天聖経(16) 第3巻「真の愛」 第4章 愛と家庭
第4章 愛と家庭
1)愛の理想実現は家庭から
2)家庭は天国生活のための愛の訓練道場
1)愛の理想実現は家庭から
家庭は、万古普遍(注:いつまでも変わらないこと)の起源であり礎です。
これは父も変えることができず、兄弟も変えることができず、どの国も、どのような制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができず、天地も、神様も変えることができません。
ですから、家庭というものには永遠に「革命」という名詞が必要ないのです。家庭は愛の場なので、革命が必要ないというのです。(25-85,1969.9.30)
なぜ父母が良いものになるのでしょうか。そして夫と妻、子女がなぜ良いものになるのでしょうか。
愛があるからです。父母の愛、これは子供に絶対に必要です。夫婦の愛、これは夫と妻に絶対に必要なものになります。
そして兄弟間の友愛、子女が父母に対してもつ親孝行の心も、一つの家庭に絶対に必要なものです。(112-291,1981.4.25)
家庭がなぜ良いのでしょうか。家庭は、互いが愛を自由に授受できる基盤になっていて、栄えることができるので、人は故郷を懐かしく思い、父母と兄弟がいる家庭を懐かしく思うのです。(38-328,1971.1.8)
真の家庭は、自分の母のように妻を愛し慈しみ、自分の父のように夫を慈しんで愛し、弟や兄のようにお互いを愛する所です。その次には、神様のように自分の夫を愛し尊敬する世界が、理想家庭が住む天国です。このような伝統が、この地球上に立たなければなりません。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)
神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三つの愛がある所が理想家庭です。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-913)
父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹たちがすべて、真の愛を中心として一つとなることを願う所が、私たちの理想家庭です。
ここから永遠なる世界的平準化が始まり、地上天国が出発するのであり、さらにまた、天上天国も自動的に成し遂げられるのです。(未来の主人公-172)
幸福は、どこから来るのでしょう。鼻歌を歌いながら迎えることのできる、そのような環境は、どこから来るのでしょうか。
家庭から来るのです。家庭の幸福は、情緒的に問題があれば成せないのです。また、心情、愛がなくても成せないのです。(23-121,1969.5.18)
不幸は、どこから出発するのでしょうか。愛の安息地がなくなる時から始まるのです。幸福な家庭は、その家の垣根である父母に仕えて生活する家庭です。その家庭は、上では天を代表した父母に仕え、横では夫婦が結ばれ、この夫婦が天倫の法度を貴び、その代を継ぎながら暮らす家庭です。(19-305,1968.3.10)
皆さんは、どのような愛を見出しましたか。
神様の愛を見出したならば、皆さんの心と体が完全に一つになり、神様の愛を臨在することができるのです。
それゆえに、夫婦の天国となり、家庭天国を成すようになるのです。お母さん、お父さんが完全に一つとなって愛し合うようになり、息子、娘もお母さん、お父さんのような相対をもらうことができれば、家庭天国が実現されるのです。父母がプラスになり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国が実現されるのです。(96-28,1978.1.1)
父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭の愛を拡大して、すべての人を愛することが、人類を生かす道だということを知らなければなりません。
年を取った人はおばあさん、おじいさんのように、中年はお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のように見える人はお兄さん、お姉さんのように、年下のように見える人は弟、妹のように考え、愛さなければなりません。(御旨と世界-613)
天国は、どこででき上がるのでしょうか。私たちの家庭からでき上がるのです。それならば私たちは、何主義なのでしょうか。家庭主義です。
私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に「宙」の文字、すなわち天の家主義というのです。このようになれば、天宙という意味が明確になるのです。(26-103,1969.10.18)
家庭は、小さな社会に立脚した小さな国家です。小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙なのです。それで、家庭を離れては何もできないのです。(24-230,1969.8.17)
一つの家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界では手本になり、根本的で一次的な組織です。このような家庭で、愛が最善の価値基準になるのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-924)
