世界経典Ⅱ 第2部 罪と救援 第9章 神様の摂理歴史
第9章 神様の摂理歴史
1. 創始者、預言者と聖人たち
神様は宗教を立て、人間を救うための摂理を経綸される。宗教は、新文明の創造を先導しながら、人間の道徳性と倫理性を高揚させる。主要宗教は、それぞれの宗教創始者から始まる。文鮮明先生は、このような宗教の創始者を聖人と呼び、イエス、仏陀、孔子、ムハンマドを人類の代表的四大聖人の班列に立てる。
各創始者は、自分が創始した宗教の核心真理を宣布する特別な方である。キリスト教では、ほかの宗教創始者たちの際立った聖業がいくら偉大だとしても、救援はイエス様を通してのみ成されると教える。ムスリムの信仰は預言者の「封印」―最後の預言者―ムハンマドのメッセージにより独特に定義される。確固たる信仰者は、真理の基準であり、模範であり、真の道を具現する一人の人格体と対峙する。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」 (ヨハネ 14・6)という宣言や、「仏陀の法の外に聖人なし」(法句経 254)という宣言や、「ムハンマドは最後の預言者である」(クルアーン 33.40)という宣言は、一様に同一な脈絡である。しかし、文鮮明先生は、すべての宗教創始者は、唯一なる神様が送った方だと教える。すべての宗教は、神様の真理を一様に証する。すべての創始者は、神様の一定の摂理的な経綸を中心として、各民族と文化を導き、神様の王国に至るように準備する。
したがって、文鮮明先生は、西欧の伝統がアベルとノアから始まり、アブラハム 、 イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、ソロモンと預言者たち、そしてイエスに至るまで、神様の摂理歴史の中で選ばれた方たちの名簿に、仏陀、孔子、ムハンマドを加える。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム、すべて自分たちが伝統的血統の相続者だと主張する。ユダヤ教は、イエス以外の偉大なラビの継承を追加する。イスラームは、イエスをはじめ、イシマエルとイドリスなど、少数アラブの預言者をこの名簿に添加する。一方、東洋ではヒンドゥー教が様々な時代にわたって犠牲になり、悪の勢力を退け、世界の正義を回復させたアバターの継承を認める。儒教は、独自的な聖人血統、すなわち禹王、文王、武王などを主張し、周公孔子を昔の聖人の知恵と伝統を回生させた方とみなす。ここでは、聖人の共通的特性に関して扱う。いかなる代価を払っても、真理を追究すること、人間と社会をより高い理想に止揚させようとする情熱、国籍と財産と社会的地位を全く差別しない普遍的省察、神様と天国、あるいはより高い存在の力に対する信仰、そして無知な社会の迫害と排斥に耐えようとする意志などがここで省察される。下の部分で、西欧の聖書的伝統に特に関心を置きながら、このような聖人と預言者を個別的に扱う。
①神様のチャンピオンとメッセンジャーたち
― 宗教経典 ―
実に、美徳(正法)が衰え、不徳(非法)が栄える時、私は自身を現わすのである。
善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私は世期ごとに出現する。(注1)
バガヴァッド・ギーター 4.7 ~ 8(ヒンドゥー教)1
まことにわれは、ノアならびにかれ以後の予言者たちに黙示したように、なんじに黙示した。われはまた、アブラハム・イスマイル・イサク・ヤコブならびに諸氏族、またイエス・ヨブ・ヨナ・アロンならびにソロモンにも黙示した。またわれはダビデには詩編を授けた。ある使者たちについては、先にわれはなんじに告げたが、ある使者たちは、まだなんじに告げていない。……使者たちに吉報と警告をもたらさせたのは、かれらのつかわされた後、神に対し人びとに論議の余地をなくすためである。神は、偉力者・英明者であられる。
クルアーン 4.163 ~ 165(イスラーム)2
天のみ座のこの鳥たち(顕示者たち)がみな、神意の天の国から送り出され、彼らがみな、その方の不可抗力的な信仰を宣布するために起きることであるがゆえに、彼らは一つの霊魂として、同じ人格と見なされる。なぜなら、彼らは皆、神の愛の杯から飲み、一つの同じ木の果実を食べるからである。彼
ら神の顕示者たちは、それぞれ二重の地位をもつ。一つは純粋な観念と本質的単一性の地位である。このような観点から、もし彼ら全員を一つの名で呼び、彼らに同じ属性があるとすれば、それが誤ったものではない。その方さえも、「私たちはその方の使者の間に差別をおかない」と明らかにされた。な
ぜなら、彼らはそれぞれ、そしてみな、神の単一性を知らせようと地上の民を呼んでいるからである。
もう一つは、区別する地位として、被造物の世界に属し、その世界の制限を受ける。このような観点から神の顕示者たちは、各自はっきりとした個性、一定の規定された使命、予定された啓示、そして特定の制限点をもつ。彼ら各自は、互いに異なる名で知られており、特別な属性があり、一定の使命を遂行し、そして特殊な啓示を受ける。
確信の書152、176(バハイ教)3
世俗のことに心をわずらわされず、世間体を飾ることなく、他人をほどよくあしらうことをせず、衆人の心に逆らわず、天下が平安で民の生命が保たれ、自分も人もともに衣食がじゅうぶんに足りることだけを念願とし、この立場を守ることによって、自分の心を清らかにしようとするものがある。上古の道術のうちにも、このような立場を重んずるものがあった。
宋鈃や尹文は、このような教えを聞いて喜び、上下がひとしくて平らな華山の冠をつくり、これをかぶって自分の平等主義を表明し、万民に接するのにいっさいの差別から離れることを第一の任務とした。そして、人間の心がもつ性質について語り、「心がめざしている方向は、柔和をもとにしてたがいに喜びあい、これによって天下を和合させることにある」と定義した。そして、この心をあらゆることの根本におくことを念願としたのである。
こうして、かれらは人から侮られても恥とせず、怒りをしずめることによって、民のあいだの争いをなくそうとつとめ、また侵略行為をなくし、軍備を撤廃することによって、世のなかから戦争をなくそうとつとめた。そして、この主義を奉じて天下をひろくめぐり、上は君主に説き、下は民衆に教えさとした。たとえ天下の人びとが採用しなくても、強引に大声で説きたてるという調子であった。だから「上下の人にいやがられても、強引に面会を求めてくる」という評判がたった。 (注2)
荘子 33(道教)4
これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました。女たちは、死んだ身内を生き返らせてもら
いました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。
ヘブライ人への手紙11.32 ~ 38
(キリスト教)5
誉れ高き人々をたたえよう、/ 我々の歴代の先祖たちを。主は大いなる栄光を現し、/ 世の初めからその威光を示された。先祖たちのある者は国々を支配し、/ 武勇によって名を輝かせた。ある者は思慮に富んだ勧めを与え、/ 預言の言葉を語った。……
しかし、先祖たちの中には、後世に名を残し、/ 輝かしく語り継がれている者のほかに、忘れ去られた者もある。彼らは、存在しなかったかのように消え去り、/ あたかも生まれ出なかったかのようである。彼らの子孫も同様であった。しかし慈悲深い先祖
たちの / 正しい行いは忘れ去られることはなかった。
シラ書〔集会の書〕44.1~10(キリスト教)6
― み言選集 ―
天が人間たちにこのような摂理のみ旨に責任をもたせて立てるときには、中心人物を立てるのです。彼が置かれている時代全体を支配し、天の理念圏内に結びつけるために、ある一人を立てていくのです。言い換えれば、神様は、この地に対して時代と世紀、あるいは歴史過程を通して何を取り戻そうとさ
れるのでしょうか。時代を代表できる人、全世界を代表できる一人、世紀を代表できる一人を神様は求めていらっしゃるのです。さらには、天地の代身として主張できる一人の天の人を求めていらっしゃるというのです。
(4-192、1958.4.20)
イエス、釈迦、孔子、そしてムハンマドなどを歴史的聖人と言いますが、歴史上のたくさんの人々がその人たちを標準とし、彼らの伝統を受け継ごうとしてきたので、宗教を中心とする文化圏が形成されているのです。それでは、その人たちはこの地に生まれて自分勝手に生きた人たちでしょうか。その人たちは地上で暮らしながら、幸せにそのようなことをした人たちなのかというのです。そうではありません。かえって私たちより、平民よりもっと不幸な道を行ったのです。
それでは、彼らはなぜそのように生きたのでしょうか。彼らは自分の本意に従って生きたのではなく、神様が願う、神様の摂理が願う目的のために、神様が願うそのような世界のために、それに従って生きるためにそのような生活をしていった人たちです。彼らは、個人が生きるとしても、神様の伝統を受け継ぎ得る個人の人格はこのようにならなければならない、人生の生き様がこうでなければならないということを、常に考えざるを得ない人生を生きたのです。家庭を中心としてもそうです。神様の伝統から見るとき、家庭はこのような家庭にならなければならないということを彼らは常に考えたのです。その次には、社会生活もそうです。神様の伝統から見るとき、個人はこうで、家庭はこうで、社会生活はこうでなければならないということを常に考えたというのです。
(95-271、1977.12.11)
宗教の教主たちは、何を中心として教えたのでしょうか。神様の思想とみ旨を中心として教えたのです。自分のみ旨ではありません。彼ら自身が優れていたというのではありません。神様を中心とする世界観、神様を中心とする人生観、神様を中心とする宇宙観を宣布していった人たちです。
(41-329、1971.2.18)
宇宙的原理の根源は、神様であられます。宇宙の創造で、神様は自らの創造物のために、自らの全体を投入されました。また、歴史を通して自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられた方が、正に神様です。神様のみ旨を知った預言者、聖者、そして哲人たちは、自分の人生の中で神様の原理に従いました。
そして、彼ら自身が真理を守ることで満足せず、ほかの人たちに教えるために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦牟尼、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様もすべて苦難を受け、人々に教えるときにも迫害を受けた聖賢たちでした。人類を目覚めさせ、解放させるために 、 彼らは自分の人生を犠牲にしました。
(234-222、1992.8.20)
聖人の「聖」の字は、「耳」と「口」と「王」です。それでは、耳が王で、口が王というのは何でしょうか。世の中のどんな話を聞いても、それをよく思って王のものとして解釈しなければならないということです。ですから、すべてのものを聞きますが、聞くやいなや、口が「ぱぱぱぱーん」と話すのではありません。それでは大変なことになります。すべてのことを聞きますが、話すにおいて王です。王が一言話せば法になり、その国の運命が行ったり来たりするのです。一言言えば法になるというのです。
(118-44、1982.5.2)
聖人はどのような人でしょうか。聖人は国境を超越した人です。これを知らなければなりません。聖人は民族のために生きた人ではありません。自分の氏族のために生きた人ではありません。国境を超越して世界人類のために生きた人です。私が死ぬのは万民のためであり、億兆蒼生のすべての人種と国境を超越し、超国家的であり、超宗派的であり、超人種的な立場で死ぬと思いながら、世界的な立場で全世界の人類と因縁を結び、死の道で勝負を決めていった人たちが聖人です。
(38-350、1971.1.8)
②預言者と聖人の苦難と迫害
― 宗教経典 ―
イエスは、 「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
マルコによる福音書 6.4(キリスト教)7
戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである。
法句経 320(仏教)8
そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」
マタイによる福音書 8.19 ~ 20
(キリスト教)9
み使いは「主よ、まことにわたしの人びとは、このクラーンを忌むべきものとして、拒みます」と言おう。われはこのように、それぞれの予言者に、罪人の間から一つの敵をつくる。だがなんじの主は、指導者・援助者として万全であられる。
クルアーン 25.30 ~ 31
(イスラーム)10
いずれの地を牧すべきか、牧するためにどこへわたしは行くべきでしょうか。人々は自由民からも、アリヤびとからもわたくしを遠ざけ、わたくしが行を共にしようとするもろもろの労役民も、わたくしを満足させず、邦の不義なる暴君どもも、そうしてはくれません。いかにして御身を、マズダーよ、わたくしは満足させましょうか、アフラよ。
アヴェスター・ヤスナ 46.1
(ゾロアスター教)11
先祖の神、主は御自分の民と御住まいを憐れみ、繰り返し御使いを彼らに遣わされたが、彼らは神の御使いを嘲笑い、その言葉を蔑み、預言者を愚弄した。それゆえ、ついにその民に向かって主の怒りが燃え上がり、もはや手の施しようがなくなった。
歴代誌下 36.15 ~16
(キリスト教)12
かれらは、「祖先が、一つの道を踏んでいたのをわしらは見て、その足跡によって導かれているのだ」と、言うのである。
同じように、われはなんじ以前にも、町に警告者をつかわすたびに、その地の富裕な者たちは「まことにわしらは、祖先が一つの教えを奉じているのを見ている、それでその足跡を踏んでいるのだ」と、言っていた。
使者は、「何んと、祖先が従っていた、おまえたちの知るものよりも、良い導きがもたらされてもか」と、言ったのだが。かれらは、「おまえが届けたものは、わしらは信じないのだ」と言う。それでわれは、かれらに報復した、見よ、信仰を拒んだ者の最後がどうであったかを。
クルアーン 43.22~25
(イスラーム)13
かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
使徒言行録 7.51~ 52
(キリスト教)14
孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖人 堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は欣然と笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。
司馬遷 史記 47(儒教)15
― み言選集 ―
人間世界で水準が高い人がいるでしょう。そのような人がいれば、その人は高い水準に立って全体を見て、それを同級にしたいと思うでしょう。そのような人が、私たちが追求し願う尊敬できる偉大な人ではないでしょうか。
そうだとすれば、歴史的に誇り得る人たちは、どのような人たちでしょうか。高く、大きく考える人です。アメリカのために生きるという偉大なアメリカ人と世界のために生きるという偉大な世界人がいるとすれば、どちらの人がより偉大でしょうか。偉大な世界人です。一緒に暮らし、一緒に生活をしても、より高く、より大きいもののために生き、より大きなものを立てようとする人が偉大なのです。
皆さんは今、四大聖人に歴史的に侍っていますが、イエス・キリストや釈迦牟尼、孔子、あるいはムハンマド、彼らに家がありましたか。彼らに良い家がありましたか。彼らが村をもって生きてみましたか。行く所ごとに非難され、葬り去ろうとするので、追い回される立場だったです。その何が偉大なのですか。
イエス様は、「空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がな
い」と言いました。これが偉大な人ですか。孔子は、隣の家の犬だ、と言いました。恵んでもらいながら歩いているからです。いつ就職して大きな仕事ができますか。それで、もらい食いし、歩き回っているので、「村の犬だ」と言ったのです。また釈迦牟尼は、その時、王の息子として国もあり、家もあり、すべてのものがありましたが、それをすべて嫌いました。それをすべて捨てて出てきて、山中修道をしたのです。山に行って隠遁生活を始めたそこから釈迦牟尼が出発しました。家もなく、国もなく死んでいったその人たちを、今になってなぜ仰ぐのですか。偉大な歴史的人物だと、なぜ誇らしく思うのですか。彼らの偉大な正義は、過去と今では違うでしょうか。また、未来には変わるでしょうか。変
わりません。
(115-14 ~16、1981.10.25)
この地に預言者たちが来てしたことは何かというと、世の中についていったのではなく、世の中についていくなととめるのです。国から行くことはできません。激しく打つのです。ですから、みなが「これは何だ」と蹴飛ばし、あらゆる迫害を受け、人扱いもされませんでした。それで人間世界の落伍者を……。世の中の人たちがみな押しのけて逃げていくので、預言者たちは仕方なくついていかざるを得ないのですが、そのようについていく中でも、世の中の落伍者たち、病人、傷ついた人たち、世の中が嫌うこのような人たちを中心としていくのです。「あなたはなぜそのようにしているのか」、「私は預
言者だが、あの人たちに反対されたのでこのようにしている」と言いながら、新しい因縁を、人間の落伍者たちを中心として新しい因縁をつくり始めるのです。「そのような国ばかりがあるのではなく、新しい国がある。落胆するな。絶望するな」と言いながら、落伍者を中心として新しい希望を引き起こすのです。優れた人がみな過ぎ、愚かな人がみな過ぎていったあとに病人、ごみ箱のような人たちが、結局、「ああ、新しい世界があればどれほどよいだろうか!」と言いました。
これはどういうことかというと、優れた父母、優れた息子、娘をもった人、そのような家庭をもった人はなく、サタンにずたずたに、父も、母も、あるいは息子も、娘も、みな傷ついた人たちばかりがいるのですが、この人たちがこの世の中を拒否し、新しい世界があればうれしいと言っています。預言者たちを通してそのような話を聞き、そこから因縁が始まるということです。(注 3)
(106-176 ~177、1979.12.30)
その時代の聖人はどのようにしたのかというと、人間たちが行くべき真の道を教えました。聖人は、その時代の民のために、これから訪れる世界を教えましたが、無知な民は理解できなかったのです。あまりにも差があったからです。ですから、その時代の主権者たちは、聖人を捕まえては殺害し、迫害し、
追い出したのです。
だからといって、その聖人が国を売り、国を滅ぼすようにしたのではありません。その国を混乱の中から救い出し、未来の希望の国にしたり、どの国よりも高貴な国にしようと思っていたにもかかわらず、彼らはその人を理解できず、受け入れることができず、追い出したのです。しかし、聖人は万民が行くべき道に対する道理を備えていたので、世界の人々は、その道理をだんだんと受け入れ、世界的な文化圏を形成してきました。
(39-256、1971.1.15)
③宗教創始者の伝統固守
― 宗教経典 ―
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。(注 4)
マタイによる福音書 5.17 ~18
(キリスト教)16
聖バガヴァットは告げた。―
私はこの不滅のヨーガをヴィヴァスヴァット(太陽神)に説いた。ヴィヴァスヴァットはそれをマヌ(人類の祖)に告げ、マヌはそれをイクシュヴァーク(王名)に告げた。
このように、王仙たちはこの伝承されたヨーガを知っていた。しかしそのヨーガは、久しい時を経て失われた。
私は今、まさにこの古のヨーガをあなたに説く。あなたは私を信愛していて、友であるから。実にこれは最高の秘説である。
バガヴァッド・ギーター 4.1~ 3(ヒンドゥー教)17
モーセはシナイ山で律法を受け、それをヨシュアに伝えた。ヨシュアは律法を長老に、そして長老たちは預言者たちに、預言者たちは会堂に集まった人たちに伝えた。(注 5)
ミシュナ、アヴォート1.1(ユダヤ教)18
先生がいわれた、 「〔古いことにもとづいて〕述べて創作はせず、むかしのことを信じて愛好する。〔そうした自分を〕こっそりわが老彭〔の態度〕にも比べている。」
論語 7.1(儒教)19
また、この経典の中で、アブラハムの物語を述べよ。まことにかれは誠実者であり予言者であった。かれが父にこう言ったときを思え「父よ、あなたは何ゆえに、聞きもせず見もせず、またいささかの益をも与えぬものを崇拝なさるのか」。「父よ、あなたの授からない知識が、いま、しかとわたしに下っ
た、それでわたしに従いなさい、わたしはあなたを正しい道に導くでしょう」。 「父よ、悪魔に仕えてはなりません。まことに悪魔は、仁慈者に対するむほん者であります」。「父よ、まことにわたしは仁慈者からの懲罰が、あなたに下ることを恐れます、それであなたが、悪魔の友になるのを恐れる」。……
アブラハムは言った「あなたに平安あれ、わたしの主に、あなたのためご寛容を祈る。まことにかれは、わたしに対し慈悲深くあられます」。「わたしはあなたがたから離れ、また神以外に、あなたがたが祈るものから離れて、わたしの主に祈ります。わたしの主にお祈りすれば、たぶん恵まれぬことはないでしょう」。
それでアブラハムが、かれらならびに神以外にかれらが仕えるものから、離れ去ったとき、われはかれにイサクとヤコブを授けた。そしてわれはかれらをそれぞれ予言者にした。われは、かれらの上に慈悲をたれ、また真理のことばで高い栄誉を授けた。
またこの経典の中で、モーゼのことを述べよ。まことにかれは、純潔な使者であり予言者であった。われはシナイ山の右がわから、かれに呼びかけ、密談のためわれの近くに招いた。またわれの慈悲により、その兄弟のアロンを、予言者としてかれに授けた。
またイスマイルのことを、この経典の中に述べよ、まことにかれは約束したことに忠実で、使者であり予言者であった。かれはつねにその1族に、礼拝と喜捨を命じ、主のおぼえめでたいひとりであった。
またイドリースのことを、この経典の中に述べよ、かれは真実な人物であり予言者であった。そしてわれは高い地位に上げた。
これらの者は、神が恩恵を施された予言者たちで、アダムの後えい、およびわれがノアと一緒にはこ舟で運んだ者たち、ならびに、アブラハムとイスラエル「ヤコブ」の後えいのうち、われが選んで導いた者たちである。仁慈者のしるしがかれらに復唱されるたびに、かれらは伏して叩頭し涙を流す。
クルアーン19.41~ 58(イスラーム)20
禹・湯・文・武の諸王や成王や周公たちは、この計謀や兵力を用いて、すぐれた功業を成したのである。即ちこれら六王はみな礼儀を守った人たちであり、礼儀を用いて各自の道を行い、人民の信望を集め、敵の罪過を明らかにし、仁愛礼譲を守り行い、道義の常法を世に示したのである。もしこの常法に
従わない者があれば、たとい権勢を誇る者でも味方を失い、人々から災いと見られて、ついに滅びるであろう。(注 6)
礼記 7.1.2(儒教)21
もと、無数の仏に従って、さまざまの道を修めた。
甚だ深遠な、微妙な教えは、見ること難く、理解することも難い。
無量億劫のあいだこのもろもろの道を修め終って、
道場においてさとりをひらき、わたしはすでにすべてを知見した者となった。 (注 7)
法華経 2(仏教)22
― み言選集 ―
私たちは、歴代の信仰の先祖たちが立てた伝統を尊重しなければなりません。天の伝統を尊重しなければなりません。ノアおじいさんが 120 年間天のために忠誠を尽くしたその精神、アブラハムがカルデアのウルを離れて異邦の荒れ地をさまよっていたその精神、ヤコブがカナンの地を捨ててエジプトに入っていったその精神、イスラエル民族が怨讐の地エジプトを捨て、荒野を経てカナンの地を目指して総進軍したその精神、イエスがこの地に来られてイスラエル民族を収拾し、新しいカナン福地、新しいエデンの福地に向かって走っていこうとしたその精神はどこに行ったのでしょうか。皆さんは伝統を通してこのような精神を継承しなければなりません。
(8-25、1959.10.25)
孔子が出てきて、時代を経て伝統的に伝わってきたものを無視し、歴史にない新しいものを創造したのかというと、それはできませんでした。その前にあったそのような類の思想をただ体系化させて一般化させたにすぎません。
(25-93、1969.9.30)
子孫たちは、偉人や聖人をなぜ追慕しなければならないのでしょうか。彼らの心の中には、精魂込めた歴史的なあらゆる事情が宿っていて、善の事情と曲折がその中に宿っているからです。善の目的を達成するためには、彼らのそのような土台を通して精誠(注 8)を尽くさなければなりません。そうでなければ、目的に向かう道と関係を結べません。たとえ堕落の子孫だとしても、人心は天心と通じるので、大勢の人たちが聖人を追慕し、聖人が歩んだ道を追い求めるのです。ですから、それは本然の価値を追求するものであり、自然なことです。
(17-268、1967.2.15)
復活摂理の歴史において、その使命的な責任をもった人物たちが、たとえ彼ら自身の責任分担を完遂できなかったとしても、彼らは天のみ旨のために忠誠を尽くしたので、それだけ堕落人間が、神と心情的な因縁を結ぶことができる基盤を広めてきたのである。したがって、後世の人間たちは、歴史の流れに従い、それ以前の預言者や義人が築きあげた心情的な基台によって、復帰摂理の時代的な恵沢をもっと受けるようになるのである。
原理講論、復活論 2.1
「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してき
た蕩減条件を、 「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすることによって、初めて「私」は復帰摂理歴史が望む結実体として立つことができるのである。したがって、我々は今までの歴史路程において、復帰摂理の目的のために立てられた預言者や義人たちが達成することのできなかった時代的使命を、今この「私」を中心として、一代において横的に蕩減復帰しなければならないのである。そうでなければ、復帰摂理の目的を完成した個体として立つことはできない。我々がこのような歴史的勝利者となるためには、預言者、義人たちに対してこられた神の心情と、彼らを召命された神の根本的な目的、そして彼らに負わされた摂理的使命が、果たしてどのようなものであったかということを詳細に知らなければならないのである。
原理講論、後編緒論 3
歴史時代において
蕩減の使命を背負った
先祖たちの気迫を相続するに
不足のない息子、
娘とならなければなりません。
この時代にあなたは称賛し誇る
息子の姿、娘の姿を
どれほどお慕いになられたでしょうか。
お父様、
あなたは内的に約束なさり、
祝福して命令なさいましたが、
歴史過程に来ては逝った
私たちの先祖たちは、
いつもあなたの心にくぎを打ち、
お父様を孤独の場に追放したのが
一度、二度ではないことを、
私たちは知りますときに、
私たちが
お父様の息子となり得る因縁は
喜ばしいことですが、
使命的な面においては、
悲しい内容が宿っていることを、
私たちは、先祖たちが歩んだ復帰の
恨み多い道をたどってみる時ごとに、
考えないわけにはまいりません。
(30-39、1970.3.15)
2. ノア
ノアは、聖書に現れた最初の信仰の祖である。洪水審判に関する神様の命令を信じながらノアが箱舟を造ったことは、いかなる人も肩を並べることのできない卓越した信仰を見せてくれたのである。文鮮明先生は、妻や家族も理解し難いことをやり遂げたノアの驚くべき信仰を大変強調する。遠からず審判を受けるようになることを知るノアが、一般の人々への哀れみをもったこともまた驚くべきことである。それで、ノアは神様の命令に従い、自分を嘲弄し迫害する、正にその人たちに神様の審判が迫っていることを宣布し、彼らを箱舟に呼び入れようとしたのである。
ノアの洪水審判は古い歴史的記録にさかのぼる。様々に形を変えて伝わったノアの洪水審判は、古代スメールとバビロンの時まで約 5000 年をさかのぼる。約 7500 年前、紅海地域に大規模な洪水が起き、すべての文明を一掃したという人類学的証拠から見て、ノアの洪水審判説は、歴史的事実に基づいていると信じる。
聖書のノアの話は、ノアの息子ハムの失敗で終わる。文鮮明先生は、これが神様の摂理を後退させた重要な事件とみなす。常に歴史を家庭の観点から扱う文鮮明先生は、ハムの失敗がノア家庭の一致を挫折させ、神様の摂理に致命傷を与えたことを明らかにした。
①ノアの洪水
― 宗教経典 ―
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」しかし、ノアは主の好意を得た。
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。
創世記 6.5 ~ 8、13 ~16(キリスト教)23
ノアにこう啓示された「すでに信仰する者のほかは、もうなんじの民は信仰しないであろう。それゆえかれらの行いについて悩んではならぬ」。「そしてわれの目の前で黙示に従ってはこ舟を造れ、また不義を行なう者のために、このうえわれに歎願してはならぬ。かれらはおぼれさせるであろう」。
そこでかれははこ舟を造り始めた。かれの民の首領たちは、そのそばを過ぎるたびにかれらをちょう笑した。かれは言った「たとえおまえたちがいまわたしたちをちょう笑しても、いずれおまえたちがちょう笑するように、わたしたちもきっとおまえたちをちょう笑するのだ」。
「それで、恥辱ある刑がたれに来るか、永久の刑がたれの上に降りかかるかを、おまえたちはやがて知るであろう」。
ついにわが命令は下って、大地の諸水がせきをきってほとばしり出たとき、われは言った「それぞれの生きものの一対、なんじの家人、―宣告がすでに下された者を除き―信仰する者たちを、その中に乗らしめよ」。だがかれと共に信仰した者は少数にすぎなかった。
ノアは言った「神のみ名によって、これに乗れ、航行にも停泊にもそれによれ。まことにわたしの主は、寛容者・慈悲者であられる」。
はこ舟はかれらを乗せて、山のような波の上に動きだした。そのときノアはみなから離れていた。かれのむすこに叫んで「むすこよ、わたしと一緒に乗れ、不信者たちと一緒にいてはならぬ」と言った。
かれは答えて言った「わたしは山に避難しよう、それはこう水から救うであろう」と。ノアは言った、「きょうは神のご命令によって、かれの慈悲に浴する者のほかは、何者も救われないのだ」。その時かれらの間に波が来て、かれはおぼれる者のひとりとなった。
クルアーン11.36 ~ 43(イスラーム)24
神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
ペトロの手紙二 2.5(キリスト教)25
まことにわれは、ノアをその民につかわし、 「痛刑がなんじの民に下る前に、なんじは、かれらに警告せよ」 (と命じた)。
かれは言った「わたしの人びとよ、わたしはおまえたちへの公明な一警告者である」、
「おまえたちは神に仕えまつり、かれを畏れ、わたしに従え」。
「かれはおまえたちのもろもろの罪を許し、定められた時期までにおまえたちを猶予したもう。まことに神の時期が来たときは、猶予されない。もしおまえたちがわかっていたならば」。
ノアは申し上げた「主よ、わたしは夜となく昼となく、わたしの人びとに呼びかけました」、
「だが、わたしの呼びかけは、ただ正道からの逃避を増すばかりであります」。
「わたしがかれらに、“あなたが、かれらをお許しになるのだ”と、呼びかけるとき、かれらは指を己れの耳にあて、自分で外とうをかぶり、不信心を固執し、ひたすら高慢になります」。
クルアーン 71.1~ 7(イスラーム)26
― み言選集 ―
神様は命令をされるとき、信じる立場で信じられるように命令されるのではなく、信じることができないように命令されるのです。ノアには 120 年後にこの世界を審判するから箱舟を造りなさいと命令しました。ところが、箱舟を海辺や川に造りなさいと言えば納得するにもかかわらず、あの高い山の頂上に造りなさいと命令しました。船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのに、山の頂上に造りなさいと言うので、それを信じられるでしょうか。それは、人類始祖が不信することによって堕落したので、神様は絶対的に信じる立場に立てるために、絶対的に信じる者を立てようとしたのです。ですから、神様は絶対的に信じられる命令をされないのです。(注 9)
(53-93、1972.2.10)
ノアの家庭について考えたことがありますか。ノアは、山の頂上で箱舟を造りました。平地ならともかく、山の頂上で箱舟を造ったということは、常識を超えた、常識を超えるどころか、度を超えるにも、とんでもなく度を超えたことです。一般的に見る時、正常な立場で見る時に、ノアは狂った人間に近い行動をしたのです。舟を造ろうとするなら、川辺に造らなければならないのに、山に造ったのですから、これは常識を超えたことです。
これを命令した神様は、冗談で命令したのでしょうか。違います。生涯を捧げて耐え難い道を行かなければならないのが、ノアの路程であることを誰よりもよく知っておられた神様は、ノアの受難の道より平坦な内容をもって命令されたのではないのです。それよりもっと難しい内容があったので、それを条件として解決できる、一つの方便になることを願われる心をもって、ノアに 120 年の間、受難の道を行けと命令されたのです。そのような神様の心は、どれほど悲惨だったでしょうか。言うに言われぬほど、悲惨だったのです。ですから、ノアがその命令を受け入れるか、受け入れないかという緊張した瞬間において、ノアが順応する立場を取る時、ノアよりもっと喜ばれた方が神様ではないでしょうか。また、ノアよりもっと悲しまれ得る方も神様です。そのように、喜びと悲しみに対して責任をもてる、そのような主人の立場でなければ、神様の立場にはなれないのです。
(48-69、1971.9.5)
もしここに来られた夫人たちがノアおじいさんの夫人だったら、そのようなノアを歓迎するでしょうか。恐らく、そのようにできる夫人はいないと思います。神様の命令を受けたといって、毎日のように山を上り下りするので、昼食を包んであげなければならず、それから身支度や後始末をきちんとしてあげなければなりません。最初は仕方なく何日かはしてあげるかもしれませんが、ひと月もたたずに問題が起きるのです。それが1年 12 カ月でもなく、12 年でもなく、120 年間そのようにしなければならないという話を聞いたとき、そのおばあさんは間違いなく狂ったと思い、おじいさんは気が狂うにしてもちょっとやそっとの狂い方ではないと攻め立てざるを得ないというのです。
