天聖経(27) 第4巻「真の家庭」 第10章 復帰すべき人類の真の家庭

第10章 復帰すべき人類の真の家庭

1)神様の救援摂理の目的

2)サタンの所有物になったアダム家庭

3)堕落人間の願い

4)復帰の最終目標はアダム家庭を復帰すること

5)イエス様が立てるべき復帰の家庭

6)再臨主を中心とした復帰の家庭

7)統一教会は本然の真の家庭を探すためにある

8)真の家庭主義と真の父母宗教

 

 

1)神様の救援摂理の目的

 

神様にとって最も必要なものとは何かが問題です。神様を何と言いますか。神様は、真の愛の王であり主人です。もしも、真の愛の王であり新郎であられる方が神様ならば、相対者になる王妃が必要だということが絶対的原理なのです。
それでは、神様という絶対的なお方の前に、真の愛の相対になり得る方は誰なのかと尋ねてみると、それは真の人間でした。それが神様の愛と一体になるアダムとエバだったのです。
皆さんは、お金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいなければすべて無駄なことです。夫は妻が必要であり、子女が必要です。妻は夫が必要であり、子女が必要なのです。そのような愛の対象が暮らす場所が家庭という所です。
良心の欲望をいっぱいに満たし得る愛のおう主体である神様に侍り、その神様の愛の相対である男性と女性が一つになり、その愛の中で息子、娘をもち、幸せに暮らせるその家庭が、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発基地にならなければならないのです。
私たち人間も、愛する相対が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れるのを願うのと同じように、神様も自分の愛する相対が無限の価値ある存在になることを願われるのです。そのような人が真の人間なのです。
皆さん! そのような男性と女性が、正に堕落しないで完成しなければならないアダムとエバだったという事実を知りませんでした。(270-238,1995.6.7)

 

神様は、堕落によってアダム家庭の真の母と息子、娘をすべて失ってしまいました。神様が所有できる真の息子、娘がいなかったのです。神様の真の愛を中心として、血統的な因縁をもてる神様の家庭がなかったというのです。
堕落した父母によって、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結んでしまったので、私たちの心と体の闘いが起こりました。アダムとエバが怨讐になったのです。アダムの息子、娘の間に殺戮戦が起こりました。
ですから、このようになったことを復帰するための神様の救援摂理は復帰摂理なので、失った真の心と体が一つになった息子、娘として、絶対的に一つになる夫婦、息子、娘が神様の真の愛を中心として絶対的に、完全に一つになり、神様と永遠に共に暮らせる真の家庭を築き、新婦宗教格であるキリスト教と連結させ、神様と結縁関係を結ぶことによって、神様の真の愛によって統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再び編成しなければならないというのが神様の救援摂理の完成なのです。(270-243,1995.6.7)

 

神様が宗教を立てられた目的は何でしょうか。「神様が最も愛する息子、娘、神様の骨と肉を一つにすることができる、そのような愛する息子、娘を中心とした、愛する家庭、氏族、民族、国家を形成することが、神様のみ旨だ」と言わざるを得ないことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。次に、メシヤはどのような方なのかを、皆さんは知らなければなりません。
永遠な神様の真の愛を根として初めて地上に来られ、すべての宗教が願う理想を完成する方が再臨のメシヤだということを私たちは知らなければなりません。そのようにして真の父母になり、失ってしまった真の愛を中心として、真の生命と真の血統による理想家庭を、すべての地上に立てようとするのが神様の救援摂理の目的でした。(270-242,1995.6.7)

 

2)サタンの所有物になったアダム家庭

 