人の一生涯で一番重要な時はいつかと言えば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。
それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないのでしょうか。正しく生まれなければなりません。次には、結婚する時です。結婚は、生きるためにするのです。すなわち、四位基台を成すためにするのです。
このように宇宙の公法を地球上に立てておけば、神様のみ旨を成すことができ、人間のみ旨を成すことができるのです。このような宇宙の法度が指向する内容をもち、その形態をもつためのものが家庭です。(24-230,1969.8.17)
家庭は、天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば戻りたくなく、10回、100回会ってもまた会いたい方がいるところです。万民が共通にそこに行きたいと思い、その方に会いたく、その方と共に住みたいと思えば、世界は統一されるのです。そこに向かっていくのが目標です。
しかし、そこは一度に成されるのではありません。まず個人の基台が立ち、次に家庭の基台が立ち、その次に民族、国家、世界に広がっていくのです。(12-180,1963.4.1)
天国は、どこにあるのでしょうか。空中から降ってくるのではなく、お父さんとお母さん、そして子供の間に授受できる生活舞台を育て、またすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件を利用するおもしろさ、そのおもしろさを100パーセント享受できる所が天国です。(78-35,1975.5.1)
天国へは一人では行くことができません。祝福は、天国の門をさらりと越えていくのです。天国は、家庭に帰っていく所です。3代の因縁をもって入っていく所です。(12-266,1963.5.25)
宗教は、宗(最上、根本)となる教えです。神様の宗となる教えとは、人類を教え、人類を愛してみようということです。そのほかにはありません。それで真の父母は、子供に対して世界を好きになり、神様を好きになることを教えてくれるのです。(102-240,1979.1.1)
天国へは、誰かが教えてくれて行くようになっていません。良心的に生きる人は、自動的に行くようになっている所が天国です。太陽が昇れば、すべての木の芽は太陽に向かいます。草までも自ら方向性をもって帰っていくのに、まして万物の霊長である人間が自分の行く道を知らないわけがないのです。このような現象が起こってくるのです。(75-42,1975.1.1)
天国は、愛の世界です。中心者である神様のためにある世界、神様のために生きる世界です。(98-33,1978.4.8)
天国へは、愛の軌道に乗って行くのです。このように話せば、実感するでしょう。その愛の紐は、引っ張れば引っ張るほどゴムのように細くなるのではありません。ゴムは、引っ張れば引っ張るほど細くなりますが、愛の紐は、引っ張れば引っ張るほど反対に太くなるのです。(57-162,1972.5.31)
人間には、親子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。
すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはならないのです。この中心点が違えば上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて7数を成すようになるのです。
このように7数を成しているものは、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、このすべてが完全に球形を成し、調和と統一を成す家庭になるのです。(299-114,1999.2.7)
世界にはおじいさん、おばあさんのような人たちが住んでいて、お母さん、お父さんのような人たちが住んでいて、夫婦のような人たちが住んでいて、息子、娘のような人たちが住んでいます。何種類かと言えば、このような4種類の人たちが全世界に住んでいます。それゆえ、世界の数多い人たちに、天国人になれる教育の教材、経典としてみなされるのが、私たちの家庭だという観念をもたなければなりません。(130-267,1984.2.5)
家庭というものは、天国と因縁を結ぶための教材です。教育の教科書なのです。それは、軸を中心として、国に適用すれば愛国者になります。世界に適用すれば聖人になります。天地を中心とするようになれば神様の息子、娘、聖子になるのです。(137-77,1985.12.18)
家庭は、死ぬ時に天の国、平和の王宮に入籍できる手続き券を得られる、愛の教科書です。愛の修練所です。これを拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんのような世界があり、お母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子、娘のような世界があるのです。このように拡大すれば、すなわち世界になるのです。(142-242,1986.3.11)
愛の王国を成したいのが神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようとするのが神様のみ旨だとする時、小学校から大学の卒業、博士号の取得までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。