それでは、神様はどうして正常な環境に従って天のみ旨を進んでいくことができるように命令できなかったのかということを、私たちはここで知らなければなりません。神様とサタンは一緒にいられません。サタンがこのように行けば、神様は 180 度反対に行かなければなりません。神様は、サタン世界の人たちが信じてくれることさえも嫌われる神様です。サタンと仲良くしていた人たちが好むこと、認めることも、汚れが混ざると思うのです。
私たち人間においてもそのような心があります。怨讐がいれば、その怨讐がすることであれば、見るものまですべて嫌います。しかし、絶対的な神様が、悪の世界で良いとたたえるものを見て喜ぶでしょうか。ですから、全く信じられないように、全く見向きもしないように役事するのは当然だと思うのです。
(69-94 ~ 95、1973.10.21)
ノアの時を振り返ってみると、1600年間、神様は言うに言えない悲しい心情が込み上げてきましたが、忍耐の道を歩んでこられました。一時、一瞬も忘れることができない人間に対する悲しみが込み上げてきましたが、それをすべて耐え、自分の悲しみを代わりに万民に、万物にすべて表すためにノアを選び立てたのです。
それでは、神様はどうしてノアを当時の人間たちが理解できない立場に立てられたのでしょうか。1600 年間、人間たちが神様を悲しみにくれさせたので、ノア一人を立てられ、彼が人間を代表し、天的な寂しさと悲しみを感じることができるようにするために、このような理解できない環境に立てたことを皆さんは知らなければなりません。
ノアは 120 年間も、自分を不信し、反対し、嘲笑する人間たちの前に黙って現れるようになりました。また、120 年後にこの地を審判するという天の予告を受けたときも、彼は天に対する信仰の道理を尽くしたのです。当時、彼を見て義人だと言いました。義人だったがゆえに、彼は自分が生きていく当時の社会が悖逆すればするほど、よりその社会のために心配し悲しんだのです。
大勢の人々が自分自身の安逸を得るために苦しんでいるとき、ノアだけは独り公義の法度を求めるために身もだえし、天倫を心配し、人が願わない環境で悲しんだのです。
(3-169 ~170、1957.10.25)
②ハムの失敗
― 宗教経典 ―
さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。「カナンは呪われよ / 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
創世記 9.20 ~ 25(キリスト教)27
― み言選集 ―
40 日審判が終わった直後のノアの立場は、天地創造後のアダムの立場と同様なのである。創造されたアダムとエバが、お互いにどれほど親しくまた近い間柄であったか、また、どれほど神に対しても、その前で隠し立て一つしない、水入らずの関係であったかということは創世記2章 25 節に、彼らはお互いに裸であっても、恥ずかしいとは思わなかったと記録されている事実から推察してみても、十分に理解できるのである。しかし、彼らは堕落したのち、自ら下部を恥ずかしく思って木の葉で腰を覆い、また、神に見られるのを恐れて、木の間に身を隠した(創3・7、8)。それゆえに、彼らが下部を恥ずかしく思ったという行為は、下部で罪を犯し、サタンと血縁関係を結んだという情念の表示であり、下部を覆って隠れたという行動は、サタンと血縁関係を結んでしまったので、神の前にあからさまに出ることを恐れた犯罪意識の表現であったのである。
40 日審判によりサタンを分立した立場にあったノアは、天地創造直後のアダムの立場に立たねばならなかった。ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼らが罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体を現していた、汚れのない人間の姿を御覧になって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。神はこのようなみ意を完成なさるため、ノアを裸で寝ているように仕組まれたのである。したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、何ら恥ずかしがることなくノアと対したならば、ノアと一体不可分のこの摂理の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダムの家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることができたはずなのである。
原理講論、復帰基台摂理時代 2.2
ノアおじいさんは、独り孤独でした。そのようなことをするにおいて、絶対信仰をもちましたが、家庭が絶対心情一体にならなかったので崩れていきました。ハムもそうです。父と愛で一体になっていれば、なぜそれを恥ずかしく思いますか。心情が一体になっていれば、裸になっていても恥ずかしく思うことはないのです。自分も裸になって横で昼寝すればどれほどよいでしょうか。ところが、恥ずかしく思ったのです。一つになっていません。心情一体になっていないのです。ノアおじいさんの横に裸になって一緒に寝ていれば、おじいさん起きてそれを見れば、「いやあ、この息子は私に似たなあ!」と祝福するでしょうか、しないでしょうか。
(268-294、1995.4.3)
3. アブラハム
アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの唯一神宗教の源流である。アブラハムはユダヤ人の先祖であり、キリスト教徒には信仰の祖であり(ローマ 4・1 ~ 3)、ムスリム(イスラム教徒)にはマッカ(メッカ)にカアバ神殿を建てた人であり、イシマエルを通してアラブ人の先祖になる。アブラハムは偶像商の家庭で育ったが、神様の真理を信じる最初の唯一神信仰だった。彼は神様の命令に従って故郷を離れ、全く見知らぬ地に向かった。彼は神様が導かれるという信仰のもと、彼の生命と未来を神様の手に任せた。彼はカナンの民の中で異邦人だったが、彼らに対するアブラハムの哀れみは偉大だったのであり、特にソドムとゴモラの問題を仲裁するとき、それが表れた。
文鮮明先生は、神様がすべての摂理をアブラハムに任せたのであり、救援摂理を進行するための地上の条件を立てるためにアブラハムを同伴者としたと教える。したがって、アブラハムのすべての行為、すべての祭祀、すべての祈りは重要性をもつ。アブラハムが神様の命令に躊躇せずに故郷を離れたとき、神様の摂理は進展した。アブラハムが創世記第 15 章に記録された重要な燔祭で、はとを二つに裂かない過ちを犯したとき、神様の摂理は後退し、延長した。アブラハムの家庭でサラとハガルの間の反目が、今日のユダヤ人とアラブ人の憎悪として継続している。アブラハムは、自分の信仰路程で多くの試練を経験した。神様が息子を犠牲にせよと要求したとき、彼の試練は頂点に達したが、これに関しては次の部分で扱う。
①アブラハムの絶対信仰
― 宗教経典 ―
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 / 父の家を離れて / わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし / あなたを祝福し、あなたの名を高める / 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し / あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて / あなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
創世記12.1~ 5(キリスト教)28
われは先にアブラハムに、方正な行いを授けた、われはかれをよく知っている。かれが父とかれの人びとに、こう言ったときを思え、「あなたがたが崇拝する、これらの偶像は何ものであるか」。かれらは言った「わしらは、祖先がそれらを崇拝するのを見た」。かれは「あなたがたとあなたがたの祖先は、確かに誤っていたのだ」と言った。かれらは言った「おまえは真理をもたらしたのか、それとも戯れる者なのか」。かれらは言った「そうではない、あなたがたの主は、天と地の主、無から天地を創造された方であられる。そしてわたしはそれに対する証人のひとりである」。「神によって誓う、わたしはあなたがたが背を向けて去ったあとで、あなたがたの偶像に対し一つの策をめぐらすであろう」。こうしてかれは、ただ一体の巨像を除き、多分かれらがそれに返って来るであろうと思って、それらをたたきこわした。
かれらは「たれがわしらの神々をこうしたのであろうか、まことにかれは不義の者である」と言った。ある者が言った「わしらは、アブラハムという若者が、その方々をあげつらうのを聞いた」。かれらは言った「それなら、その者を人びとの目の前に引き出せ、多分みなが証言するであろう」。「アブラハムよ、おまえか、わしらの神々に対しこんなことをしたのは」と言った。かれは答えて言った「確かにたれかそれをしたのだ、かれらのかしらはこれである、かれらに口がきけるなら、かれらに問え」。そこでかれらは、自ら良心に顧みて心に言った「確かにおまえたち自身が悪いのだ」、間をおいて、かれらはまた翻意して言った、「おまえはこれら神々の、口がきけないのをよく知っている」。アブラハムは言った「それならあなたがたは、あなたがたをいささかも益せずまたそこなわない、神以外のものを崇拝するのか」。「ああ、情けないことだ、あなたがた、ならびにあなたがたの神以外に崇拝するものは。あなたがたは、なお悟らないのか」。
かれらは言った「もしおまえたちがやるのなら、かれを焼き殺せ、そしておまえたちの神々を救え」。そのときわれは「火よ、冷たくなれ、アブラハムの上に平安あれ」と命じた。かれらはかれに対しさらに策動しようとしたが、われはかれらをひどい失敗者にした。われはかれとそのおいのロトを、よろず世のために、われが祝福した地に救った。(注10)
クルアーン 21.51~ 71(イスラーム)29
これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15.1~ 6(キリスト教)30
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
ヘブライ人への手紙11.8 ~10(キリスト教)31
― み言選集 ―
アブラハムも父テラの家で革命的な要素を請求しました。そうでしょう?「父よ、この偶像は何だ」と言いながら足で偶像をけ飛ばしたではないでしょうか。家に入っていくたびに、「これはいつか私の手で……」、何十回も心で決意したのです。
(151-62、1962.10.7)
アブラハムを考えてみてください。偶像商の愛らしい息子として、父母の膝元ですくすくと成長したのですが、神様が彼を呼び、「アブラハムよ、アブラハム! お前はテラの家から離れなさい。カルデアのウルに向かいなさい」とおっしゃったのです。それは、予告して下された命令ではありません。呼んですぐに下された雷のような命令です。青天の霹靂のような命令が落ちたのです。そのときには、ぐずぐずしていてはいけません。出発するのを待っていたかのように、すぐに出発しなければならないのです。「ああ、少し待ってください」とためらってはいけません。出発が潔くなければなりません。出発が誤れば、千秋万代の歴史の恨になる汚点を残すようになります。それでは、それがサタンの讒訴条件になり、経てきたすべての歴史が否定されるようになるのです。このようなことを知っているので、天の命令に従っていった人たちは、命令を受けて即座に行動するのです。
(43-270、1971.5.1)
神様がアブラハムを導き出そうとするのですが、もしアブラハムの同労者がいれば、ついてくるかと心配せざるを得ない立場ではなかったかというのです。アブラハムは神様の命令を聞くのですが、一般の人も聞くことができますか。アブラハムだけが聞くのです。また、自分の父母に、「お父さん、お母
さん、神様が私にカルデアのウルに行きなさいと言うので、そのようにします!」と言えば、「お前はどうかしている」と言うでしょう。ですから、話もできなかったでしょう。
目指す所も、何十里、何百里ではありません。どこに行くのか分からないのです。アブラハムは、国境を越えてエジプトまで往来しました。アブラハムは自分の父母よりも、自分の故郷よりも、自分の親戚よりも、その何よりも神様のみ言を絶対に信じ、神様を絶対に愛する心があったので、その環境をかきわけて出発できたのではないかというのです。
アブラハムには、神様の命令以外にはないのです。命令を命よりもっと重要視しました。間違いなく夜逃げしたでしょう。こうしてアブラハムは、ジプシーのような行脚の路程、とどまる所なく流れていく生活を続けたのです。アブラハムは、このように世の中のすべてのものをきっぱりと断ち切った人です。完全否定を基礎として出発した人です。
(69-95 ~ 96、1973.10.21)
アブラハムを見てみましょう。神様は偶像商である彼の父親から、彼を分立させました。彼は、家族、祖国、物質的な富、そして、すべてのものを捨てなくてはなりませんでした。そのように、サタン世界から彼を断絶させることにより、彼は、カナンに入っていくようになったのです。神様は、彼を鍛錬し、彼をして、彼自身の民族だけでなく他の民族、さらには怨讐のためにも泣くことができるようにさせながら、摂理を発展させました。
(52-53、1971.12.14)
天は、選んだアブラハムをカルデアのウルに導き出し、そのような場に送りました。荒れ地のような所に追い込んだのです。アブラハムは、そこで天が立てようとしていた天主権の国が建てられる一日が来ることを待っていました。天が祝福した息子、娘が砂浜の砂粒のように、天の星のように増え広がり、悪の世の中を打つことができるその日を待ち焦がれながら私たちの先祖たちは故国の山河を捨てた事実を私たちは知らなければなりません。なぜでしょうか。怨讐の国、怨讐の鉄条網の中に捕らわれているので、身の毛がよだつように感じられなければなりません。体に鳥肌が立つのを皆さんも感じなければなりません。このようなことを感じることができなければ、皆さんは天の前に完全な信仰者だと言うこ
とはできないのです。
天がアブラハムを立てた目的は何でしょうか。遠い距離にいる人間、敵陣の中にいる人間、サタン世界(注 11)にいる人間と連絡できる一つの基盤として、これを土台として横的に広げていこうとしたのです。しかし、もし間違えば天と地の関係が切れるので、仕方なくアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言い、直系の血統を通して活動してこられたのです。皆さんはこれを知らなければなりません。
イサクとアブラハムが祝福を受けるとき、彼らがもったものは何だったでしょうか。選民だということしかありませんでした。「お前はサタン世界と妥協してはならない。和合してはならない。お前は選民なので、生活も異なり、感情も異なり、願う希望も異なり、お前が夢見る理想も異なる。お前は私を通して勝利の一日を迎えてこそ、お前の子孫が生きる」という観点から、神様はアブラハムを祝福しました。したがって、アブラハムも、そのような観点からイサクを祝福しなければならなかったのであり、イサクもそのような観点からヤコブを祝福しなければならなかったのであり、ヤコブもそのように彼の後代を祝福しなければなりませんでした。
(7-215 ~ 216、1959.9.13)
②アブラハムの祭物失敗
― 宗教経典 ―
主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。禿
鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめら
れるであろう。
創世記15.7 ~13(キリスト教)32
― み言選集 ―
アブラハムを考えてみましょう。祭物を捧げるとき、牛と羊はすべて裂き、はとは裂かなかったのですが、なぜ裂かなかったのかというのです。もう一度公的に考えて……。「これは私のためにするのではなく、神様のためにすることであり、人類のためにすることだ」ともう一度考えていれば、はとも裂か
なければならないことが分かったはずであり、そうしていれば歴史に汚点を残さなかったでしょう。
(93-314、1977.6.12)
アブラハムは裂くべき鳩を裂かなかったので、その上に荒い鳥が降り、それによって、イスラエル民族はエジプトに入り、400 年間苦役するようになったのである。
それでは、鳩を裂かなかったことが、どうして罪になったのだろうか。……救いの摂理の目的は、善と悪とを分立させ、悪を滅ぼし、善を立てて、善主権を復帰しようとするところにある。ゆえに、アダムという一人の存在を、カインとアベルに分立したのちに、献祭させなければならなかったことや、また、ノアのとき、洪水で悪を滅ぼして善を立てた目的は、みな善主権を復帰せんとするところにあったのである。したがって、神は、アブラハムをして供え物を裂いてささげるようにし、アダムやノアが完成できなかった善悪分立の象徴的摂理をしようとされたのである。……
このように、アブラハムが鳩を裂かずにささげたことは、サタンのものをそのままささげた結果となり、結局、それはサタンの所有物であることを、再び、確認してやったと同様の結果をもたらしてしまったのである。
原理講論、復帰基台摂理時代 3.1.2
神様は、アブラハムの時に象徴的祭物条件を立てて転換しようとしたことができなかったので、イサクを通して、ヤコブを通して、3段階を経て象徴、形象、実体的過程を通して転換時点をつくったのです。
(81-96、1975.12.1)
③アブラハム、イシマエル、そしてイスラームの根
― 宗教経典 ―
アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラム
は、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」アブラムはサライに答えた。「あ
なたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているの
か。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい / 主があなたの悩みをお聞きになられたから。
創世記16.1~11(キリスト教)33
アブラハムがこう祈って言ったときを思え「主よ、この町を安泰にして下さい、またわたしと子らを偶像崇拝から遠ざけて下さい」。
「主よ、かれらは人びとの多くを迷わせました。わたしの道に従う者は、まことにわたしの一類であります。わたしに従わぬ者は、― だがあなたは、たびたび許したもう方・慈悲深い方であられます」。
「主よ、わたしは子孫のある者を、あなたの聖殿のかたわらの、耕せない谷間に住まわせました。主よ、かれらに礼拝の務めを守らせ、それで、ある人びとの心をかれらに引きつけさせ、またかれらに果実をお授け下さい、おそらくかれらは感謝するでありましょう」。(注12)
クルアーン14.35 ~ 37
(イスラーム)34
― み言選集 ―
アブラハムが「象徴献祭」に失敗しなかったならば、イサクと彼の腹違いの兄イシマエルが、各々、アベルとカインの立場に立って、カインとアベルが成就できなかった「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるべきであった。しかしアブラハムがその献祭に失敗したので、神は彼の立場にイサクを身代わりに立たせ、イシマエルとイサクの立場には、各々、エサウとヤコブを代わりに立たせて、彼らをして、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるように、摂理されたのである。ゆえに、イサクを中心としたエサウとヤコブは、アダムを中心としたカインとアベルの立場であると同時に、ノアを中心としたセムとハムの立場でもあったのである。(注13)
原理講論、復帰基台摂理時代 3.2
アブラハムの妾を通して生まれたイシマエルを中心として、反対の立場でカインとアベルのように分かれてきたのです。アブラハムの妾であるハガルがサラと争って怨讐になりました。本来は一つにならなければならないのです。二人が一つになっていれば、神様もそのようなことをしなかったのです。妾と
本妻の争いが起きました。それでサラがハガルを追い出してしまったのです。
そのように分かれたものが、イエスの時代になっても一つになれませんでした。イエス様が死ぬことによって、左右は左右で、前後は前後で分かれたというのです。国で言えば、左翼的な国が生まれ、宗教的な面ではキリスト教と反対の宗教が出てきて中東世界を導いてきました。
(215-253、1991.2.20)
④ソドムとゴモラのためのアブラハムの嘆願
― 宗教経典 ―
主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに
約束したことを成就するためである。」
創世記18.17 ~19(キリスト教)35
主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。 「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。
創世記18.20 ~ 33(キリスト教)36
― み言選集 ―
ソドムとゴモラの城は、神様から審判の刑罰を受けて当然の所だったのであり、アブラハムがいる所とは関係のない地域でした。しかし、アブラハムはソドムとゴモラの城が天のみ旨を知っていようと知るまいと、その民族が打たれようと打たれまいと何の関係もない人でしたが、天の前に摂理的な使命感をもっただけではなく、果たさなければならないという責任を感じたので、昼も夜もソドムとゴモラの城に対して残念に思い、心配したのです。そのようなアブラハムの内的心情が表れているのがここに書かれたみ言ことばです。
6000 年歴史の終結時期を迎えた今日、皆さんが安らかに眠り、良い服を着て、おいしいものを食べるのは、自分が優れているからではありません。皆さんがそのように思っていては大変なことになります。
今日の世の中がこのようになっても維持し続けていくのは、皆さんの知らない人たちが背後で隠れた根になり、血涙を流す訴えの祭壇を積んでいるからです。皆さんはこのような事実をすべての人たちに知らせてあげるべき使命があるのです。
もしソドムとゴモラの城の中に、アブラハムの懇切な祈祷が天上に届き、神様と一問一答していた事実を知る群れがいたら、また、その群れの中に、アブラハムが認める義人が何人かでもいれば、アブラハムは天に懇切に訴え、ソドムとゴモラに下される審判を避けることのできる条件を提示したでしょう。アブラハムはソドムとゴモラの城がいくら悪かったとしても、そこには何人かの義人がいることを条件として、神様に「公義で判断され、審判される父よ、義人と悪人を共に火で審判するのはお父様のみ旨ではないではないですか」と訴えることができたでしょう。
しかし、自分自身だけが、自分独りだけがソドムとゴモラを代表し、祈祷するようになることを感じたとき、アブラハムの寂しさは言い表せないほど大きかったことを皆さんは知らなければなりません。
(1-139 ~140、1956.7.1)
このソドムとゴモラのような地獄! これに着手してすべて解決できない日には、地上天国が滅びるのです。現在の世界の若者たちを滅ぼし得るものをアメリカがもっているというのです。麻薬の巣窟であり、淫乱の巣窟であり、あらゆる腐敗の巣窟です。それを私の手で収拾しようと思います。
(105-324、1979.10.28)
これからは、日記帳に先生が自分を何度プッシュしたか記しておいてください。100、200、2000、2万、これが多ければ多いほど先生と同じ役事が続くのです。先生が役事する上に皆さんの名前が残り得るのです。……それで、アメリカに来て、できる限り多くのことをしながら、多くのアメリカの人たちを苦労させるのです。そのようにして発展すれば、アメリカの福になるのであり、アメリカが神様の下さった責任を果たせなかったことを終息させることができる一つの蕩減条件になります。
そうすれば、私が、「この人たちを見てお赦しください」と祈祷できます。 「神様! アメリカは滅んでも、彼らを見て滅ばないように……」。ソドムとゴモラが滅びるとき、義人が 10 人いれば赦すと言われたのと同じように、「このアメリカは滅んで当然ですが、このような彼らを中心としてお赦しください!」と祈祷できるのです。
(103-200、1979.2.25)
4. イサク
アブラハムが直面した信仰の試練の中で、息子を燔祭の祭物として捧げなさいという命令より困難なことはなかった。しかし、アブラハムは、神様の命令に従った。彼は、息子と共にモリヤ山に登っていき、息子を縛って祭壇にあげたのち、葬ろうとした正にその瞬間、天使が現れて止めた。イスラームの伝統では、この息子がイシマエルだとしているが、聖書はこの息子がイサクだと明らかにしている。
モリヤ山に行く途中、イサクの信仰も、アブラハムの信仰のように試練を受けた。イサクはこれから何が起きるか理解できるだけの年齢になっていた。しかし彼は、たとえ命を捧げても、父の願いに従うことを決心した。このような点から彼は模範的な息子である。
文鮮明先生は、私たちに問う。あなたは神様の祭壇で死ぬ準備をしたイサクの信仰をもっているか。神様のみ旨のために必要であれば愛する息子を死に追いやるアブラハムの信仰をもっているか。私たちは、父母の信仰を協助する準備ができているイサクの信仰をもった子女として育てているか。
― 宗教経典 ―
これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、 「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。(注14)そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。
創世記 22.1~18(キリスト教)37
アブラハムとイサクがモリヤ山に行く途中、老人に扮装したサタンに出会った。サタンは、「アブラハム、あなたはどこに行かれる途中ですか」と尋ねた。アブラハムは、「私は今、祈りに向かう途中です」と答えた。「それでは、たきぎと火と剣はなぜもっていくのですか」、「私たちはモリヤ山で何日が過ごすので、そこでそれらを使って食べ物をつくる予定です」、 「あなたは年を取っており、またあなたの妻サラが生んだひとり息子、イサクを連れていますが、それでもあなたの息子を喜んで祭物と
して捧げるつもりですか」とサタンが嘲弄して尋ねた。「神がそのようにせよと私に命じられたので、そのようにしなければならない」とアブラハムが答えた。
今度はサタンがイサクに近づき、「イサクよ、おまえは今どこに向かっている途中か」と尋ねた。「神の知恵を学びにいく途中です」とイサクが言った。 「おまえは死んでからそのような知恵を学ぶつもりか。あなたの父はおまえを祭物として捧げようとしているのに」。 「もし神が、私が祭物として捧げられることを願われるのなら、私は喜んでそのみ意に従います」。……
彼らが天のみ意に従っていこうとする道でイサクが父に尋ねた。 「お父さん、私はまだ幼いので、剣を見て祭壇で震え、もしやお父さんを動揺させてしまうか心配です。完全な祭物を捧げたいのですが、私のために祭物が完全なものにならないか恐れています」。(注15)
創世記ラッバー 56(ユダヤ教)38
それでわれは、優しい思いやりのある一男児の吉報を伝えた。この子がかれと共に働く年ごろになったとき、かれは言った「むすこよ、わしはおまえを、犠牲にささげるのを夢に見る、さあ、おまえは何んと考えるか」と。かれは答えて言った「父よ、あなたが命ぜられたようにして下さい。もし神のおぼしめしならば、わたしは耐え忍ぶ者であることが、あなたにおわかりでしょう」。そこでかれら両人は命に服し、かれが額で地にうつぶせになったとき、われはかれに告げた「アブラハムよ」、「なんじは、確かにあの夢を実践した」。まことにわれは、このように正しい行いの者に報いる。これは明らかに一試練であった。われは大きな犠牲で、かれをあがない、われは後の幾世代にわたり、かれのためこの祝福をとどめ、 「アブラハムの上に平安あれ」とたたえさせた。このようにわれは、正しい行いの者に報いる。まことにかれは、わが信心深いしもべであった。またわれは正しい人物、予言者イサクの吉報をかれに伝えた。そしてわれは、かれとイサクを祝福した。(注16)
クルアーン 37.101~113(イスラーム)39
信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。
ヘブライ人への手紙11.17 ~19(キリスト教)40
アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあった。(注17)
創世記 25.8 ~ 9(キリスト教)41
― み言選集 ―
アブラハムは、祝福を成し遂げるために 100 歳で得たイサクまで神様に燔祭として捧げなさいという命令を受けたとき、それに従いました。その命令は歴史上になかった一つの冒険的な条件になる命令でした。それは天地の代身として、天上のことや地上のことなど、億千万事を左右する条件でしたが、これを知らなくてもアブラハムはイサクを祭物として捧げなさいというその命令を受けたあと、息子を祭壇に置いて祭祀を捧げようとしたのです。
愛する息子を祭物とし、剣を上げて切りつけようとしていたアブラハムを、皆さん考えてみてください。これは、それこそ超現実的な儀式でした。その当時に誰がアブラハムのそのような信仰を認めることができたでしょうか。アブラハムが提示したこの冒険的な行動は、すなわちアブラハムが天に属した体であり、アブラハムの家族が天に属した体なので、アブラハムはもちろん、彼の家族と彼のすべての物質までも神様の命令に従わなければならないことを示しているのです。このような事実をアブラハムは、一人しかいない息子を燔祭として捧げる過程で悟りました。それでアブラハムは、「この息子は私が生みましたが、あなたのものなので、あなたに捧げます」という心でイサクを献祭しようとしたのであり、現実的な環境を打開したのです。このような歴代の先祖たちの信仰の中心を皆さんは悟らなければなりません。
(1-265 ~ 266、1956.12.2)
アブラハムが「象徴献祭」に失敗したのち、再び神はアブラハムにイサクを燔祭としてささげよと命令された(創22・2)。それによって、「象徴献祭」の失敗を蕩減復帰する新たな摂理をされたのである。……神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、既に、彼をしてイサクを殺した立場に立てたので、イサクからサタンを分離させることができた。したがって、サタンが分離されたイサクは、既に天の側に立つようになったので、神は彼を殺すなと言われたのである。「今知った」と言われた「今」という神のみ言には、アブラハムの象徴献祭の過ちに対する叱責と、イサク献祭の成功に対する神の喜びとが、共に強調されていることを、我々は知らなければならない。
このように、アブラハムがイサク献祭に成功することによって、アブラハムを中心とする復帰摂理は、イサクを通じて成し遂げていくようになっていたのであった。(注18)
原理講論、復帰基台摂理時代 3.1.2.2
イサク献祭のときのイサクの年齢は、明らかではない。しかし彼が燔祭の薪を背負って行ったばかりでなく(創22・6)、燔祭の小羊がないのを心配げに、それがどこにあるかと、彼の父親に尋ねてみているところから(創 22・7)推測すると、彼は既にみ旨が理解できる年齢になっていたことは明らかである。そこで、我々はアブラハムが燔祭をささげるとき、イサク自身も、それを協助したのであろうということが推測できるのである。
このように、み旨に対して物事の道理が分別できる程度の年齢になっていたイサクが、もしも、燔祭のために自分を殺そうとする父親に反抗したならば、神はそのイサク献祭を受けたはずがないのである。ゆえに、アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、イサク献祭に成功し、サタンを分立することができたと見なければならない。したがって、献祭を中心として、イサクとアブラハムとが共に死んだ立場からよみがえることによって、第一に、アブラハムは、「象徴献祭」の失敗によって侵入したサタンを分立し、失敗以前の立場に蕩減復帰して、その立場から自分の摂理的な使命をイサクに継がせることができ、つぎにイサクにおいては、彼がみ旨の前に従順に屈伏することにより、アブラハムからの使命を受け継ぎ、「象徴献祭」をささげるための信仰を立てることができたのである。(注19)
原理講論、復帰基台摂理時代 3.1.2.3
お父様の前に祭物として捧げられるべき
私たち自身であるにもかかわらず、
そうできませんので、
お父様が追いやってでも、
引っ張ってでも、
あなたの祭壇まで私たちを導いてくださいますことを、
懇切にお願い申し上げます。
分別のつかないイサクを連れ、
モリヤ山に向かっていくアブラハムに、
その子供のイサクが、
祭物として使う羊はどこにあります
かと聞いたときに、
「それはお前が心配することではない」と言った
アブラハムの心を察する時ごとに、
その父母の心を察する時ごとに、
私たちを導いてくださるお父様の心に、
そのどれほど悲しみが前に立って
いるかを感じるものでございます。
(48-57、1971.9.5)
5. ヤコブ
ヤコブは、聖書で最も偉大な勝利者であると同時に、最も多くの問題を起こした人である。彼は、賢く野心をもっていたが、兄エサウをだまして長子権を奪い、父イサクをだまして兄の祝福を横取りした。しかし、ハランで苦難を経験し、おじのラバンにだまされて不当な待遇を受けながら彼は成熟していった。こうして彼は、彼に敵対する兄を贈り物と謙遜さで克服できたのである。ヤコブの人生の反転を通して私たちは、神様に対するヤコブの純粋な信仰と、ヤコブの先祖アブラハムとイサクの神様に対する伝統を守り、永続させようとする熱望を悟ることができる。
文鮮明先生は、ヤコブが旧約聖書で最も成功した摂理的な人物であると高く評価する。彼の兄エサウと和解することによって、ヤコブは聖書の歴史で敵を愛と犠牲で屈服させた最初の人物になった。文鮮明先生は、ヤコブの行跡を神様の摂理―人間の堕落によってすべてのものが逆さまになったことを立て直すための復帰過程―と規定される。このような見解によれば、ヤコブは摂理的な次元で多くのものを復帰した人物だった。天使を屈服させることによってヤコブは、天使長ルーシェルに屈服したアダムの失敗を初めて復帰したのであり、彼の兄エサウから勝利することによってヤコブは初めてカインとアベルの失敗を復帰した。ヤコブは、文鮮明先生のモデルの役割となる人物であり、また逆境を克服し、過去の過ちを回復しなければならないとき、神様は私たちにある責任を賦与されるという事実を感知する大部分の摂理的な人物にも、モデルの役割となる人物である。したがって、彼は「神様と共に戦う人」の意味で「イスラエル」の称号を受けるにふさわしい人物である。
