天聖経(67) 第13巻「真の神様と祖国光復」 第4章 宗族的メシヤ活動をせよ

第4章 宗族的メシヤ活動をせよ
1)今は東西南北統一の時代
2)宗族的メシヤ宣布の意義
3)宗族的メシヤの責任を与えた理由
4)真なる心情を本郷の地に植えよう
5)この時代に私たちがやるべきこと
1)今は東西南北統一の時代
先生は、南北統一運動ができる基盤をつくるために、一生の間苦労してきました。これから皆さんは、既に造成された雰囲気の中でその運動ができるので、ずっと容易なのですから、勇気をもって一生懸命活動してほしいと思います。もし南北統一運動に反対する人がいるとすれば、その前に行ってデモをしてでも反対しないようにしなければなりません。(149-170,1986.11.21)
皆さんが韓国で楽に暮らしながら南北統一の目標が達成できるでしょうか。ここは一線です。世界の第一線なのです。ここは世界の焦点だということです。ですから、決意した分、私たちのみ旨を中心として様々な役事が起こると考えられるのです。完全に団結して韓国さえ動かすことができれば、霊界で役事するのではないでしょうか。何が起こるか分からないのです。(165-215,1987.5.27)
お金がなくてもしなければなりません。自分の家も売るのです。そうしてこそ、天が行く道を守り、責任をもってくれるのです。問題はそこにあるのです。お金に従ってはならないし、体制に従ってはなりません。天の喜ばないお金は毒薬です。滅びるのです。精誠が必要です。これからは教会で泣いた以上に、泣きながら歩くべきです。それは簡単なことです。教会で精誠を尽くした以上に、南北統一運動のために泣きながら歩きなさいということです。(166-183,1987.6.5)
いかにして統一された体制をつくるかという問題を考えるときに、思想的な面において、民主体制と共産体制を越え、それらを消化することのできるもう一つの統一的な思想がなければならないのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルとなります。韓国を中心とした国民連合の形態を持っているのが、世界の「東西南北統一連合」です。韓国が正に世界のモデルとなるのです。世界がそれに従ってくるならば、すべてが統一的世界体制になっていくのです。(173-67,1988.1.3)
今後の問題は、世界を動かすことです。そのためにはまず、理念の徹底化、二つ目は組織の強化、三つ目は協同活動によって一致することです。それゆえ私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。少し発展すれば組織化しなければなりません。(15-94,1965.9.30)
「南北統一運動国民連合」は、南北統一運動のための、統一のための運動機関です。そこでは、国民が連合して南北統一運動をするのです。そこでは、6000万を動員しなければなりません。6000民族が一つにならなければなりません。60万を代表として団結させ、新しいエデンに向かって600万、6000万の団結した旗手が生じるならば、世界は完全に地上天国の基地へと直行することでしょう。(163-24,1987.4.18)
統一教会には教会もあり、勝共連合もあり、教学統連(注:全国大学教授学生南北統一運動連合)もあるし、「南北統一運動国民連合」もあります。これらは何をしようというものでしょうか。南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放とともに、神様を解放しようというものです。何を中心としてするのでしょうか。真の愛を中心としてするのです。それを知らなければなりません。(166-155,1987.6.5)
南北統一運動は、神様の伝統的思想を中心として南北を統一しようというものです。そうして、すべての国民が新しい建国思想をもち、天国を建設しようというものなのです。(163-165,1987.5.1)
問題はこれです。歴史の勝敗圏を分ける最後の激戦場の勇士として闘うに当たり、今後迫ってくる激戦、戦争の前に、どれだけ強く雄々しくあるか、どれだけ克服していくか、生死の交差路においても、第2の決意ができる希望ある勇士となれるかということが問題なのです。死の道においても、再び生きて闘える希望があり、それがかなわなければ再び生き返って闘おうという思想があるならば、共産主義を吸収することができるのです。(61-35,1972.8.20)
いまだに統一教会を知らない人がいますね。それは責任を果たせなかったということです。楽に休み、遊んでいる人はいても、この民族に責任をもつ責任者がいなかったのです。骨が砕けても、この山河、あの町の谷間、すべてが私の血の汗のにじんだ精誠の手を待っているのですから、行かなければなりません。自分にそれができないならば、鐘に綱を結びつけて引っ張り、四方にガランガランと鐘の音を鳴らしてでも、一つ所に動いていける統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ、いくら韓国と北朝鮮が会談をしたとしても、統一法案を模索する道はありません。私たちが主体的な立場で、そのような道を切り開かなければなりません。(61-237,1972.8.31)