世界を詳しく見てみれば、おじいさん、おばあさんが住む世界、その次におじさん、おばさんたちが住む世界、お兄さん、お姉さんのような人たちが住む世界、その次に、青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界だと言えるでしょう。
ですから、老年から壮年、中年、青年、青少年たちが住むここは、形が大きく、数が多いだけで、家庭を拡大したものです。(147-281,1986.10.1)
家庭の中心は父母ですが、なぜ父母になるのでしょうか。父母はすべて、家庭全体のためにあるからです。(124-51,1983.1.23)
人には、家庭が必要で、国が必要で、世界が必要で、本然の世界、宇宙が必要です。(141-302,1986.3.2)
愛を中心とした家庭で、父母は、国の代表者です。神様の代表者だと見るのです。それを訓練するための第1段階の訓練舞台が家庭です。地上で天国を成せる第1教化場が家庭で、そして国家が第2教化場です。ここに愛国者が必要なのです。その次に第3教化場が世界です。ここに聖人が必要です。霊界は第4教化場です。その次には、神様の息子、娘になるのです。聖人といっても、神様の息子、娘ではありません。それで、すべてが神様の息子、娘にならなければならないのです。聖子の位置に入り、神様の愛と一つになって、永遠に神様を所有できる位置に入るようになります。(141-302,1986.3.2)
2)家庭は天国生活のための愛の訓練場
天国は愛の世界です。神様のためにある世界、神様のために生きる世界です。(98-35,1978.4.8)
家庭は、歴史を圧縮させたものです。これが歴史と連結します。それで家庭は、神様から始まります。垂直に受け継ぐのです。90度の垂直に受け継がなければなりません。おじいさんとおばあさんは、これを引き継いだ代身です。(216-262,1991,4,7)
ですから、先祖を圧縮したのが、正におじいさんとおばあさんです。(214-268,1991.4.7)
おじいさんは、神様を中心として歴史時代の先祖代表する相続者であり、代表者です。神様を中心として歴史を連結させる相続者だというのです。(216-262,1991.4.7)
おじいさんとおばあさんは、過去、過ぎ去った時代の代表者であり、父母は現時代を代表します。そして、息子、娘は未来を代表します。ですから、おじいさんとおばあさんは過去であり、父母は現在であり、私は未来を代表します。ここに息子、娘がいれば、息子、娘は過去、現在、未来の総和なので、三つの父母と三つの先祖の三つの愛を連ねて4代を愛さなければなりません。したがって、神様が孫に会えなかったことが堕落です。(211-206,1990.12.30)
天国は家庭から始まります。おじいさんは神様の代身であり、父母は現在の代身であり、息子、娘は未来です。過去、現在、未来が縮小されています。ですから、父母はこの世を代表します。おじいさは神様を身代わりします。おじいさんとおばあさんは過去の神様の位置であり、父母は現在の神様の位置であり、将来の息子、娘は未来の神様の位置です。
真の愛を中心としては同等です。平等であり同等な内容の価値、本質的な一体理想観を形成できる真の愛を中心として、その一つの「ために生きる」愛を核として、東西、四方が一つに結ばれるとき、その場は永遠に神様の愛の運勢が保護できる場なので、真の愛の論理を中心に神様の愛の相対として永遠不滅、永生するというのです。(211-289,1990.12.30)
神様と私が直接関係を結ぶことができる立場にいるならば、それがどれほど貴いでしょうか。「道」の目的は、自分の家庭を完成し、そこで無限の愛を感じて無限の幸福を享受しようというところにあります。(33-68,1970.8.8)
家庭とは何ですか。理想の国と理想の世界を愛で占領できる訓練場です。さらには、天国と神様までも占領できる訓練場です。(106-25,1979.11.4)
愛することができない人は、あの世に行って窒息します。呼吸が合わないのです。地上生活は、その世界に入って呼吸できるように訓練させる訓練場です。ですから、自分の家庭が教材です。おじいさんの年齢の人がいれば、自分のおじいさんよりもっと愛そうと考えなければならず、父母の年齢の人がいれば、外部の人でも、黒人でも白人でも、国家を越えてどこに行っても歓迎しなければなりません。若者がいれば、自分の息子、娘のように愛さなければならないのです。(121-294,1982.10.29)
天国とは何でしょうか。自分の家庭のように世界の人たちを愛することができるところが天国です。そのような人が天国の民です。おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、自分の妻や夫、兄弟、子女の4代とは何でしょうか。天国の民として愛を、宇宙の真の愛を体験するための教材としてあるのが家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だということを知らなければなりません。(129-96,1983.10.1)
神様の愛は、被造万物に現れます。父母の愛は、どこに現れるのでしょうか。子供に現れます。また、夫がいる所に妻の愛が現れます。子供を見て父母の愛を知ることができ、夫の服の端を見て妻の愛を知ることができるように、この世界に現れた事実を見て神様の愛を知ることができます。(20-18,1968.3.31)