①ヤコブとエサウの競争
― 宗教経典 ―
イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、 「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており / 二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり /兄が弟に仕えるようになる。」月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟
が出てきたが、その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。
創世記 25.21~ 26(キリスト教)42
二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
創世記 25.27 ~ 34(キリスト教)43
イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。そこで上の息子のエサウを呼び寄せて、「息子よ」と言った。エサウが、「はい」と答えると、イサクは言った。「こんなに年をとったので、わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。」リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」母は言った。「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。父が、 「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」「わたしの子よ、どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と、イサクが息子に尋ねると、ヤコブは答えた。「あなたの神、主がわたしのために計らってくださったからです。」イサクはヤコブに言った。「近寄りなさい。わたしの子に触って、本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい。」ヤコブが父イサクに近寄ると、イサクは彼に触りながら言った。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」イサクは、ヤコブの腕が兄エサウの腕のように毛深くなっていたので、見破ることができなかった。そこで、彼は祝福しようとして、言った。「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。」ヤコブが料理を差し出すと、イサクは食べ、ぶどう酒をつぐと、それを飲んだ。それから、父イサクは彼に言った。「わたしの子よ、近寄ってわたしに口づけをしなさい。」ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。「ああ、わたしの子の香りは /主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が / 天の露と地の産み出す豊かなもの / 穀物とぶどう酒を / お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え / 多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり / 母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ / お前を祝福する者は / 祝福されるように。」
エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。
創世記 27.1~ 29、41~ 44(キリスト教)44
― み言選集 ―
本来、神様の祝福を受けるためには、神様の祝福と愛を立てるにおいて長子でなければなりません。次子が神様のみ旨を相続するようにはなっていません。堕落することによってどのようになったかというと、長子の位置にサタンの息子が先に生まれたのです。ですから、神様は、次子の位置から長子と入れ
替わらなければ、神様のみ旨を相続できる道がないので、ヤコブとエサウにあったことのような、歴史にない矛盾したことを経綸せざるを得ないのです。 (注20)
(102-177、1978.12.24)
神様の世界では、元から長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようになっていません。したがって、次子の立場で長子権を取り戻してこなければ、天の国の息子の位置に立てないだけでなく、祝福を受けることのできる原理基準を身代わりできないので……。ヤコブが知恵深いのはどういうところですか。兄が狩りに行ってきたあとにおなかがすいていることを知り、パンとレンズ豆のあつものを与えて長子権を買ったという事実は驚くべきことです。それは、父をだましてでも、父が反対しても長子の権限を取り戻す権利があるので、そのようにしたのです。堕落したことを蕩
減復帰するためには不可避だったのです。
(131-180 ~181、1984.5.1)
ヤコブは、「私がエサウ兄さんより何倍も粘り強く、父や母、神様に兄弟たちよりもよく仕えれば長子になる」と考えました。父母に仕えたり、神様に仕えるにおいて、兄弟を愛し、一族を接待するにおいて、エサウよりヤコブが優れているというときは、すべての人が兄エサウをほうり出してでも、ヤコブを兄にするという理論が成立するのです。ヤコブはそれを望みました。ヤコブは本当に賢い人です。それは何かというと、ヤコブは出発と最後を見て闘う人です。ヤコブは最後を見て、遠い所を見つめて闘う人であり、エサウはその場の現実を見て闘う人だということです。
(108-96、1980.6.29)
それで、兄の長子の特権をパンとレンズ豆のあつものを与えて買い、それをすべて奪ってこなければならないのです。羊の皮を腕に巻き、自分の父親をだまして祝福を受けたのですが、これがなぜ神様の経綸の中にあったのかということを、今まで誰も知りませんでした。
それは、なぜそのようにしなければならないのですか。神様の相続を受けるためには、長子の位置に行かなければならないというのが本来の創造理想の原則なのです。創造原理がそうです。それで、これを奪うには、ただそのまま奪うことはできません。兄が弟に売りました。売ったものを弟がもっていくのです。ヤコブが悪いのではなく、エサウが悪いのです。長子の特権を売ったのです! ですから、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と言いました。そのように代を連結して相続することヤコブは何よりも願ったのであり、貴く思いました。
それは何かというと、長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウ(注 21)に会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。
それでは、この堕落世界がどのようになったのかというと、長子として堕落した世界が生まれたのですが、次子である天側のヤコブが現れて長子の特権を奪ったので、また別の長子がこの地上に生まれたのと同じだというのです。世界を中心として見るとき、イスラエルは長子圏世界において、神様のみ旨を中心としてまた別の長子と同じ立場で生まれたのです。二人の長子がいるのです。国家的にそうです。ですから、このユダヤの国、選民圏とサタン世界のローマを中心とする全世界が、いつも対決するのです。長子の位置で闘います。それでは、選民圏とは何でしょうか。個人から、家庭から、すべてエサウの長子権を奪ったものです。
(102-177 ~178、1978.12.24)
長子権は復帰され、父親からの祝福はヤコブに与えられました。しかし、エサウはあまりにも怒り、前にカインがしたようにヤコブを殺そうとしたのです。
(55-112、1972.4.1)
②おじラバンの家でのヤコブの苦役
― 宗教経典 ―
ラバンはヤコブに言った。「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい。」ところで、ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。ヤコブはラケルを愛
していたので、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」と言った。ラバンは答えた。 「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方が良い。わたしの所にいなさい。」ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。ヤコブはラバンに言った。「約束の年月が満ちましたから、わたしのいいなずけと一緒にならせてください。」ラバンは土地の人たちを皆集め祝宴を開き、夜になると、娘のレアをヤコブのもとに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。ラバンはまた、女奴隷ジルパを娘レアに召し使いとして付けてやった。ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、「どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか」と言うと、ラバンは答えた。「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」ヤコブが、言われたとおり一週間の婚礼の祝いを済ませると、ラバンは下の娘のラケルもヤコブに妻として与えた。ラバンはまた、女奴隷ビルハを娘ラケルに召し使いとして付けてやった。こうして、ヤコブはラケルをめとった。ヤコブはレアよりもラケルを愛した。そして、更にもう七年ラバンのもとで働いた。
主はヤコブに言われた。「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。」ヤコブは人をやって、ラケルとレアを家畜の群れがいる野原に呼び寄せて、言った。「最近、気づいたのだが、あなたたちのお父さんは、わたしに対して以前とは態度が変わった。しかし、わたしの父の神は、ずっとわたしと共にいてくださった。あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお許しにならなかった。お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ。神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。群れの発情期のころのことだが、夢の中でわたしが目を上げて見ると、雌山羊の群れとつがっている雄山羊は縞とぶちとまだらのものばかりだった。そのとき、夢の中で神の御使いが、『ヤコブよ』と言われたので、 『はい』と答えると、こう言われた。『目を上げて見なさい。雌山羊の群れとつがっている雄山羊はみな、縞とぶちとまだらのものだけだ。ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」ラケルとレアはヤコブに答えた。「父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです。神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」
創世記 29.15 ~ 30、31.3 ~16(キリスト教)45
― み言選集 ―
ヤコブは兄から長子権を買い、あとで神様の祝福を奪いました。そして、家を出ました。彼はハランの地に行き、おじの家で 21 年間僕のように働きました。おじは彼にラケルをあげると約束しました。しかし、7 年後にヤコブをだましレアを与えました。皆さんであれば、すぐに飛びかかったでしょう。しかし、ヤコブは何も言わずにまた 7年働き、結局、ラケルをもらいました。その後、おじラバンは、神様がヤコブに与えたすべてのものを奪おうとヤコブをだましました。それでもヤコブは不平を言わなかったのです。ここで私たちは、ヤコブが最も孤独な境地でも神様のみ旨だけを考えたことを知らなければなりません。
彼の人生でほかのことは問題にならなかったのであり、重要なことは神様のみ旨を成し遂げることでした。それで彼は世の中からだんだんと遠くなりましたが、より多くの神様の愛を受けるようになりました。そして、21 年後には、神様が祝福してくださったすべてのものを再び取り戻し、カナンに帰ってきたのです。
(52-64、1971.12.22)
それでは、家族と親戚から追い出され、拒否される立場に立ったヤコブがその困難にどのように打ち勝てたのでしょうか。天から受けた祝福を忘れず、世の中が変わろうとどうなろうと私は変わらないという天に対する確固たる信仰があったからです。ヤコブは、天が信じてくれなくても、私は私の家庭が全員信じるようにしよう、また祝福の遺業を取り戻し、天が摂理できる基盤をつくってさしあげようという信仰を提示したのです。そうしてヤコブは、アブラハムの家庭を通して立てようとしていた、その天倫のみ旨を継承しようという思いがあったので、21 年目に信仰の家庭を築いて帰ってくるようになりました。
(4-139 ~140、1958.3.30)
今皆さんは、ヤコブと同じ立場で「神様の祝福は私たちにある」という立場に立ち、父母、兄弟の反対を受けて家から出てきたのです。ここで父母たちが反対し、兄弟たちがそれほど喜んでいない人は手を挙げてみてください。
それでは、どこに行くのですか。どこに行くのかというのです。ここではありません。ここには来られません。ヤコブが家を出て神様の前に行くことができましたか。ハランに行ったのです。故郷を離れて他の所に行くのです。
(67-123、1973.5.27)
③ヤコブと天使の格闘
― 宗教経典 ―
皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。 「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。(注 22)
創世記 32.24 ~ 31(キリスト教)46
― み言選集 ―
天使が来た時ヤコブは、神様の使者として来たことを知りました。ですから、「私を滅ぼすための使命をもって来たのか、でなければ福を与えるための使命をもって来たのか」と問えば、「福を与えるために来た」と答えたので、「福をくれるならくれればいいのに、なぜくれないのか」と言えば、「責任分担が残っているのでそのままでは与えられない」と言うのです。すなわち、ヤコブが相撲をして勝たなければ福を与えることができないというのです。言い換えれば、命を懸けて闘わなければ与えられないというのです。そのような条件を懸けていで立った時、ヤコブは「よし、私の指が抜けても、私の腕が抜けても、絶対に負けはしない」と決心し、刀で打たれても放さず、首を切られても離れないという心をもって相撲をしたのです。どれくらい闘ったでしょうか。一晩中闘ったのです。お前が死ぬまで放さないという心で闘ったのです。
ここには、神様も立ち会い、サタンも立ち会っていました。それでは最後の決定をするその場で、ヤコブはどれだけ切ない思いだったでしょうか。天使が腰の骨を打ち、足の骨を折ってしまってもヤコブは放しませんでした。お前が死に、私が死に、二人とも死んだとしても、絶対放さないという思いだったのです。そのように何時間闘ったと思いますか。7時間以上闘ったというのです。それでもヤコブは絶対に譲歩できないというのです。そのような中で、ヤコブを見つめる神様の心はどれほど息詰まる思いだったでしょうか。神様は、「天使が今サタンを代表して闘っているので屈服してはいけない」と知らせてあげたかったのですが、そのようにできないので、どれほどあせるような思いでその時間を過ごしたか考えてみてください。
時間が過ぎて最後の決断を下すようになったとき、天使がいくら振り払おうとしても放さないので、そこで神様も公認し、サタンも公認したのです。ヤコブがそのような立場に立って、初めて天使が公認し、ついにイスラエルという名前をもつようになりました。ヤコブが天使に勝利してイスラエルという名前をもらうようになったとき、天上世界ではどうだったでしょうか。やきもきしていた心が解放されて歓声をあげました。心に積もり積もった悲しみの深いため息をつき、「お父様!」と叫ぶその声の中には、2000 年の積もり積もった事情が問題ではありませんでした。ヤコブが神様のために 20 年間涙を流し、神様の首を抱きかかえる心情の因縁が、アダムとエバが堕落したその因縁を越えることができたので、イスラエルという称号を受けるようになったことを皆さんは知らなければなりません。
(20-229 ~ 230、1968.6.9)
ヤコブがハランでそのように粘り強く 21 年間耐える訓練をしていなければ、ヤボク川で負けていたのです。21年間闘ったすべてのことが、きょうこの時間に勝敗が決定することを知ったので、ヤコブは粘り強く最後まで……。底力をそこで養いました。その後、エサウを屈服させてこそ父母に会うよう
になるのです。これが復帰路程です。
(67-126 ~127、1973.5.27)
堕落とは何ですか。天使に屈服したことです。ですから、人間が天使を屈服させなければなりません。これに勝っておけば、霊的サタンの支配を受ける天使長の実体も屈服させることのできる道ができるのです。ですから、神様は天使を送り、ヤコブを打つようにしたのです。それで、ヤコブはその闘いをするとき、21 年分以上の力を尽くして闘いました。21 年間祝福された以上の精力を尽くし、力を尽くして闘ったのです。足が折れ、死んでも私はみ旨を成し遂げなければならないという、体は犠牲にしてもみ旨を成し遂げなければならないという信念が強かったのです。
このようにして、サタンが祝福してくれました。イスラエルという名前がここから出てきたのです。何に勝ったのですか。天使です。全天使世界に勝ったのです。そうすることによって、これからヤコブが行く道は神様が協助するだけでなく、天使世界も屈服して協助しなければならないのです。このように霊的に勝ったので、霊的サタンが支配できなくなりました。ですから、エサウも屈服するようになるのです。
(92-285、1977.4.18)
それでは、なぜ天使はヤコブを祝福する前に、彼の腿を打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、腿の誤用からもたらされたものでした。ですから、その罪ある部分を打つことにより、償いの法則は全うされたのです。すなわち、旧約聖書にある「目には目を、歯には歯を」という法則からなされたのです。ですから、天使はヤコブを祝福することができたのです。
(55-113、1972.4.1)
④ヤコブとエサウの和解
― 宗教経典 ―
ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、お前たちはわたしの主人エサウにこう言いなさいと命じた。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有する
ようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」
使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。
ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与
え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」
その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選んだ。それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい。」また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、こう言いなさい。『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。
その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、 「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。
エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、エサウは言った。 「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
創世記 32.3 ~ 33.10(キリスト教)47
― み言選集 ―
長子の位置に行かなければならないというのです。それで、20 年間死ぬほど苦労したのちにエサウに会ったのですが、エサウはヤコブを殺そうとしました。しかし、エサウはヤコブを殺さず、歓迎することによって、この地上に長子の特権を受け継ぐことのできる横的なイスラエル圏が成立したのです。
(102-178、1978.12.24)
彼は、兄エサウが自分を殺そうとしていることを知っていました。それでヤコブは、自分のすべての僕と財産を兄エサウにあげようと決めました。彼は、生涯かけて稼ぎ集めたすべてのものを兄エサウに与えようとしたのです。彼の心は、神様が兄エサウを罰せず、自分に祝福されたように兄を祝福してほしいと祈る思いでした。そのような理由でエサウはヤコブを殺そうとしなかったのであり、それでエサウもやはり神様から祝福を受けたのです。
(52-65、1971.12.22)
アベルが家庭に帰ってきて長子の職分を受け、神様の祝福を受けようとすれば、誰が公認しなければなりませんか。「あなたが長子の特権を私の代わりにもっているので、あなたが天の祝福を受けなければならない」という、このようなサインを誰がしてあげなければならないかというと 、 カインがしてあげなければなりません。カインがサインしなければ、カインが認めなければならないのです。同じように、エサウが認めなければヤコブが祝福を受けられないということです。
ヤコブが出ていって 21 年間何をしたのでしょうか。自分の基盤をつくりました。氏族をつくり……。これをやらなければならないのです。すべての面においてエサウより優勢な基盤を築き、エサウを消化させなければなりません。そのような運動をしなければなりません。そうしてこそ、神様が祝福してくださいます。イスラエルと祝福してくださったのと同じように、継続して祝福してくださるのです。それでお金もたくさんあり、羊もたくさんいて、すべての面でもっているものがエサウよりも多いというのです。母親との因縁をもち、父親との因縁をもち、物も送ってしきりにそのようにしました。兄にどんどん物を送ったのです。
それで、エサウが、「弟は恐ろしい。神様が本当に弟を祝福したのだなあ。長子の特権を売ったのは私の過ちだった。そうだ、私が間違ったのだから、私は弟に及ばない。これから弟が来たら反対してはいけない。歓迎しなければならない」と思ったのです。神様がアベルと同じようにされるのだなあということを分かったのです。これが私たちの行くべき伝統の道です。このような公式は、どの時代にも適用されるのです。(注 23)
(106-183 ~184、1979.12.30)
エサウは、ヤコブがハランで 21 年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物とを得てカナンへ帰ってきたとき、彼を愛し、歓迎したので(創 33・4)、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることができたのである。
このように、彼らは、アダムの家庭のカインとアベル、ノアの家庭のセムとハ
ムが、「実体献祭」に失敗したのを蕩減復帰することができたのである。このようにエサウとヤコブが「実体献祭」に成功した結果、既に、アダムの家庭から「実体基台」を蕩減復帰するために続いてきた縦的な歴史路程を、アブラハムを中心とする復帰摂理路程の中で、イサクの家庭で初めて、これを横的に蕩減復帰するようになったのである。
神はエサウを胎内より憎んだとロマ書9章 11 節から 13 節までに記録されているが、このように彼はヤコブに従順に屈伏して、自分の責任分担を果たしたところから、復帰したカインの立場に立つようになり、ついに、神の愛を受けるようになった。したがって、神が彼を憎んだと記録されているのは、ただ、彼が復帰摂理の蕩減条件を立てていく過程において、サタンの側であるカインの立場であったために、憎しみを受けるべきその立場にあったということをこう表現されたものにすぎない。
原理講論、復帰基台摂理時代 3.2
ヤコブが希望の父母に会い、兄弟に会って平和の理想を求めていったのと同じように、私たちもそのような世界的な理想世界を求めていくために、カイン・アベルを復帰するための、あるいはエサウとヤコブが一つになる路程を経て、父母に会い、神様に会って世界的な主権国家の世界に入っていこうというのです。
(67-136、1973.5.27)
6. ヨセフ
ヨセフは、兄たちに憎まれ、エジプトに奴隷として売られていった。しかし、数年が過ぎたのち、ヨセフは高い地位に登り、自分の兄たちが食糧を求めるためにエジプトに来たとき、彼らの悩みを解決してあげる機会が生じた。ヨセフが兄たちに憎まれて追い出され、彼らと決定的に和解した事件は、弟ヤコブと兄エサウの一生の間の反目をそのまま反映したものである。しかし、ヨセフの場合は、天の人物が強大な権力の座に登った事例である。ヤコブとは違い、ヨセフは兄たちに報復できる権力をもっていたのであり、実際にその権力で自分の兄たちをたじろがせ、過去の彼ら自身の犯罪を自認させ得る権力を行使できた。しかし、結局、ヨセフは、自分の兄たちを赦して助けてあげた。それは、ヨセフの兄たちが自分の父ヤコブを心から保護する善の側面を看破したからである。
文鮮明先生は、ヨセフの数奇な人生、そしてヨセフと自分の兄たちとの偶然の出会い自体が、神様の大いなる摂理的な経綸の一部だったことを明かしている。特に、兄たちに寛容を施したヨセフの動機を重視しながら、文先生は宗教指導者としてキリスト教の「兄たち」に受けた自身の迫害に適用した。
①夢見る者ヨセフ
― 宗教経典 ―
ヨセフがその父ヤコブに、「父よ、わたしは夢で十一の星と、日と月を見た、わたしは、それがみなわたしに、ひれ伏しているのを見ました」と、言ったときを思え。
かれは言った「むすこよ、おまえの夢を兄たちに話してはならない、そうでないとかれらはおまえに対して策謀をたくらむであろう。まことに悪魔は、人間にとっては公然の敵である」。
「このように主は、おまえをお選びになって、物語や事物の解釈を教えたまい、かれが先におまえの祖先のアブラハムやイサクに、お恵みを全うされたように、おまえとヤコブの子孫にそれを全うしたもう。まことにおまえの主は、全知者・英明者であられる」。
まことにヨセフとその兄弟の物語の中には、真理を探求する者への種々のしるしがある。
兄たちが、「ヨセフとその弟は、わしらよりも父にちょう愛されている。だがわしらは勇壮な仲間である。父は明らかに間違っている」と、言ったときを思え。
(ひとりが言った) 「ヨセフを殺すか、それともかれをどこか他の地を追え、そうすれば父の好意はおまえたちに向けられよう、その後に、おまえたちは正しい者になれるであろう」。
かれらのひとりの者が「ヨセフを殺害してはならぬ、もしおまえたちがどうしてもするなら、むしろかれを井戸の底に投げ込めば、どこかの隊商に拾いあげられることもあろう」と言った。
かれらは言った「父よ、なぜあなたはヨセフを、わたしたちにお任せにならぬのか。わたしたちは、ほんとうにかれに好意を寄せる者ではありませんか」。
「あした、わたしたちと一緒にかれを野に行かせれば、かれらは遊んで気を晴らし、わたしたちはかれをきっと十分に守ります」。
ヤコブは「おまえたちがかれをつれて行くのは、わたしにはどうも心配だ。おまえたちがかれに気をつけないあいだに、オオカミがかれを食いはしないかと恐れている」と言った。
かれらは言った「わしらは勇壮な仲間だから、もしオオカミがかれを食うなら、そのときは、わしらはほんとうに身の破滅であります」。
こうしてかれらは、ヨセフを連れて行った、そしてかれを、井戸の底に投げ込むことに決ったとき。われはヨセフに黙示した「なんじは必ずかれらのするこの事を、かれらに告げる日があろう。
そのときかれらはなんじに気づくまい」。
日が暮れてかれらは泣きながら父に帰って来た。
「父よ、わしらは互いに競争して行き、ヨセフをわしらの品物のかたわらに残しておいたところ、オオカミが来てかれを食いました。わしらは真実を報告しても、あなたはわしらを信じて下さらぬでしょう」と言った。かれらは、ヨセフの下着を、偽りの血で汚して持って来た。ヤコブは言った「いや、いや、おまえたちが己れのために(大変なことを安易に考えて)、一事件を作ったのだ。それでわたしとしては耐え忍ぶのが穏当だ。おまえたちの述べることについては、ただ神にお助けをお願いする」。
そのうちに、隊商が来て水くみ人をつかわし、かれは釣瓶を降ろした。かれは言った、「ああ吉報だ、これは少年だ」と。そこでかれらは一つの財貨としてかれを隠した、だが神は、かれらのしわざのすべてを熟知したもう。
かれらは安価にわずかの銀貨でかれを売り払った。かれらは、かれについて多くをむさぼらなかった。
クルアーン12.4 ~ 20(イスラーム)48
― み言選集 ―
ヨセフが夢を見るとき、「日と月と11 の星とが私を拝みました」と言ったでしょう? 未来に起きることが夢の中に現れました。それがそのとおりになりました。そのようになったでしょう?皆さんにもそのような夢があります。夢を見ない人はいません。夢を見た人、手を挙げてください。夢を見て、今ま
で忘れない夢、3年以上たっても忘れない夢は天の啓示です。それを知らなければなりません。そのような夢を見た人、手を挙げてみてください。
皆さんが統一教会に入ってくるときも、レバレンド・ムーンを知らず、統一教会を知りませんが、皆さんは既に統一教会に入ってくる前に、昔東洋の人が来て五色人種がすべて集まり、レバレンド・ムーンについていくのを見ました。見た人がたくさんいます。そのような人たちが統一教会に入ってきた人には多いのです。
そのようなことがなぜ起きるのでしょうか。それはすべて霊界で人間を教育するための方法が残っているというのです。そのような段階で教育するための方法が残っているので、そのようなことが起きるのです。教えてあげる方法も神様が教えてくれるのでしょうか、天使たちが教えてくれるのでしょうか。階級によってすべて違います。様々な階級を通して教えてくれます。自分の先祖が現れて教えてくれることもあります。ですから、皆さんがこれを見分けるのは難しいのです。
(91-274、1977.2.27)
②監獄から王宮へのヨセフ路程
― 宗教経典 ―
かれが成年に達したころ、われは識見と知識とをかれに授けた。このようにわれは正しい行いをなす者に報いる。かれの起居する家の婦人が、かれを本心から惑わそうとして、戸を閉めて言った「さあ、おいで、おまえさん」と。かれは祈って言った「神よ、わたしをお守り下さい、まことにかれ(あなたの
夫)は、主人であります、わたしを気持ちよく住ませていただきます、ほんとうに不義者は、成功いたしません」。確かにかの女は、かれに求めたのである。主の明証を見なかったならば、かれもかの女を求めたであろう。このようにしてわれは、かれから罪悪と醜行を遠ざけた。まことにかれは、謙虚で純真な選ばれたわがしもべのひとりである。
そのとき両人は戸の方にあい競い、かの女は、後ろからかれの下着を引き裂き、かれら両人は、戸口でかの女の夫に出会った。かの女は「あなたの家人に悪事を、行おうとした者には、投獄されるか痛刑のほかにどんな応報がありましょう」と言った。かれは言った「奥さまこそ、わたしの意に反して、わたしをお求めになりなした」。そのときかの女の家人の中の1証人が証言した。「もしかれの下着が前から裂けておれば、奥さまが真実でかれはうそであります」。「だがかれの下着が、もし後ろから裂けておれば、奥さまがうそをおつきになったので、かれは真実であります」。主人は、ヨセフの下着が後ろから裂けているのを見て、言った「これはおまえたち婦人の悪だくみだ。まことにおまえたちの悪だくみは、すさまじいものである」。「ヨセフよ、これを気にしないでくれ。それから妻よ、おまえの罪のお許しを願いなさい。まことにおまえは罪深い者である」。町の婦人たちは評判して言った貴人の奥方が、青年の意に反し、かれに求めたのは、きっとかれの愛で、奥方がたきつけられたのであろう。わたしたちは、明らかに奥方の誤りだと思う」。かの女は婦人たちの悪意ある陰口を聞くと、使いをつかわし、かの女らのために宴席を設け、めいめいにナイフを渡し、それから(ヨセフに) 「かの女らに出て行きなさい」と言った。かの女らがヨセフを見ると驚歎し、興奮してその手を傷つけて言った「神の造化の完全無欠なことよ、これは人間ではない。これは貴い天使でなくて何であろう」。かの女は言った「これよ、あんたがたが、わたしをそしる人よ。たしかにわたしがひっぱってかれに求めたが、かれは貞節を守ったのよ。もしかれがわたしの命ずることをしないなら、きっと投獄されて汚名を被る者になるでしょう」。(注 24)
クルアーン12.22 ~ 32(イスラーム)49
そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されてい
ました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」
そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。ファラオはヨセフに言った。 「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしは、そこで目が覚めた。それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、
