天聖経(15) 第3巻「真の愛」 第3章 愛と結婚

第3章 愛と結婚

1)真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと

2)男女の愛、互いが必要とする愛

3)祝福結婚式は神様の愛の伝授式

 

 

1)真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと

 

結婚はなぜするのでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相としていらっしゃる方であり、各一性が合体化した一体的な存在であられ、神様の分性的な人格が男女なので、これらが合成一体化して種のようになって、神様の本性の立場に戻らなければなりません。(138-97,1986.1.19)

 

結婚の最高の神性さを私たちは謳わなければなりません。男女が愛することのできる道は、結婚生活です。そのように一つになることによって、誰に似るのでしょうか。神様に似るというのです。男女が一つになってこそ、人を御自分の形状どおりに造られたと言われる神様に似るのです。そうしてこそ神様が臨在されるのです。(70-76,1974.2.8)

 

男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が合わさって調和し、平衡線を成さなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-868)

 

男女が合わさることは、天地が合わさることです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-868)

 

男性と女性が互いに好み合い、抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成した立場です。神様の理想の中で成される創造本然の姿は、そのようなものです。(御旨と世界-28)

 

結婚は、なぜするのでしょうか。世界を愛する訓練を受けるためです。また万民を愛し得る資格をもつためです。(37-109,1970.12.22)

 

結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権を賦与されることを意味するのです。(76-46,1975.1.26)

 

結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようとすることであり、男性と女性の愛の完成のためのものです。それで結婚したということは、そのような証拠を見せて宣布をすることです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を成したなら、「家庭の理想を実現した」と言うことができます。それで死ぬ時これを成したなら、間違いなく天国に行くというのです。(97-276,1978.3.26)

 

結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。結婚は愛を探していく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。
男性と女性の血統が混合されるところです。結婚を通して歴史が生まれ、ここから国が生まれ、理想世界が始まるのです。(279-251,1996.9.15)

 

結婚は誰のためにするのかといえば、人類のためにするのであり、人類の共同利益のためにするのです。ですから結婚は、世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性もまた世界を代表した女性です。では、どこから出発しなければならないのかというと、世界を代表した立場から出発しなければならないのです。結婚する意味は、人類が公的に願っているみ旨のためのものなのです。(75-278,1975.1.12)

 

妹のように育て、妻のように愛し、母のように仕えてあげるという心をもつことが必要です。愛は妹から、すなわち妹として愛することを始めとし、妻として愛さなければならず、妹、姉、新婦、母のように愛さなければなりません。そうしてこそ、人間が堕落したことによって失い、神様が愛することのできなかったものをすべて復帰することができます。(31-88,1970.4.20)

 

国を愛するためには何を愛さなければならないでしょうか。まず男性は一人の女性を、この国の代表的な女性だと思って愛せる者にならなければなりません。また女性は、男性に対してただ一人の男性としてではなく、全世界の男性の中で代表的に選び出した人だと思うのです。このように代表者の立場に立った男性と女性が合わさって家庭を成すようになれば、この家庭は、天の国の家庭になるのです。(26-153,1969.10.25)

 

女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

愛は、一人では感じることができません。幸福も同じです。(145-267,1986.5.15)

 

相手と同等な相対的関係を結びながら互いに感じ、愛することができてこそ真の幸福を感じるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-342)

 

結婚する時は、その男性がハンサムだといって喜んでいたのに、その男性が1週間後に事故に遭って体が不自由になった時、離婚しようとするのは真の愛ではありません。それは、偽りの愛です。真の愛は、絶対的であり、不変であり、永遠なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-341)

 

結婚は、私のためにではなくて、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚を、立派な人、きれいな人としたいというのは、間違った考えです。人間は他のために生きなければならないという原則を知ったなら、結婚も相手のためにするという考えをもたなければなりません。どんなに魅力がなくても、美人よりもっと愛そうという信念をもつのが原則的な結婚観です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-361)

 

人間として生まれて相手を神様のように愛し、人類のように愛し、この世界の誰よりももっと愛し得るという考えに立たなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として、一人の女性を愛することを知らなければ、神様と人類を愛することはできません。(97-319,1978.4.1)

 

結婚とは、「幸福の宮殿のドアを開けて入っていく儀式だ」と言うことができます。したがって、結婚は人倫の大事なのです。愛は、時空を超越し、人間史において最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を表し、確認する儀式なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-356)