神様の愛は、順序に従って人に現れます。まず父母の愛、次に夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛です。(20-33,1968.3.31)
愛さえあれば神様と友達のように付き合うこともでき、お父さんのように付き合うこともできます。(67-171,1973.6.3)
人生の航路は旅人の道ですが、私たちは、縦横の愛を体恤していかなければなりません。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を成したのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を置かなければなりません。それで彼らが縦横に連結できる真の家庭の形態を成して、氏族圏、国家圏、世界圏、神様に連結される時、真の愛で連結されたその世界を天国だと言うのです。(298-306,1999.1.17)
救いの門を開くのは、神様の愛です。私たちは、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継がなければなりません。そうしなければ、救うことができないという事実を知らなければなりません。(275-55,1995.10.31)
踏みにじったり壊してしまうのは、罪の中の罪です。怨讐の中でも一番ひどく憎い怨讐は、愛を破綻させる怨讐です。一家庭を中心として子供が父母を愛せなくしてしまい、夫婦同士愛せなくし、壊してしまう悪魔以上の悪魔はいません。(82-200,1976.1.25)
人類の始祖が堕落することにより、1番目は兄弟の愛を、2番目は夫婦の愛を、3番目は子女の愛を失ってしまいました。私たちは、これを再現させて愛さなければ、天国に入っていけません。(82-201,1976.1.25)
神様の真の愛と一つになって生活して入っていく所、神様の真の愛の血族を準備して共に入っていく所が天国です。この真の愛を占領できなければ、永遠に天国に入ることができません。その日のために、数千万年を待って準備しなければならないことを知るべきです。
神様は、真の愛の本体としていらっしゃり、真の愛と連結されれば、すべてが同じ体になります。父母は神様の代わりとしての生きた神様で、夫と妻は互いに片側の神様で、息子、娘はまた一つの小さな神様です。
このように、3代が真の愛を中心として成す家庭組織が天国の基盤です。このような基盤をつくらなければ、天国は成されません。
家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事に通過です。このような場合、神様は全体宇宙の父母として、愛の複合的な中心位置にいらっしゃいます。(298-306,1999.1.17)
神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべて入っています。このような消化された位置から父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛せば、誰でも天国生活をするのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-942)
天国生活は、どこから始まるのでしょうか。家庭です。違う所から起こるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけで、家庭圏を離れたものではありません。
そのために自分の妻や夫を懐に抱く時、これは世界の男性と女性が一つになるのだと考えなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる位置が、すなわち家庭です。(30-82,1970.3.17)
皆さんの血族を大切にしなければなりません。お父さん、お母さんを大切にしなければならなりません。おじいさん、おばあさんは、天国の王権を代表した、うちの主人です。
しかし今は、年を取ったと疎まれる者になったでしょう? そのようにしておいて、何が世代の差ですか。これは誰がつくりましたか。サタンがつくっておいたのです。
世代差がどこにありますか。愛に世代差がありますか。千年前の愛する方法が、千年後の愛する方法と違いますか。方法も同じで、そのようにするのも同じです。内容が変わったのです。堕落しなければ、愛の内容は公式になるので、億万年が過ぎても変わらないのです。
千万回の天地開闢があったとしても、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、息子、娘の三代が一つになり、鉄城(注:堅固に取り囲んだもののたとえ)のようにくるくる巻き固め、そこに神様を核として迎えれば、どこでも天国を実現できる一つの種になるのです。
これは、神様の愛の種です。生命の種として、血統の根本だと言えるのです。これを探し出さなければなりません。そうしなければ地上天国、平和の天国、幸福と自由の世界という、すべての願いはありえません。(225-300,1992.1.26)
天国とは何でしょうか。「極楽あるいは天国に行く」と言っても、自分一人で行く所ではありません。自分の父母と兄弟すべてが、共に行かなければならない所が天国です。(15-278,1965.10.30)
(2021.11.06:写経奉献)