今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」ヨセフはファラオに言った。
「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。
そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」
ファラオと家来たちは皆、ヨセフの言葉に感心した。ファラオは家来たちに、「このように神の霊が宿っている人はほかにあるだろうか」と言い、ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」ファラオはヨセフに向かって、「見よ、わたしは今、お前をエジプト全国の上に立てる」と言った。
創世記 41.9 ~ 41(キリスト教)50
― み言選集 ―
メシヤは、必ず国を中心として来なければなりません。サタン世界が国を単位としているからです。それで、アベルの国を中心としてカインの国々を屈服させなければなりません。これは、ヤコブ家庭において、ヨセフの歴史と同じです。11 人の兄弟がすべて彼を殺そうとしたのであり、エジプトに売り
飛ばしたのです。ところが、彼は、エジプトに行って総理大臣になり、父母からその一族がすべて滅びそうになるときに助けてあげると、彼らがみな屈服することによって、イスラエル圏の家族基盤が復帰されたのです。
(139-300、1986.1.31)
監獄に行く人たちは、サタン世界で誰の利益を追求した人たちですか。自分の利益を得るために公的なものを破壊した人たちです。そのような人たちが行く所です。サタン世界ではそのような人を嫌い、もう一つ嫌うのが何かというと、もともと神様と怨讐なので、天の側の人が来るのを嫌います。2種類しかありません。今までこの2種類の人がその主権下で、体制下で反対を受け、監獄に行って死に、犠牲になってきたのです。このような歴史的な事実を私たちはよく知っています。
天は天の側の人を立て、サタン世界の網を断ち切って天の世界の網をつくり、愛の綱にすべてつなごうとするのです。それでは、サタン世界がいくらどうにかしようとしても、びくとも動けずに手を出すことができない天の側の人はどのような人でしょうか。そのような人がいればよいでしょう? 手を出せば損害賠償せざるを得ない、そのような種類の人はどのような人かというのです。
「サタン世界の民(注 25)を、お前(サタン) が愛する以上、天の愛の基準で愛そう」という人を捕まえれば問題が生じます。何千万倍の損害賠償を支払うことが起きるのです。なぜそうなのでしょうか。本来サタンは真の神様の愛圏の支配を受け、そこに属している自分であることを知っているので、その愛の前では神様が生きている限り、神様の目の前に出てくることはできません。そのような立場でもし被害を与えれば、歴史を通して永遠に弁償しなければなりません。
それで、歴史時代に神様はそのような天の愛をもった人を天の公義の位置に立て、この地上のサタン世界で故意に問題を起こさせて死ぬような境地に追い込むのです。打たれて死ねば、千年、万年歴史を通して損害賠償を支払わなければならないので、打たれるこの基盤を通して宗教という基盤を世界的に拡大することができたのです。そのような論理的根拠を知らなければなりません。
(167-305 ~ 306、1987.8.20)
③ヨセフと兄弟たちの出会いと和解
― 宗教経典 ―
ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。そこでヨセフの十人の兄たちは、エジプトから穀物を買うために下って行った。ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄たちに同行させなかった。何か不幸なことが彼の身に起こるといけないと思ったからであった。イスラエルの息子たちは、他の人々に混じって穀物を買いに出かけた。カナン地方にも飢饉が襲っていたからである。
ところで、ヨセフはエジプトの司政者として、国民に穀物を販売する監督をしていた。ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した。ヨセフは一目で兄たちだと気づいたが、そしらぬ振りをして厳しい口調で、「お前たちは、どこからやって来たのか」と問いかけた。彼らは答えた。「食糧を買うために、カナン地方からやって参りました。」ヨセフは兄たちだと気づいていたが、兄たちはヨセフとは気づかなかった。ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについて見た夢を思い起こした。ヨセフは彼らに言った。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」彼らは答えた。「いいえ、御主君様。僕どもは食糧を買いに来ただけでございます。わたしどもは皆、ある男の息子で、正直な人間でございます。僕どもは決して回し者などではありません。」しかしヨセフが、「いや、お前たちはこの国の手薄な所を探りに来たにちがいない」と言うと、彼らは答えた。「僕どもは、本当に十二人兄弟で、カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」すると、ヨセフは言った。「お前たちは回し者だとわたしが言ったのは、そのことだ。その点について、お前たちを試すことにする。ファラオの命にかけて言う。いちばん末の弟を、ここに来させよ。それまでは、お前たちをここから出すわけにはいかぬ。……
では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、ベニヤミンを連れて、早速エジプトへ下って行った。さて、一行がヨセフの前に進み出ると、ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事に言った。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜を屠って料理を調えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから。」……
ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。それから、わたしの杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。次の朝、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受け、ろばと共に出発した。ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事に命じた。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前たちは悪をもって善に報いるのだ。あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ。』」執事は彼らに追いつくと、そのとおりに言った。すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。袋の口で見つけた銀でさえ、わたしどもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。そのわたしどもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります。」すると、執事は言った。 「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。ほかの者には罪は無い。」
彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けた。執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、ベニヤミンの袋の中から杯が見つかった。彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。「お前たちのしたこの仕業は何事か。わたしのような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」ユダはヨセフの前に進み出て言った。「ああ、御主君様。何とぞお怒りにならず、僕の申し上げますことに耳を傾けてください。あなたはファラオに等しいお方でいらっしゃいますから。御主君は僕どもに向かって、『父や兄弟がいるのか』とお尋ねになりましたが、そのとき、御主君に、『年とった父と、それに父の年寄り子である末の弟がおります。その兄は亡くなり、同じ母の子で残っているのはその子だけですから、父は彼をかわいがっております』と申し上げました。
すると、あなたさまは、『その子をここへ連れて来い。自分の目で確かめることにする』と僕どもにお命じになりました。わたしどもは、御主君に、『あの子は、父親のもとから離れるわけにはまいりません。あの子が父親のもとを離れれば、父は死んでしまいます』と申しましたが、あなたさまは、『その末の弟が一緒に来なければ、再びわたしの顔を見ることは許さぬ』と僕どもにおっしゃいました。
わたしどもは、あなたさまの僕である父のところへ帰り、御主君のお言葉を伝えました。そして父が、『もう一度行って、我々の食糧を少し買って来い』と申しました折にも、『行くことはできません。もし、末の弟が一緒なら、行って参ります。末の弟が一緒でないかぎり、あの方の顔を見ることはできないのです』と答えました。
すると、あなたさまの僕である父は、『お前たちも知っているように、わたしの妻は二人の息子を産んだ。ところが、そのうちの一人はわたしのところから出て行ったきりだ。きっとかみ裂かれてしまったと思うが、それ以来、会っていない。それなのに、お前たちはこの子までも、わたしから取り上げようとする。もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。今わたしが、この子を一緒に連れずに、あなたさまの僕である父のところへ帰れば、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれていますから、この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。そして、僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。実は、この僕が父にこの子の安全を保障して、『もしも、この子をあなたのもとに連れて帰らないようなことがあれば、わたしが父に対して生涯その罪を負い続けます』と言ったのです。何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。この子を一緒に連れずに、どうしてわたしは父のもとへ帰ることができましょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びません。」
ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。ヨセフは兄弟たちに言った。 「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。
創世記 42.1~ 45.9(キリスト教)51
― み言選集 ―
神様は、ヤコブの息子 12 兄弟の中で 11 番目のヨセフをエジプトに売られていくようにして、死ぬような苦労をさせてイスラエルを救いました。同じように、今日この統一教会がダビデと同じ位置で、ヨセフのように犠牲になる立場で冷遇されていますが、天は彼らを立てて国と世界を救おうというのです。神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を救おうというのです。
神様のみ旨のためには、自分の生命やすべてのものを犠牲にして国と世界を復帰してさしあげようとしなければなりません。そのような群れだけが神様のコンセプトと一致するのです。そのようなことを知っているので、先生は迫害を受けながらも恨むことなく、不平を言わず、へたばらず、最後まで撃破したのです。ヨセフが自分の兄弟たちを赦したのは、父母を赦したのと同じです。私と統一教会がヨセフの立場で見るとき、アメリカは怨讐ですが、神様を信じるので、神様のことを考えても赦さざるを得ないのです。
(146-124 ~125、1986.6.8)
ヨセフは、兄弟たちにねたみ嫌われてエジプトに売られていき、ボテパルの妻の謀略で監獄に行くようになりますが、そこでパロの夢解きをしてあげ、エジプトの総理大臣になります。このとき、全世界が凶年に入り、エジプト人だけでなく、各国の人たちが穀物を買いに来るのですが、その人たちの中
に自分の兄たちもいました。自分を殺そうとしていた怨讐であるその兄たちを見たとき、ヨセフはどれほど苦しかったでしょうか。しかし、ヨセフは、彼らが自分と同じ血筋を受け継いだ兄弟の関係であり、自分が父母のそばを離れて外地で生活しているとき、それでも父母に侍り、父母の愛の対象になり、父母の愛する心が彼らを経ていったということを考えて彼らを赦したのです。
(48-312、1971.9.26)
ヨセフも 11 人の兄弟が反対しました。殺そうとしましたが、それを一つにしなければエジプトの父母を助ける道がなかったのです。同様の歴史が展開するのです。先生がちょうどヨセフと同じです。ヨセフはエジプトに入っていってすべての基盤を築き、11 人の兄弟を助けてあげました。先生も、キリスト教が滅びるのを助けてあげているのですが、これがちょうどイスラエル民族を代表したヨセフと同じ責任を果たしているのです。
(137-27、1986.1.1)
ヨセフが、エジプトに訪ねてきた 11人の兄弟を許すことができたのは、なぜか。自分がいない間に父母を養った兄弟たちであることを思えば、許さざるを得なかったのである。それと同じように、我々に反対してきた既成教団を祝福せざるを得ないのは、統一教会が現れる以前に神様に侍ってきた基準があるからである。
御旨の道、指導者
7. モーセ
モーセは、宮中の安楽な生活からミデヤン荒野の困難、そしてイスラエルの民を導いてエジプトから脱出する日から、荒野で長い間さまよいながらイスラエル民族を一つにまとめるために苦痛の闘争をするときまで、冒険的な人生を体験した。イスラエル同族へのモーセの熱烈な愛と全能であられる神様への確固たる信仰、この二つが常にモーセのあらゆる歩みを導いた。
聖書は、モーセが独り神様を真正面から理解していたという。文鮮明先生は、モーセの内的生活を特に注目する。イスラエルの民が苦境に直面しているとき、神様の悲痛な心情をモーセははっきりと知っており、彼らを解放してカナンに国家を建設しようとする神様の燃える意志も感知した。したがって、モーセは神様の苦痛を減らしてさしあげるためのいかなる犠牲も克服し、イスラエル民族が神様を受け入れられるように尽力したのである。
①モーセの民族解放への熱望
― 宗教経典 ―
モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、 「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。
出エジプト記 2.11~15(キリスト教)52
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、 「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土
地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」神は言われた。 「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、 『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わさ
れた。これこそ、とこしえにわたしの名 / これこそ、世々にわたしの呼び名。さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。
出エジプト記 3.1~17(キリスト教)53
主はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り
取り、それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しく
イスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。
出エジプト記 4.19 ~ 31(キリスト教)54
それからかれらの後、わがしるしを持ってモーゼとアロンを、ファラオならびにその首領たちにつかわしたが、かれらは、高慢で罪深い民であった。真理がわがもとからかれらに来たとき、かれらは「これは明らかに魔術である」と言った。……
かれの民のうち末まっぱい輩を除いては、モーセを信ずる者はなかった、かれらはファラオ、ならびの首領の迫害を恐れていたのである。ファラオは国内において権勢をほしいままにし、まことに暴君であった。
モーゼは言った「わたしの人びとよ、あなたがたが、神を信仰するのであり、ムスリムであるのならば、かれにおすがり申せ」と。
かれらは祈って言った「わたしたちは神に、おすがり申す。主よ、わたしたちを不義の民のための、一試練となされず」、
「あなたのお慈悲をもって、わたしたちを不信心の民から救い出したまえ」。……
モーゼは申上げた「主よ、まことにあなたは、ファラオとその首領たちに、現世の生活の栄華と裕福をお授けになります。主よ、かれらはそれで人びとをあなたの道から迷わせます。主よ、かれらの富を壊滅され、かれらの心をかたくなにしたまえ、それで痛刑を見るまで、彼らは信じないでありましょう」。
かれは仰せられた「なんじら両人の祈りは受入れられた、それゆえ、姿勢を正し、無知な者の道に従ってはならぬ」。
われは、イスラエルの子らをして海を渡らせ、ファラオとその軍勢に、暴虐と敵意にみちてかれらを追わしめた。おぼれ死にそうになったとき、「わたしは信仰いたします、イスラエルの子らが信仰する方のほかに、神はございません。わたしはムスリムのひとりであります」と言った。
(かれに仰せられよう) 「なんと、いま信仰するのか、ちょっと前までなんじは反抗していた。しょせんなんじは害悪をなす者のたぐいであった」。
「だが、きょうのところ、われは後の者へのしるしとするため、なんじのからだを救うであろう。だが人びとの多くはわがしるしをおろそかにする」。
クルアーン10.75 ~ 92(イスラーム)55
― み言選集 ―
モーセは、豪華絢爛なパロ宮中にとどまっている間、華やかに着飾り、食べ、歓喜にあふれる生活をしていたのではありません。彼が宮中にとどまっているとき、始終一貫、食べて、着て、寝る、その生活のどの一瞬においてもイスラエル民族を心配していないときがありませんでした。エジプトにいるイ
スラエル民族の中でモーセだけが、その民族が知ろうと知るまいと、天に対する忠誠心が変わらなかったのです。皆さんには、モーセが血気盛んな人に見えるかもしれませんが、事実はそうではありません。エジプト人とイスラエル人が争うのを見てエジプト人を葬り去ったモーセの義憤心は、その瞬間
に衝撃を受けて生じたものではなかったのです。
その光景を見たとき、モーセは 40 年間天に向かって悲しい心で民族のために訴えた内的悲しみの心情が爆発したのです。すなわち、イスラエル選民がひどい目に遭っているのを見て、抑えられない義憤心がわき上がってエジプト人を殺しました。このように 、 イスラエル民族に対する愛とエジプトに対する義憤心が、そのようなモーセの行動の内的な原因だったのです。そして、そのようなモーセの行動には、摂理的なみ旨が内包されていました。
モーセが怒りに勝てずエジプト人を葬ったのは、このイスラエルの運命を心配して責任をもった立場で葬ったのであり、それはエジプト人がイスラエル民族を迫害した罪に比べれば小さなことだったので、神様は誰よりも民族のために心配するモーセを民族の指導者として立てられたのです。しかし、イスラエル民族は、モーセを誤解し、エジプト人を葬ったことを暴露することによって、モーセは自分の行動が露見したことを知って、仕方なくミデヤン荒野に身を隠すようになったのです。
(1-141~142、1956.7.1)
ミデヤン荒野で生活していたモーセは、パロ宮中で豪華に暮らしていたことを恥ずかしく思い、パロ王の娘が自分のためにすべての願いを聞き入れてくれた自由な環境で暮らしていた過去の富貴、栄華をすべて忘れました。そして、羊飼いの服を着て羊の群れを追い回す無名の牧童の立場でしたが、その羊の群れを見つめて、昔の先祖アブラハムに約束されたカナンの地を慕いました。
今はたとえ羊の群れを追い回しているとしても、いつかは羊の群れを追い立てていくように民族を導き、カナンの地に入っていこうという切なる思いで天に訴えたモーセでした。モーセは、食べても飢えても、寝ても覚めても、労心焦思(心を痛め気をもみ)、そのすべての精誠を尽くして、アブラハムがソドムとゴモラの人が知らない中で彼らのために祈祷していたのと同じように、民族のために心配して祈祷したのです。
モーセは、エジプトの迫害と塗炭の中で苦役を受けているイスラエル民族を見つめるとき、骨が溶けるほどの悲しみを感じたのであり、天に向かって、「主よ! 私を御覧になってこの民族を哀れんでください!」と訴えたのです。それで、神様は、このようにこの上ない精誠で訴えるモーセを 60 万の大衆をエジプトの地から導き出す指導者として立て、人が見るとき取るに足らない、ミデヤン荒野で一介の牧童生活をしていたモーセを、先祖から伝わってきた隠れた根の貞節を継承させ、民族の代表者として立てたのです。
(1-142 ~143、1956.7.1)
荒野のあらゆる雨風に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-39、1958.2.23)
その後、モーセが始めた歩みは、すべて冒険的なものでした。現実を超越した神様の摂理の中心を抱いたために、彼の人生全体も超現実的なものであり、見つめるものも、出ていって闘うことも、超現実的なものでした。
神様の命令を受け、モーセがパロ宮中に行くようになるとき、神様が行きなさいと言われたその道を行くモーセを祝福してあげ、保護してあげなければならないのですが、神様はかえってモーセの行く道を妨げ、モーセを殺そうとしました。神様はどうして自分の命令を受けて行くモーセを妨害して殺そうとされたのでしょうか。現実的には到底あり得ないことでした。ここに私たち人間が知り得ない内容があります。
現実的に考えてみれば、到底越えることのできない峠でした。しかし、モーセは既に覚悟した身だったので、死のうと生きようと、み旨一つだけが成し遂げられることを願う心情で、神様が妨げ、サタンが妨げる試練の条件を越えたのです。そうして、パロ宮中で超現実的な神様の実存を確信し、10 度以上の奇跡を起こしたモーセは、4000 年の歴史上にいなかった宇宙的な冒険の革命家だったことを知らなければなりません。このようにモーセは、いかなる人の反対にも屈せず、み旨に対する超現実的な信仰で 60 万のイスラエル民族を導きました。このようなことを考えてみるとき、モーセの生涯全体は超現実的な冒険の行路だったことを知らなければなりません。
(1-267、1956.12.2)
②律法を伝授し、ヘブライ人の荒野路程を導いたモーセの苦難
― 宗教経典 ―
主が、「わたしのもとに登りなさい。山に来て、そこにいなさい。わたしは、彼らを教えるために、教えと戒めを記した石の板をあなたに授ける」とモーセに言われると、モーセは従者ヨシュアと共に立ち上がった。モーセは、神の山へ登って行くとき、長老たちに言った。「わたしたちがあなたたちのもとに帰って来るまで、ここにとどまっていなさい。見よ、アロンとフルとがあなたたちと共にいる。何か訴えのある者は、彼らのところに行きなさい 。」モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。
出エジプト記 24.12 ~18(キリスト教)56
モーセがイスラエルの民に言った。「あなたたちは、私が律法を得るためにどれほど苦労したかを知らない。どんな苦労、どんな努力でも、私は律法のために耐え抜いた。四十昼夜を私は神と共に過ごした。私は生きている被造物である天使たち、セラフィムと共にいた。私は喜んで彼らに律法を与えた。私が苦労を通して律法を学んだように、あなたたちも苦労しながら律法を学ばなければならない。そして、あなたたちが苦労して律法を学んだように、あなたたちの子孫にも苦労の中で律法を教えてあげなければならない」。
申命記スィフレイ(ユダヤ教)57
荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
出エジプト記16.2 ~ 3(キリスト教)58
四十日四十夜が過ぎて、主はわたしにその二枚の石の板、契約の板を授けられた。
そのとき、主はわたしに言われた。 「すぐに立って、ここから下りなさい。あなたがエジプトから導き出した民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、鋳像を造った。」……「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。わたしを引き止めるな。わたしは彼らを滅ぼし、天の下からその名を消し去って、あなたを彼らより強く、数の多い国民とする。」
わたしが身を翻して山を下ると、山は火に包まれて燃えていた。わたしは両手に二枚の契約の板を持っていた。わたしが見たのは、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯し、子牛の鋳像を造って、早くも主の命じられた道からそれている姿であった。わたしは両手に持っていた二枚の板を投げつけ、あなたたちの目の前で砕いた。主の目に悪と見なされることを行って罪を犯し、主を憤らせた、あなたたちのすべての罪のゆえに、わたしは前と同じように、四十日四十夜、パンも食べず水も飲まず主の前にひれ伏した。
……主があなたたちを滅ぼすと言われたからである。わたしはひれ伏して、主に祈って言った。「主なる神よ。あなたが大いなる御業をもって救い出し、力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕しもべ、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。我々があなたに導かれて出て来た国の人々に、『主は約束された土地に彼らを入らせることができなかった。主は彼らを憎んで、荒れ野に導き出して殺してしまった』と言われないようにしてください。彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕をもって導き出されたあなたの嗣業の民です。」
申命記 9.11~ 29(キリスト教)59
こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
申命記 31.2 ~ 8(キリスト教)60
― み言選集 ―
モーセがした、命を掲げて全民族の命を救援する生きた祭物になろうと身もだえしたことを、その民族は知らなかったのです。ただ神様だけが御存じでした。神様だけが友人になってくださったのであり、神様だけが父として彼に対してくださったのです。モーセはそのような神様であられることを知ったので、40 日間食べることを忘れながら、二度とお父様に悲しみと悲運の心情をもたないようにしてさしあげようという責任感を感じ、あらゆる精誠をすべて尽くして訴えることによって、イスラエル民族を復活させることのできるみ言を受けるようになったのです。
これは喜ばしいことでした。ところが、喜びを紹介するためには、人知れず背後で悲しみの祭物となった者がいたことをイスラエル民族は知らなかったのです。もし彼らがこれを知っていれば、荒野で 60 万の大衆が倒れることは避けていたでしょう。そのあとにでも、彼らがモーセの十戒に従い、天の悲しい心情を解怨してさしあげるために、自分たちの体は祭物になるとしても屈せずに進んでいこうという信仰があれば、彼らは荒野で倒れなかったのです。
(3-287、1958.1.19)
エジプトで苦難を受けているイスラエル民族を導かなければならなかったモーセは、パロ宮中で 40 年間、人知れず心で悩みながら民族を愛する民族精神に燃え上がっていました。ところが、エジプト人を殺害したことが、荒野で寂しい牧童の生活をするようになった動機になりました。そのような立場にいたモーセは、エジプト宮中の豪華なすべての栄光を一切捨て、ミデヤン荒野での苦役生活が迫ってきたとしても変わらない心を抱き、自分を愛する心よりも神様のみ旨を心配する決心をもつようになりました。
荒野のあらゆる風雨に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかきわけ、民族から追われたとしても、神様をつかんでいたモーセの変わらない決心があったがゆえに、民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです。
(4-38 ~ 39、1958.2.23)
モーセが天から許諾されたところの約束を受けてエジプトに入っていくようになったとき、彼は喜びにあふれていました。しかし、モーセは決してその喜びだけで満足していませんでした。彼は、自分の民族をカナンの地に導くために生涯を捧げると天の前に訴えたその志が成し遂げられ、民族の生きる道を開拓するようになりましたが、そのような喜びだけに満足せず、これから第2の責任を忠実に果たそうという使命感と責任感をもつようになりました。
そのときからモーセは、自分を中心として行動せず、小さなことも大きなことも、どれ一つとして神様と因縁を結ばずに遂行したことがありませんでした。こうしてモーセが暴虐なパロ宮中に入っていき、彼らの神に 10 回以上の奇跡を行い、イスラエル民族を険しい荒野に導きだすようになりました。ここでイスラエル民族は、モーセと一つにならなければなりませんでした。
すなわち、険しい荒野ですが、自由な環境に脱出してきたイスラエル民族は、カナンの福地に向かうにおいて、モーセの心がすなわち自分たちの心にならなければならなかったのです。彼らは、自分たちをパロ宮中から救出してくれたモーセと心が違ってはいけなかったのです。ところが、彼らはモーセと一つになれず、天倫に背く道を行くことによって滅亡するようになりました。それでは、彼らがこのように滅亡するようになった原因はどこにあったのでしょうか。
彼らは、モーセが民族の指導者になる過程で天に訴えた隠れた精誠の足場を知らなかったのです。そして、彼らは、モーセが自分たちを導いてエジプトを出発したその日からあらゆる困難を経験し、自分たちのために与えたにもかかわらず、このようなモーセの苦労と努力を理解できませんでした。それで、彼らとモーセは荒野で分かれ、結局、彼らは荒野に伏す立場になってしまいました。このように、イスラエル民族がモーセを不信した歴史的事実が、今日終わりの日の聖徒たちにも再び現れているのです。
イスラエル民族と自分が一つになれない事実に直面するようになるとき、モーセは不信する民族を叱責する前に、自分自身の不足を天に訴えました。すなわち、彼はシナイ山に登り、40 日間断食祈祷しながら、「お父様、この民族がどうして許諾された地が目の前に見えるのに、入っていくことができないのですか。その責任は誰にあるのですか。その責任は私にあります。私が責任を果たせなかったからです。ですから、私を祭物として民族の滅亡の道をふさいでください」と訴えたのです。このようなモーセの隠れた精誠の期間があったことを皆さんは知らなければなりません。
もしイスラエル民族が、モーセが人知れず悲しい心で断食することが、モーセ自身のためではなく、自分たちのためであることを知っていたら、彼らはモーセの 40 日断食期間に金の子牛をつくって崇拝する不信の行いはしなかったでしょう。また、彼らが民族の祝福を身代わりしたモーセが、一つの隠れた祭物として天に捧げられるようになるとき、モーセの心に同情し、彼の苦労を心配してシナイ山にいるモーセと一緒に涙を流し、天に訴えることができていれば、彼らは神様の懐を離れなかったでしょう。
このように、モーセが独りで民族を代表し、義の道を行ったように、イエス様もそのような道を行かれました。つまり、アブラハムの歴史的な犠牲とモーセの民族を代表した祭物の路程を通して、世界の中心に立てられたイエス・キリストは、アブラハムが家庭を代表してサタンの讒訴条件を防ぎ、モーセが民族を代表してサタンの讒訴条件を防いだのと同じように、世界人類を身代わりして独りでサタンのあらゆる讒訴条件を防がなければならず、勝利的な蕩減の足場を築かなければなりませんでした。
(1-143 ~145、1956.7.1)
カナンの地に入っていかなければならないのに、ヨルダン川で天幕をはり、「もう着いたので、ここで千年、万年暮らさなければならない」 と言っているので、この天幕を破って外し、川にほうり込まなければなりません。
そのようにするときは、モーセが来て火をつけ、すべて蹴飛ばしてしまわなければなりません。ほうり込まなければならないというのです。水にほうり込むのです。ヨルダン川の水が深いと思っていたら、目を開けてみると深くありません。ひざまでしか上がってきません。川を渡っていって死ななければならないのです。体の3分の2が地についてそこで休んでもかまいません。それはサタンがもっていけません。死んでもかまいません。死んでも成功です。私たちの地に入っていって……。
それが長い長い 40 年間の路程の目的です。……ヨルダン川も見えない荒野の真ん中では、モーセより先に行けば死にます。そのときはモーセが「私についてきなさい」と言いましたが、ヨルダン川が見えるときは、「先に行きなさい」と言うのです。これが素晴らしいのです。ところが、イスラエル民族はすべて越えていき、モーセだけ越えられませんでした。どうなったのですか。モーセが、 「ああ、呪われる群れだ! 私を捨てて行った。死んでしまえ! 滅んでしまえ!」とは言いません。「おお、私は死んでもよいので、あなたたちは永遠に祝福を受けなさい」と言うのです。モーセが手を挙げて、「神様、私より勇猛なあのイスラエル民族を御覧ください。彼らの将来を保護してください! どれほど希望に満ちた彼らだろうか!」と祈るのです。神様は、「ああ、立派な指導者だ! あなたの祈りどおりにしてあげよう! お前は平安に永眠しなさい」と言うというのです。どれほど素晴らしい死でしょうか!