今は、どんな時でしょうか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、夜を明かしてでも、ありったけの力を出し、エジプトの地に住んでいるイスラエル民族に、何日、何時にその家を出なければならないと通報をしてあげなければなりません。知っていながらも知らせてあげない人は、永遠の罰を受けることになります。そのようにカナンの福地に向かって出発する時代になったので、私たちは3000万民族全体の前に、彼らが行くにしても、行かないにしても、知らせてあげる責任があるのです。ですから今まで全国的な活動を展開してきたのですが、いまだに統一教会を知らない人がいるというのではいけないのです。(61-237,1972.8.31)
呻吟の声の高まる、息の詰まるような世界的な最後の交差点に向かって行く混乱した渦中で、自分の主体性をいかにしてもっていくかという問題が、今後の韓国において宗教人が解決すべき問題であり、多くの僑胞が解決すべき問題であり、大韓民国全体が解決すべき問題ではないでしょうか。これもよいし、あれもよい、というのではなりません。主体と対象を確実に分け、天を主体とし、人間を対象として完全に分け、立つべき位置に立ち、いるべき所にいなければならないということです。それゆえ、息の詰まるような時代の交差点に向かって私たちは、今、前進しているのであり、今がその瞬間なのです。(65-152,1972.11.5)
南北が一つとなるためには、北朝鮮を自分の兄弟以上に愛するという愛をもち、養ってあげられる韓国の政権にならなければなりません。今、全羅道と慶尚道が互いに、「自分がやってやろう」と闘っているのですが、そんなことで南北統一をしようというのでしょうか。とんでもありません。すべてが滅びます。このような話は、耳が痛いかもしれません。耳が痛い話だとしても、私は正しいことだから話しているのです。(168-230,1987.9.20)
天運に従っていかなければなりません。個人的運勢、国家的運勢も、アジアの運勢を捨てたならば、大韓民国はここで失脚するのです。天運に従い、アジアの運勢に足並みをそろえられる大韓民国にならなければなりません。大韓民国は、天運に従ってこそ天運の保護を受けるのであり、そうでなければ滅びるのです。その道をいくら知っているといっても、文先生に学ばなければならないという結論まで出したのです。今日も同じです。(168-230,1987.9.20)
南北が統一されれば、統一された大韓民国は、堂々と世界の先頭に立ち、世界のために犠牲になれる、伝統的思想を残す国家とならなければなりません。そうなれば、この大韓民国がなくなり、主権がなくなったとしても、この民族の思想は、今後20世紀を越え、30世紀以降いつまでも残り、必ずや世界を指導できる民族として残ることでしょう。皆さんは、それを知らなければなりません。(56-273,1972.5.18)
南北統一が武力によってなされると思いますか。とんでもありません。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません。のみならず、東西問題や南北問題も、この神様の愛で完全に解決することができます。
このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこで国家の理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人まで連結し得る理想世界の平和的な無限景(注:この上もなく素晴らしい景色)となることにより、この地上にはユートピアが建設されるに違いありません。(143-285,1986.3.20)
この時代においての願いは、南北統一です。北朝鮮と韓国を統一して、神様が安息できる基台を、皆さんの家庭と、私たち民族と世界に築くことを天は願っているということです。それでは、何をもって神様にお仕えするのでしょうか。他の何物でもありません。自分の母親、父親を愛する以上の、夫、妻を愛する以上の、子を愛する以上の愛を中心として、その環境をつくり、祭物的な祭壇を築こうというところから、初めて理想的南北統一というものが出てくるのであり、理想的東西文化の統合がなされるのであり、地獄と天国の解放圏ができるのです。愛をもってしなければ解くことはできません。愛のキーが必要なのです。(170-103,1987.11.8)
韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的に成されるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです。(142-318,1986.3.14)