 

結婚する時は、美人の夫になろうと思わないでください。「醜女の夫になり、誰よりも立派に生きる夫になる」と言わなければなりません。そしてこの世のどのような美人からも敬われるような、そのような夫にならなければなりません。そのような観をもって、女性に正しく対さなければなりません。(26-332,1969.10.3)

 

どのような妻、どのような夫に会って結婚するのでしょうか。最も魅力のない人に会い、烈女になって愛そうとする原則を立てて結婚し、暮らさなければならないということを知らなければなりません。愛の度数が高いほど、無限の宇宙の舞台で活動することができます。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-636)

 

人間にとって、愛は永遠なものであり、二つでなく一つです。男性と女性が愛によって結ばれると、地上で百年偕老(注:共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きなければなりません。体は二つですが、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と共に回るようになり、愛の四位基台を成すようになり、それがすなわち愛の理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵入することができず、ただ真の愛のみが臨在するのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-344)

 

個体完成、相対完成を成したのちに神様を中心とした愛によって公認されてこそ、本当の理想が成されます。(19-314,1968.3.17)

 

新郎新婦はお金や権力、名誉を中心として一つになるのではなく、神様の本然の愛を中心として一体にならなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-880)

 

神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛することができるなら、それは最高の愛であり、超越的な愛であり、この世的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中の代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。(26-153,1969.10.25)

 

真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければなりませんが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対的に必要です。真の愛のための絶対的な男性と女性は、一心に努力することによって結ばれます。一つに結ばれた時は、神様が二人の中に臨在されるようになることを知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

全世界の人種が一つになるための最も早い近道は、国際結婚しかありません。二つの全く違う文化圏と環境から選択された男女が、神様の愛によって一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一です。
このような偉大なことを成就するために私たちは、巨大な愛の力を見つけなければなりません。最高の愛のみが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。(御旨と世界-499)

 

神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は、一つになろうとするものです。男女が互いに慕い合う理由は、男性は女性、女性は男性を通してのみ神様を所有できるからです。愛は、互いを好むことです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-334)

 

結婚しない人は、天国に絶対に行けません。結婚しない人には、天国は絶望の山河です。寂寞とした山河には希望がありますが、絶望の山河は希望もない状態です。(101-43,1978.10.28)

 

男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは2本の足で歩いているのです。(御旨と世界-543)

 

女性は男性に会うために生まれ、男性は女性に会うために生まれたのです。それが最高の真理です。それで、このような原則に従って祝福圏を探していかなければなりません。最高の真理圏を離脱するのは、最高の悪です。(21-201,1968.11.20)

 

韓国の伝統婚礼を見ると、互いに向かい合って大きなお辞儀をします。どうして大きなお辞儀をするのか知っていますか。互いに「ため」に生きようと大きなお辞儀をするのです。互いに「ため」に生きなければ愛は逃げていってしまいます。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-361)

 

韓国の民法では同姓同系の結婚を禁じ、異族結婚を奨励していますが、これは統一を思慕する民族だからそうなのです。(19-306,1968.3.10)

 

2)男女の愛、互いが必要とする愛

 

成長の中で最も花のような時、最も美しい時が青春時代です。その青春時代の姿が最高のつぼみのような時期です。それをしっかりと愛し得る人がいるなら、その人は、神様の家の奥座敷にでも招待される人です。そのような愛を授受することのできる男性と女性は、神様の福を受けることができ、神様の奥座敷にまでも招待されるはずです。(26-153,1968.6.4)

 

人間の幸福とは、どのようなものでしょうか。お金が有り余ってダイヤモンドを身に着けると幸福だと言えるのでしょうか。本当の幸福とは、相対者と共に愛によって笑い、歌ってささやくところから見つけることができます。そうできる人は、幸福な人です。愛する恋人からささやく言葉を聞くことのできる人は、幸福な人だと言うことができます。耳元で愛をささやくことは、あたかも夢を見ているような幸福感を感じることができるからです。幸福な時は年齢的に見る時、若さが最も華麗に咲く時だといえます。愛によって力いっぱい膨らんで一つになることのできる時が、青春時代です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-366)

 

自分の一生一代に男女間で愛する愛よりも、世界を愛し、神様を愛し、人類を愛したあとで自分を愛することのできる、そのような愛をもった相対を迎えようとする人が、理想的な人です。(46-42,1971.7.18)