(189-249 ~ 250、1989.4.9)
8. 聖書の女性たち
神様の摂理の経綸において、女性たちの偉大な信仰と献身が重要な役割を果たした。イスラエルの母たちからイエスの生涯の中の重要な女性たちに至るまで、聖書は、相当な個人的代価を払いながら神様のみ旨のために努力した女性たちに関して記録している。昔の女性が生きていくのは簡単ではなかったが、このような女性たちは、神様への強い信仰を維持しながら、環境を克服するために努力してきた。
夫アブラハムを助けるために、サラは多くの逆境を克服したのであり、さらにはパロの女性になる冒険もした。バテシバは、自分の夫を殺したダビデ王の妻になったが、ダビデ王に忠誠を尽くすことによって死んだ夫が栄誉を受けるようにしなければならないという一貫した態度で苦痛に耐えた。一方、リベカは、息子のヤコブが神様のみ旨を具現するために選ばれたことを知ったために、息子を助けるために夫をだました。ヤコブとエサウのような立場にいたラケルとレアは、姉妹間の競争関係で互いに争った。タマルとマリヤは、神様が願われる婚外の子女を生むために自分の人生を黙って捧げた。マグダラのマリヤは、イエスへの献身的模範を見せたが、これは 12 弟子たちの人生よりも優れた事例として数えられる。
文鮮明先生は、このような女性たちの格別な人生を貫く脈絡を読み取る。彼女たちは、神様の真の血統を準備するために神様の摂理に選択された女性たちである。したがって、神様は、彼女たちの偉大な信仰的基盤を通して、女性・エバの失敗を復帰できるよう、彼女たちを現実に挑戦する環境に置いたことを私たちは読み取ることができる。
①サラ
― 宗教経典 ―
その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。
どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。だからこそ、わたしの妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。
創世記12.10 ~ 20(キリスト教)61
― み言選集 ―
アブラハムが出発しようと言うとき、「早く行きましょう」と言ったサラのような人を考えてみてください。アブラハムがサラに、パロの前では兄と妹の関係にしようと言ったとき、サラがどのように思ったでしょうか。「この夫は、これほど苦労させて引っ張り出してきたと思ったら、今度は妻をやめて兄と呼ベと言う」、このように思うこともできたのです。彼らは道を行く途中で夕立が来てもそのまま行ったでしょう。ジプシーの群れになった彼らに、誰が一皿の食事でももっていってあげたでしょうか。きょうはこっちに、あすはあっちにとさまようそのような生活をしたのですが、そのように苦労したことを思えば、サラはアブラハムに対して、「この夫は、夜見ても、昼見ても、朝見ても、運のない夫になった。それなのに、夫の自分を兄と言えとは……」、このように思うこともできたのです。
そのような受難を経てくる中でも、サラはアブラハムの希望の道と一致することができ、何の衝突もなく一つになることができました。理想的な主体がいても、理想的な相対がいなければなりません。理想的な主体であるアブラハムの前に理想的な相対が出てきたのですが、その理想的な相対を打とうとするときは、完全な理想的主体の前に完全な理想的相対型がいるのに、これを打とうとするときは、神様が「おい、こいつ!」とおっしゃることができるのです。
(49-144、1971.10.9)
アベルよりも劣ったノアになってはいけないのであり、ノアよりも劣ったアブラハムになってはいけないのです。それでは、アブラハムの何がノアよりも優れているのでしょうか。アブラハムの妻は、アブラハムが兄と妹のように振る舞おうと言ったときも、 「はい!」と言って従いました。ところが、ノアが「妻よ、あなたと私は兄と妹のように振る舞いましょう」と言うとき、彼の妻は反対する立場に立ったのです。そのような点からアブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていたのです。
ノアの家庭は反対する立場でした。ノアの息子ハムは、そのように不平不満でいっぱいの母親から教育を受けたので、自分勝手に行動するようになったのです。しかし、アブラハムと一つになった母サラの懐で育ったイサクは、命が断ち切られる場での父の命令に従いました。そのような点で、アブラハムの家庭はノアの家庭よりも優れていました。
(46-322、1971.8.17)
アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創14・16)。このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。(注 26)
原理講論、復帰基台摂理時代 3.1.2.1
②リベカ
― 宗教経典 ―
リベカは、イサクが息子のエサウに話しているのを聞いていた。エサウが獲物を取りに野に行くと、リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」母は言った。「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」
創世記 27.5 ~13(キリスト教)62
エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。」ところが、上の息子エサウのこの言葉が母リベカの耳に入った。彼女は人をやって、下の息子のヤコブを呼び寄せて言った。「大変です。エサウ兄さんがお前を殺して恨みを晴らそうとしています。わたしの子よ。今、わたしの言うことをよく聞き、急いでハランに、わたしの兄ラバンの所へ逃げて行きなさい。そして、お兄さんの怒りが治まるまで、しばらく伯父さんの所に置いてもらいなさい。そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」リベカはイサクに言った。「わたしは、ヘト人の娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブまでも、この土地の娘の中からあんなヘト人の娘をめとったら、わたしは生きているかいがありません。」イサクはヤコブを呼び寄せて祝福して、命じた。「お前はカナンの娘の中から妻を迎えてはいけない。ここをたって、パダン・アラムのベトエルおじいさんの家に行き、そこでラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。
創世記 27.41~ 28.2(キリスト教)63
― み言選集 ―
歴史時代に神様のために自分の生命、財産、歴史的伝統やすべてのものを断ち切り、大々的な革命、天の愛の道を取り戻すために大革命をする一人の女性が必要だという結論が出てきます。
ヤコブがイスラエルになるにおいて、自分の母の後援がなかったならば、イスラエルという名前さえ、祝福さえ受けることができなかったのです。長子の特権を奪って祝福を受けることができる位置に立つことができないのです。その母は、自分の上の息子をだまし、夫をだまし、下の息子と一つになりました。神様のみ旨のためにだましたのです。これが違うのです。長子の特権を奪うということが世の中にありますか。それを見れば、ヤコブも詐欺師であり、母もうそつきです。これがなぜ聖書にあるのですか。神様のみ旨がなぜこのように出発しなければならないのかというのです。これを今まで知らなかったのです。
サタン世界で神様の息子、娘が祝福を奪い、長子の特権を奪ったというのは、すべての世の中を取り戻してくる条件として神様が許諾したのです。ところが、サタン世界に行って公に「おいおい、お前、私はすべての特権を奪いにきたのだから、私と相談してサインしなさい」、このようにしてよいのですか。いけません。それではどのようにしなければなりませんか。「あなたがしたとおりに私もしなければならない。あなたがしたとおりに私もする」と言うのです。もともとあなたがしたとおりに私もするというのです。あなたがそのように奪っていったので、私もそのように奪ってくるということです。
それでは、サタンがどのようにして奪っていきましたか。うそをついたのです。その次には、アダムをだましました。息子をだまし、父をだましました。息子と父をだましたのです。さらには、夫までだましました。ですから、「あなたがそのようにしたので、私もそのようにする、こいつ!」と言って奪ってくるのです。天のお父様が天の側なので、天のお父様を中心として女性が一つになります。サタンとエバが一つになって堕落したので、神様と女性が一つになって復帰しなければなりません。女性がサタンと一つになり、アダムを引っ張っていって堕落したので、神様と女性が一つになって男性を引っ張ってくるのです。
その場とは何かというと、神様を中心とするリベカとヤコブが一つになってここに引っ張ってくる場です。自分の息子と夫を引っ張ってくるのです。このために、このようなことがあったというがすべて理解できました。
(105-118 ~120、1979.10.4)
エサウが母とヤコブに対して死ぬまで不満をもっている限り、その家庭は永遠に一つになれません。エサウと父を屈服させなければなりません。自然に「称賛します」と言うようにしなければなりません。息子のエサウも、父のイサクも称賛する場に立たなければ本然の位置に戻れません。
ですから、息子と父から母が精誠と苦労で涙を流し、間違っていたと悔い改め、100 回謝罪し、1000 回謝罪して赦されたとしても、ヤコブが現れるとき、その父の心、エサウの心が母の心と同じになれるかが問題です。ここから自然屈服という論理が生まれるのです。カインの立場であるエサウとサタン側の立場である父を自然屈服させなければ、復帰がなされません。
そのようにしようとすれば、その母親がヤコブの何百倍をしなければなりません。それでエサウが、ヤコブが帰ってきても殺さないと何度も約束し、何度も繰り返し誓って実行できるようにするために、母親がエサウをどれほど内外に感化させたでしょうか。母親がそのような責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。
(244-240 ~ 241、1993.2.14)
エバが堕落するとき、サタンを中心として一つになりました。それでは、エバはどのような存在であり、どのような立場に立ったのでしょうか。神様を否定し、夫を否定する立場に立ったのです。ですから、戻っていくときは、男性が先に戻っていくことはできません。このようなことを蕩減復帰するためには、サタン世界の父と同じであり、サタン世界の夫と同じこのようなものに反対する女性がいなければなりません。そのような女性でなければ、こちらに戻ってくることはできないという結論が出てきます。この公式を中心として、宗教は発展してくるのです。
本来の宗教は、男性の宗教ではなく、新婦の宗教だということを知らなければなりません。ですから、女性たちが宗教生活することに、いつも男性たちは反対するのです。女性たちが神様を求めていく道では、いつもサタンが反対し、男性たちが反対するというのです。
(89-208、1976.11.22)
③ラケルとレア
― 宗教経典 ―
主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。レアは身ごもって男の子を産み、ルベンと名付けた。それは、彼女が、「主はわたしの苦しみを顧みて(ラア)くださった。これからは夫もわたしを愛してくれるにちがいない」と言ったからである。レアはまた身ごもって男の子を産み、「主はわたしが疎んじられていることを耳にされ(シャマ)、またこの子をも授けてくださった」と言って、シメオンと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「これからはきっと、夫はわたしに結び付いて(ラベ)くれるだろう。夫のために三人も男の子を産んだのだから」と言った。そこで、その子をレビと名付けた。レアはまた身ごもって男の子を産み、「今度こそ主をほめたたえ(ヤダ)よう」と言った。そこで、その子をユダと名付けた。しばらく、彼女は子を産まなくなった。ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ。」ラケルは、「わたしの召し使いのビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができます」と言った。ラケルはヤコブに召し使いビルハを側女として与えたので、ヤコブは彼女のところに入った。やがて、ビルハは身ごもってヤコブとの間に男の子を産んだ。そのときラケルは、「わたしの訴えを神は正しくお裁き(ディン)になり、わたしの願いを聞き入れ男の子を与えてくださった」と言った。そこで、彼女はその子をダンと名付けた。ラケルの召し使いビルハはまた身ごもって、ヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときラケルは、「姉と死に物狂いの争いをして(ニフタル)、ついに勝った」と言って、その名をナフタリと名付けた。レアも自分に子供ができなくなったのを知ると、自分の召し使いジルパをヤコブに側女として与えたので、レアの召し使いジルパはヤコブとの間に男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸運な(ガド)」と言って、その子をガドと名付けた。レアの召し使いジルパはヤコブとの間に二人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「なんと幸せなこと(アシェル)か。娘たちはわたしを幸せ者と言うにちがいない」と言って、その子をアシェルと名付けた。小麦の刈り入れのころ、ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアのところへ持って来た。ラケルがレアに、「あなたの子供が取って来た恋なすびをわたしに分けてください」と言うと、レアは言った。「あなたは、わたしの夫を取っただけでは気が済まず、わたしの息子の恋なすびまで取ろうとするのですか。」「それでは、あなたの子供の恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」とラケルは答えた。夕方になり、ヤコブが野原から帰って来ると、レアは出迎えて言った。「あなたはわたしのところに来なければなりません。わたしは、息子の恋なすびであなたを雇ったのですから。」その夜、ヤコブはレアと寝た。神がレアの願いを聞き入れられたので、レアは身ごもってヤコブとの間に五人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「わたしが召し使いを夫に与えたので、神はその報酬(サカル)をくださった」と言って、その子をイサカルと名付けた。レアはまた身ごもって、ヤコブとの間に六人目の男の子を産んだ。そのときレアは、「神がすばらしい贈り物をわたしにくださった。今度こそ、夫はわたしを尊敬してくれる(ザバル)でしょう。夫のために六人も男の子を産んだのだから」と言って、その子をゼブルンと名付けた。その後、レアは女の子を産み、その子をディナと名付けた。しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を産んだ。そのときラケルは、「神がわたしの恥をすすいでくださった」と言った。彼女は、「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)」と願っていたので、その子をヨセフと名付けた。
創世記 29.31~ 30.24(キリスト教)64
― み言選集 ―
ヤコブがハランに行って 21 年を経ながら、ラケルをもらうために 7 年間苦労したのですが、父のラバンがサタン側のレアを抱かせました。ヤコブが復帰できるアダムの使命を完遂するためには、アダムが堕落したために、レアを通して堕落した過程を経なければならないのです。レアを抱えて越えていって、初めてラケルを抱えるようになりました。
世界全体の摂理を見れば、神様を中心として二人の女性が現れます。堕落した女性と復帰された女性がいるのです。レアが妹ラケルの愛を奪いました。サタン側の代表であるラバンを中心として、救援摂理においてサタンがレアを抱え、ラケルの行く道までふさいでいたのです。その女性二人の愛の争いがヤコブ家庭の問題です。
エデンの園で愛を中心としてカイン・アベルとサタンが出発したように、神様の立場とラケル的な目的に従っていく本然の世界で、カインが現れて自分を中心とする愛を占領するためにしたことと同様の形態が展開するのです。愛を中心としてサタンが先に主導権を握ろうとします。それで、神様の理想を破壊させ……。これが 2000 年後にヤコブ家庭に起きるのです。これが蕩とう減復帰です。
蕩減は、「目には目、歯には歯」のような形態で表れます。サタン側の父がレア側に立っていますが、母はサタン側に勝つためにレアとラケルを一つにしなければなりません。ところが、これを知らなかったのです。リベカ(注27)がアベル(ヤコブ)を立て、カイン(エサウ)の心を動かし、イサクを屈服させるために内的にどれほど苦衷を受けたでしょうか。
今まで歴史時代において、ヤコブがラケルとレアと一つになったところでラケルのみ旨が成し遂げられようとすれば、兄が自然屈服しなければなりません。兄が 100 パーセント屈服し、弟を長子のように侍り、兄のように侍らなければなりません。逆さまにならなければならないのです。(注 28)
(244-239 ~ 240、1993.2.14)
今、アメリカ女性の中で幸福な女性がいますか。すべてレアとラケルのような関係になっているので、これが度数を超えて平準化され、フリーセックスまで出てくるようになったのです。サタンがそれを利用します。レアとラケルが妬み嫌うことを中心として、天と一つになるためには、互いが同じ立場に立たなければならない立場にいて、愛を中心として水平基準に置かれるので、フリーセックスのような概念が入ってくるのです。
愛の争いのためにレアを中心とする僕、三人の女性たちが十人の息子を生み、ラケルは二人の息子を生みましたが、これが北朝イスラエルと南朝ユダ、カイン世界とアベル世界に完全に分かれました。家庭での愛の紛争が、北朝イスラエルと南朝ユダに分けたのです。それで 10 支派と2支派が互いに怨讐となり、争ってきました。それがイスラエルの歴史です。(注 29)
(244-248 ~ 249、1993.2.14)
④タマル
― 宗教経典 ―
ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。(注 30)彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。ユダは嫁のタマルに言った。「わたしの息子のシェラが成人するまで、あなたは父上の家で、やもめのまま暮らしていなさい。」それは、シェラもまた兄たちのように死んではいけないと思ったからであった。タマルは自分の父の家に帰って暮らした。かなりの年月がたって、シュアの娘であったユダの妻が死んだ。ユダは喪に服した後、友人のアドラム人ヒラと一緒に、ティムナの羊の毛を切る者のところへ上って行った。ある人がタマルに、「あなたのしゅうとが、羊の毛を切るために、ティムナへやって来ます」と知らせたので、タマルはやもめの着物を脱ぎ、ベールをかぶって身なりを変え、ティムナへ行く途中のエナイムの入り口に座った。シェラが成人したのに、自分がその妻にしてもらえない、と分かったからである。ユダは彼女を見て、顔を隠しているので娼婦だと思った。ユダは、路傍にいる彼女に近寄って、「さあ、あなたの所に入らせてくれ」と言った。彼女が自分の嫁だとは気づかなかったからである。「わたしの所にお入りになるのなら、何をくださいますか」と彼女が言うと、ユダは、「群れの中から子山羊を一匹、送り届けよう」と答えた。しかし彼女は言った。「でも、それを送り届けてくださるまで、保証の品をください。」「どんな保証がいいのか」と言うと、彼女は答えた。「あなたのひもの付いた印章と、持っていらっしゃるその杖です。」ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった。彼女はそこを立ち去り、ベールを脱いで、再びやもめの着物を着た。ユダは子山羊を友人のアドラム人の手に託して送り届け、女から保証の品を取り戻そうとしたが、その女は見つからなかった。友人が土地の人々に、「エナイムの路傍にいた神殿娼婦は、どこにいるでしょうか」と尋ねると、人々は、「ここには、神殿娼婦などいたことはありません」と答えた。友人はユダのところに戻って来て言った。「女は見つかりませんでした。それに土地の人々も、『ここには、神殿娼婦などいたことはありません』と言うのです。」ユダは言った。「では、あの品はあの女にそのままやっておこう。さもないと、我々が物笑いの種になるから。とにかく、わたしは子山羊を届けたのだが、女が見つからなかったのだから。」三か月ほどたって、「あなたの嫁タマルは姦淫をし、しかも、姦淫によって身ごもりました」とユダに告げる者があったので、ユダは言った。「あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ。」ところが、引きずり出されようとしたとき、タマルはしゅうとに使いをやって言った。 「わたしは、この品々の持ち主によって身ごもったのです。」彼女は続けて言った。 「どうか、このひもの付いた印章とこの杖とが、どなたのものか、お調べください。」ユダは調べて言った。「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」ユダは、再びタマルを知ることはなかった。タマルの出産の時が来たが、胎内には双子がいた。出産の時、一人の子が手を出したので、助産婦は、「これが先に出た」と言い、真っ赤な糸を取ってその手に結んだ。ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。「なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして。」そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。その後から、手に真っ赤な糸を結んだ方の子が出てきたので、この子はゼラ(真っ赤)と名付けられた。
創世記 38.6 ~ 30(キリスト教)65
タマルは祭司長の娘だった。彼女の性稟が純潔で自制力があったことを考えるとき、義父と関係をもつことをわざわざたくらんだことは理解し難いことだ。結局、タマルは徳のある女性だったのであり、娼婦ではなかった。彼女が義父ユダに接近したのは、深奥な志と知恵から来たものである。また、死んだ夫たちに対する衷心からした行動だった。天が彼女を助け、すぐに妊娠できたのは、深い志をもってした行動だったからである。……
ダビデ、ソロモン、さらにメシヤの先祖となるユダヤ王国の種が蒔かれた2人の女性がいる。彼女たちはタマルとルツだ。この2人の女性には共通点がある。2人とも最初の夫を失い、夫に代わるために同じような道を歩んだ。タマルはユダが死んだ夫たちの最も近い近親だったために、ユダを誘惑した。……ルツはボアズを誘惑したが、ルツ記3章7節に、「ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった」と記録されている。この2人の女性からユダヤ王国の種が受け継がれ、完成に至るようになった。2人の女性とも、信仰心が発露となってした行動だったのであり、死んだ夫たちに対する礼を守った。彼女たちは共に血統を受け継ぎ、これから訪れる天の世界を準備するための行動だったのである。
ゾハール1.188ab(ユダヤ教)66
― み言選集 ―
ヤコブの息子の中にユダ支派がいます。ユダは4番目の息子です。ユダの最初の息子が結婚したのですが死にました。イスラエル民族は、兄が死ぬとその弟が兄嫁を引き継いで代をつなげてあげるようになっています。ところが、その下の息子がどうなったかというと、兄嫁を受け入れないと言いました。それで神様が罰を与えて死にました。その次に、3番目の息子は子供です。3番目の息子は幼いため、この兄嫁がユダ支派の代を引き継ぐ可能性がなくなったので大変なことになったのです。ですから、タマルが代を引き継ごうとすれば、どの系統を引き継がなければなりませんか。ユダ支派の系統を引き継ごうとすれば、幼子しかいないので、自分はすっかり老いて死ぬというのです。ここで革命をするのです。
そして何をするのですか。神様の代を引き継ぐためには、自分の家の恥であろうと、自分がどうなろうと考えない、このような決心をするようになりました。それで、しかたなく娼婦の服に着替え、自分の義父が農作業で往来する道端に出ていき、自分の義父ユダを誘って関係を結びました。このように関係を結んでから記念品がほしいと言いました。その時、杖をくれ、印と印のひもをくれ、やぎをくれたので、その記念品をもらって赤ん坊を宿して育てるのです。それはすべて意味がありました。その後、5、6カ月たってタマルのおなかがだんだんと大きくなってくるので、村の人たちがユダに「あなたの嫁は寡婦なのに、赤ん坊を宿している。石で打ち殺さなければならない」と言いました。そのとき、「その赤ん坊の父親は誰か」と言うと、この杖の主人であり、印と印のひもの主人であり、この記念品をくれた人だと言い、ユダのところにもっていって赦しを受けるのです。それで生きながらえました。
非正常な道を行く女性たちを通して神様のみ旨が、新しい血統が受け継がれてきたという事実をここで知ることができます。それはなぜそうなのかというのです。体を先に捧げれば、それは純粋に 100 パーセントサタンのものです。100 パーセントサタン側にいます。それを否定する立場に立てば、それがかえって……。ですから、そのような女性、サタン側の女性ではなく、天の側の女性が必要なのです。サタンのものをすべて否定してしまい、天の側に帰ってくることのできる女性が必要です。
このような道理に一致するので、神様はタマルを通して……。タマルはどのようにしたかというと、このような分岐点に立っても神様のみ旨を立てようとしたのです。エバが自分の父をだまし、自分の夫をだましたのと同じように、タマルは自分の父ユダと自分の未来の夫、3番目の息子を否定してそのようなことをしました。ちょうど同じ道を行ったのです。死を覚悟して……。
(92-286 ~ 288、1977.4.18)
「神様、あなたの祝福圏を欽慕し、またあなたの祝福の代を引き継ぐために、私がこのようなことをしているので、神様! お赦しください。私がたとえ千万回死ぬことがあっても、この不倫の素行を基盤として神様から祝福を受けることのできる基盤がユダ家門に成し遂げられさえすれば、私は何の遺恨もありません」と、タマルは間違いなくこのように祈祷したでしょう。
そのような切実な内容があったために、タマルは生死を意に介さず、ただ神様の恨が宿ったみ旨を成し遂げてさしあげるために、その死の状況までも克服することができたのです。このように、タマルのみ旨に対する忠節は実に驚くべきものですが、正にこのような場でこそ、摂理歴史を展開できたというのが神様の復帰摂理の事情でした。
(110-222 ~ 223、1980.11.18)
サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しておかなくては、天の息子が胎中で誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、まだ分別されていない妊娠から 40 代までの期間も、サタンの分立がなされなければなりません。結果的にこの責任を任された偉大な母がタマルです。
タマルは選民の血統を続けなければ、という一念から、売春婦に変装して、舅であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれたのですが、彼がペレヅです。タマルの胎中で長子と次子が争って、分立される胎中復帰がなされたのです。このような条件の上に、選民の血族を集め、2000 年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を探すことができるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場するのです。
(277-205 ~ 206、1996.4.16)
⑤ラハブ
― 宗教経典 ―
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ……
マタイによる福音書1.1~ 6(キリスト教)67
ヌンの子ヨシュアは二人の斥候をシティムからひそかに送り出し、「行って、エリコとその周辺を探れ」と命じた。二人は行って、ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。ところが、エリコの王に、「今夜、イスラエルの何者かがこの辺りを探るために忍び込んで来ました」と告げる者があったので、王は人を遣わしてラハブに命じた。「お前のところに来て、家に入り込んだ者を引き渡せ。彼らはこの辺りを探りに来たのだ。」女は、急いで二人をかくまい、こう答えた。「確かに、その人たちはわたしのところに来ましたが、わたしはその人たちがどこから来たのか知りませんでした。日が暮れて城門が閉まるころ、その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。急いで追いかけたら、あるいは追いつけるかもしれません。」彼女は二人を屋上に連れて行き、そこに積んであった亜麻の束の中に隠していたが、追っ手は二人を求めてヨルダン川に通じる道を渡し場まで行った。城門は、追っ手が出て行くとすぐに閉じられた。二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前でわたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、わたしたちの命を死から救ってください。」二人は彼女に答えた。「あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。
ヨシュア記 2.1~15(キリスト教)68
― み言選集 ―
お母様が2番目になることも、原理的立場から妥当だという理論が成立することを皆さんは知らなければなりません。責任を果たせないので、神様も仕方なく切ってしまうのです。マタイによる福音書の第1章を見れば、タマルが出てきて、ルツが出てくるのですが、タマルも妾の行動をしたのであり、ルツも妾の行動をしました。その次に、ソロモンの母バテシバも妾の行動をしたのです。その次に遊女のラハブは娼婦です。娼婦のような部類の人が歴史的背後で、このような局面になっているという事実がマタイによる福音書の第1章に出てきます。
(92-292、1977.4.18)
マタイによる福音書にラハブが出てきます。ラハブはどのような人ですか。遊女でしょう? ところが、彼女が誰を助けてあげましたか。スパイを助けてあげました。それは、現実的には怨讐国家のためになることですが、冒険をしたのです。天の公義のみ旨のためには冒険をしなければなりません。自分の生命とすべての環境、そして自分の特権的なすべてのものを否定しなさいというのです。そのようにするとき、歴史はそこで発展するのです。
(30-196、1970.3.22)
⑥バテシバ
― 宗教経典 ―
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。彼女は汚れから身を清めたところであった。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、「子を宿しました」と知らせた。ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。
ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。それからダビデはウリヤに言った。「家に帰って足を洗うがよい。」ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。「遠征から帰って来たのではないか。なぜ家に帰らないのか。」ウリヤはダビデに答えた。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。あなたは確かに生きておられます。わたしには、そのようなことはできません。」ダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日、お前を送り出すとしよう。」ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、使者に命じた。「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。城壁の上から射かけてくると分かっていたはずだ。昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。我々が城門の入り口まで押し返すと、射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」ダビデは使者に言った。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない。剣があればだれかが餌食になる。奮戦して町を滅ぼせ。』そう言って彼を励ませ。」ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。……
ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げてもわたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」……
ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛された。
サムエル記下11.2 ~ 27、12.15 ~18、24
(キリスト教)69
故人となったダビデ王は偉大な賢人だったのであり、転生を信じていた方だ。彼がヒッタイト人のウリヤを見たとき、彼はウリヤがエバを誘惑した蛇であると思った。そして、バテシバを見て彼女がエバであり、自分がアダムであることを悟った。そうして、自分の伴侶として運命づけられたバテシバをウリヤから奪ってこようとした。預言者ナダンがダビデを非難した理由は、ダビデが性急で待つことができなかったからである。せっかちなためにダビデは復帰の過程なく彼女に接近してしまった。ダビデはまず、バテシバについている蛇によって汚された内容を取り除かなければならなかった。その後に彼女に近づいていかなければならなかったが、そうすることができなかった。そうして最初の息子が蛇によって不潔なものとなって生まれ、そして死んだ。しかし、その後には、サタンや他の悪の現象は起きなかった。(注 31)
セーフェル・ペリア(ユダヤ教)70
― み言選集 ―
バテシバはソロモンの母ですが、そのバテシバは最後までダビデ王を憎んだでしょうか。もしそうであれば、彼女はソロモンの母になれません。ダビデ王が夫ウリヤを戦場に追い出し、計画的に自分を占領しましたが、そのようになったことを運命と受け取ると同時に、それをかえって天の大いなるみ旨があるものとして受け入れたのです。ダビデ王がこのようにすることは、悪い意味でするのではなく、何かの大いなるみ旨があったためではないかと考えて受け入れました。また、彼女は自分の夫が犠牲になっても国がよくなることを願い、祈祷した烈女だったのです。
バテシバは、自分の夫が死にましたが、その夫が忠臣になるためには、その一身が滅びるのはもちろん、妻である自分までも君王のために捧げられることを喜びとしなければならないという高次的な考えをしたのです。それで、バテシバは、夫がそのような意味で、「私が君王のために一身をすべて捧げ、精誠と志操をすべて捧げていくのが夫に対する義理ではないか」と考えてダビデ王に接しました。ですから、ここからソロモン王が生まれることができたのです。
(40-97、1971.1.24)
ソロモンの母は誰でしたか。バテシバです。バテシバはどのような女性でしたか。ウリヤの妻でした。ダビデ王がウリヤの妻を奪ったのです。その子供がどのようにしてソロモンになったのですか。ウリヤの妻はどのような立場かというと、2番目の夫人です。彼らを堕落する前のエデンの園の位置に立ててみるとき、ダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場になります。天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場です。天使長がアダムの相対者であるエバを堕落させ、引っ張っていきました。愛で占領して盗んでいったのです。それを蕩減しようとすれば、そのような三角関係に再び戻るようにしなければなりません。そのような原理的基準に立脚した条件を立てた基台の上で生まれたなら、その子供は天の愛を受ける栄光の子供になります。したがって、ソロモンは栄光の子供なのです。(注 32)
(35-168、1970.10.13)
⑦マリヤ
― 宗教経典 ―
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。……
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
ルカによる福音書1.26~42、56(キリスト教)71
また天使たちがこう言ったときを思え「マリヤよ、まことに神はじきじきのおことばで、あなたに吉報を伝えたもう。マリヤの子、その名はメシヤ・イエス、現世でも来世でも高い栄誉を得、また神の側近のひとりであろう」、「かれは揺りかごの中でも、また成人してからも人びとに語り、正義者のひとりであろう」。
かの女は「主よ、何人もわたしに触れたことはありません、どうしてわたしに子があり得ましょうか」と言った。天使は言った「このように、神はお望みのものをつくりたもう。かれが一事を決めたまい、有れと仰せになれば、すなわち有るのである」。
クルアーン 3.45 ~ 47(イスラーム)72
イムラーンの娘マリヤ、われはかの女の体内にわが精霊を吹き込んだ、それでかの女は、主のおことばと、その経典を実証し、敬謙なしもべのひとりであった。
クルアーン 66.12(イスラーム)73
― み言選集 ―
リベカとタマルの伝 統を受け継ぎ……。そして 2000 年後にそのみ旨を受け継いだのが誰かというと、マリヤです。聖母マリヤです。み旨のために革命する女性が出てこなければなりません。天使によって堕落したので、天使長が来てエバを協助するのです。蕩減復帰するのです。その言葉を信じます。絶対的に信じるのです。サタンの言葉を絶対的に信じて堕落したので、この天使長の言葉を絶対的に信じ、神様のみ旨に従っていきます。ですから、「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい」というその言葉を信じ、冒険をしたのです。
そのとき、マリヤの立場はヨセフと約婚した立場だったのですが、それはエデンの園でアダムとエバが約婚した立場にいたのと同様の立場でした。アダムとエバは兄と妹ですが、将来結婚する約婚関係にいたのと同じなのです。天使が引っ張っていって堕落したので、天使が引っ張っていって神様の前に復帰するのです。ぴたっと同じです。
それで、歴史的伝統を受け継いだので、エバが堕落するときに行動したその内容と同じように、自分の父をだまし、自分の夫をだますことをしなければならないのです。マリヤは夫と相談しませんでした。父にも分からないようにしました。そのときには、未婚の女性が赤ん坊を宿せば、石の小山ができて……。マリヤは、命を懸けて赤ん坊を宿したということを知らなければなりません。リベカから、タマルから受け継いだ心情的基台を中心としてイエス様を宿したので、歴史的なすべての蕩減起源を完成した、その腹中から生まれる息子に対しては、サタンが讒訴しようとしても讒訴する道が何もないというのです。ですから、イエス様は、腹中にいるときから神様の息子なのです。
(92-289 ~ 290、1977.4.18)
ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1・31)ガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1・38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。