我が国の政治を執り行う指導者たちは、国を愛しているでしょうか。国がどうなっているのかも知らずに、このごろも民政党とか新民党は、自分が大統領になるといって闘っていますが、やってみなさいというのです。本当に国民と共に生きようという心が彼らにないならば、すべては流れていくのです。行くら立派だといっても、水の泡のように流れていってしまうのです。国民を愛することのできない指導者ならば、国民から、そしてのちには歴史からの審判を免れることはできないはずです。(148-275,1986.10.11)
分かれた南と北は、そのままでは一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ずに、時間を超越し、困難な環境を克服し得る心の決意と実践が必要なのです。真に共に生きたい。死ぬにも共に死に、生きるにも共に生きたい。私達の先祖、霊界の霊人たちとも共に生きたい。そのような皆さんとなることにより、今、南北統一をここから始めるのです。(148-277,1986.10.11)
北朝鮮があのように困難に処しているのは、北朝鮮が閉鎖社会となっているからなのですが、その事情を知れば知るほど、その治下にいる人々がどれほど悲惨か知れません。共産主義が怨讐なのであって、人々が怨讐なのではありません。北朝鮮を眺めながら、かわいそうな暮らしをしている同胞のために、涙を流し、「あなた方の困難と共に私は生きている。解放の1日を準備して皆さんの前に現れよう」と誓い、統一のための実践運動がここから繰り広げられたならば、北朝鮮に行く日は遠くないのです。(148-268,1986.10.11)
統一をどこからするかが問題です。南北統一は、どこから、何をすべきなのでしょうか。こぶしや力によってでしょうか。力によって屈服させたとすれば、のちに向こうの力のほうが大きくなったときに、再び闘いが起こります。そのような方式では統一することはできません。(148-268,1986.10.11)
たとえ以南(韓国)の地で生きているとしても、以北(北朝鮮)に住む人々と本当に共に生きたいという心、一つとならなければという心があってこそ、統一の道が開かれるのです。(148-266,1986.10.11)
「共に生きたい」というその内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越することができません。それは一時のものです。知識でしょうか。知識の世界は発展するものです。皆さん、知識の世界で学問とともに、永遠に共に生きたいという気持ちはありますか。私たちが共に生き得るものは、知識でもなく、金銭でもないということは確かです。このように考えるならば、上や下や前後左右を問わず、過去、現在、未来の時間性を超越した場で、共通的に認め得る一つの分母とは何でしょうか。それはすなわち、愛なのです。(148-260,1986.10.11)
人間がいかに生きるか、あるいは、私たちの人生航路をいかに行くべきかを念頭において考えるとき、その骨子を要約すれば、孝子の行く道、忠臣の行く道、聖人の行く道、聖子の行く道の根本があるのです。すなわち、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越して、生涯を越えて共に生きたいという切なる思いをもった生涯ではないか、という結論が出てくるのです。(148-258,1986.10.11)
38線を中心として南北に分かれているこの国において、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。問題の解決をいかにすべきか、ということが問題です。それは北韓の人々よりも苦労し、南韓の人々よりも苦労することです。苦労の中で立てられた超民族的な愛国心をいかにしてもっていくか、それが韓国を生かす近道であり、解決方案です。
悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。悪なる世界の忠臣以上の忠臣が現れなければなりません。今まで善を志向してきながらも、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張し得る人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのではないでしょうか。そのように考えるのです。(61-125,1972.8.13)
