連載第24回「成約聖徒のためのヨハネの黙示録解明」第二十一章「新天新地」と「十二の真珠門」

●はじめに

 

前回連載第23回は、ヨハネの黙示録第二十章、「千年王国」と「最後の審判」についての解明でありました。

本日は、第二十一章、「新天新地」と「十二の真珠門」を解明します。

 

 

●解明01
ヨハネの黙示録第二十一章は、「新天新地千年王国時代」(「子羊の婚苑」以後)の中のどこに位置するのでしょうか。

下のスライドを参照していただきたいと思います。

ヨハネの黙示録・第二十一章は「新天新地千年王国時代(「子羊の婚苑」以後)」の三番目の章に位置することが分かります。

「新天新地千年王国時代」は「子羊の婚苑」以後の時代を表します。

 

「聖地奉献」の基台の上で、精誠を奉献してきた「子羊の婚苑」の挙行奉献が、黙示録第十九章で勝利しました。
この「子羊の婚苑」を妨害するために、サタンは、ありとあらゆる試練を三大王権に行い、三大王権と国進様の御家庭は、それを乗り越え勝利したのです。基督教の正典、ヨハネの黙示録の大団円は、まさしく、第十九章の「子羊の婚苑」挙行奉献だったのです。

今回の第二十一章は、「子羊の婚苑」以後の「新天新地」と「十二の真珠門」について、預言されています。

それでは、さっそく本文の解明に入ってまいりましょう。

 

 

●解明02
【新しい天と新しい地】【新しいエルサレム】をどのように理解するか

21:1わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。

 

●【新しい天と新しい地】

⇒天使長ルーシェルが神に叛きサタンとなり、人類始祖アダムとエバがサタンの誘惑により堕落し、神のみ旨を破綻させてしまった人類罪悪歴史は、神の子、イエス・キリストの血の代贖による精誠と、再臨主・文鮮明真のお父様と、勝利された康賢實真のお母様と三代王権の血と汗と涙の精誠により、完全なる贖罪の基は築かれたのであります。

 

【聖なる都、新しいエルサレム】

初臨のイエス・キリストの聖地⇒エルサレム
再臨主文鮮明真のお父様の定めた聖地⇒韓国清平聖地
文亨進二代王様が定めた新しいエルサレム⇒テネシー清平聖地

 

 

●解明03
【神の幕屋が人と共にある】【第二の死】をどのように理解するか。

21:3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 21:4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
21:5すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
21:6そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
21:7勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
21:8しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。

 

【神の幕屋が人と共にある】

⇒文亨進二代王様が定めてくださったテネシー清平聖地には、真の御父母様の霊が臨在してくださり、二代王様御夫妻、三代王様御夫妻と文国進監察総監様御夫妻、さらに直系御子女様が「聖なる主の皇族圏家庭」であり「神の幕屋」なのです。

 

【第二の死】

⇒黙示録の「第二の死」は、キリスト教解釈による、復活後の審判による死ではありません。
原理的には、第一の死は「肉的死」であり、第二の死は、霊界(永生圏)で地上界における罪により、自ら地獄を選択せざるを得ない「霊的死」を意味するのであります。

 

 

●解明03
【子羊の妻なる花嫁を見せよう】【十二の真珠門】をどのように理解するか。

21:9最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。
21:10この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖都エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた。
21:11その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。
21:12それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。
21:13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。 21:14また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
21:15わたしに語っていた者は、都とその門と城壁とを測るために、金の測りざおを持っていた。21:16都は方形であって、その長さと幅とは同じである。彼がその測りざおで都を測ると、一万二千丁であった。長さと幅と高さとは、いずれも同じである。
21:17また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間の、すなわち、御使の尺度によるのである。21:18城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。 21:19都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、 21:20第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

 

●【子羊の妻なる花嫁】

⇒原理的解釈は、三代王の実体の新婦を表しております。
◎既成キリスト教の三位一体神学においては、イエスは神であり、「実体の妻を迎える」という思想はありません。
そこで、「新婦」「花嫁」を「教会」「聖徒エルサレム」と苦しい解釈をせざるを得なかったのであります。これはたいへん不幸な事態であり、その後のキリスト教神学では、第二祝福(真の家庭)の実体がないため、個人主義的贖罪思想で停止し、夫婦による原罪清算(血統転換)をイエスは説くことが出来ませんでした。
同様に、イエスは若くして霊界に昇天したために、第三祝福(実体的地上天国)のみ旨に取り組めず、キリスト教神学は、天界を仰ぎ見る「天界の神の国」思想で終わってしまったのであります。

 

【十二の真珠門】の奉献勝利

⇒再臨主文鮮明師の直系ご子女様の中で、真の御父母様の命と御言に絶対服従し、つき従ったのは、文亨進二代王様の御家庭と、文国進監察総監様の御家庭・二家庭のみであります。
第二祝福の成就(十二の真珠門の勝利奉献)は、実体の皇族圏で成就しなければならず、文亨進二代王様の御家庭と、文国進監察総監様の御家庭の直系ご子女様が象徴数である12の基台を形成し、十二の真珠門(十二の直系ご子女様の祝福家庭)の奉献勝利をもって成し遂げられるのであります。
これは、テネシー清平聖地を舞台に、二代王様ご夫妻が中心となり、早朝訓読会、水曜礼拝、日曜礼拝の遵守、聖書教育を中心とした神に通じる情操教育、柔術による体の訓練等の実践奉献の賜物として、神に捧げた偉大な勝利奉献(金字塔)なのであります。
すべての人類万民は、心からの感謝を捧げなければなりません。
ハレルヤ! アーメン! アージュ!

 

【米国テネシー清平聖地】

⇒「新しいエルサレム」は、二代王様御夫妻が選定され、三代王様御夫妻が信徒と共に、無人の荒野から開墾された、米国テネシー清平聖地を表しております。
そこには、壮麗な王宮もなければ華美な神殿もありません。子羊が実体の聖所であり、そのご子女様が「十二の真珠門」を象徴しているのであります。

 

 

●解明04
【神と子羊がその聖所である】をどのように理解するか。

21:22わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである
21:23都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
21:24諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

 

【神と子羊がその聖所なのである】

⇒アブラハムからはじまったユダヤ教は神殿祭儀と律法の宗教でありました。イエス様が十字架の道を行き、復活の勝利とともに創始された基督教は、ローマカトリック教会で華麗な大伽藍を建設し華美な宗教儀式を挙行する中世ヨーロッパを支配する教権を確立しました。
このように、神は人類救済のみ旨をすすめるために、宗教を起こし、人間の神霊を漸次高め導いてきたことが分かります。
文鮮明師の再臨とともに創始された「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」も、文亨進二代王様によって設立された「世界平和統一聖殿」も神の人類救済のための道具に過ぎません。
地上に神の王権が確立され、神の王国が築かれると、もはや大伽藍も祭壇も必要なく、神の血統に直結されたキリスト(子羊)が聖所となり、すべての人類がその王族圏の血統に接ぎ木され、宗教の使命は終焉するのであります。

 

 

●おわりに

黙示録第二十一章は、「新天新地」と「十二の真珠門」の預言でありました。
この章は、未来に向けての希望の章であります。

三大王権をその基台として、テネシー清平聖地が限りなく発展勝利されますことを祈ります。神とキリストの多くの恵みと祝福が、世界万民に与えられることを祈ります。

最後までお付き合いいただいた皆様に、心から感謝申し上げます。
皆様と家庭の上に、神様の恵みと祝福あらんことを切にお祈りします。

祈り。アージュ!

 

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おおくの成約聖徒に真実が届けられますように!
祈り。アージュ!