マリヤは親族であり、尊敬される大祭司長のザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ1・42、43)とイエス様の懐胎を証しました。
このように神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった者たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。イエス様をザカリヤの家庭で懐胎しました。
エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを、国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。
当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことを、マリヤが成し遂げなければなりませんでした。三人がすべて霊的に感動し、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。
(277-206 ~ 207、1996.4.16)
⑧マグダラのマリヤ
― 宗教経典 ―
過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
ヨハネによる福音書12.1~ 5(キリスト教)74
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
マルコによる福音書14.6 ~ 9(キリスト教)75
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書 20.1~18
(キリスト教)76
― み言選集 ―
どうしてキリスト教の中でマグダラのマリヤの名前が残されたのでしょうか。千秋万代に彼女の名前が伝えられてきたのは何ゆえでしょうか。それは、イエス様が彼女の名前を紹介しなさいと言ったからです。その当時には、一介の貧しい女性の身で 300 デナリにもなる香油を若者イエスの足に塗り、髪の毛でふいたという事実を誰が容認するでしょうか。
弟子たちまであざ笑い、イスカリオテのユダが抗議し、全体が反対するのに、イエス様はどうして福音が紹介される所にマグダラのマリヤの名が記念として語られるとおっしゃったのでしょうか。イエス様には、愛する弟子、または大勢の人たちよりも、その時間にマグダラのマリヤの精誠が、自分が神様にあらゆる精誠を尽くして捧げたものと同じ条件になったので、そのように語られたのです。イエス様が十字架で亡くなると、従っていた弟子たちはすべて逃げていきました。しかし、マグダラのマリヤとイエス様の母はイエス様の墓を訪ねていきました。彼女たちにも、家庭と夫がいたのであり、固有の旧約思想を中心とするユダヤ教の風習がありました。ところが、そのようなすべてのものを度外視して、すなわち自分の社会的な威信や体面を考えずに、死んだイエス様の墓を探し回りました。それでマグダラのマリヤはイエス様に出会ったのです。
(4-107、1958.3.16)
イエス様がゲッセマネの園で天に向かって訴えるとき、その声を聞くことができずに居眠りしていた三弟子の姿と、マグダラのマリヤがイエス様の天的な価値を知って、その方の足に香油を塗り、髪の毛でふいてさしあげることによって復活される主の栄光を確認してさしあげるとき、そのマリヤの行為をあざ笑い、遮った弟子たちの姿をご覧になったその心情がイエス様の怨恨になったことを、今日もイエス様に従う聖徒たちは知らずにいます。
イエス・キリストは、誰も理解してくれない孤独な道を行かれながら、悲しい心情を感じられました。ところが、マグダラのマリヤだけはそのようなイエス様を慰労し、心配しながら、過去と現在と未来を代表したイエス様の天的な内的心情を体恤できたために、イエス様は彼女に祝福を下さり、歓喜の恩賜により彼女を神様のみ旨の前に立てることができたのです。
(2-212、1957.5.26)
亡くなったイエス様の墓を訪ねていった人は誰でしたか。その人は、人々が見て微弱な存在でしたが、その人が正にマグダラのマリヤでした。この村から追い出され、あの村で非難され、あちこちで一身に嘲笑を受けていくイエス様を誰よりも愛する心をもってついていったマリヤでした。このように懇切なマリヤの前にイエス様は復活の身で現れたのですが、これは、終わりの日に全世界のキリスト教徒たちに、彼らの行く道を見せてあげた象徴なのです。
マグダラのマリヤはどのような生活をしたでしょうか。イエス様を愛することに、着ること、食べること、すべてを忘れて一片丹心、それだけのために生きました。生死を超越し、体面を考えずについていった彼女の行路は、終わりの日の聖徒たちが歩むべき路程だったのです。もし今もこの地上にマグダラのマリヤのような心情をもっている人がいるとすれば、その人の目には神様の 6000 年摂理にしみ込んだ涙が流れ、天の前に無限に負債を負った自分であることを分かるようになるでしょう。
(4-258 ~ 259、1958.6.29)
9. 仏陀
文鮮明先生は、仏陀をアジアで最も偉大な聖人として認めている。仏陀の生涯は、真理を探し出すために、家族や友を捨てて旅立ったすべての人たちの典型的なモデルである。仏陀は悟りのために自分の夫人と子女、家庭、そして富と権勢を捨てて修養の道を求めていったのち、若い人たちを教化する過程で迫害を受けることもあった。仏陀と大勢の仏教信者たちが経験した至福の状態が、仏陀を宇宙の頂上に導いた。すべての人たちは、仏陀の霊的修行を見習えば、幸福な状態を見いだすだろう。
①真理修行のために俗世を離れた仏陀
― 宗教経典 ―
皆さん、道の人ゴータマは、母と父が同意せず、涙を流し、泣いているにもかかわらず、髪と鬚を剃り、黄色い衣をまとって、家を捨てて出家された方です。 阿含経長部 i.115(仏教)77
太子は音楽を聞いて、その庭園や森をたたえ、こころのなかで、大いに喜び、ぜひとも外へ出かけたいという思いが湧いてきた。……父王は太子が庭園に出かけて楽しみ遊ぼうとしていることを聞き、家臣たちに命じて、飾られた行列を準備させた。王は歩む道々を綺麗にして、みにくいものや、老人や病人、形の悪いもの、おとろえたもの、貧しいもの、苦しんでいるものなどを除きさり、これらを見て、嫌悪感を起こさないようにさせた。……太子はこの老人を見て、驚き不思議に思い、御者に尋ねた。
「いったい、この者はどういう人か。頭が白く、背中はまるくなって曲がっている。目もくぼんで、よく見えないようであり、体はふるえて杖に頼って、弱々しく歩いている。このような人の体は急に変わったのか。この人は生まれつき、こうなっていたのか」と。
御者はためらって、ほんとうのことを答えなかった。ところが、シュダアデイヴァーサ天は神通力で、かの御者に真実のことを語らせてしまった。「容貌も悪くなり、気持ちもうつろに、ほそぼそと、憂い多く、喜び楽しむことも少なくなり、ついには喜びも忘れ、機能も衰微してしまう。これを年老い衰えたすがたというのである。この人ももとは幼児であって、長い間、母の乳で養われた。少年となって大いに楽しみ遊び、やがて青年となって、五官の欲望をほしいままにしていた。しかも、年をとり、すっかり形も衰えて、ついに老人となり……世の中の人はみなこのことを知っていても、若さを求めているのである」と。
……太子は御者に語った。「すぐに車を戻して城に帰るように。刻々と老い衰えるのがやってきている。どうして森のある園に遊び喜ぶことができようか」と。王は太子が喜ばなかったことを聞いて、さらにもう一度ぜひ城を出て遊びに行くよう勧めた。……天の神はまた病人になって……太子は、この話を聞いて、……ただ驚きおののくのみであった。……シュダアデイヴァーサ神は、またもや死人となって、四人の者が持つ輿に乗せられて太子の前に現れた。神々は御者に教えて答えさせた。「これは死人です。……」御者答えた。「みなことごとく死に至る。生というはじめがあれば、かならず死という終りに至るのである。年長者であろうと若かろうと中年であろうと、いつでも、その人間の身体が破壊されて、死に至らない者はいないのである」と。
太子は驚き悲しんで、自分の身を車の横木にもたれかけ、息もたえだえに嘆くのであった。「世の人はどうしてこの誤りをおかしているのであろうか。……世の無常であることを考えようとはしないとは」と。そこで、すぐさま命じた。「車をもとに引き返せ。このうえ遊び楽しむ時ではない。命も絶え、死がいつくるかわからないのに、どうしてほしいままに遊ぶことができようか」と。……
従ってきた者たちを安んじなぐさめて、それぞれの場所に座らせた。自身は木陰を作っているジャンプー樹の下に正しく座って、正しく考え、あらゆるものの生死や世界の興起と終滅、ならびに無常なる移り変りを観察した。太子の心は安定して動ずることなく、五官によって起る欲望の広大な雲は消えさり、……静寂な瞑想状態に入ったのである。「世のなかはきわめて辛く苦しく、老い、病気になり、死によって破壊され、終生、大きな苦しみを受けながらも、自身で覚ろうとはしない。しかも、他人が老い、病気になり、死に至ることをきらっている。……」太子は……ただ静寂な境地で、あらゆる煩悩を離れ、真実の智慧の光りはますます明るく輝いていた。
そのとき、シュダアデイヴァーサ神は出家者の姿になって、太子のところにやってきた。太子は……尋ねた。「あなたはどなたであるか」と。神は答えていった。 「わたしは沙門である。老・病・死を畏れ厭うて、出家し解脱を求めている。……永遠なる楽しみと消滅変化することのない境地を求め、……平等に憐れみ愛せる心を抱き、ただ、安らいの場として、山林におもむき、静寂な気持ちにひたり、欲をもたず……場所のよしあしなど考えもせず、ただ乞食しながら暮らしているだけである」と。……
どういう手段で、望みどおりに出家することができるであろうか。……太子は……いままさに世俗をこえたいという気持ちが生じた。
仏所行讃、厭患品 3-5
(仏教)78
その時摩竭国の著名なる族姓子等、世尊のみ許に於て梵行を行ぜり。人々は呟き憤り毀れり、「沙門瞿曇来りて子を奪ふ。沙門瞿曇来りて夫を奪ふ。沙門瞿曇来りて族姓を断絶せしむ。……今又誰を誘ふや」
律蔵 i.43(仏教)79
釈尊がコーサンビーの町に滞在していた時、釈尊に怨みを抱く者が町の悪者を買収し、釈尊の悪口を言わせた。釈尊の弟子たちは、町に入って托鉢しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。そのときアーナンダは釈尊にこう言った。「世尊よ、このような町に滞在することはありません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」「世尊よ、また他の町に移ります。」「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。わたしはそしりを受けたときには、じっとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ、仏は、利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こういったときは、間もなく過ぎ去るであろう。」
法句経註(仏教)80
― み言選集 ―
釈迦のような人も同様です。出家して真の道理を求め、すべてのことを克服していきながら、世界の人類と共に生き、公義の法度である天倫を立てようとする神様と共に生きようと、一人孤独に歩んでいったのです。その歩みの前には、個人の涙の海が遮り、家庭の涙の海が遮り、国の涙の海が遮り、人類の涙の海が遮っていたことを皆さんは知らなければなりません。これを克服する修養の道を求めていく聖人の歩みは、最も悲惨だということを知らなければなりません。(注 33)
(101-151、1978.10.29)
肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。王宮の栄耀栄華をかなぐり捨てて、心の住み家を探し求め、所定めぬ求道の行脚を楽しむのは、釈迦一人に限ったことではない。
原理講論、総序
釈迦はどうでしょうか。王子の地位を捨てたので、王族から迫害を受けました。その王族を崇拝する国家から迫害を受けたのです。
(258-87、1994.3.17)
聖人でその国から迫害を受けていない人はいません。インドの釈迦は、その国の王子として生まれましたが、人生は苦海だと言い、真理の道を求めるために王子の地位も捨てたのです。このようにして仏教がインドから出てきましたが、インドには仏教人が多くないのです。聖人でその国から歓迎された聖人はいません。聖人を歓迎してくれた国がなかったのです。いつも迫害しました。
(39-255 ~ 256、1971.1.15)
②仏陀の覚醒
― 宗教経典 ―
菩薩は正しいさとりをことごとく体得され、この正しいさとりを不動のものとされた。
「生という現象が究め尽せば老いと死とが消滅する。行為としての生存が消滅すれば生が消滅する。執着が消滅すれば生存が消滅する。愛着が消滅すれば、執着が消滅する。感受が消滅すれば、愛着が消滅する。接触が消滅すれば、感受が消滅する。六つの感官が消滅すれば、接触が消滅する。一切の感官が消滅しつくすのは、名称と形態が消滅することによる。認識作用が消滅すれば、名称と形態が消滅する。形成作用が消滅すれば認識作用が消滅する。愚かさ(無知、無明)が消滅すれば、形成作用が消滅するのである」と。
このように偉大な聖仙である太子は完全なさとりを完成したのである。 (注 34)
このように完全なさとりを完成して、ブッダとなられて、この世に出現したのである。正しく道理を見きわめること(正見)をはじめとする、理想に達するための八つの道は平らで、まっすぐの道である。結局、わがものという観念がまったくないからである。まさに薪は燃え尽きて、消火したように(煩悩の火は完全に消滅しているからである)。ブッダはなすべきことをすべてなしおわって、完全なさとりを体得したのである。
仏所行讃、阿惟三菩提品14(仏教)81
わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、―家屋の作者をさがしもとめて―。あの生涯、この生涯と繰り返すのは苦しいことである。家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
法句経153 ~154(仏教)82
天と地において、ただ私だけが尊貴な者である。(注 35)
阿含経長部 2.15(仏教)83
完全な人がこの世に出現する。如来は、敬われるべき人、悟りを開いた人、智慧と行いの備わった人、よく行った人、世間を知る人、最高の人、人間の御者、神々と人間の指導者、目覚めた人、尊き師である。この完全な人は、自ら知りつくし、悟り、この世、神々、悪魔の世界、梵天の世界、修行者・バラモンたち、人々、神々・人間に教えを説く。かれは、初めも、中程も、終りもよく、意義も文字もよく備わっている教えを説き、完全な清らかな行いを解き明かす。
阿含経長部 xiii、三明経(仏教)84
― み言選集 ―
皆さんが 90 度の角度になり、このような位置にいる自分になって、宇宙に共鳴する真の愛、内的な神様、外的な神様の愛を慕って一つになるとき、宇宙がすべて私のものになり、私は偉大な人になり、すべての全体が私にぶらさがっていると思うようになるのです。釈迦牟尼のような人も、そのような立場で感じたので、天上天下唯我独尊という言葉も可能なのです。
(178-299、1988.6.12)
道に通じるようになれば心から強力な力が出てきます。ですから、体がしようということをすればするほど、むかむかと気分の悪いにおいがするのです。考えただけでもとても気分が悪いというのです。道に通じた人は、心に強い力が来ることによって、そのままにしておいても体は心がしようというとおりにするというのです。このような二つの方案以外には、体を調整する方案がありません。それで神様は、体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げていらっしゃるということをはっきりと知らなければなりません。これが今までの宗教の教えです。したがって統一教会も今そうした公式どおりにいくのです。このようにするようになれば、自然に人間として行くべき高次的な立場、神様の愛を中心とした神様の息子であることを自ら自覚する立場に入るようになるのです。
そのような立場に入るようになれば、一つしかない神様の愛を受けることができるために、釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分の権威に及ぶ人がいません。独りで自らの価値を称賛できる栄光の立場に入るようになるのです。もう一度言うならば、神様の愛を独りで受けることができる息子になり、神様が造った被造世界と神様と関係しているすべてのものを自分のものとして相続できるようになったので、独りで高いと自覚する立場に入るのです。このような立場にまで行って神様の愛の圏内で生きるために探していく道が、人間が行かなければならない道です。
(38-270 ~ 273、1971.2.8)
10. 孔子
途絶えることのない戦乱の時期に生まれた哲人、孔子は、当時の苦痛を越えて平和の世界の基礎となる普遍的道徳原理を追究した。彼は弟子たちを呼び集め、あちこちの国々を流浪しながら、彼の理想に関心をもつ統治者を探し求めた。彼は拒絶され続けたが、天は自分をより高い目的のために用いるという信仰をもち、肯定的な姿勢を常にもっていた。彼が生きている間に自分の志は受け入れられなかったが、孔子の教えは東アジア文明の土台となった。
文鮮明先生は、「天」と呼んだ神様に対する孔子の信仰と、見るべき価値のない環境を飛び越え、より高い真理を一心に追究する孔子を尊敬する。文鮮明先生は、孔子をイエスと同等の聖人とみなす。孔子は、天国の社会的関係の外的形態について教えたのであり、イエスは天国の内的精神を教え、体現した。
①召命意識をもったまま苦難と挫折を経た孔子
― 宗教経典 ―
儀の国境役人が〔先生に〕お会いしたいと願った。「ここに来られた君子がたにはね、わたしはまだお目にかかれなかったことはないのですよ。」という。供のものが会わせてやると、退出してからこういった、「諸君、さまよっているからといってどうして心配することがありましょう。この世に道が行なわれなくなって、久しいことです。天の神さまはやがてあの先生をこの世の指導者になされましょう。」
論語 3.24(儒教)85
お前はどうしていわなかったのだ。その人となりは、 〔学問に〕発憤しては食事も忘れ、 〔道を〕楽しんでは心配事を忘れ、やがて老いがやってくることにも気づかずにいるというように。
論語 7.18(儒教)86
孔子は鄭国へ行ったが、門人たちとはぐれ、ひとりで城郭の東門に立っていた。鄭の或る人が子貢に言った。「東門に人が居て、その額は聖人 堯帝に似ており、その首筋は舜の臣の犀陽に似ており……疲れたさまは、喪中の家の犬のようでした」と。子貢がありのままを孔子に告げると、孔子は欣然と笑って言った。「容貌についてはどうかと思うが、喪家の犬とは、いみじくも言ったもんだなあ。そのとおりだわい、そのとおりだわい」と。
{そこで、共同して兵員を出して、孔子を広野で包囲した。孔子は行くことができなくなり、食糧が無くなった。}…… 孔子は弟子たちに憤りの心が有るのを知ったので、子路を招いて問うた。「詩に、『野牛でもなく、虎でもないのにどうしてこの広野にひき廻さるる!』と、歌っているが、わが道が悪いのであろうか。われはどうしてここに苦しまなければならんのか」と子路が言った。「思いますに、わたしたちはまだ仁者ではないのでしょう。人がわれわれを行かせないのは!」と。孔子が言った。「どうして、そんなことがあるものか。由よ、たとえば、仁者が必ず人に信ぜられるものなら、どうして伯夷・ 叔斎のような仁人が餓死することが有ろうか。智者が必ず行きたい所へ行きうるなら、どうして王子比干が腹を剖かれるようなことがあろうか」と。子路は退出した。
子貢が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子が言った。「賜よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもないのに、どうしてこの広野にさまようのか!』と。わが説く道が悪いのか、われはどうしてさまよわなければならなんのか!」と。子貢が言った。「先生の道は至大であります。だから、天下は先生を容れることができないのです。どうして少しくその道を小さく低くなさいませんか」と。孔子が言った。「賜よ、良農はうまく種を播くが、よく収穫できるとは限らない。良工は器物は作ることは巧みでも、よく人の好みに順うとは限らない。君子はよくその道を修め、大綱をたてて、それを道筋とし、これを統理することはできるが、必ずしも世人に容れられるとは限らない。今、おまえは、おまえの道を修めないで、世人に容れられんことを求めている。賜よ、おまえの志は遠大でないよ」と。子貢は退出した。
顔回が入ってきて孔子にお目にかかった。孔子がいった。「回よ、詩に歌っている、『野牛でもなく、虎でもない。だのにどうしてこの広野にさまようのか!』と。わしが説く道は間違っているのか。どうして、ここにこの困厄にかかるとは!」顔回が言った。「先生の道は至大でございます。ですから、天下によく容るるものがないのでございます。でありますが、先生には是非ともその道を推して行っていただきたいのであります。世人に容れられないことなどは、どうして憂うる必要がありましょうや。容れられないでこそ、初めて君子たることがわかるのでございます。道の修まらないことこそ、これはわれわれの恥でございます。道がすでに大いに修まっていて、用いないのは、国を有する君主の恥であります。世に容れられないことは、どうして憂うべきことでございましょうや。むしろ、世に容れられなくてこそ、しかる後に初めて君子たることがわかるのでございます」と。孔子は欣然として笑って言った。「そうあるべきだ、顔氏の子よ。もし、お前が財産家だったら、わしはおまえの家の取締役になろうものをなあ!」と。
司馬遷 史記 47(儒教)87
― み言選集 ―
孔子は、数千年前、春秋戦国時代の魯の国の人でしたが、彼は数カ国だけを考えたのではありません。そして、自分が生まれた困難な環境、混乱した社会像を見つめながらも、不平を言いませんでした。父母を中心として、兄弟がいなくても感謝の心で自分が助けることができる真の道を模索したのです。
そのような心でその時代に追われながらも感謝し、未来のために、世界のために生きたので、彼は戦国時代を超え、思想的に中原大陸を統一するようになったのです。それだけでなく、アジアを超えて世界万民のために残すことができる一つの道を築くようになりました。与えることができるものは何かという心、真のものを与えたいと思う彼の渇望と欲望が、結局、彼の人格を形成するようになったのです。そこから孔子の教えが出てきたのです。
(33-290、1970.8.21)
孔子の道理は、魯の国の混乱した時代において、その国の処理方法にもなりますが、自分の国と同じ混乱した世界を見つめながら、後代の万民たちが経ていかなければならない人生の道理を模索した教えだったのです。
(32-260、1970.7.19)
歴史時代の聖人たちの中で、イエスも迫害を受け、孔子も喪家の犬と言われながら迫害され、仏教の釈迦牟尼も迫害され、ムハンマドも迫害を受けたのです。そのような迫害されたすべての人たちが聖人になったのは、この原則において……。歴史が、時間と時が過ぎていくに従って、自然に自分の時として来ることによって勝利するようになるのです。この原則から歴史が動いていくということを知らなければなりません。
(189-205 ~ 206、1989.4.6)
②孔子の宗教的信仰
― 宗教経典 ―
先生が匡の土地で危険にあわれたときにいわれた、「文王はもはやなくなられたが、その文化はここに(このわが身に)伝わっているぞ。天がこの文化を滅ぼそうとするなら、後代のわが身はこの文化にたずさわれないはずだ。天がこの文化を滅ぼさないからには、匡の連中ごとき、わが身をどうしようぞ。」
論語 9.5(儒教)88
王孫賈が「『部屋の神のきげんどりより、かまどの神のきげんをとれ。』と〔いう 諺〕は、どういうことです。」とたずねた。〔衛の主君よりも、権臣である自分のきげんをとれ、というなぞである。〕先生はいわれた。「〔その諺は〕まちがっています。〔かまどの神や部屋の神よりも、最高の〕天に対して罪をおかしたなら、どこにも祈りようはないものです。」
論語 3.13(儒教)89
粗末な飯や野菜の汁や瓜のようなものでも、初取りのお祭り(注 36)をするときはきっと敬虔な態度である。
論語10.8(儒教)90
伯牛が病気になった。先生が見舞われ、窓ごしにその手を取られた。「おしまいだ。運命だねぇ。こんな人でもこんな病気にかかろうとは、こんな人でもこんな病気にかかろうとは。」
論語 6.10(儒教)91
先生はいわれた、「人としての正しい道をはげみ、神霊には大切にしながらも遠ざかっている、それが智といえることだ。」
論語 6.22(儒教)92
先生が「わしはもう何も言うまいと思う。」といわれた。子貢が「先生がもし何も言われなければ、わたくしども門人は何を受け伝えましょう。〔どうかお話をして下さい。〕」というと、先生はいわれた、「天は何か言うだろうか。四季はめぐっているし、万物も生長している。天は何か言うだろうか。〔何も言わなくても、教えはある。ことばだけを頼りにしてはいけない。〕」
論語17.19(儒教)93
― み言選集 ―
人だけを中心として出てきた聖賢はいません。人類だけを中心とする道理によって出発した聖賢はいないのです。孔子の教えに、「為善者、天報之以福、為不善者、天報之以禍」という言葉があります。すなわち、善を行う人は天が福をもって返してくれ、悪を行う人は天が禍をもって返すという言葉です。孔子がこの言葉を語れたということは、天を知っていたからです。それで、天を中心として、道理の基準を立てたのです。漠然とではありますが、天を介在させました。ですから、孔子は聖賢の班列に立つことができたのです。
(32-261、1970.7.19)
道義的な出発を中心として、人間はこのように生きなければならない、天を中心として人間は正しい道を行く、家庭生活の伝統を正さなければならないというのです。自分の思いどおりに生き、愛の関係を自分勝手にもつ人たちは悪いと言います。この愛の道理を立てていくためのものが人間世界に宗教として現れたのです。
儒教のようなものがそうです。礼式において人類を代表できる内容を教えてくれたのが孔子です。……そのような方を通して、外的な人間の道義的な面のすべてのものを教えてくれました。……これは何かというと天使長型です。それで、道義的な面で世界人類に影響を及ぼしたのです。(注 37)
(295-174、1998.8.28)
11. イエス
文鮮明先生は、ナザレのイエス様をすべての宗教創始者の中で最高の聖人とみなしている。文先生は、イエス様の生涯と業績に対して徹底して研究した。イエス様に関する先生の説教が数冊の出版物になるほど多い。先生は、イエス様の十字架の 贖罪によってすべてのことを完成したという一般的なキリスト教徒の視角からイエス様を理解しない。文鮮明先生は、イエス様が生きて地上天国を建設しなければならないという、より大きな使命をもっていたと認識している。十字架の死によってイエス様の熱い希望が挫折し、再臨の時まで天国建設が遅延されたのであり、したがって人類は数世紀にわたって苦痛と闘争などが空転する状況で生活しなければならなかった。文鮮明先生は、聖書の聖句に表れたイエス様の個人的性稟、任務の準備、イエス様の家族との関係、彼の任務を果たす路程、十字架、そして彼の復活などをこのようなレンズを通して洞察する。
文鮮明先生は、イエス様を「悲しみの人」と見ている。公生涯を始める前、30 年間、イエス様は家族と村の人々から少なくない誤解と締め出しを受けた。当時、すべてのユダヤの男性が 20 代で結婚する慣習から見てみるとき、イエス様が結婚しなかったという事実は、一般人たちに特別に神聖な姿として受容されず、かえって疑わしい出生によって痛手を受け、結婚するとは思えないおかしな人として理解された。
イエス様が自分の任務を始めるころ、洗礼ヨハネに見るように、自分を迎え入れるようにユダヤの民を準備した天のすべての努力は既に水泡に帰した。結果的に、イエス様は伝えたかった天国建設の福音をはっきりと明かすことができず、あいまいな比喩で語るしかなかった。ローマからイスラエルの独立を成就するための霊的、政治的運動を主導し、この世界に神様の王国を建設しようとしていたイエス様の意図は決して明かすことはできなかった。
彼の任務に反対する勢力が増大するほど、イエス様の悲しみも一層大きくなったのであり、イエス様は十字架の道という、また別の代案を選択せざるを得なかった。最後には、自分だけを残しておいたまま、逃げていき、散らばっていく弟子たちの弱さにイエス様の悲しみは一層深まった。イエス様は、自分が本来の使命を完遂できないまま十字架の道を歩めば、神様が悲しまれ、それ以降の多くの世代が苦痛を受けるという事実を知っていたので、ゲッセマネの園で命懸けの祈祷を捧げた。しかし、その時まで群集は彼を拒否し続けたのであり、死以外にほかに道がないため、神様のみ旨に従って十字架を受け入れざるを得なかった。しかし、人類に対してすべての精誠を注いだイエス様の愛は変えることはできないため、十字架上で自分を葬ろうとする敵まで赦した事実は、歴史を変えた地軸を揺さぶる事件だった。
①罪悪の人類を救援するために来られたイエス
― 宗教経典 ―
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
マタイによる福音書 4.17、23(キリスト教)94
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
テモテへの手紙一1.15(キリスト教)95
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
ヨハネによる福音書14.6(キリスト教)96
(イエスはこう言われた。) 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
マタイによる福音書11.28 ~ 30(キリスト教)97
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書 9.10 ~13(キリスト教)98
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。―狼は羊を奪い、また追い散らす。―彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
ヨハネによる福音書10.11~16(キリスト教)99
― み言選集 ―
イエス様の生活はすべて自身の責任と使命を完遂する生活でした。彼は、永遠に残り得る責任を地上に完遂しておいたのです。イエスの 30 年あまりの生涯は永遠不変の実績、責任を果たした実績をこの地上に成し遂げておいた生涯でした。ですから、イエス・キリストのみ言が、キリストの信仰と福音が残っている以上、彼の生涯も残るのです。
イエス様は、自分一代においては言うまでもなく、歴史的な面でも責任をもちました。そして、神様が 4000 年間役事してこられたみ旨に対しても独りで責任をもったのです。イエス・キリスト以外に神様の責任を身代わりしていく者が、この地上には一人もいませんでした。
(1-37、1956.5.16)
宇宙的な疑問を解明してあげるために、イエス様はいらっしゃらなければならなかったのであり、解決されていない人間たちの罪を解決してあげるためにイエス様はいらっしゃらなければならなかったのであり、死亡の問題を解決してあげるためにイエス様はいらっしゃらなければなりませんでした。
人類のこのような疑問と死亡と罪を解決してあげられる方は、ただイエス様だけでした。そして、イエス様は4000 年の歴史過程に来られた誰よりも神様のために真実な生活をされた方です。自分を超越し、宇宙的な疑心を解明するために努力されたのであり、自分の一身の栄光を超越し、宇宙の栄光のために苦労されたのであり、自分のすべてのものを振り返ることなく、ただ神様のみ旨を成し遂げるために無限に犠牲になっていかれました。
そのような一貫した心と生活によってイエス・キリストは歴史を代表し、天の前に一番の先鋒者として立てられました。それでイエス・キリストは歴史的な疑心の障壁を克服していき、自信をもって「私を信じなさい!」と叫ばれたのです。
(3-14、1957.9.8)
「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは、父のみもとに行くことはできない」、これがどれほど堂々としていますか。「私は道であり」というその道はどのような道ですか。狭い道ですか、平らな大道ですか。そして、「私は真理」と言ったのですが、それはどのような真理ですか。もどかしい真理ですか。すべてのことをよく知らなければなりません。すべて歓迎し、すべてのものがよいと言い、すべてのもののはかりになり得ると言わなければなりません。そして、「私は命」と言うとき、死んで廃れていく命ですか、発展する命ですか。それをどのような所で歓迎しなければなりませんか。「自分を低くする者は高くされるであろう」と言いました。
(106-13、1979.11.4)
理想世界とか、一つの統一世界というものは、未完成の状態では成されないのです。無知から成すことはできません。ですから、完全なる方、完全に知っていらっしゃる一人の方を送って、その国の人たちと接触させようとされたのです。これがメシヤを送ると言われた、神様の約束でした。神様を中心とした主権国家の形成はイエス様を中心として始まらなければならず、それはイエス様とその国の民が完全に一つになってこそ可能だったのです。すなわち、メシヤを迎えて(注 38)未完成の個人が完成するための手続きと、家庭が完成するための手続き、民族、国家が完成するための手続きを、すべてイエス様のみ意を受けて一体化してなさなければならないのです。ところが、このような歴史を通してメシヤを迎えるイスラエル民族は、イスラエル民族自体のためにメシヤが送られたというよりも、メシヤとイスラエル民族が一つになって世界を救うようにされたのが神様のみ旨だったことを、知らなかったのです。
(54-41、1972.3.10)
②イエス:神様の息子、み言の実体
― 宗教経典 ―
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3.16
(キリスト教)100
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。……
しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
ヨハネによる福音書14.8 ~11、19 ~ 20
(キリスト教)101
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。……
わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。
ヨハネの手紙一 4.9、14 ~16(キリスト教)102
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書1.1~14(キリスト教)103
― み言選集 ―
イエス様は、この地上に生まれ、「私は神様のひとり子だ」と主張しました。歴史始まって以来、初めて神様の愛を受けるのは自分でなければならないという決定的な宣布をしたのです。このような観点で神様が願う最高の基準を説破したのであり、その位置に立ったと自負した人は、たった独り、イエスしかいませんでした。ヨハネによる福音書の第 14 章を見れば、「私は私の父におり、あなたがたは私におり、また、私があなたがたにおることが、わかるであろう」とあり、神様と自分との一体を語りました。
(53-231、1972.2.28)
イエス様はひとり子です。ひとり子とは何ですか。神様の愛は一つしかない絶対的な愛ですが、その愛を初めてそっくりそのまま受けることのできる代表者だというのです。ですから、ひとり子という名前をもったので、救世主になることができるのです。イエス様は、自分が神様の真の息子だということを教えてくれました。愛を中心として教えてくれました。それは、私を通さなければ愛の因縁が連結されないということです。
(146-168、1986.6.15)
イエス様が語ったみ言の中に、「神様は私の父である」という言葉があります。この言葉は、よくぞ言いましたか、言ってはいけないことですか。よくぞ言いました。この言葉が正に人間として成功を収めた言葉です。人情を中心として天情と天倫に到達できる新しいみ言なのです。その次に、何と言ったかというと、「私は新郎であり、あなたは新婦である」というみ言を語られました。このようにすべてのみ言を宗教的な問題をかけて言いました。それが違うのです。人間の世の中で、新郎と新婦の関係以上に近い関係がありますか。また、父子の関係以上に近い関係がありますか。「私は信徒たちとは一つの兄弟だ」と言ったのですが、これ以上に近い関係がありますか。この言葉は何を中心として語るのですか。神様を中心として、神様が家庭に対して語ったのです。情緒的な内容を中心として見るとき、すべてのものを総合して結論を下したものだと言えます。
(39-42 ~ 43、1971.1.9)
聖書の中に、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14・6)というみ言があります。言い換えれば、イエス様は道であり、真理であり、命だというのです。これはすべての人間たちに何を予示したのでしょうか。これは、アダムとエバが堕落することによって、神様のみ言が成し遂げられず、そのみ言がそのまま神様の心霊に戻ってしまったのですが、み言を失ってしまった人もやはりこの地に生きているので、神様は再びこのみ言を人間たちに下さるということを予示されたのです。これは、神様が希望された神様のみ言の実体がイエス様だということを示すみ言です。
(3-318 ~ 319、1958.2.2)
イエス様は、サタンの血筋を転換させた清い内的血統的基盤の上で生まれたので、イエス様だけが初めて神様の息子になれるという結論を下せます。ですから、イエス様は「わたしは神様のひとり子」と語ることができたのです。イエス様は、歴史時代に初めて出てこられた方であることを私たちは知らなければなりません。ですから、イエス様は「わたしが父におり、父がわたしにおられる」と語られ、「わたしを見た者は、父を見たのである」と語られました。ヨハネによる福音書の第 14章を見れば、「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」と語られています。
ですから、イエス様を通さなければ、天の国、父の前に行く者がいないのです。それで、イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と、堂々と宣言することができたのです。
世界的に大勢の宗教指導者がいるとしても、歴史的なサタンの汚れた血を清めて血統を転換させ、神様と因縁を結んで生まれた人はイエスしかいないことを、皆さんは知らなければなりません。釈迦も、孔子も、ムハンマドも、誰もこのような背景をもってこられませんでした。そのような方がこの地上に生まれたという事実は、人類にとって希望の中の希望であり、生命の新しい起源と復活を迎えることのできる栄光になるのです。(注 39)
(53-205 ~ 206、1972.2.21)
③ イエス:真の人、原罪のない第2アダム
― 宗教経典 ―
「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。コリントの信徒への手紙一15.45
(キリスト教)104
イエスは神のみもとでは、ちょうどアダムと同じである。
クルアーン 3.59(イスラーム)105
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
テモテへの手紙一 2.5(キリスト教)106
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となられます。
ヘブライ人への手紙 5.7 ~ 9(キリスト教)107