今、南北の間で行き違いがあります。方向を異にする立場で、一方は南に、一方は北に行こうとするという二つの別れ道があるので、その目的は異なるのです。いかにすれば統一されるかという問題を考えると、深刻なのです。その主体的な使命を誰が果たすべきなのでしょうか。韓国がすると言えば、北朝鮮が反対するでしょうし、北朝鮮がすると言えば、韓国が反対することでしょう。自分自体にこだわる立場では、再び決裂することでしょう。これをいかにするかが問題です。問題は、南韓の誰よりも北朝鮮をより愛する韓国人が現れなければならないということです。北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に、北朝鮮を愛する韓国人が現れればよいのです。それ以外には模索方案、解決方案はありません。韓国の誰よりも国を愛する人、北朝鮮の誰よりも国を愛する人、そのようにして一つの道を行く人がいるとするならば、そこから統一方案が出てくるのです。そのほかに道はあるでしょうか。それ以外に、道はないのではないでしょうか。(61-125,1972.8.13)
今、南北統一を願っているのですが、南北統一するための方案は何でしょうか。次元の高い統一の内容を提示せずしては、統一されることはありません。以北(北朝鮮)から以南(韓国)に来て、また、以南から以北に行き、互いに、「私の言うようにしよう」というのではいけません。互いに損害を受ける立場では、統一はされないのです。互いにプラスとなるところにおいて可能なのです。そうではないでしょうか。男女が結婚して互いにマイナスとなる立場では、一つとなる法はありません。それゆえ、互いに利益となることを求めなければならないのです。(61-73,1972.8.27)
韓国が北朝鮮を武力で打って屈服させるのではありません。私たちは、彼らよりも強い思想の基盤をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に、私たちも我が国を愛さなければならないのであり、彼らが共産主義を愛する以上に、私たちも天を愛することができる思想的な強い力をもち、人格的な面において彼らを自然屈服させることのできる実力者とならなければなりません。そうでなければ、北朝鮮を吸収することはできないのです。生活的に感服させて、人生観や生涯を通して感服させ得る、人格的な基準を中心に現れた人格の価値を中心として考えるときに、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕する私たちとならなければなりません。
私たちが彼らに影響を与え得る環境をもたなければ、カイン国家を復帰することはできません。カイン国家を復帰できなければ、天国を中心とした世界的な国となり得る復帰の国家は、成立しないのです。(46-123,1971.8.13)
神様が、サタンを敵であり怨讐だと考えて、復讐しようという思想をもっていらっしゃるとするならば、絶対に勝利の頂上を占めることはできません。そのような観点から神様は、「怨讐を愛せよ、怨讐を愛せよ」と、愛の作戦をとってこられました。イエス様のみ言の結論も、「怨讐を愛せよ」というものです。(神様の摂理から見た南北統一-595)
世界的に迫害を受けたとしても、世界的な怨讐圏に立ったとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。この一筋に神様もかかっており、神様の子女になろうというあらゆる宗教界のすべての人がかかっているのです。「怨讐を愛せよ」というみ言は、偉大な真理です。内容は簡単ですが、これが神様とサタンの闘いの勝敗を分かつ境界線となってきたことを誰も知りませんでした。(神様の摂理から見た南北統一-595)
私達の願い、私達の願いは何でしょうか。統一です。統一教会を中心とした統一ではありません。統一教会が祭物となって韓国と北朝鮮を統一する、その統一のことをいっているのです。(56-283,1972.5.18)
統一教会の行く道は、何をしようというものなのでしょうか。統一です。統一が核心です。(90-64,1976.1.2)
2)宗族的メシヤ宣布の意義
先生が「宗族的メシヤ」の宣布をしました。なぜそれをしなければならないか分かりますか。韓国が先生に反対したからです。それを蕩減復帰しなければならないでしょう。アメリカもみな反対したことも私が蕩減復帰してあげましたが、また私が蕩減復帰してあげるのです。そうしなければならないではありませんか。(188-59,1989.2.16)
どうして「宗族的メシヤ」を韓国と共に世界に宣布したのか分かりますか。これを韓国でさえやれば、世界の国家すべてが真の父母を中心として一つになるのです。霊界でどれほど総動員されたか考えてみなさい。この時だと、みな目に火をつけて解怨成就できる、数千、数万年の歴史を蕩減できる良い時が来たと、すべてが下りていくことを願っているのに、みな橋を切ってしまったらどうしますか。
今はもう、国家的次元、世界的次元です。ですからこれがすべて崩れたので、自分が立つ場がありません。立つ位置をつくるには、宗族的メシヤとして祝福家庭を配置して、イエス様の完成、自分の完成、アダムの完成、3大先祖の基準を立てることにより、この地上にいるすべての人間たちを抱くことのできる自由な環境に入るのです。