 

女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

男性が一人でいくら愛を探しても、その人は狂った人としか思われません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

男性と女性がいくら素晴らしいといっても、愛がない時は意味がありません。(175-165,1988.4.16)

 

男性と女性は、生理的にみな反対です。女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また女性は家にばかりいますが、男性はあちこち世の中を歩き回ります。このように、性格がみんな反対です。このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間と神様を一つにするのも愛です。(38-256,1971.1.8)

 

神様は、愛の理想完成のために人間を創造しました。そして人間と神様の関係は、最高の愛を中心とした主体と対象の関係です。では、人間はいつ完成されるのでしょうか。男性も女性も愛の因縁を結んで、愛の価値を知った立場に立った時、初めて完成されます。(128-132,1983.6.11)

 

ある男性がハンサムで健康な人だとしても、女性がいなければ意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って生きる男性は、どうしようもない存在にすぎません。そのように自我に陶酔して生きている男性が、この世に多くいます。これは歴史が悲劇へ流れてきた要因でもあります。自己陶酔に陥って変遷する世の中を改善し、変化させていくのが神様の摂理だったということを知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

この世で最も良いものとは何でしょうか。男性には女性、女性には男性ではないかというのです。男性が好きな愛は男性のものではなく、女性が好きな愛も、女性のものではありません。そうでしょう。一人でいる時、愛したい気持ちになりますか。(37-27,1970.12.22)

 

男性は、神様の愛を中心として女性を愛するにおいて、「完全に愛した。最初から最後まで永遠に変わらずに愛した」と言える立場に立たなければなりません。また女性は、そのような立場に立つために自分の体をしっかりと封じておかなければなりません。芍薬の花が多くの花びらで何重にも包んであるように、しっかりと埋めておかなければなりません。そうして春という季節に、天地の調和に合わせ、そこに和合して新しい人生を出発しなければなりません。これを、しっかりとしなければなりません。(26-156,1969.10.26)

 

皆さんは花の中で、美しい花は何だと思いますか。皆さんはどのような花が好きか分かりませんが、先生はラッパのような形をした花が好きです。なぜかと言うと、ラッパのような形をした花は香りを遠くまで漂わせます。ラッパのような形をした花は、深い愛を意味します。ラッパのような形をしていてこそ、香りが遠くまで広がります。ですから、ラッパのような形であるほど香りが多く出ます。ですから女性が花であれば、深い愛の心情をもっていなければなりません。美しい香りをもった花は万民が喜びます。
そしてゆりは、単調ですが優雅な味があります。清く優雅なゆりの花は、葉なのか茎なのか分からないように同じ色で咲いているのを見ると、感傷的で情緒的な花だというのです。そのように結婚前の女性は、水仙、またはゆりのようにならなければなりません。優雅で清い花にならなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-614)

 

いくら美しい娘にも、思春期はたった一時しかないのです。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時なのです。それにもかかわらず、「私一人で生きるわ」と思っている女性がいるでしょうか。その人は、女性ではありません。
また男性の中でも、見てくれの悪いところがなく、これ以上良い時はないという青春の時に、自分一人で生きると言う者がいるでしょうか。そのような時には、必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなのでしょうか。神様に似てそうなのです。人生の最も貴い時である思春期の時に、相対を探そうとするのは男性も女性も同じです。(32-248,1970.1.19)

 

男性は、なぜ生まれたのでしょうか。男性は、多くが自分一人で生きることができるので、そういうことに関心がないとも言いますが、男性は、女性のために生まれたというのです。女性がいなければ男性は必要ありません。自分のために生まれたものは、一つもないというのです。(285-220,1997.5.19)

 

私たちの五官を見てください。私の目は、私の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手も、すべて相手のために生まれました。五官を総動員して集中できるその力とは何かというと、真の愛です。目、鼻、耳、口そして手は、真の愛のために生まれた、真の愛の道具です。(299-119,1999.2.7)

 

女性にとって最も貴いものとは何でしょうか。男性です。どのような男性が必要でしょうか。立派か立派でないか、体が自由か不自由かが問題ではなくて、その男性から価値のある愛を見つけ出すことができるかどうかが問題なのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-340)

 