また神がこう仰せられたときを思え、「マリヤの子イエスよ、なんじは神のほかに、わたしとわたしの母とを、二柱の神とせよと、人びとに告げたか」。かれは申し上げた「あなたにたたえあれ、わたしに権能のないことを、わたしとして言うべきでありません。もしわたしがそれを言ったならば、必ずあなたは知りたもう。あなたは、わたしの心のうちを知りたもう。だがわたしはあなたの、み心のうちは知りません。まことにあなたはよろずの秘奥を熟知したもう」。
「わたしはあなたが命ぜられた、わたしたちの主であり、あなたがたの主であられる神に仕えまつれ、と言う以外には、決してかれらに告げません。わたしがかれらの中にいた間は、わたしはかれの証人でありました。あなたがわたしを召された後は、あなたがかれらの監視者であります。あなたはよろずのことの立証者であられます」。
クルアーン 5.116 ~117(イスラーム)108
― み言選集 ―
アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。
我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ1章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ15・45)、永遠の父といったのである(イザヤ9・6)。
原理講論、キリスト論 4.1.1
イエス様も、価値的な内容を通して見るとき、宇宙と生命を取り替えることはできないと言いました。神様と連結されるその生命には愛があり、理想が通じるようになっています。生命と理想が自動的に連結するのです。愛を中心として生命が躍動し、理想を中心として生命が躍動するようになっています。もう皆さんは神様と宇宙との関係と位置を知りました。キリスト教徒たちを見ると、「神様は気高く、私たち人間は罪人であり被造物なので、価値がなく、イエス様は神様だ」と言います。それではどのように連結されるのですか。
そのような観点から、イエス様は人の側に立たなければならないのであって、神様の側にいればどうなるのかというのです。テモテへの第一の手紙の第2章を見れば、「神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」とあります。そうでなければなりません。そうでなければ、この罪人がどうやって行くのですか。そのような根本的な問題をすべて明らかにして整理しておかなければなりません。彼は罪のない人であり、私たちは罪がある人です。これが違うのです。ですから、イエス様は神様の愛と交流することができ、生命と交流することができ、理想と交流することができる方です。
(69-80 ~ 81、1973.10.20)
歴史的に有名な人たち、あるいは聖者たちを考えてみましょう。イエス様はどうだったでしょうか。孔子や釈迦のような人たちはどうだったでしょうか。聖人とは何ですか。私たちは心と体が一時間に何百回も移り変わっていきますが、そのような人たちは、一箇所に立っていることができる人たちでしょう。
それでは、一つ尋ねてみましょう。イエスは男性ですか、女性ですか。男性です。その男性が女性を見れば、その思いはどうでしょうか。男性と思ったでしょうか、女性と思ったでしょうか。女性と思ったでしょう。それは間違いなく女性なので、自然の道理として、プラス、マイナスが出会えば引力関係があるのです。そのようなことを感じたでしょう。
(128-78、1983.6.5)
④キリスト降臨の準備と洗礼ヨハネの責任
― 宗教経典 ―
エフラタのベツレヘムよ / お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために / イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
ミカ書 5.1(キリスト教)109
預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/ あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/ その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。(注 40)
マルコによる福音書1.2 ~ 6(キリスト教)110
ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
ヨハネによる福音書1.26 ~ 34(キリスト教)111
ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/ あなたの前に道を準備させよう』/ と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。
マタイによる福音書11.2 ~15
(キリスト教)112
エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、 「そうではない」と答えた。
ヨハネによる福音書1.19 ~ 21(キリスト教)113
― み言選集 ―
このサタン世界に何の準備もなく、基盤も築かず、メシヤをただそのまま送れば、怨讐サタンは彼を捕らえて殺すことは間違いないので、歴史を通して宗教を立てたのです。その宗教の中でも、主流的な宗教を立て、神様の側に分けて別々のものにし、サタンと対抗して勝つ個人、家庭、氏族、民族、国家を形成して、その基盤の上にメシヤが完全に一つになれる国家的基盤を備えてメシヤを送らなければならないのです。そのように準備した基盤がイスラエル、勝利したという意味のイスラエルの国であることを知らなければなりません。
(74-59 ~ 60、1974.11.12)
神様は、4000 年間イスラエル民族の前にメシヤを送ってあげると約束したのであり、その約束を履行するために大勢の預言者を連結させ、それを伝達してきました。そして、願っているイスラエル民族の前に約束したとおりに神様の息子、メシヤ、イエス様を送ったにもかかわらず、メシヤが来たにもかかわらず、イスラエル民族はメシヤと一つになることができず、メシヤを捕らえて殺したという事実、これはなぞの中のなぞです。
(73-218、1974.9.18)
神は、アブラハムの子孫からイスラエル選民を召し、彼らを保護育成され、ときには彼らを苦難と試練を通して導かれた。また、多くの預言者たちを彼らに遣わして慰めながら、将来、メシヤを送ることを固く約束されたのである。それから、彼らをして幕屋と神殿を建てさせることによって、メシヤを迎える準備をさせ、東方の博士、羊飼い、シメオン、アンナ、洗礼ヨハネを遣わして、メシヤの誕生と彼の顕現を広く証された。特に、洗礼ヨハネに対しては、彼が懐胎されるとき、天使が現れて証した事実をユダヤ人たちはみな知っていたし(ルカ1・13)、彼が生まれたときの奇跡は、当時のユダヤ国中を大きく驚かせた(ルカ1・63~66)。そればかりでなく、荒野における彼の修道生活は、全ユダヤ人をして、彼こそがメシヤではあるまいかと思わせるほど、驚くべきものであった(ルカ3・15)。神がこのように偉大な洗礼ヨハネまでも遣わして、イエスをメシヤとして証明させたのは、いうまでもなく、ユダヤ人をしてイエスを信じさせるためであった。
原理講論、メシヤの降臨とその再臨の目的1.3
洗礼ヨハネを預言者と思って信じているユダヤ教の信者たちが、すべてイエスと一つになったなら、誰がイエス様を捕らえて殺すでしょうか。誰が捕らえて殺すのかというのです。そのようになったなら、どのようになりますか。高位層の人たちがイエス様の使徒になり、弟子たちになるのです。足の裏のような漁夫たちがイエス様の弟子になりますか。ペテロのような無学な人や税吏や娼婦たちがイエス様の弟子になる、それが神様のみ旨ですか。
(74-153、1974.11.28)
神は、イエスがメシヤであるということを、洗礼ヨハネに直接教示された。洗礼ヨハネ自身も、またそのように証した。……しかし、彼の無知によりこの使命を完遂することができず、ついには、イエスのためにささげるべき彼の命までも、あまり価値もないことのために犠牲にしてしまったのである。
洗礼ヨハネは、その中心が天の方にあったときには、イエスをメシヤと知って証した。けれども、彼から霊的な摂理が切れて、人間洗礼ヨハネに立ち戻るや、彼の無知は、一層イエスに対する不信を引き起こすようになったのである。自分がエリヤである事実を自覚できなかった洗礼ヨハネは、特に、獄中に入ってから、他のユダヤ人たちと同じ立場で、イエスを見るようになった。したがって、イエスのすべての言行は人間洗礼ヨハネの目には、一様に理解できないものとして映るばかりであった。そればかりでなく、彼もやはり、エリヤが来る前に現れたイエスをメシヤとして信ずることができなかったので、結局、自分の弟子たちをイエスの方に送って、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」(マタイ11・3)と質問して、その疑いを解決してみようとしたのである。しかし、このような洗礼ヨハネの質問を受けたイエスは、マタイ福音書 11 章3節から 19 節に記録されているように、悲憤やるかたない思いで、警告の意味を強く込めた内容で答えられた。洗礼ヨハネはイエスに仕えるために胎内から選ばれ(ルカ一・75)、彼の道をまっすぐにするために、荒野で苦難の修道生活をしたのであった。さらにまたイエスが公生涯路程を出発されるときに、天はだれよりも先に、イエスがだれであるかを彼に教え、また、それを証言させてくださった。このような天の恩賜をそのまま受け入れなかった洗礼ヨハネから、そのような質問を受けたので、イエスは改めて、自分がまさしくメシヤであるとは答えられなかったのである。
原理講論、メシヤの降臨とその再臨の目的 2.3
マタイによる福音書第 11 章 11 節を見れば、「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」とあります。一度は一番大きいと言い、一度は一番小さいと言っていますが、これはどういうことですか。
預言者の使命は何かというと、メシヤに関して証することです。過去の預言者たちは、会うこともできずに預言を通してメシヤを証しましたが、洗礼ヨハネは目で直接見て証したので、預言者の中では一番大きいのです。しかし、天国に行っている一番小さい昔の預言者たちは、イエス様がメシヤであることを知ってみな侍っているのですが、洗礼ヨハネは侍ることにおいて最後尾だというのです。メシヤのために生まれ、死ぬときもメシヤのために死ななければならないのに、つまらないヘロデヤの恋愛事件に巻き込まれ、首を切られて死にました。それが洗礼ヨハネの行く道ですか。
12 節にどのようにありますか。「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」とあります。聖書にこのようになっています。いくら否定しようとしても、ミスター・文の話が正しいです。イエス様が指摘して言っているのです。洗礼ヨハネの時からイエス様の時まで、天国は激しく襲う者たちが奪い取っていると言いました。
もし洗礼ヨハネがイエス様を信じていれば、一番弟子は誰がなったのですか。間違いなく洗礼ヨハネがなるのです。これを知らなければなりません。牧師、長老、キリスト教徒たちが知らなければなりません。12 弟子、70 門徒は、すべて洗礼ヨハネの一党がならなければならないのです。そうすれば、ユダヤ教と直結で通じ、祭司長と書記官をすべて一つにまとめることができました。
ヨハネによる福音書第3章30 節を見れば、洗礼ヨハネが、 「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言っています。ヨルダン川で洗礼を施すイエス様のところに人々が行くのを見て、弟子たちが尋ねるので、洗礼ヨハネが「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と答えたのです。それはどういうことですか。今日のキリスト教徒たちは、洗礼ヨハネが謙遜したものと信じてきました。そうではありません。一緒に行動しなかったということです。それを知らなければなりません。イエス様が栄えれば自分も栄え、イエス様が滅びれば自分も滅びなければならないのに、ほかの道を行ったということです。イエス様が十字架で亡くなるようになったのは、洗礼ヨハネのためであることを知らなければなりません。皆さんが信じられなければ、神様に談判祈祷してみてください。
(69-139 ~140、1973.10.23)
⑤キリスト降臨の世界的準備
― 宗教経典 ―
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/ お前はユダの指導者たちの中で / 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/ わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
マタイによる福音書 2.1~11(キリスト教)114
古代東方の子供たちは、アブラハムから受け継いだ知恵をもっていた。その知恵は、アブラハムが妾の息子たちに与えたものだ。創世記 25 章6節に次のように記録されている。「側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた」。時が流れ、この者たちはアブラハムから受けたこの知恵に従うようになった。
ゾハール1.100b(ユダヤ教)115
言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。
マタイによる福音書 8.11(キリスト教)116
― み言選集 ―
インドの仏教圏、中国の儒教圏、ゾロアスター圏など、様々な宗教団体が東洋諸国で影響力を行使していたので、自動的に各宗教の霊通者たちはイエス様がどのような方なのか分かるようになっていたのです。
(227-81、1992.2.10)
初臨のときには、神がその選民のために、メシヤが降臨される 430 年前に、預言者マラキを遣わされて、メシヤが降臨されることを預言なさるとともに、一方においては、ユダヤ教を刷新して、メシヤを迎え得る選民としての準備をするようにされたのであった。また、異邦人たちに対しては、これとほとんど同時代に、インドの釈迦牟尼(前 565 ~ 485)によって印度教を発展せしめ、仏道の新しい土台を開拓するように道を運ばれたし、ギリシャでは、ソクラテス(前 470 ~ 399)の手でギリシャ文化時代を開拓せしめ、また、東洋においては、孔子(前 552 ~ 479)によって儒教をもって人倫道徳を立てるようにされるなど、各々、その地方とその民族に適応する文化と宗教を立てられ、将来来られるメシヤを迎えるために必要な、心霊的準備をするように摂理されたのである。それゆえに、イエスはこのように準備された基台の上に来られ、キリスト教を中心としてユダヤ教(Hebraism)を整理し、ギリシャ文化(Hellenism)、および、仏教(Buddhism)と儒教(Confucianism)などの宗教を包摂することによって、その宗教と文化の全域を、一つのキリスト教文化圏内に統合しようとされたのである。
原理講論、摂理的同時性から見た
復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 6
イエス様もアジア系として生まれました。ところが、アジアで体を失ってしまったのです。それを蕩減復帰するために、今まで西欧文明はローマを中心として反対に来たのです。本来、イエス様が死ななければ、インドの仏教圏、極東アジアの儒教宗教圏が、キリスト教を中心として統一圏を先に成し遂げなければなりませんでした。宗教圏が統一を成し遂げなければならなかったのです。宗教圏に立っている最高の指導者は霊界と通じるので、これから天が行く方向を知っています。ですから、イエス様が国を収拾してローマから独立し、イスラエルの 12 支派圏がカナンに復帰して分配されたその地が統一されたというときには、間違いなくアジアが吸収されるのです。
(229-174 ~175、1992.4.12)
⑥家族の誤解
― 宗教経典 ―
イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
マルコによる福音書 6.1~ 4(キリスト教)117
さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
ルカによる福音書 2.41~ 51(キリスト教)118
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
ヨハネによる福音書 2.1~ 4(キリスト教)119
イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコによる福音書 3.31~ 35(キリスト教)120
― み言選集 ―
処女が赤ん坊を身ごもって生んだことを、キリスト教徒たちは、聖霊によって身ごもったと言うのですが、それを信じることができますか。そのときは、弟や妹たちも呪い、村でも指をさされ、村の子供たちの問題になって追われ、逃げ回っていた、そのようなイエスだったでしょう。33 歳になるときまで、結婚できなかったイエスだというのです。私生児であるうえに、みなから冷遇される人なので、誰が娘をイエスの嫁にしてあげようと言うでしょうか。
(243-242 ~ 243、1993.1.17)
イエスは自分が私生児であることを知らなかったと思いますか。すべて知っていたので、ヨセフとマリヤがけんかしました。父親は誰だと聞いても答えないので、自分が助けてあげたと言ってけんかしたのです。ヨセフが聞いても、そのたびに「聖霊によって身ごもった!」と言うと、「助けてあげたのに、何をふざけたことを言うのか」と言いました。ヨセフが信じただろうかというのです。イエスをめぐって夫婦でけんかし、息子、娘を生んでもずっとけんかしたのです。
イエスが 12 歳になり、エルサレムの聖殿に行ったとき、その父母が息子を置いたまま三日間たってから、戻ってきて「お前はなぜここにいるのか」と言うので、「私が父の家にいることを知らなかったのですか」と言いました。それは不満を言ったのです。父母が三日間息子を置き去りにしたまま、自分の家に帰ったのです。聖書はそのような内容を隠してきました。これはあぜんとする話です。それをみな称賛しているとは……。
キリスト教徒たちはそのように信じ、天国に行くと言いますが、とんでもないことです。イエスが結婚できなかったのは母親のせいであり、洗礼ヨハネのせいです。これはどうしようもない事実です。
(235-237 ~ 238、1992.9.20)
大工のヨセフのことを協助してあげながらも、平安な生活をしていませんでした。彼の心情は無限の曲折の路程を経てきたのです。
(7-334、1959.10.18)
マリヤまで、イエス様が願われる結婚を助けられず、かえって反対してしまったのです。カナの婚姻の宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2・4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請であるイエス様の新婦を迎える仕事をなおざりにし、遠い親戚の婚姻の宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ12・48)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。
(277-210、1996.4.16)
18 歳になれば結婚するようになっていて、20 歳になれば結婚するようになっているのに、なぜ 33 歳まで結婚できなかったのかというのです。それでイエス様は、17 歳のとき、自分の母マリヤにアダムが 16 歳で堕落したのでこれを復帰するために、「私はこれこれこのような過程を経て結婚しなければなりません」と言ったのです。それが 27歳、30 歳まで 3 度結婚することを言いましたが、母親が聞いてくれなかったのです。
(266-193、1994.12.25)
十字架を背負うようになった直接的な動機も、イスラエル民族が背き、ユダヤ教徒が反対したからというよりも、ヨセフの家庭でそのような祝福の一日をもてなかったところにあります。そのような一日をもっていたならば、イエス様は十字架で亡くならなかったでしょう。
(30-173 ~174、1970.3.22)
⑦荒野での三大試練
― 宗教経典 ―
さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
マタイによる福音書 4.1~11
(キリスト教)121
― み言選集 ―
荒野路程の三大試練で、イエス様がサタンを屈服させ、最後の勝利をした所も高い山の頂上でした。選ばれた洗礼ヨハネとその一党に排斥され、ユダヤ民族に裏切られて訪ねていく荒野路程の歩みこそ、今日まで、この地上で誰も体恤できなかった悲しい心情をもって歩まれた歩みだったことを知らなければなりません。
イエス様は天のひとり子であり、4000 年歴史を解決する人であり、またその時代と千秋万代の後代に、天が誇り得る勝利の標的として現れた方でした。そのようなイエス様が民もあとにし、教団も捨て、選ばれた洗礼ヨハネも、ヨセフ家庭も残し、友もなく独りで荒野に行った悲しい心情を、私たちは回想しなければなりません。そのような歴史的な蕩減条件を立てようという使命感をもち、決心していったイエスは、40 日断食をしながら、そのある場所で何を回想したでしょうか。昔、先祖たちが歩んできた悲しみの路程を自分の一身で蕩減復帰しなければならないという責任感を誰よりも切実に感じたのです。この事実を、この時間に私たちは悟らなければなりません。み旨に対して誰よりも悲壮な心情を抱いていったイエス様でした。いかなる歴史的な先祖よりも確固たる覚悟をして、サタンをその掌中に握って屈服させなければならないという燃える心で荒野に出ていかれた方であることを知らなければなりません。そして、山頂に独りで立ったイエス様であることを知らなければなりません。
(5-194 ~196、1959.1.25)
イエス様がこの地上に来られて、サタンからいくつかの試練を受けるようになりました。40 日断食期間を過ごし、まず食べる物で試練を受けました。サタンがイエス様の前に現れ、「石をパンにかえなさい」と言ったのです。これは、飢えた人間たちには朗報でしょう。しかし、イエス様はこれを否定し、自分が食べる物のために来たのではないことを表明されました。かえって、神様のみ言を主張することによって、人間が生きていく実際の生活圏内においてのすべての条件を、サタンの前で失わなかったという立場を立てたのです。
その時まで人間は、物質を中心とする闘争歴史を経てきたのですが、イエス様が、サタンの第1次的な試練に勝利することによって、そのような物質を中心とする闘争歴史を終結させるようになったことを、皆さんは知らなければなりません。
それでは、その次にイエス様は、どのような試練を受けるようになったのでしょうか。イエス様はサタンに引かれて教会の聖殿の頂上に立たされるようになったのですが、そこで「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ4・6) という試練を受けるようになりました。
イスラエル民族とユダヤ教を指導できる宗教理念をもって現れたイエス様に、「飛びおりなさい」というこの言葉はどのような意味なのでしょうか。それは、ユダヤ教的な習慣と彼らの主張に屈服し、彼らの指導者の立場を放棄しなさいということです。しかし、イエス様は、ここでサタンの試練に陥ることなく勝利されました。
その次にはどのような試練がありましたか。サタンは、イエス様を高い山頂に連れていき、天下万国とその栄華を見せてあげながら、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ4・9) と言ったのです。しかし、イエス様は、ここで宇宙的な理念をもって神様の国、すなわち天国を建設しようとされる神様のみ旨を立ててさしあげるために、そのようなサタンの要求を一蹴してしまわれたのです。
(3-122 ~123、1957.10.13)
⑧イエス様の比喩的教え
― 宗教経典 ―
イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。
マタイによる福音書13.31~ 34(キリスト教)122
弟子たちはイエスに近寄って、 「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
マタイによる福音書13.10 ~13(キリスト教)123
― み言選集 ―
イエス・キリストがこの地に来られ、30 年以上涙を流され、悲しい苦難の道を行かれながらみ言を宣布された目的は何だったのでしょうか。それは、第1に、人間をして神様との因縁を回復するためだったのであり、その次には、人間に天国を紹介するためでした。
このようにイエス様は、天国を紹介されるとき、み言で紹介されたのです。すなわち、真理で天国を紹介しようとされました。神様は、そのように人間と永遠不変の因縁を結ぶためのみ言、この地に天国理念を建設するためのみ言をイエス・キリストを通して人間たちに下さったのです。イエス様を通して真の真理を示そうとされました。したがって、神様と人間の関係を結んであげるために来られたのであり、真の真理を人間たちに証するために真理をもってこられたイエス様は、神様と人間と全被造万物が希望する天国を建設するために、真理のみ言を宣布し始められたのです。
ところが、イエス様がこのように神様と人間の因縁を回復するために真理を宣布してくださいましたが、その真理と因縁を結ばなければならないイスラエル民族がイエス様を不信することによって、イエス様のみ言宣布の目的は成し遂げられなくなりました。これを見るとき、イエス様が宣布された真理のみ言が、人間たちに 100 パーセント伝達されなかったことが分かります。それは、当時の人間たちがイエス様を不信することによって、イエス様は彼らに比喩と象徴で、あるいは暗示的に真理を紹介してあげざるを得なかったからだということを皆さんは知らなければなりません。それで、この地に生きる大勢の人間たちは、歴史過程を経てきながらたくさんの知識を動員し、隠された真理の関門を尋ね求めてきたのです。
これから歴史の終末時代になれば、人間たちが内外に求めてきた神霊と真理が出会う時が来るのであり、また、大勢の民がイエス様を信じる真の信者として立つようになるのであり、イエス様の心の中に隠されていた真理も完全に紹介されるのです。
(2-126 ~127、1957.3.17)
⑨弟子を集め、天国を教えたイエス
― 宗教経典 ―
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
マタイによる福音書 4.18 ~ 22(キリスト教)124
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
マタイによる福音書10.37 ~ 39(キリスト教)125
イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」
ルカによる福音書14.16 ~ 24(キリスト教)126
わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
ヨハネによる福音書15.4 ~11(キリスト教)127
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
マタイによる福音書10.16 ~ 20(キリスト教)128
― み言選集 ―
民族から捨てられたイエス様は労働者の姿で現れ、漁夫の友の姿で、彼らと事情を共にする友になったのであり、心情を同じくする友になったのであり、願いを同じくする友となられ、彼らの願うことは何でも死ぬ覚悟をして成し遂げてあげようという心で闘われたのです。このような心的な内容と心的な理念をもって証し、闘われたがゆえに、ペテロのような漁夫たちがついていくことができたのです。
それでは、無学な弟子たちを選ばれて、3年間何をされたのでしょうか。神様がイスラエル民族を立てられるために 4000 年間苦労して奉仕したのと同じように、イエス様は彼らを立てておいて奉仕の生活をされました。
12 弟子を選んでおかれたイエス様は、彼らに対する希望が大きかったのです。ユダヤ教団を動かし、祭司長たちとすべての書記官たちを主管するために天が送られたイエス様です。ですから、彼の理念は大きかったのであり、彼がもっている欲望も大きかったのであり、彼の心的基準も高かったのです。
このような神様の実体理念をもち、一人の開拓者の立場で現れたイエス様を理解しなかった当時の祭司長たちと書記官たちは、堕落直後のアダムとエバよりもっとかわいそうな人たちだったということを皆さんは知らなければなりません。
ですから、イエス様は食べたいものがあっても、食べるものが見つかったとしても、それを忘れて弟子たちを訪ねられたのであり、着る衣服があれば、自分がぼろを着ていることを考えずに弟子たちに下さったのです。安らかな所があれば弟子たちをそこにおき、自分は卑しい所にいらっしゃいました。
(5-225、1959.2.1)
宗教を信じるのは救われようということであり、救われようというのは、完成の位置に行こうということです。それで、宗教者はどのような考えをするかというと、世の中のサタン圏内のいかなる愛よりも信じる教主を愛し、神様を愛そうと考えるのです。このように誓っていく道が宗教の道だということをはっきりと知らなければなりません。世の中の愛以上の愛の位置に行かなければならないのです。それが宗教者の行くべき道です。サタン世界に勝たなければなりません。ですから、神様の愛はサタン世界以上の所から出発するのです。
それで、聖書にあるイエス様が語られた言葉が「誰よりも私をもっと愛しなさい」という言葉です。それは、あなたの母や息子、娘、妻子や夫、誰よりも自分を愛さなければ父の息子、娘になれないということです。なぜそのようになるのかというのです。サタン世界の愛から現れてもそこから出発するのであり、メシヤの愛の因縁をもって天に入っていかなければならず、これが不可避的な原理的条件なので、そのようなみ言を語らざるを得ないという事実を知らなければなりません。
(93-326、1977.6.17)
空腹の事情によって責任者と心情的紐帯を結ぶことができるのであって、服を着ることで、生きることで、交わることではできません。迫害を受け、追い回され、そうしながら昼夜なく働かなければならず、責任分量は多いのでせざるを得ず、昼夜走り回りながらひたすらあなたも泣き、私も泣かなければなりません。泣くこと以外には心情的紐帯を受け継ぐ道がないというのです。それができない日には、日本であれ、韓国であれ、地球であれ、何であれ、ありません。
先生と心情的紐帯はどうであり、真の父母と心情的紐帯はどうだと言うのですが、それをどこから見いだすと思いますか。探してみてください。ありません。ひたすら追い出され、父母に拉致され、たたかれ、ひたすらこうでなければなりません。責任者たちはみなそのようにしてきたのであり、従う人たちがそのようにしてこそ、ここから新しい連結が成され、世界が反対しても断ち切ることのできない紐帯ができ、心情的価値の基盤が生じるのです。そのようになるとき、そのようなことが展開するのです。
(94-233、1977.10.1)
イエスの再臨に関する啓示と、再臨されてから下さるみ言を受け入れる場合の様子に関しても、初臨のときと同じ現象が現れるようになるのである。すなわち、初臨のときに、神はメシヤが来られたという知らせを、祭司長や律法学者たちに与えられず、異邦の占星学者や純真な羊飼いたちに与えられたのであるが、これはあたかも、真の実子が無知であるために、やむを得ず、血統的なつながりをもたない義理の子に相談するという方ちとよく似ているといえよう。また、イエスの再臨に関する知らせも、因習的な信仰態度を固守している今日のキリスト教指導者たちよりは、むしろ平信徒たち、あるいは、彼らが異邦人として取り扱っている異教徒たち、そして、良心的に生きる未信者たちにまず啓示されるであろう。そして、初臨のときにイエスの福音を受け入れた人たちが、選民であったユダヤ教の指導者ではなく、賤民や異邦人であったように、イエスの再臨のときにも、選民であるキリスト教の指導者層よりも、むしろ平信徒、あるいは、非キリスト教徒たちが、まず彼のみ言を受け入れるようになるであろう。イエスが用意された婚宴に参席し得る人々が、前もって招待されていた客たちではなく、町の大通りで出会い、すぐに連れてこられる人々であるだろう、と嘆かれた理由は実にここにあったのである(マタイ22・8~10)。
原理講論、再臨論 4
⑩奇跡に対しても不信される
― 宗教経典 ―
さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。(注 41)
マルコによる福音書 6.30~44
(キリスト教)129
使徒たちが、「マリヤの子イエスよ、あなたの主は、わたしたちのために、食べ物を並べた食卓を、天から下し得られるであろうか」と、言ったときを思え、イエスは言った「あなたがたが信者なら、神を畏れ奉れ」。かれらは「わたしたちは、その食卓で食べて、心を安らげたい、またあなたのわたしたちに語られたことが、真実であることを知り、わたしたちが、その証人になることをこいねがう」と、言った。
マリヤの子イエスは祈って言った、「神、わたしたちの主よ、わたしたちのために、食物を並べた食卓を天からお下しになり、それでわたしたちへの、最初のまた最後の機縁となされ、あなたからのしるしとなしたまえ。わたしたちに給与を賜え、まことにあなたは最もすぐれた給与者であられます」。(注 42)
クルアーン 5.112 ~114
(イスラーム)130
そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」……
イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。……イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。……
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、 『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(注 43)
ヨハネによる福音書 6.25 ~ 66
(キリスト教)131
― み言選集 ―
神様の前にイエス様はいかなる弁明も、捏造もせず、自分自体を忘れ、父を身代わりするみ旨であればいかなる行動もできる方でした。皆さんは、このようなイエス様の足跡を受け継ぐ息子、娘にならなければなりません。イエス様は 30 年以上の生涯を経ながら、福音のみ言を私たちに下さいました。弟子たちを連れて歩きながら、飢えた人たちに出会ったとき、即座に五つのパンと二つの魚で 5000 の群れに食べさせる奇跡も施しました。与えるものは、すべて与えました。信仰も紹介し、生命も紹介し、愛も紹介し、人間が要求できるものをすべて紹介してくださったのです。
(4-83、1958.3.9)
復帰の路程を歩んでいかれるイエス様が奇跡を行われたのは、喜んでされたのではありません。喜んで楽に奇跡を行われたと思っていれば、大きな誤解です。イエス様が彼らに同情せざるを得ない悲しい事情におかれ、手を挙げてお父様と叫ぶとき、ここで奇跡が起きたのです。とても悲しい、骨身が溶ける悲しい場面で叫ぶ、その一つの事情を通して現れたのが奇跡でした。奇跡をイエス様が怠慢して、あるいは喜んでしたものと考えないでください。ベツサイダの荒れ地で5000 の群れが「イエスよ! あなたは私たちの救世主であり、選ばれたイスラエル指導者でいらっしゃいます」と手に手を振りながら叫びました。このように利益になる立場の時は訪ねてきましたが、時が過ぎてイエスが自分たちと心的基準が異なるようになり、事情が異なるようになり、標準が異なる境地に一歩進んでいくので、彼らはイエス様を背信し、背を向けました。これがイエス様の歩んできた実践路程にあった現象です。
(5-227 ~ 228、1959.2.1)
イエス様に従っていた大勢の群れが、五つのパンと二つの魚の奇跡を見せてくれるときには、自分のメシヤであり、民族を救ってくれる救世主として信じましたが、いざイエス様が亡くなるときは、すべて捨てて帰ってしまいました。もしイエス様に従っていた群れが天に対するイエス様の内的な心情、すなわち神様に対する心痛む心情をもった方であり、全体の摂理歴史に責任をもってこられた方だということが分かったならば、イエス様の事情を悟ったはずであり、イエス様のあとについていったでしょう。また、先に従っていた群れについていって民族全体がイエス様のあとについていったでしょう。
(3-291、1958.1.19)
⑪人類のために流したイエスの涙と不信に対する哀痛、信仰の弱い一番弟子
― 宗教経典 ―
マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。 「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。
ヨハネによる福音書11.32 ~ 36(キリスト教)132
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
マタイによる福音書 23.23 ~ 28(キリスト教)133
一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
マルコによる福音書14.32 ~ 41(キリスト教)134
ペトロが下の中庭にいたとき、大祭司に仕える女中の一人が来て、ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」しかし、ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った。そして、出口の方へ出て行くと、鶏が鳴いた。女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、 「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
マルコによる福音書14.66 ~ 72(キリスト教)135
― み言選集 ―
自分のために生きる神様が真の愛をもったと言うことができるでしょうか。自分をなくして全体のために生きる神様が真の愛をもったと言うことができるでしょうか。今日の堕落した人間に対し、泣きながら訪ねてくる神様が、真の神様です。皆さん、人はうれしくても涙が出て、悲しくても涙が出るでしょう? それでは、大声で泣いていた神様が愛する人を探し出したというとき、「ははは」としますか、どうしますか。考えてみなさいというのです。愛する人は、そのように探しながらも泣き、探し出してからも二人で抱き合って大声で泣くのです。
それでは、神様は、どのような所で愛する人に出会いたいと思うでしょうか。涙を流し、鼻水を流し、よだれを流す所で、涙だけを流すのではいけません。よだれが出て、鼻水が出て、涙が出てこなければなりません。一度そのように泣いてみましたか。本当に悲しくて泣けば、涙が出てきて、鼻水が出てきて、よだれが出てくるのです。そのように泣いてみなければ悲しみが分かりません。その次には、汗まで出てきます。そのように一度泣いてみなければ、真の愛を見いだすことはできません。
(102-163 ~164、1978.12.17)
神様の摂理は、このサタン世界で戦争する摂理です。闘う摂理です。イエス様も、裕福に暮らすユダヤ教徒たちの所に来て戦争をしたというのです。
「まむしの子」や「偽善者」と言いました。すべて戦争です。「ああ、ユダヤ人は素晴らしい、パリサイ人は素晴らしい、律法学者は素晴らしい」と称賛してあげ、 「祭司長たちは立派だ」と言っていれば(イエス様を)殺したでしょうか。同じです。ムハンマドや孔子のような人たちがすべてそのようにしていたら変わっていたでしょう。
(95-276 ~ 277、1977.12.11)
イエス様と最も近い人たちがイエス様の心を悲しませました。準備されたイスラエルの民が反対することが悲しみではなく、ユダヤ教の信徒たちが反対するのが悲しみではなかったのです。3年間も従ってきた弟子、その愛する弟子たちが、信じるべきときに信じることができず、証すべきときに証することができず、闘うべきときに闘うことができず、死ぬべきときに死ぬことができなかった、その一つの事実がイエス様にとって最も大きな悲しみになりました。
