を受ける様子が描かれております。

⇒この象徴的な「黙示」は、キリスト教会の信仰に圧倒的な影響を与えるとともに、キリストとともに、地上世界での生をキリストとともに、絶対的な基督者として生きることを励ましつづけてきたのであります。
その意味において、神のおくったこの黙示の聖句は、全世界の基督者を励まし続け、勝利を奉献する源として成功したわけです。

⇒成約聖徒の時代となり、この「最後の審判」の聖句を正しく理解することも、大切です。
神もキリストも、御座の審判者として君臨する方ではなく、「いのちの書」は、私たちの生涯の記憶の中にただしく刻まれております。
「最後の審判」は、第三者による審判ではなく、わたしたちは、みずからの心霊の段階に応じ、みずから向かうべき霊界に歩みを進めること、これが「最後の審判」真の意味であるとみるのです。

 

 

●おわりに

第二十章は、「子羊の婚苑」以後、「千年王国」と「最後の審判」についての黙示とその解説とみるのです。
統一教会の統一原理による解明は、既成基督教会の聖句解釈と異なるところもありますが、神とキリストによる「神の王国」支配という全体構図においては、異なることはないのです。

最後までお付き合いくださった皆様に心から感謝申し上げます。

みなさまと家庭の上に、神の限りない恵みと祝福あらんことをお祈りします。

 

祈り。アージュ。

 

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おおくの成約聖徒に真実が届けられますように!
祈り。アージュ!