それゆえ「宗族的メシヤ」の宣布をするようになったのです。南北統一は適当にやってできるのではありません。これをつないでいってこそ可能です。それが家庭的基準と氏族的基準に連結されたので、国家的基準に連結されるでしょう。ですから統一教会と政府が内的に一つにならなければならないのです。(219-97,1991.8.25)
イエス様が失敗したのち、皆さんに宗族的メシヤを委任して、堕落したアダムと同じように、自分勝手に結婚した自分の親を今になって、「祝福」という神様の天恵により、堕落していない親の立場に立てるというのは、それはとてつもないことです。夢のような話です。そのようなことを完成するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
イエス様は、一人で「宗族的メシヤ」を宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤ、国家的メシヤになるために送られたのですが、先生は、全世界的に祝福を受けた2万5000名以上の祝福家庭達を宗族的メシヤとして発表しました。この威力というものがどんなものか考えてみてください。(228-173,1992.3.27)
韓国の統一教会と日本の統一教会は、カイン・アベルとして一つになりましたが、一つになった統一教会の女性たちがプラスとなり、統一教会の団体であ「る国際勝共連合」、「南北統一運動国民連合」など、全ての団体をはじめとして、統一教会に連結された団体のすべての女性たちをこれから捧げなければなりません。どこにもっていって捧げなければならないかというと、家庭に訪ねていくのです。どこからしなければなりませんか。家庭です。これを促進化するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
先生の代わりに男性たちが行ったので、女性たちがみな収拾し、女性の4人をしっかり収拾しておけば、男性たちはその国の宗族的な王になるのです。そうすれば、女性のお出ましを中心として、すべての男性までも収拾することができるのです。教育さえすれば、すべて終わるのです。(230-287,1992.5.8)
地で成されることが天でも成され、地における成就が天の勝利として刈り取れる時となり、真の父母のみ名と共にきょう挙行したすべての式典によって、霊界のイエス様を中心として統一的な霊界と、地上の真の父母を中心として統一的な(地上世界が)一つの世界になりました。二つの世界が一つの真の愛を中心とした家庭的な血縁関係を通して束ねられる、新たな世界拡張時代として、「宗族的メシヤ」を宣布しました。これを受け入れられる新婦と家庭、エバとカイン・アベル圏を中心とする真の家庭の基盤において、新郎の心情を接ぎ木することのできる、世界的なすべての終末的な清算期間をもたせてくださったのです。(246-136,1993.4.7)
宗族的メシヤが家庭的メシヤの橋を見失えば、重生する道がふさがってしまうのです。先生がこのようなことを知ったので、人類を解放するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。これは世界的な革命的事件です。特権的事件、特赦的な事件です。(265-134,1994.11.20)
3)宗族的メシヤの責任を与えた理由
「宗族的メシヤ」とは何でしょうか。真の愛の主人です。真の愛の主人、これはイエス様が願い、アダムとエバが願い、神様も願った所願でした。ですから、すべて真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうすれば、すべてが終わるのです。宗族的メシヤになりなさいというのは、宗族的な先祖になりなさいということです。(185-98,1989.1.3)
「宗族的メシヤ」とは何でしょうか。一言でいえば、父親、母親を王権の位置に上げて立てるための役事をすることであり、その次には、愛を中心として父母が初めて、私の生まれた本来の故郷である天国の故郷に行くことができるのです。そうでなければ、故郷はありません。これをしてあげなければ生まれた故郷がないのです。故郷のない所には、父母がいることができません。故郷が定められることにより、韓国で暮らしていたすべての人の故郷は、今後、天国の故郷の地に入り、収められるのです。それによって、地も人間の生まれたあらゆる所が天国に属し、堕落していない立場で生まれた父母の位置を代わりに受け継ぐようになるのです。(194-121,1989.10.17)
宗族的なメシヤは、1代において宗族(氏族)を中心として、故郷を案内する先鋒者であることを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなりません。盲目的であってはなりません。モーセは何も分かっていませんでしたが、私たちは具体的にすべて知っています。理論的にすべて知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。