(3-142、1957.10.18)
イエス様を最後まで捨てずに従った者が誰でしたか。イエス様の 12 使徒ではありません。その 12 使徒の中で三弟子も、イエス様を最後まで信じて従うことができなかったのです。神様の愛を人間に紹介し、その愛を実践しようとされたイエス様でしたが、人間たちと愛の因縁を結ぶことができずに逝かれました。天倫の愛のみ言を伝え、愛に燃える心をもたれたイエス様でしたが、抱き合って、「我が息子よ! 我が父よ!」と父子の情を分かち合うことのできる一人を探し出すことができずにいかれたことを、皆さんは知らなければなりません。
弟子たちは居眠りしていましたが、ゲッセマネの園で夜通し悲しみの涙を流しながら祈祷されたイエス様のその心情と事情を、皆さんは知らなければなりません。イエス様の愛のみ言がいいと言う人は多くいましたが、2000 年前にイエス様は愛そうにも愛するところがありませんでした。
(3-58、1957.9.22)
イエス様は、悲しい 30 年あまりの生涯を送りました。自身のすべてのものを捧げた3年の公生涯がありましたが、誰が彼の心情を知り、誰が彼の事情を知っていたでしょうか。一人もいませんでした。さらには、喜怒哀楽を共にし、悲しいときに一緒に悲しみ、寂しいときに一緒に寂しく思い、師と言って侍る弟子たちも分かりませんでした。師が死の道を行くことを心配し、懇切な心情で天に訴えるべき弟子たちが、かえってイエス様とは誰かと反問する立場にいたとは……。
(7-45、1959.7.12)
この地上の誰が
イエス様の心を知ったでしょうか。
物思いに沈んだその姿を見て、
心深くしみ渡ってくる天の悲しみを
体恤した人が一人もいませんでしたので、
天はこのような人間たちを置いて
嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って
「主よ!」と呼ぶ
弟子の一人ももてなかったイエス様が、
疑心で点綴(一つ一つをつづり合わせる意)された
生涯路程を行かなければならず、
また疑われ、
その物悲しい生涯の終末を
迎えなければならなかった悲しみを、
この時間私たちが
心で同情できるようにしてください。
イエス様が懇切なる天の心情を抱き、
天のすべての遺業を抱き、
人間を尋ねてこられましたが、
人間たちはそのようなイエス様に
自分勝手に対応し、
排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に
追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み、嘆息の立場を
余すところなく経てこられながらも、
イエス様はそのような人間たちを
お捨てになることができず、
生命の圏に向かう
一つの道を開拓なさるために、
彼らを引っ張り
ゲッセマネの園に向かわなければならないということと、
ゴルゴタの十字架の道を行かなければ
ならないということを思われる
イエス様の悲惨なる心の前に、
頼もしい弟子一人いなかった
やるせない心情を、
私たちが分かるようにしてください。
イエス様が
神様と一緒に生きられたことを
知ることのできなかった弟子たち、
このような弟子たちを残しておいて
一生涯を終結すべき立場にあった
イエス様の心情、
生涯のすべてを
人間のために生きたにもかかわらず、
その生涯の結実をみることができず、
懇切な心情に沈んで
天を案じられたイエス様の心に、
私たちが同情できるよう
許諾してくださいますことを
お父様、懇切にお願い申し上げます。
(5-137 ~138、1959.1.11)
⑫キリストの情熱と十字架の苦悩
― 宗教経典 ―
このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
マタイによる福音書16.21~ 23(キリスト教)136
イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」
イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。……
さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。」そこで皆の者が、 「では、お前は神の子か」と言うと、イエスは言われた。「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。」人々は、 「これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ」と言った。
そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。……この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」と言った。
しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。
「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。……
ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます 。」こう言って息を引き取られた。
ルカによる福音書 22.39 ~ 23.46(キリスト教)137
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイによる福音書 27.46(キリスト教)138
― み言選集 ―
イエスが死ぬために来たと言いますが、それは、本来神様の予定の中で起きたことなのか、急変事態なのかということを私たちは知らなければなりません。急変事態なのです。そうだとすれば、新約聖書のイエス様のみ言を通して調べてみましょう。ルカによる福音書第9章 30 節を見ると、「モーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」となっています。その時に決定したのです。
マタイによる福音書第 16 章 22 節を見ると、イエスがエルサレムに行って亡くなることを語ると、ペテロがイエスに、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言うとき、イエスが振り返ってペテロに「サタンよ、引きさがれ」と言いました。それで、今日のキリスト教徒たちは、イエスが死ぬために来たと強く主張しています。その言葉は、死ぬために来たメシヤの言葉なのに、死ぬなと言うので、ペテロにそのように指摘したのではないかと、死ぬために来たことを主張します。
皆さん、それは既に変貌山上でモーセとエリヤと会い、十字架で亡くなることを決定したのちのみ言であることを皆さんははっきりと知らなければなりません。また、イエス様が死ぬために来たのなら、イスカリオテのユダをかばっていなければならないのに、「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」という言葉は矛盾ではないですか。また、皆さん、十字架で亡くなるとき、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われました。それは「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言われたのですが、これはどういうことですか。死ぬために来たのなら、そのような祈祷はできないということです。もし死ぬために来たのなら、なぜ神様が 4000年間もイスラエル民族をそれほど苦労させた土台の上で送ったのでしょうか。強盗のような人たちに送れば、すぐに捕まって殺されるではないですか。
イエス様は、肉と霊を中心として、霊的世界はもちろんですが、実体世界でも神様の王権を回復するために来られました。ところが、イスラエルの国の足場がなくなり、ユダヤ教の足場がなくなり、イエス様一人ではできないので、十字架で死んででも第2次の希望の道を開拓せざるを得なかったのです。国が反対し、教会が反対するので、十字架に行く道しかなかったために、神様も仕方なくひとり子を十字架で犠牲にせざるを得なかったことを皆さんは知らなければなりません。
(73-218 ~ 220、1974.9.18)
イエス様の道は、終始一貫して引っ張られ、追われ、倒れる、十字架を背負う凄惨な歩みでした。それだけでしたか。無謀な悪党たちがむち打って追い立てる境遇に追い込まれることもありました。このようなところで、もしイエスがエリヤのような人だったなら、彼も「父よ、私だけが残りました」という祈祷をしたでしょう。しかし、イエス様はゲッセマネの園で三弟子を後ろにして祈祷するとき、「我が父よ、もしできることでしたらどうか、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい!」と言いました。これが偉大なのです。自分の事情も苦しいのですが、自分の一身は民族の祭物であり、人類の祭物であり、天倫の祭物だということを知っていたのです。
このようなことを知っていらっしゃったイエス様は、自分の悲しみも悲しみですが、天の悲しみがどれほど大きいものかを心配する心がもっと大きかったのです。民族のために現れたのですが、民族から背信される自分を見つめられる天の悲しみがどれほど大きいかということをもっと心配されました。イエス様は、天の皇太子であり、万宇宙の主人公であり、メシヤでした。そのようなイエスが、「凄惨な十字架の運命とはどういうことですか」と嘆息しようとすれば、この宇宙を動員して嘆息することもできますが、嘆息できない自分自身であることが感じられたので、追い込まれる立場に立つようになったことをかえって天の前に面目がないと考えたのです。
教団を糾合させ、民族を糾合させ、天の王国を建設し、世界を父の懐に抱かせてさしあげなければならない責任を背負ったイエス様は、その使命をあとにして十字架の道を行くようになるとき、何の恨みも感じませんでした。 「この杯を私から過ぎ去らせてください」と祈祷されたのも、自分の一身が死ぬことが悲しいためではなかったのです。
自分の一身が死ぬことによって民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを御存じだったために、そのように祈祷されたのです。
イエス様は、自分が十字架で倒れれば、後代の世界人類の前に加重される十字架が残り、それのゆえに悲しみの歴史が終わらないことを御存じでした。ゴルゴタの道が終わらないことを御存じでした。死の道が終わらないことを御存じでした。そして、自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人たちもゴルゴタの道を歩まなければならないことを御存じだったのです。十字架だけでなく、もっと難しい道が残されることを御存じのイエス様でした。
両手両足に杭が打ち付けられ、わき腹を槍で突かれて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、これが自分で終わらないことを御存じだったイエス様は、天に向かって「すべてが終わった」と言いました。その言葉は、人間の世界で十字架の道がすべて終わったということではありませんでした。十字架のために泣き憂慮する心の訴えが天と通じたということを意味するのです。このようにイエス様は、大勢の預言者、烈士たちが天に犯したすべての過ちを背負い、天を慰労してさしあげるために、自分自身を生きた祭物として天の前に捧げたという事実を私たちは知らなければなりません。
しかし、イエス様自身は死ぬ間際に、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」とおっしゃいました。神様は、すぐにでもノアの時以上の審判をしたいという思いがありましたが、イエス様が民族を抱いて死に、教団を抱いて死に、十字架を抱いて死んだがゆえに、人間をお捨てになることができず、抱いてこられたのです。このような心的な因縁が後代の人間、残されたイスラエル民族と結ばれていたので、神様は背信する後代の教団と人間たちを捨てることができず、抱いていらっしゃるのです。
(378-314、2002.5.21)
イエス様が十字架を背負ってゴルゴタに向かいながら激しく疲れたとき、その十字架を代わりに背負っていったクレネのシモンのような人が、イエス様の弟子の中には一人もいませんでした。選ばれたイスラエル民族の中にも、このような人がいませんでした。このように、異邦人のクレネのシモンだけがイエス様の苦難に同参したので、キリスト教は、イスラエルの宗教になることができず、異邦の宗教になったのです。
イエス様を信じ、神様を求めていこうという皆さんは、夢であってもクレネのシモンのような行動をしようという覚悟ができていなければなりません。クレネのシモンは、弁明することもでき、反駁することもできましたが、黙って従い、イエス様の代わりに十字架を背負っていきました。きょう皆さんもこのような人にならなければなりません。
これを見つめるイエス様の心情はどうだったでしょうか。3年間喜怒哀楽を共にした使徒たちは影も形もなく、思ってもみなかった異邦のクレネのシモンが自分の代わりに凄惨な立場に立つようになるとき、これを見つめるイエスの心は苦しみが大きかったのであり、悲しみに悲しみが加わっていたでしょう。
もし 12 使徒の中に、誰かイエス様の十字架を代わりに背負う人がいたなら、イエス様は彼を見つめて死の苦難も忘れ、かえって彼を同情しながら自分の痛みに打ち勝つことができたでしょう。しかし、そうすることができず、イエス様は悲しみに悲しみが増し加わったのです。このような事情を皆さんは知らなければなりません。
(2-274 ~ 275、1957.6.16)
イエス様は、ローマ兵が槍で自分のわき腹を突いても、「彼らをおゆるしください」と言いました。「私が彼らの代わりに死んでいきます。彼らの代わりに犠牲になります」という精神をもって完全に忍耐するのです。ここから新しい世界が生まれるのです。歴史上になかった新しい世界が生まれるのです。
数多くの歴史を見ても、歴史上のあらゆる怨讐は怨讐で返せと教えたのであって、怨讐を愛で返しなさいと宣言したのは、たった一人、イエス様でした。イエス様だけだったのです。それが偉大なことです。これがどれほど偉大なことかという事実を知らなければなりません。新しい世界、神様が願う世界がそこからわき上がり始めるのです。
(130-232 ~ 233、1984.1.29)
イエス様が十字架で亡くなったとき、神様の心情はどうだったでしょうか。怨讐の息子、娘が自分のひとり子を捕らえて殺す局面であっても、彼らを怨讐視してはいけないのです。自分の息子を捕らえて殺す立場でも、愛する心をもって越えていかなければならない神様の心的な苦痛がどれほど大きかったでしょうか。イエス様も、神様とアダムの基準を越えようとするので、神様がサタンを愛するのと同じように、イエス様自身も自分を十字架に打ちつけるローマ兵を愛さなければならないのです。ですから、イエス様が彼らの罪を赦してほしいと祈祷しました。
これをパスしたのでサタンが分立されるのです。神様とアダムがサタンを愛したという伝統的な精神によってサタンが讒訴することができず、分離されました。これによって、キリスト教を中心としてサタン分立の歴史が展開したのです。常に個人的、家庭的にサタン側を愛したということが成されなければなりません。死の場に入っていっても愛することができ、神様に従って祈祷してあげることができなければなりません。そうしてこそ、復帰されていくのです。
全世界のキリスト教徒たちが殉教するその場で、イエスのような祈祷をしなければなりません。「父よ、彼らをおゆるしください」と祈らなければならないのです。神様とアダム、エバが天使長を愛さなければならない原則があるので、その原理原則基盤を完全に復帰するためには、堕落したサタンを本来の天使長と同じ位置で愛したという立場、そのような資格をもってこそ、天国に入っていくのです。
(244-154 ~155、1993.2.1)
イエス様は、永遠に苦楽を共にできる神様のひとり子だったにもかかわらず、どうして世界で最も追われる立場に立たれたのでしょうか。また、神様が「知らない」とおっしゃる立場に立たれたのでしょうか。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27・46)と言って、天に向かって訴えられたのでしょうか。それは、人間が天倫に背いたからです。言い換えれば、アダムが個人的に背いたことを蕩減復帰すべき使命があったので、イエス様は、天から個人的に捨てられるようになったのです。しかし、イエス様は捨てられましたが、感謝する心をもちました。「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」 (マタイ26・39)とおっしゃったのです。自らの前にいかなる死や苦労が迫ってこようとも、それを消化し、神様と一つになれる、このような心があったので、いかなる怨讐も彼を支配できませんでした。ですから、天が排斥し、民族が排斥して、死の場にまで出ても変わらなかったことにより、新しい復活の門が開かれたということを、皆さんは知らなければなりません。
ですから、これから皆さんは、天が皆さんを排斥することがあったとしても、最後までお父様をつかんで仕える覚悟をもってこそ、イエス・キリストが残された復活の恩賜圏内に入っていけることをはっきりと知らなければなりません。
(4-144 ~145、1958.3.30)
⑬十字架で私たちの罪を赦されたイエス
― 宗教経典 ―
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ / 多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し / わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病 / 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに /
わたしたちは思っていた / 神の手にかかり、 打たれたから/ 彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは / わたしたちの背きのためであり / 彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって / わたしたちに平和が与えられ /
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ/ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて / 主は彼に負わせられた。
イザヤ書 53.3 ~ 6(キリスト教)139
こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。このように、天にあるものの写しは、これらのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです。また、キリストがそうなさったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。
ヘブライ人への手紙 9.22~26(キリスト教)140
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、 「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。 (注44)
フィリピの信徒への手紙 2.6 ~11(キリスト教)141
― み言選集 ―
(イエス様は)自分にあるすべての力を尽くしてイスラエルの将来に責任をもち、導いていこうとする途中で、行くまいとしても行かざるを得ない運命の道を行きました。弟子たちがイエス様を捨て、自分自身の命を保つために散り散りばらばらになるとき、イエス様は自分一身のためではなく、そのときまで神様のために忠誠を尽くしたいかなる人よりももっとこの上ない精誠と強い責任感と明確な目的観をもち、神様のみ旨のために十字架の道を行ったのです。神様と共にその道を行きました。
(35-23、1970.9.27)
兄弟や、あるいは誰かがサタンの誘惑に落ちたとき、その堕落した兄弟を取り戻してこようとすれば、サタンは彼を何の条件もなしに行かせはしません。堕落した兄弟を取り戻すためには、サタンがその兄弟を送り返すよりもっと良いと感じられる何かをサタンに与えなければなりません。言い換えれば、堕落した兄弟を解放させるためには、その兄弟に代わって自分を喜んで犠牲にできる一人の兄弟がいなければなりません。その犠牲になる兄弟が第2のキリストになるのです。堕落した兄弟はそのような条件によってのみ解放されるのです。
(52-50、1971.12.14)
祭物は必ず血を流さなければなりません。神様は血を見るのを好む神様ではありませんが、死んで生き返ったという条件を立てるようにしない限り、つまり死んだという立場に立てなければ助け出せる道がないので、神様は祭物を犠牲にさせ、血を流すようにして今まで歴史時代を連結してきたことを知らなければなりません。
このように神様は、旧約時代には祭物で蕩減条件を立てて赦してあげながら、イスラエル民族を育ててきました。そうして、その上にメシヤを送ることによって、新約時代を迎え、メシヤを中心とする勝利的国家をつくろうとしたのですが、このメシヤを信じなくなったので、メシヤが代わりに実体の祭物になって死んだのです。羊は象徴的なものであり、羊を捕らえて祭物を捧げた土台によってつくっておいたイスラエル民族全体は、旧約時代の結実と同じなので、そのような旧約時代の結実がイエスと一つになっていなければならなかったのですが、それができないことによって、イエスを実体祭物として捧げざるを得ませんでした。それで、イエスは十字架で亡くなるようになったのです。(注 45)
(54-252 ~ 253、1972.3.25)
サタンの本質は驕慢と血気です。このような性質で世の中の人に対するサタンでしたが、イエス様は温柔と謙遜で世の中の人々の前に現れたのです。イエス様が愚かで温柔、謙遜な立場に立たれたのではありません。誰よりも最高に気高い栄光を享受することができましたが、イエス様はこれをすべて捨てて温柔、謙遜な立場に立たれたのです。サタンがこのようなイエス・キリストと対決し、闘おうとしましたが、サタンには神様に屈服しなければならない条件があることをイエス様は御存じだったので、最後まで温柔、謙遜でいることができました。それでサタンの本質が驕慢と血気なので、反対の温柔、謙遜をもって現れたのです。
また、厳然として天理法度があることを知っているサタンなので、最後はイエス・キリストを認めるようになりました。言い換えれば、温柔と謙遜を掲げていけば、サタン世界も自然屈服するのです。このような原則を御存じのイエス様は、サタンができない温柔、謙遜の立場を取りました。このように、温柔、謙遜な立場に立ってこそ、中心を通して役事される神様に行く新しい道を開拓できることを皆さんは知らなければなりません。
そして、イエス様が何を見せてくださったのかというと、従順と服従です。従順は応じることのできる環境で命令に従うことであり、服従は応じることができない環境で従うことです。イエス様は不信する人間たちにこのような従順と服従の道理を教えてくださいました。これもやはりサタンの本質、サタンのあらゆる生活的な要素を妨げるものです。
(3-187 ~188、1957.10.27)
イエス様がどのような心情でサタンを屈服させたと思いますか。神様はかわいそうであり、万民もかわいそうであり、万物もかわいそうだと思う心情です。「息子、娘を失ってしまった神様がどれほどかわいそうであり、主人を失ってしまった万物がどれほどかわいそうであり、自分の価値と目的と位置を失ってしまった人間がどれほどかわいそうですか!」という爆発的な心情があったので、サタンが退いたのです。
(9-181、1960.3.8)
⑭イエスを排斥した人類の悲劇
― 宗教経典 ―
エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
マタイによる福音書 23.37(キリスト教)142
エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
ルカによる福音書19.41~ 44(キリスト教)143
この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
コリントの信徒への手紙一 2.8(キリスト教)144
「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」
マタイによる福音書 21.33 ~ 41(キリスト教)145
― み言選集 ―
2000 年間の歴史を通して、偉大で栄光の位置に上がっていったイエス様は誰でも信じられますが、追い回され、嘲弄されるイエス様を信じられますか。ここに来た牧師やキリスト教の信者たちが信じることができますか。その時の書記官や祭司長たちが皆さんより愚かでイエス様を捕らえて殺したと思いますか。あれほど待っていたメシヤが来たのに、ユダヤ教徒の中で一人も信じる人がいませんでした。ユダヤ教徒たちが今、キリスト教の教徒たちに及ばないと考えますか。どれほど凄いか……。
(69-100、1973.10.21)
イエス様は天の物悲しい心情を抱き、
倒れていく民族を訪ねてくださり、
彼らをかわいそうに思い、
自らの生命をも惜しまず、
彼らを訪ねてくださいましたが、
選ばれた民族であると自称していた
イスラエル民族は、
天がお送りになったメシヤと
準備された洗礼ヨハネを、
自分たちの勝手に扱い、
歴史的な悲しみの陰に
隠してしまったという事実を、
今日、私たちは知っています。
きょう、ここに集ったあなたの息子、
娘たちをして、
その時のイスラエルの人々が
私たちよりも劣っていて
天に背反したのでなく、
天のために生きる心情が
私たちよりも劣っていて
天を忘れてしまったのではなかった
ことを知るよう許諾してください。
新しい時代に対する希望が足らず、
新しいメシヤの理念をもってこられる主の姿が
大きいだろうと思っていたのに、
いざ現れたメシヤが、
あまりにも悄然としてかわいそうで、
小さな姿であったがゆえに、
彼らが排斥したのだという事実が
分かるよう許諾してください。
今、私たち自体が
どのような立場に置かれているかを
察するよう許諾してくださり、
今日、私たちはよく
歴史的なイスラエル民族を誹謗し、
当時の事情を批判することがありますが、
その時の事情や今日の事情に
差がないことを
知るようにしてください。
私たちがその時にいたなら、
彼らと同じ群れであったことでしょうし、
私たちがその時代にいたなら、
彼らと同じ立場にいたであろうことを
自認する心をもつようにしてくださり……。
(5-284 ~ 285、1959.2.22)
イスラエル民族の前にメシヤが来た目的は、サタン圏をたたきつぶし、人類を神様の前に取り戻してくるためであるにもかかわらず、サタン主権をそのまま残して人類を置いていかなければならない十字架の道を行くイエス様は、ゲッセマネの園で血のにじむ闘争の祈祷をせざるを得なかったという事実を皆さんは知らなければなりません。イエス様は、自分の意思で十字架に行く日には、4000 年間準備したイスラエルの国が滅び、ユダヤ教徒が滅び、洗礼ヨハネとその使徒たちが天に負債を負うことをよく御存じだったので、談判祈祷をせざるを得なかった事実を知らなければなりません。
イエス様は、肉と霊を中心として、霊的世界はもちろんですが、実体世界でも神様の王権を回復するために来られました。ところが、イスラエルの国の足場がなくなり、ユダヤ教の足場がなくなり、イエス様一人ではできないので、十字架で死んででも第2次の希望の道を開拓せざるを得なかったのです。国が反対し、教会が反対するので、十字架に行く道しかなかったために、神様も仕方なくひとり子を十字架で犠牲にせざるを得なかったことを皆さんは知らなければなりません。
4000 年の基盤の上に送ったメシヤが十字架で亡くなったのは、神様の予定の中で死んだのではありません。サタンに引っ張られていって十字架で亡くなったのです。十字架はすべて失ってしまった立場であることを知らなければなりません。国を失ってしまい、教会も失ってしまい、洗礼ヨハネも失ってしまった立場です。そこには 12 使徒もすべて背信した立場であり、最後には右側の強盗までも死んでいった立場であることを知らなければなりません。イエス様の側になった人、天の側になった人が一人もいない、すべて失ってしまった立場だったことを皆さんは知らなければなりません。
十字架の場にはキリスト教もないことを知らなければなりません。キリスト教がありません。キリスト教は、復活されたのち、五旬節以降に出発したのです。十字架は神様の勝利ではなく、サタンの勝利を意味するのであり、復活はサタンの勝利ではなく、神様の霊的勝利を意味することを皆さんは知らなければなりません。ですから、キリスト教は復活の宗教と言っています。 (注 46)
(73-220 ~ 221、1974.9.18)
⑮イエスの復活
― 宗教経典 ―
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」
ヨハネによる福音書11.25 ~ 26(キリスト教)146
キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
コリントの信徒への手紙一15.14~22
(キリスト教)147
そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
ルカによる福音書 24.1~ 53(キリスト教)148
― み言選集 ―
イエス様は、十字架上で民族のために祈祷されたのであり、自分は死んだとしても責任を完遂するという心をもっただけでなく、死を超越して神様のみ旨を心配されたので、神様はそのようなイエス様を復活させることができたのです。ですから、復活されたイエス様に対して、サタンはあえて讒訴できませんでした。イエス様のように、皆さんもそのような内容の価値をもった人格体になれば、サタンが讒訴できません。
(2-141、1957.3.17)
サタンは、自己の最大の実権を行使して、イエスを十字架で殺害することによって、彼が 4000 年の歴史路程を通じて、その目的としてきたところのものを、達成したことになったのである。このように、イエスをサタンに引き渡された神は、その代償として、イスラエルをはじめとする全人類を救うことができる条件を立て得るようになられた。それでは神は、どのようなやり方で罪悪人間たちを救うことができたのであろうか。サタンが、既にその最大の実権を行使してイエスを殺害したので、蕩減復帰の原則により、神にも最大の実権を行使し得る条件が成立したのである。ところで、サタンの最大の実権行使は、人間を殺すことにあるのであるが、これに対して神の最大実権行使は、あくまでも死んだ人間を、再び生かすところにある。そこで、サタンがその最大の実権行使をもって、イエスを殺害したことに対する蕩減条件として、神もまた、その最大の実権を行使されて、死んだイエスを復活させ、すべての人類を復活したイエスに接がせ(ロマ11・24)、彼らを重生させることによって救いを受けられるようにされたのである。
原理講論、モーセとイエスを中心とする復帰摂理 3.3.1.1
イエス様は、死んでからもばらばらになった弟子たちを心配したのであり、墓の中の三日間でも、この弟子たちを永遠に守ろうという心をもったので、復活されたのちにガリラヤの海辺で弟子たちを探し回られたのです。
今日の私たちが人間的に考えてみれば、責任感のなかった彼らに対してイエス様がどうしてそのようにできるのだろうかと考えやすいのです。困難な場で排斥した弟子たちですが、イエス様は復活後にまずガリラヤに訪ねていかれ、自分の責任を遂行し始めました。このように、死の峠を越えるとき、変わらない弟子として立ててくださったイエス・キリストの人格こそ、今日の私たちが手本とすべき人格です。それだけではありません。当時の弟子たちと、それ以降の大勢の聖徒たち、2000年が経過した今日の私たちまで責任をもたれたことを知らなければなりません。救援の歴史が全体の歴史でした。天のみ旨は全体を救援することなので、イエス様は全人類まで責任をもっているのです。
(1-38、1956.5.16)
主には、ユダヤの国を中心としてサタンの国を奪ってきてサタンを屈服させなければならない責任があるのですが、4000 年築いてきた基盤を完全に失ってしまい、国を失い、教会を失い、選んだ人をすべて失い、一人ではみ旨を成し遂げられないことは当然のことです。ですから、神様は第2方案を立てざるを得なかったのです。
その基盤を失わずに死ななければ、霊と肉を中心として、国と世界を神様のみ旨の中に、サタン世界とサタン主権を奪って天の国に帰っていくにもかかわらず、その基盤がなくなったので、仕方なく神様は第2次的な方案の霊的救援だけでも成立させることができる道を築かなければなりませんでした。それで、イエス様を十字架で亡くなるようにすることによって霊的救援の道を開くことができるようになったのです。これを皆さんは知らなければなりません。
(74-153、1974.11.28)
12. ムハンマド
ムハンマドは、多神教が盛んなアラビアに暮らしていたが、唯一神の真理を発見し、神様の使徒として召命に応じた。ムハンマドは幼いころから聖書の内容を知っていたが、彼が暮らしていた地域のユダヤ人やキリスト教徒たちは、多神教を信じる支配部族に立ち向かう情熱や確信が不足していたため、彼には特に印象的ではなかった。ムハンマドは、メッカの道に出て、誰もが聞こえるようイスラームのメッセージを宣布した。彼は迫害を受けて亡命生活をしたが、支持者たちを確保することができた。ムハンマドと彼の同僚たちは、支配的な宗教とぶつかり、新しい信仰を擁護してくれるメディナで歓迎された。ムハンマドは、神様に献身的で、悪に対しては少しも妥協することを知らなかった。文鮮明先生は、彼を卓越した宗教創始者の一人として尊敬する。
①ムハンマドに下さった神様の啓示
― 宗教経典 ―
予言者よ、まことにわれはなんじを、証人として、吉報の伝達者・警告者・かれのお許しのもとに神に招く者として、また光明をゆきわたらせるともし火として、つかわしたのである。
クルアーン 33.45 ~ 46
(イスラーム)149
ムハンマドは……神のみ使いであり、また諸予言者の最後者である。(注 47)
クルアーン 33.40(イスラーム)150
神は、黙示によるか、帳のかげから、または天使をつかわしたまい、命を奉じて、そのおぼしめしのことを啓示なさるほか、人間に語りかけたもうことはない。まことにかれは、至高者・英明者であられる。このように「われは、わが命によって精霊をなんじに下した。なんじは、経典が何であるか、また信仰がどんなものかを知らなかった、しかしわれは、このクラーンで、わがしもべのうちわれの望む者を導く一つの光りとした。なんじは直き道に人びとを導く。神の道、それに、天にあり地にあるよろずのものは属する。
クルアーン 42.51~ 53(イスラーム)151
読め、創造したまえる方なんじの主のみ名によって。
一凝血から、人間をつくりたもうた。読め、なんじの主は、こよなく尊貴であられ、
筆によって教えたもう方、
何も知らなかった人間に、教えたまえる方であられる。
クルアーン 96.1~ 5(イスラーム)152
それで私はそれを読み、彼は私のそばを離れた。そして、私は眠りから目覚め、その言葉が私の心の中に鮮明に残っていることを知った。今私は、神の被造物の中で、恍惚な詩人や惑わされた者たちより憎悪する存在がないことを知った。私は彼らを見ることすらできなかった。それが私自身なのか、詩人やあるいは惑わされた者なのか、クライシュ部族は決してこのような事実を私に話してくれないだろうと私は考えた。私は山頂に登っていき、自ら下に身を投げて命を絶つことによって安息を得ようと思った。それでそうすることにして山の中腹に来たとき、私は天からある声を聞いた。「おお、ムハンマド! あなたは神の使徒であり、私はガブリエルである」。私が顔を上げて声の主を見ると、あ! ガブリエルが地平線に腰をおろしている人の姿で現れた。彼が言うには、「ああ、ムハンマド! あなたは神の使徒であり、私はガブリエル」。私は前にも後ろにも動かずに立ったまま彼を見つめた。そして、彼から私の顔の向きを変えて天を見つめ、再び前のように彼を見つめた。……
「私がハディージャに、『ああ、悲しいかな! 詩人なのか、惑わされた者なのか』と言った。彼女は再び言った。『私はそのようなものから神に保護を求めます。おお! カースィム、神はこのようにあなたを放っておかれません。その方はあなたの真実さと信頼、品性と親切さを知っていらっしゃるからです。おお、愛するあなたよ! このようになったのを見ると、あなたがおそらく何かを見たのですね』。私はそうだと答えた。そして私が見たことを説明してあげた。すると彼女は言った。『お喜びください。私の親戚の息子よ! そして立派な心をもってください。(注 48)明白に神のみ手がハディージャの霊魂にあるので、私はあなたがこの民の使徒になることを希望します』」。
イブン・イスハーク 預言者伝(イスラーム)153
― み言選集 ―
聖人は、死の場でも自分の命を守って生きることができる力を開発しなければならず、そのような能動的な力をもたなければなりません。このような世界主義的な内容をもっていてこそ、聖人になることができるのです。このような事実をおいて考えてみるとき、ソクラテスよりはムハンマドが四大聖人の中の一人にならなければなりません。
(39-31、1971.1.9
ムハンマドも同じです。イスラームは、総合的な宗教です。キリスト教の新・旧約をすべて引き入れてつくった総合的な宗教ですが、それもやはり神様を中心としたものです。アラビア民族に適合した内容を土台として、神様を中心に、神様による絶対的な真の人間を構成し、求めてきたのです。
(39-316、1971.1.16
②イスラームを立てるために迫害と苦難を克服したムハンマド
― 宗教経典 ―
筆により、また書いたものによって誓う、なんじは、主の恵みによって気違いではない。いや、まことになんじには、尽きせぬ報奨があろう。まことになんじは、崇高尊貴な素質である。
なんじらのいずれが気違いであるか、やがてなんじは見よう、かれらも見るであろう。まことになんじの主は、道から迷い去った者を、最もよく知りたまい、また導かれている者を、最もよく知りたもう方であられる。
クルアーン 68.1~ 7(イスラーム)154
信仰する者よ、なんじらに賜わった神の恩恵を念え、大軍がなんじらに攻め寄せてくるとき、われはかれらに対し大風と、目に見えぬ軍勢をつかわした。神は、なんじらの行うことをみそなわしたもう。
見よ、かれらは、なんじらの上からも下からも襲って来た、そのとき目はすわり、心臓はのどもとまでとどいて、神につき、なんじらはいろいろと悪い想像をした。
こうして信者たちは試みられ、かれらは猛烈な動揺にゆさぶられた。……
神は不信心の者たちを、怒りのうちにメディナから撤退させたまい、かれらは益するところはなかった。戦いには、神がいませば、信者たちにとり十分である。神は、強大者・偉力者であられる。
クルアーン 33.9 ~ 25(イスラーム)155
使徒が神の戒めを受け、公にイスラームを伝え始めたとき、私が聞いたところでは、彼が彼らの神々をとがめる前までは、人々の態度は、退くことも彼に対抗することもなかった。しかし、彼がそのようにすると、神がそのような悪から保護した者たち以外に、彼らはとても攻撃的に急変し、一致して彼を、彼らの敵として扱った。しかし、保護された者たちは数的に絶対劣勢だった。
イブン・イスハーク 預言者伝(イスラーム)156
― み言選集 ―
今日、聖人という班列に立った人は、神様を中心とする生活を夢見た人たちであって、人間の理想を中心とする生活を夢見た人は一人もいません。ですから、聖人は宗教の宗主だったのです。
イエス、孔子、釈迦牟尼、ムハンマドのような人はそうでしょう? 彼らは、人間の生活を夢見た人たちではありませんでした。人間の生活よりもっと次元の高い理想的な生活の本体であられる神様がいることを知ったので、天を中心として理想を描いてきた方たちではないですか。
(61-67、1972.8.27)