アダムとエバが堕落することにより、神様は、彼らを真の人類の祖先として、人類の父母として、ご自身の息子、娘として対することができなくなってしまいました。アダムとエバは、神様の前にかけがえのない息子、娘であったにもかかわらず、神様が息子、娘として対し得ない位置に立ってしまったのです。神様はまた、アダムとエバが成人したのちには、夫婦として祝福し、慰労の対象にしようとされました。
ところが彼らは、息子、娘として慰労の対象になることができないのはもちろん、新郎新婦としても慰労の対象になることができませんでした。
神様も、願われた所願が大きいので、彼らに無限なる価値を賦与されたのですが、彼らが堕落することによって、神様は、彼らから子女としての慰労の心情を感じられず、新郎新婦として、すなわち夫婦としての慰労の心情を感じることができなかったのです。
神様は、アダムとエバが未来における希望の祖先として、全人類の前にただ一人の王として、神様の前に忠孝の道理を立てる立場に立つことを願われたのです。
しかし、このような神様の前に、彼らは慰労の対象となることができなかったという事実を、皆さんは知らなければなりません。(20-80,1968.4.28)

 

堕落は、どこから始まったのですか。家庭で堕落したというのはどういうことですか。善悪の実を取って食べたのですか。家庭的に堕落するというのは愛以外にありません。善悪の実を取って食べて堕落しますか。善悪の実を取って食べて原罪が生じますか。
父親が善悪の実を取って食べた事が罪だというのですが、何千代、何万代の子孫が罪人になる善悪の実とは何でしょうか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝の法則によって永遠に続くのです。そのようなものは愛の問題だけです。過った愛が堕落の原因です。(23-167,1969.5.18)

 

不倫な淫行関係によって、エバは天使長と一つになり、アダムもまた、天使長と一つになったエバと一つになることによって、アダムとエバは、結局、神様を中心にしたのではなく、天使長を中心にした夫婦関係を結んで家庭を築くようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、サタンの血筋を受け継ぐようになったのです。
したがって、本来のアダムとエバの息子は、神様の長子、次子にならなければならなかったにもかかわらず、エバが不倫な情で天使長と関係を結んだために、神様の息子である長子と次子はサタンの所有物になってしまったのです。本来、創造理想の中で、愛は所有を決定するようになります。愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は、必ず互いの所有権をもつようになるのが原理です。
したがって、この原理的な基準から見るとき、エバが天使と不倫なる愛の因縁によって堕落するようになったので、エバの子孫として生まれる人間の所有権は、天使長であるサタンがもつようになったのであり、サタンはその所有権を堂々と主張できるようになったのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-325)

 

アダムとエバが堕落することにより、神様の創造理想は成就されず、むしろ堕落した父母になったことによって、原罪のある子女を繁殖するようになりました。
そして、堕落したアダムとエバの家庭を中心にして、氏族、民族、国家、世界へと発展してきたのが人類歴史なのです。
ですから、堕落以後、今日まで、神様の本然のみ旨を完成した立場に立った真の父母の理想が残されてきたのです。そして、真の父母を中心とした真の家庭と真の氏族、民族、国家、世界は、今でも理想として残っているのです。(祝福家庭と理想天国I-325)

 

3)堕落人間の願い

 

人間始祖アダムとエバは、堕落することにより、堕落の血統をつくってしまいました。
彼らは、神様が願う本然の理想世界、堕落していないその世界で神様と一体となり、神様の直系の血統を受けて息子、娘を生むべき真の父母の立場になることができず、サタンと因縁を結んで死んだ子女を生んだサタンの魁首になったのです。
ですから、今日人類は、すべて偽りの父母に出会ったのです。ゆえに、偽りの父母の血統を否定して真の父母に出会わなければなりません。(14-279,1965.1.3)

 

堕落人間の願いは、神様の息子に出会うことです。カインの息子として生まれた無念さをもって嘆息し、神様の真の息子を探し求めてさまよっています。私たちは、神様の息子を探し出さなければなりせん。しかし、個人的な神様の息子、家庭的な神様の息子を探し出そうとすれば、人類はどれほど苦労するでしょうか。そこで神様は、国家的基準の息子圏を代表したメシヤを送られたのです。
ですから、人間たちがこのメシヤを迎える日には、個人的な神様の息子、家庭、氏族、民族、国家的な神様の息子まで探し出すことができるのです。
このように、神様の国家的な息子まで探し出すことができるという喜ばしい知らせを伝えてあげるのがメシヤの降臨だということを、皆さんは知らなければならないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-480)