男性の心の中には神様が愛される女性がいて、女性の心の中には神様が愛される男性がいて、共にたたえるようになる時には神様もそれを見て喜ばれるので、万物も互いに喜ぶようになります。彼らが抱擁する喜びの内容が、天と地と共に喜ぶ価値になります。
男性と女性が互いに好んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成す立場になります。神様の理想の中で成される創造本然の姿が、そうです。(御旨と世界-28)

 

本来、男性が生まれた本当の意味はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたということを否定することができません。反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を本人が確信できない立場で、問題が起きるのだということを、私たちは知らなければなりません。
これを天地創造の大主宰であられる神様が創造の原則とされたので、その原則に従わずには善で、真で、幸福で、平和な世界、または愛と理想の世界に入ることができないのです。(75-319,1975.1.16)

 

この世に多くの男性がいるとしても、目を向けてはいけません。貞操は生命より、もっと尊いものです。夫が愛することができ、息子、娘が愛することができ、国が愛することができ、世界が愛することのできる歴史の道が、女性によって開かれるというのです。このような女性の美しさと、高貴さと、情緒的な伝統が輝くことのできる基準を築いていく厳粛な課題の前に、皆さんは、真実と真の姿であらゆる誠心を尽くさなければならないのです。(39-218,1971.1.10)

 

最も花のような時期、花がばっと咲いた青春時代がいつかというと、思春期の時です。その時期がすなわち18歳から24歳までの7年間です。この7年間は人生に二度とない花のような、愛の花が咲く時期です。一度しかない花のような時代が、どんなに貴いでしょうか。(26-151,1969.10.25)

 

芍薬の花を知っているでしょう? つぼみは何十もの花びらでしっかりと包まれていて、簡単に手をつけられないようになっています。このように、男性も女性も同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみを、いつぱっと咲かせるのでしょうか。天地の調和の中の美が最もよく現れる時が、青春の時期です。人間として見る時も最高に咲く時です。神様の傑作品となり、最も中心の絶頂として光る期間が青春の時期ですが、その時に神様の祝福の中で、ぱっと咲かなければなりません。(26-151,1969.10.25)

 

青春時代に純潔を失ったアダムとエバの恨を踏まえ、蕩減することのできる貴い時である思春期に、純潔を汚してはいけません。その純潔を清く大切に保存して、「千代、万代一人で行っても愛が蹂躙されることは絶対にあり得ない」という志操と決意をもたなければなりません。(37-108,1970.12.22)

 

青少年として、堕落せず、汚れず、染まらずに、聖なる純潔を大切に保管して、これをどこにもっていくのでしょうか。天が最も喜ぶ祭壇に掲げて、神様が喜ぶそのような純潔をもった男性と女性が出会い、一つに結ばれる貴い基台が、新郎新婦の出会う場にならなければなりません。(64-84,1972.10.24)

 

3)祝福結婚式は神様の愛の伝授式

 

統一教会では、結婚することを「祝福」と表現します。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-544)

 

祝福は、真の父母と真の子女が出会い、創造目的を成就することを意味します。(19-73,1967.12.27)

 

祝福とは何かというと、神様と共に一つになることです。神様と一つになると、全体をもつことができます。神様のすべてのもの、主体がもっている全体をもらうことになるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-544)

 

皆さんは今まで、真の父母と完全な因縁を結ぶことができませんでした。ですからその因縁を結ぶために、してあげるのが祝福です。(23-333,1969.6.15)

 

祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を持ちます。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶことであります。(御旨と世界-533)

 

祝福は、天国の門を開くことであり、子女と共に入るのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-544)

 

この世には大勢の人がいますが、大きく二つに分けてみると、男性と女性に区分されます。この人たちが一つになれる秘法を模索することが、私たちの根本目的です。今まで、そのような一つの結実的な家庭の起源が出てこなかったので、私たちはそれを模索していくのです。そのような起源が現れて種を蒔くと、新しい木になるのです。これが祝福結婚式です。(31-191,1970.5.31)

 

祝福結婚式は、単純に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを帰すほどの内容をもって歴史を蕩減する貴い条件として、聖なる雰囲気をもって盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダム、エバの堕落に始まった神様の恨みを解怨してさしあげ、イエス様が成すことのできなかった新郎新婦の基準を通過することだと、原理ははっきりと説明しています。(御旨と世界-27)

 

神様の摂理で信仰を立てたとしても、神様の子供として復帰させるためには接ぎ木しなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-508)