しかし、カインを探し出さなければ故郷に入ることができない、ということは原理的な事実です。サタン世界に兄の宗族が残っているので、彼らが自分の宗族に来るように、兄を救ってあげなければなりません。そうしなければサタンになるので、仕方がないのです。兄を救ってあげてこそ、兄が囲いとなり、自分の故郷に帰って、自分の一族を救うことができるのです。そうしなければ、皆さんの母親、父親を伝道しておいても、サタンが再び連れていくのです。引いていかれるのです。そのようになる危険性があるので、神様はこのような摂理をせざるを得ないのです。自分の父親、母親、自分の一族、故郷をすべて伝道しても、再び引っ張っていくのです。(102-264,1979.1.14)
宗族的メシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出すことにより、王権の回復がなされるのです。そうなれば、すべて終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王権復帰するのです。それゆえ生まれたすべての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷をもつようになるということです。
天国の故郷をもつには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。(194-121,1989.10.17)
神様の息子になるためには、垂直の位置に行かなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下の感覚すべてを体得することにより、神様が見るときに、「見るまでもなく経験した」と言うことのできる位置に入ったとき、息子の位置に入るのです。本然の位置に行かせまいと、サタンが百方をふさいでいるのです。サタンが最も恐れることは、神様の愛に接することです。お金も恐れず、権力も恐れません。神様の前では権力は必要ありません。神様は全知全能なお方なので、知識は必要ありません。全知なるお方であり、知識の王様なのに、何の知識が必要でしょうか。(198-260,1990.2.4)
垂直の位置で、天にいる神様に代わって地上に降り、地上から横的な面で宗族的メシヤを送るというのが、今回の大仕事なのです。宗族的メシヤは、自分は死んだとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木されるようになるのです。それゆえ、今、先生は宗族的メシヤを送り、アベル的な門中の先祖となるようにしているのです。
その先祖は生命の種をもっているということです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と、両親は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかれば、どこへ行っても通じます。(198-267,1990.2.4)
宗族的メシヤは、ユダヤ教、キリスト教、統一教会を中心として、伝統的すべての失敗を圧縮し、勝利的権限をもって仏教、儒教などのすべての宗教が受けることを望むすべての恵みを総合した位置で、決定的核として伝授したものです。それが宗族的メシヤです。皆さんが国家のことを心配する必要はありません。世界のことも心配する必要はありません。皆さんの一家のことを心配すればよいのです。(198-270,1990.2.4)
自らの氏族を復帰するためには、宗族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったものです。宗族的メシヤの立場は、第2の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を与えられたという、とてつもない価値があるのです。これは、どんなものとも換えることができません。(217-125,1991.5.12)
なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母というのは、第一のアダムの立場です。皆さんは、第二のアダムの立場にいます。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。2番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たすことにより、自分の故郷を持つことができるようになるのです。結局のところ、宗族的メシヤの責任分担を果たすべき理由は、アダム家庭の完成のためなのです。具体的には、宗族を教育しなければならないということです。(217-125,1991.5.12)