 

堕落の因縁をもって生まれた私たちは、サタンの讒訴条件を超越することができる、神様の息子に出会わなければならないのです。
神様の息子に出会ったのちは、父母に出会わなければなりません、皆さんは、堕落した父母はもちましたが、堕落していない真なる父母はもつことができませんでした。
それで、神様が愛し得る真なる父母を探し出さなければなりません。次に父母の家庭を探さなければなりません。父母の家庭を探し出したのちに神様の愛を探さなければならないのです。そして、神様の愛を探し出したのちには神様に出会うのです。
このように、堕落人間は、神様を中心として兄弟を探さなければならず、父を探さなければならず、母を探さなければならず、私の家、私の故郷を探さなければなりません。このような道を歩いていかなければならなかったのが、この地上の人類だったという事実を皆さんは知らなければなりません。
それで、神様の愛を受けることができる父母と、神様の愛を受けることができる息子、娘が、神様の愛を中心に互いに愛し合う家庭を築くようになれば、「家和萬事成」と言い得る環境において、愛の歌を歌いながら、自動的に栄えることができるというのです。そのようになれば、自動的に神様の愛を中心とした民族が形成されるのです。
ところが、アダムがそのような家庭を失ってしまったので、宗教を通じてそのような家庭の基準を探さなければならないのです。家庭を探し出さなければ、氏族や民族、国家、世界は探し出すことができないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-480)

 

人間の理想、願い、希望は何かというと、次のように結論づけることができるでしょう。第一に、神様を私の父として侍ることが最大の希望だというのです。
第二に、神様の愛を受ける息子、娘になることであり、第三に、神様が所有していらっしゃるものすべてを相続することです。それ以上に大きな人間の願いは、あり得ないのです。(祝福家庭と理想天国I-480)

 

4)復帰の最終目的はアダム家庭を復帰すること

 

復帰の目標は、アダム家庭復帰にあります。神様は、アダムとエバが堕落すると、すぐに救援摂理を始められました。しかし、カインがアベルを殺害し、アダム家庭を中心とした救援摂理は、ノア家庭に移されました。
神様は、ノア家庭を中心として、世界のすべての人々を洪水審判で滅亡させ、サタンの侵犯条件を越えた家庭を立て、地上摂理の基盤を構築しようとされました。それが、再びアブラハム、イサク、ヤコブを経てモーセの時代に移り、イエス様につながれて私たちの時代まで来たのです。ですから、復帰摂理の最終目的は、失ったアダム家庭を捜し立てることです。(祝福家庭と理想天国I-483)

 

今まで、神様は何を捜してこられたのでしょうか。主体を捜してこられたのではありません。理想的な対象を捜してこられたのです。神様を模範とし、神様が造られた世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。
このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭よりも宇宙を代表できるものはありません。(30-80)

 

歴史全体が何で帰結されるのかといえば、物質と子女と父母、言い換えれば、家庭の基準に帰結されるのです。
これが宇宙の根本です。父母がいなくては子女が生まれることができません。父母から生まれた子女が、父母を中心として万物を主管しなければなりません。アダムとエバも万物を主管しなければなりません。これが、すべて一度に適用されるのです。(35-276,1970.10.25)

 

結局、神様が6000年の間復帰摂理をされたのは、何を探し出すためだったのでしょうか。一つの国を探し出す前に、あるいは民族と教会を探し出す前に、何を探し出さなければならないのでしょうか。家庭です。つまり、御自分の相対を探し出し、家庭を探し出すことでした。一つの国が形成されるためには、家庭がなくてはならないのです。ゆえに、全体の根本とは何かといえば、家庭です。(22-302,1969.5.4)

 

人類の祖先であるアダムの家庭が破壊されたので、これを復帰しなければなりません。イエス様は堕落しなかったアダムとして来られなければなりません。ですから、イエス様は第二のアダムとして来られた方です。
人類の最初の祖先であるアダムは堕落した祖先となったので、神様は、本然のみ旨を立てるために、堕落していない真の祖先としてイエス様を送られたのです。そのような真の祖先を中心に、アダム家庭を捜し出さなければなりません。(20-334,1968.7.14)