 

もう一度生まれなければならないということは、堕落したアダム、エバの子孫である父母の血肉を通して、もう一度生まれなければならないというのではなく、堕落と関係のない父母の血肉を通して、もう一度生まれなければならないということです。
そうせずには、神様のもとに帰ることができません。罪の根本の根はアダム、エバから始まったので、これを踏み越え、すなわち原罪と因縁のない立場で生まれたという資格をもたずには、神様のそばに帰ることができないのです。(22-269,1969.5.4)

 

重生する(生まれ変わる)には、アダム、エバより出来が悪くてはできないし、また根本の復帰もできません。重生するにも個人が重生しなければならないし、家庭、民族、国家、世界が重生しなければなりません。この事実を、今日のクリスチャンたちは知らずにいます。(58-42,1972.6.6)

 

80歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けずに死んだなら天国に行けないという事実を知っているので、死にゆく最後の瞬間にでも何千里離れた所に男性がいたり、何千里後ろに男性がいたとしても、二人が糸で結んで、祝福の条件だけでも受けたいと思うのです。祝福はこのようになっています。先生は、このことをやり遂げなければならないので、運の悪い人です。(22-16,1969.1.1)

 

真の父母というのは、完全な男性と完全な女性ということです。縦的、横的90度になった男性と女性ということです。それで先生がこれを接ぎ木するために、青年男女を集めて頭を切り捨ててしまい、母親の芽と父親の芽をもって植えるのが祝福です。(131-174,1984.5.1)

 

祝福式は、正に愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きなさい!」という愛の伝授式が祝福式だというのです。
祝福式は神様の愛を父母から受けるのです。ある名の知れた人から受けるのではありません。それは、天使長がしてくれる結婚式です。名の知れた人が一人で前に立ってしてくれる結婚式は、みな天使長から受ける結婚式です。(96-236,1978.1.22)

 

祝福をしてあげるということは、天の全権を移してあげることを意味します。(17-328,1967.4.16)

 

祝福は、歴史が追求する万民解放の扉を開ける鍵です。(御旨と世界-27)

 

先生が生涯で最も貴いものだと考えたのは何だったでしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史以来最高の贈り物は祝福なのです。(23-317,1969.6.8)

 

神様を中心とした新しい愛、すなわち創造の法度による愛が決定した位置で初めて神様の理想が出発します。(19-314,1968.3.17)

 

血統が違うということは、父親が違うということです。ですから父親の違う血統をもって生まれた人間は、本来、堕落していない本然の父母によらなければ、罪を蕩減することができません。ですから今日まで、歴史は堕落しない始祖になり得る権利をもったその一人の方が来る時まで、宗教の理念を中心として連結させてきました。(20-115,1968.5.1)

 

祝福を受けたということは、メシヤが2000年間の苦労によって地上に基盤をつくり、選ばれた民族と、教団と、自分の氏族を中心として、新郎新婦の名前によって出発できる時が来たということです。皆さんは氏族的なメシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁を結んだので、サタンもどうすることもできません。このように祝福は、本当にすごいことです。(21-14,1968.8.13)

 

天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家の主義であり、私たちの国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったなら、世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるはずです。そのアダム主義がすなわち、真の父母主義です。父親母親主義なのです。ほかにこれ以上の思想はあり得ません。
ですから統一教会は、心情的な問題を、本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として天宙主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り、滅びることはありません。滅びてはいけないというのです。(26-201,1969.10.25)

 

天宙主義とは何でしょうか。家庭において言えば、自分が暮らしている家庭に金銀財宝があり余るほどあるとしても、それに酔って生きるのではなくて、それを忘れて、いつでも神様の愛に酔って暮らせる、そのような家庭です。息子のものは父母のものであり、父母のものは神様のものとして、そっくりそのまま連結できなければなりません。(35-281,1970.10.25)

 

真の家庭主義とは、どのような主義でしょうか。真の家庭主義は、神様の愛主義です。愛がなければいくら世界一だといって胸を張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば息子、娘は父母のあとに永遠についていく主義、また兄が行けば弟が永遠についていく主義、弟が行けば兄が永遠についていく主義です。ですから弟の国があれば、兄の国がついていき、兄の国があれば、弟の国もついていくと言わなければなりません。(21-50,1968.9.1)

 

(2021.11.5:写経奉献)