これからは、皆さんの根を整備しなければなりません。根が堕落することにより、父母が駄目になりました。長子が駄目になりました。それゆえ、真の父母を中心とし、真の息子、娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、逆に回して越えなければなりません。そのままでは接線できないのです。180度反対にしてつけてこそ、出発できるのです。ですから皆さんは、故郷に帰って先祖を変えるべき運命が残っているということを知らなければなりません。(178-99,1988.6.1)
皆さんを宗族的メシヤとして送ったのは、どういう事でしょうか。昔はイエス様が、霊界からこの地上に縦的な過程を通して送りましたが、今日文総裁は、天を代表した神様の立場で、宗族を代表するメシヤ型の数万家庭を世界に送ったのです。これからは滅ぶことがありません。1989年1月3日、午後2時30分に「宗族的メシヤ」を宣布したのです。(185-238,1989.1.8)
統一教会という教団は、宗族です。私の血が共に動くのです。私が涙すれば、涙しなければならず、私が喜べば、喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を越え、文化背景の異なるすべての国家基準を越え、壁を取り払って一つとなった、新たな天国創建のための民族です。この民族が聖なるものとなるとき、天国の創国が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされるのであり、その世界の上に、天宙的な地上の天国と天上天国が連結するのです。(168-136,1987.9.13)
私が皆さんを祝福してあげました。「祝福」というのは、イエス様に優る立場を意味します。祝福を受けた皆さんを、サタンが讒訴することはできません。男性も女性も、みな讒訴することはできません。なぜでしょうか。真の父母を中心として血統がつながっているからです。
それを見ればサタンも、個人、家庭、民族、国家、世界のいかなる次元においても讒訴出来ません。それが神様の最終的な観点です。絶対に讒訴することができないのです。それが解放の境地です。ですから今回、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。(189-147,1989.4.1)
「宗族的メシヤになれ」と宣布したのは、どういうことでしょうか。皆さんが私の代わりに責任を負ってするならば、天が後援するということです。過去に統一教会が困難の中にあった時代に、後援して開拓したその役事を、霊界では今もなお、間違いなくしているということです。そのときは、反対される中でも、統一教会を宗族的な復帰時代に発展させた天です。今は反対されないのですから、どれほど発展するでしょうか。(185-240,1989.1.8)
堕落したアダムとエバが失敗したものを、皆さんが再び復活させて、復帰された家庭の資格を天国の天権をもって是認、公布するのです。それが「宗族的メシヤ」宣布の目的です。(193-308,1989.10.8)
故郷、私も今、故郷に帰りたい思いです。ここ、ソウルにいたくはありません。このように従う外国の統一教会員が故郷へ行ってすべて還故郷活動するようになり、その余波が北朝鮮を凌駕するようになれば、先生の故郷は自然と浮上してくるのです。闘うことなく、そのまま通じるのです。水が、潮が先生の故郷を満たしてしまって通じるのです。それゆえ、金日成の徒党以上の精誠を尽くし、心情的な故郷、カナンの地を編成するのが統一家の使命だということです。ですから今日、宗族的なメシヤになりなさいというのです。(187-193,1989.2.5)
今、先生が皆さんにメシヤという名をあげました。宗族的メシヤ! では皆さんは、どうしなければならないでしょうか。メシヤとして何をすべきでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとなるための、すべてのことを準備しておきました。山のような大きな宝物を、皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝石の山のようなこれらすべての相続を受けるのです。水道管のようなものがつながっていて水が流れていくように、皆さんに相続されるのです。(189-247,1989.4.9)
宗族的メシヤが安物だとでも思いますか。賢明な先生が、メシヤの使命を果たすために一生をかけても至らずに、恥ずかしく思うのです。皆さんの前に「宗族的メシヤ」という言葉は、驚くべきことです。イエス様よりも貴い価値ある位置に立つことができるのです。それだけでなく、統一教会に反対して、ありとあらゆる悪態をついていた人までをも、堕落していないアダムの位置に引き上げてあげるのです。そのような話がいったいどこにあるでしょうか。話をしている文という人は、真の父母の位置にいるので、今まで話したことはすべて成し遂げてきました。成されなかったことはありません。(219-150,1991.8.29)