 

聖書を見れば、人類始祖が堕落したとなっています。それでは、その始祖が堕落する時、一人だけで堕落しましたか、二人とも堕落しましたか。二人とも堕落しました。それが問題です。堕落したとしても、一人だけで堕落したというなら問題は簡単です。一人だけで堕落したとすれば、神様は創造の神様でいらっしゃるので、もう一度造ることができるのです。(23-33,1969.5.11)

 

なぜ家庭から出発するのですか。すべての事件が家庭から広がったからです。つまり、アダムとエバの家庭から始まったのです。神様を失ったのも、天使世界を追放したのも、万物世界を失い、人間の価値を失い、人間の愛を失ったのも、すべてアダム家庭で男性と女性が過って出会ったからです。(100-275,1978.10.22)

 

今日まで、宗教団体、特にキリスト教が目標とし信仰してきた個人の救いは、完成ではなく、第1段階の始まりにすぎない原初的な救いなのです。
救いの目標は、家庭の救いを単位とするのですが、その家庭の救いの基盤というのは、世界を指導でき、世界の救いまで責任を負うことのできる家庭のことをいうのです。そのような心情圏が確立された家庭を築くことが、信仰生活の最高の理想にならなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-484)

 

5)イエス様が立てるべき復帰の家庭

 

イエス様は、何をしに来られたのでしょうか。家庭を探しに来られました。救いの歴史は復帰歴史です。病気になれば治さなければなりません。イエス様は、堕落した人間を救うために来られました。
それでは、救いとは何でしょうか。家庭を失ったので、それをもう一度探し出すことです。もう一度探し出そうとすれば、どのようにすべきでしょうか。失った本来の場所に帰らなければ探し出すことはできません。それでは、どうして人間が家庭を探し出さなければならないのでしょうか。イエス様は、どうして家庭を探しにこなければならないのでしょうか。それは、本来の家庭を失ってしまったからです。病気になったので、病気を治さなければなりません。つまり、堕落したので復帰しなければならないのです。(23-18,1969.5.11)

 

神様は、原理原則に従って運行する方でいらっしゃるということを知らなければなりません。アダムを失ったために、サタン世界からもう一度探してこなければなりません。
アダムが誤って夫の役割を遂行できなかったために、アダムはエバを支配し、治め得る位置にいたにもかかわらず、エバをサタン世界に奪われました。それで、サタン世界からもう一度探してこなければならないのです。ですから、エバを再び探してこようとすれば、闘わなくてよいでしょうか。
国の基盤から教会の基盤、氏族の基盤、家庭の基盤を神様は準備されました。そのようにしてヨセフ家庭を立てられ、ザカリヤ家庭を立てられました。
ですから、ヨセフ家庭のイエス様と、ザカリヤ家庭の洗礼ヨハネが一つになったならば、短い期間で神様のみ旨が成されたはずです。
洗礼ヨハネがイエス様を信じたならば、どのようになったのでしょうか。また、洗礼ヨハネの妹をイエス様が新婦に迎えていたならば、どのようになっていたでしょうか。み旨は成就できたはずです。このように言えば、キリスト教徒たちは、すぐさま反対するでしょう? 大変なことになったと大騒ぎするでしょう。しかし、いくら反対してみても仕方ありません。皆さんは今、反対していますが、霊界に行ってみれば、レバレンド・ムーンがうそを言っていなかったことが分かるはずです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-490)

 

元来、アダムとエバが、実体の父母として一体となり、神様の創造理想である家庭の完成、すなわち愛の家庭理想を完成しなければなりませんでした。ところが、これができなかったので、それを完成させるために、イエス様が来られなければならなかったのです。
そして、イエス様が来られ、新郎の位置で新婦を迎えなければならなかったのです。そして、神様の愛と一つとなり、エデンの園で堕落せず完成できた本然のアダムの位置を復帰し、その愛で結ばれれば、誰も二度と堕落させることはできないのです。(祝福家庭と理想天国Ⅰ-489)

 

神様のみ旨とは何かといえば、男性完成の基準と女性完成の基準を立てておき、アダムとエバが神様の愛を中心として神様の家庭を築くことでした。ところが、神様の家庭は築かれましたか。神様の家庭は築かれませんでした。イエス様は、このような神様のみ旨を知っていらっしゃり、また信じていらっしゃいました。
しかし、ユダヤ民族の不信によって、イエス様のためのイスラエル民族の4000年歴史の基盤とユダヤ教が崩れ、イエス様は十字架で惨めに亡くなられました。このような胸の詰まるイエス様の事情を、今まで誰が知っていましたか。誰も知りませんでした。今日、この文という人が、このような話をしてあげるので皆さんが知るようになったのです。これが事実ならば、イエス様がどれほど喜んでいらっしゃるでしょうか。
新郎になられたイエス様が、新婦になられる真の母を探し立てなければ、神様の家庭完成は不可能です。イエス様の家庭が築かれない限り、神様のみ旨は永遠に成されないのです。
神様を中心とした家庭を復帰できなければ、国も探し出せず、世界も探し出せないので、イエス様も、この地に来て神様が愛する家庭を築こうとされました。
ですから、一人の新郎として、新婦を探し出さなければなりません。一人の男性を中心として、真の父母も現れ、真の夫婦も現れ、真の兄弟も現れることができるので、これを決定的に成すと預言したのが、「小羊の婚宴」の時に新郎新婦を迎えようということです。(祝福家庭と理想天国I-487)

 

6)再臨主を中心とした復帰の家庭

 

復帰の家庭とはどのような家庭でしょうか。歴史的な願いの実体です。神様は、今まで6000年の間、この一つの家庭を探し出すために摂理されました。この歴史的な願いの実体は、どこで築かれなければならないでしょうか。とりもなおさず、この現世の、現実社会で築かれなければなりません。未来に築かれてはなりません。
これが歴史的な願いの基準であり、現世万民の願いの基準です。人類の過去、現在、未来の願いの基準です。人間として生まれ、行き来した数多くの聖人、賢哲たちも、この家庭を慕いました。(21-51,1968.9.1)

 

再び来られる主が、新婦を迎えることによって、初めて復帰の家庭という言葉が現れます。再び探し出さなければならない復帰の家庭、それは、人類が願う家庭です。6000年の歴史の中で、信じて現れた数多くの宗教指導者たちが、数多くの怨讐の執権者たちや為政者たちに犠牲にされながらも懇切に願ったのは、主が来られ、自分たちの恨みと怨讐に報いてもらうことでした。しかし、彼らの怨讐を討つにしても、主お一人ではできません。一人でできるのであれば、既にやっていたでしょう。ですから、天の家庭が現れなければなりません。
天の家庭が編成され、地上に新しい足場を築くのです。そして、心情のダイナマイトをもってサタン世界を爆破させられなければなりません。(21-25,1968.9.1)

 

復帰の家庭といいますが、その復帰された家庭の中心に誰がなるのでしょうか。神様がお探しになる真なる息子、娘によって築かれた一つの家庭が、神様の創造目的ですから、その家庭の中心は、神様の本当の息子、娘でなければなりません。それでは誰でしょうか。この宇宙を相続できる全権をもってこられるお方です。そのお方が再臨主です。その再臨主が来られて、家庭を築かなければならないのです。(21-46,1968.9.1)

 

今日、私たちの恨みは何でしょうか。アダムとエバがエデンの園で、真の父母として真の家庭を築いて歴史を出発できなかったことです。これは、人類の恨みである前に神様の恨みです。
神様が人間をお造りになった目的は、そのような家庭を立て、この地上に平和の王国を創建することでした。それにもかかわらず、その家庭が壊れることによって、神様は、6000年という長い歳月の間、恨みを抱かれ、復帰の歴史を繰り返してこられたのです。その過程で、数多くの恨みの峠を限りなく踏み越え、今までの歴史を築いてこられたことを皆さんは知らなければなりません。
そのような歴史に責任を負い、解決するために来られる方が再臨主です。
それでは、再臨主は何をしなければならないのでしょうか。家庭を築かなければなりません。家庭を築くのも、空中でではなく地上で築かなければなりません。そのようにしてこそ、そこから氏族が現れ、民族が現れ、国家が現れ、世界が現れるのです。(21-51,1968.9.1)

 

来られるイエス様は、必ず神様が願われる家庭を立てなければなりませんが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにせよ、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけないのです。
ですから、万民が共有できる神様の愛を中心とした、人類全体が願う最大の愛を中心とした、一つの真の家庭が出現しなければなりません。
そのような家庭が現れなければ、氏族を編成することができないのであり、そのような民族が現れなければ、国家や世界を築くことはできないのです。
ですから、神様が人類の前に提示された救いの摂理において、人間が対し得る最高の基準と、神様として願われる最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。(32-197,1970.7.15)

 

7)統一教会は本然の真の家庭を探すためにある

 

歴史時代のすべての宗教は、今まで何をしてきたのでしょうか。今まで、男性一人を探してきたのです。今までの宗教は、相対の因縁を許しませんでした。新しいものを許しませんでした。そのようにしていけば滅びるようになります。
しかし、一人の男性を探し求める歴史時代において、男性を見つけ出したと言える基準まで行くようになれば、そのあとは女性を探し出さなければなりません。ゆえに、統一教会は何をする所かといえば、家庭を探し出す教会です。(30-218,1970.3.23)

 

今までの宗教の目的は、個人を教うことでした。しかし統一教会は、個人の救いよりも家庭の救いを目的としているのです。救うのも家庭を救い、天国に行くのも自分一人では行かないというのです。
統一教会の救援観は、夫は天国に送って、妻は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国に行こうというのです。また、お母さん、お父さんを地獄に送るのではなく、お母さん、お父さんに侍り、また息子、娘も連れて天国に行こうというのです。
統一教会は、自分が愛する家庭、自分が愛する氏族まで、みんな連れて天国に行ける道理を教えてくれる宗教なので、他の宗教とは次元が違うのです。ですから、今までの宗教は、独身生活を強調しましたが、統一教会は、家庭を重要視するのです。家庭を中心として行くのです。その家庭は、世界のための家庭であり、神様のための家庭です。これが、統一教会の信徒達が行くべき道であり、今後、皆さんが生活していくべき道であることをはっきりと知らなければなりません。(34-358,1970.9.20)

 

法を超越し、制度を超越し、環境のすべての背景を超越し、自分も超越し、永遠に共にいたいと思う因縁を結ぼうというのが父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛なのです。これを無視した社会制度はあり得ないし、これを無視した国家は形成され得ないのです。ですから、統一教会は、個人の救いを願うのではなく、家庭の救いを願うのです。
統一教会は、個人の救いを目的とするのではなく、家庭の救いを成就しようというのです。統一教会はこの点が違います。(34-328,1970.9.20)

 

すべての人間たちが、最後にもつべき共通の目標であり、行くべき共通の関門とは何でしょうか。国でもなく世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主義世界がある前に、本然の家庭がなければなりません。また、民主主義世界がある前に、民主主義世界を創建できる、本然の家庭がなければなりません。
それでは、今までこれに対する秩序がどこにあり、これに対する教育がどこにあり、これに対する目的、基準がどこにあったでしょうか。このような決定的基準が、この地上に現れなかったというのです。これが現れる前には、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないのです。
ですから、私たちが願うのは、このような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すべき家庭がこの地球上に必ず現れ、人類歴史と共に、運命を共に出来る一時が来ることです。そのようにしてこそ、地上に対する神様の摂理が成就されるのであり、安息の福地、安息の巣が出発するというのです。(23-31,1969.5.11)

 

私たち統一食口の願いは何でしょうか。復帰の家庭になることです。私たちの願いもここにあり、万国の平和の起源もここにあり、天上天下の幸福の基点もここにあり、一つの摂理の基点もここにあります。天と地がひっくり返る天地開闢の基点もここにあり、すべての人生の価値の根源もここにあり、願いの出発もここにあります。すべてここです。それでは、復帰家庭の中心は誰でしょうか。真の祖先です。真の祖先は、真の父母です。(21-46,1968.9.1)

 

8)真の家庭主義と真の父母宗教

 

堕落した父母の因縁によって神様から離脱した伝統を受け、この世界がこのような姿になりました。ですから、真の父母が来られて、新しい主義を立てなければなりません。それは、どのような主義でしょうか。世界主義でしょうか。天宙主義でしょうか。真の家庭主義です。真の家庭主義が現れなければ、世界主義が現れることができません。この真の家庭主義の代表者は、神様の真の息子でなければなりません。彼は、神様の心情的なすべてのことを相続する内情的相続者であり、外形的相続者、そして、万物所有権の相続者にならなければなりません。
言い換えれば、神様の心を相続できるお方であり、体を相続できるお方であり、万物を相続できるお方でなければならないのです。そのような息子であってこそ、神様の代身者になることができるのです。その息子が来られてこそ、初めて天国が築かれるようになります。
真の家庭主義とは、どのような主義ですか。真の家庭主義とは、神様の愛の主義です。簡単でしょう? 愛がなければ、いくら世界一だと腹を出して歩いても、その人は不幸な人です。そうですか、そうではないですか。真の家庭主義は、父母が行けば、息子、娘は父母のあとを永遠についていく主義であり、また、兄さんが行けば、弟が永遠についていく主義であり、弟が行けば、兄さんが永遠についていき、兄さんの国があれば弟の国もついて行こうという主義なのです。(21-49,1968.9.1)

 

神様の愛の主義は、どのような主義でしょうか。国境を超越し、このすべての平面的な世界を超越し、互いに授け受けする場合において、互いがまず与えよう、受けることはあとにしようとする主義です。そのような主義の世界が、今後、来る理想世界です。理想世界は何か大きな権勢をもって「この野郎」と怒鳴りつける世界ではありません。理想世界というのは、自動的に心が動いて神様の愛に和することができる万民兄弟主義の世界です。
今後、そのような世界になるでしょう。これからは、家庭救世主の宗教が現れなければなりません。それが真の父母主義です。真の父母の宗教です。真の父母の宗教というのは、四位基台を成す真の父母の生活宗教です。そのようになれば、お父さん、お母さんがその家庭の息子、娘の救世主になるのです。
皆さんが、黙示録の一番後ろを見れば、復帰歴史が出ています。ですから、聖書は偉大だというのです。このような復帰の原則があったので、聖書の終章に復帰の内容を入れるようになったのです。
ヨハネの黙示録第22章17節を見ると、「御霊も花嫁も共に言った、『きたりませ』。また、聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」と記録されていますが、花嫁、御霊とは何か分かりますか。
花嫁は、主の妻になるのであり、御霊は霊的なものなので、ここから霊肉が合わさった母が現れなければならないのです。イエス様は、人類の父として男性なので、女性の中から母を探し出し、新しい世界へと救わなければなりません。これをキリスト教徒たちは知りません。教えてあげるといっても「嫌だ」と言い、かえって「異端だ」と言うのですから、ただあきれるばかりです。(21-49,1968.9.1)

 

天宙主義とは何でしょうか。家庭についていえば、私が住んでいる家庭に、金銀財宝が天下をぎっしり埋めて余るほどあるとしても、そこに酔って生きるのではなく、それを忘れていつでも神様の愛に酔って生きられるそのような家庭です。息子のものは父母のものであり、父母のものは神様のものとして、そっくりつなぐことができなければなりません。(35-280,1970.10.25)

 

天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は父母の主義です。これは、我が家主義であり、我が国主義であり、皆さん個人の主義です。(26-201,1969.10.25)

 

 

(2021.11.17:写経奉献)