皆さんは「宗族的メシヤ」、「氏族の救世主」という名前をもったのです。ヤコブ家庭において、メシヤが来ることをどんなに待ったでしょうか。何千年も待ちました。何千年も待って迎えなければならないものを、皆さんの宗族の前にメシヤとして任命して送ったのですから、そのメシヤの種としてどんなに貴いものでしょうか。(197-207,1990.1.14)
ここに来た皆さんは、金氏ならば金氏家門のメシヤの使命を果たさなければなりません。金氏家門であれば金氏家門、朴氏家門であれば朴氏家門において、天国を創建するに当たり、その宗族を代表して、「私がメシヤだ」と考えなさいというのです。救い主だと考えるべきです。金氏家門を救ってあげる救世主だと考えなければなりません。そのためには、金氏家門の全体を代表して、祭司長的な責任を果たさなければなりません。(155-265,1965.10.31)
今後、最後に残った終着地は何でしょうか。解決方法は何かということです。すべての壁を取り除き、処方するのですが、そのような恵沢を受けるにはどうすべきなのでしょうか。宗族的メシヤにならなければなりません。これさえ終われば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、宗族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的・世界的讒訴条件を提示するその何ものもなくなるということです。(189-110,1989.3.19)
皆さんが外地に出て修練し、み旨を中心として懸命に活動した新しい習慣性をもって、その町全体を変革させなければなりません。従って行くのではいけません。神様が何もない中から自己の全体を投入して愛の対象圏をつくったように、皆さん自体を投入しなければなりません。必ず一つにしなければなりません。
皆さんの故郷の人々の中で、誰よりも最高の位置につけば、霊界が協助するのです。実際にそうか、そうでないか、見ていて下さい。そしてビデオ・テープをたくさん作って伝道しなければなりません。(179-27,1988.6.15)
今日、皆さんは故郷へ帰り、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が植えられ、大韓民国はもちろんのこと、天地が訪ねていける、神様がいつでも訪ねていきたいと思う環境を残さなければなりません。そうした上で、あの世へ行くときは、天国の息子、娘として愛を受けて生きるに違いありません。このような生涯路程を、これから定立していかなければなりません。(197-221,1990.1.14)
先生が、「故郷へ行きなさい」と言えば、故郷へ行くのは、新たな種を植えるということです。アダムとエバの種となったので、皆さんを通して新しい種を植え、新しい根を下ろそうとしているのです。新しい種を植えるときには、肥やしをかけてやらなければなりません。ですから、悪口を言われに行かなければなりません。善意の悪口を言われて、多くの苦労をしなければなりません。3年だけしてみなさい。3年も必要ありません。6カ月あれば、すべて終わると見るのです。昔、皆さんが1次伝道に出るときも、「故郷の代わりとして行き、120軒つくり、教会をつくれ」と言って追い出したことがありましたね。それは、失敗に終わりましたね。その次に、「ホーム・チャーチ」をしなさいと言いましたが、それも失敗しましたね。もう最後です。(219-158,1991.8.29)
宗族的メシヤとして行きなさいということは、自分の宗族の所に生えているものはすべて、偽物、野生のオリーブなので、そこに行って、真のオリーブが生えるように、切って接ぎ木をして真のオリーブ畑にしようということです。その一族にとっては、それ以上の福音はありません。国を求めることよりも、世界を求めることよりも、天地を求めることよりも、もっと貴いことなのです。(197-207,1990.1.14)
韓国統一というのは、統一教会の文先生を中心として統一教会の信徒が完全にプラス・マイナスとなり、私が縦的なところにいれば、統一教会員は横的な基準で走ればよいのです。私が国のためにこの基盤を築いたのですから、皆さんはこの基盤を築くために、南北統一のための基盤を築くに当たっては、宗族が連合せよということです。(185-200,1989.1.8)
宗族的メシヤが来て、「助けてくれ」とはどういうことですか。協会長! 言ってみなさい。先生は助けてくれという祈祷は一言もしませんでした。また、助けることもできません。それを助けるならばさなぎになるのです。さなぎとはどんなものか知っていますか。死ぬほどの力を出し切っても駄目ならば、祈祷してみなさい。祈祷しなくても、お金はついてくるようになっています。そういうものです。(202-306,1990.5.25)
故郷に帰るに当たり、今後の自分の生活問題、息子、娘の教育問題、このようではすべて滅びます。イスラエル民族が出エジプトするに当たり、出ていかなかった人々はすべて滅びたではないですか。呪われる民族になるかもしれないのです。そのような天的なみ旨があるので、先生があらかじめ宗族的メシヤに関して、すべて宣布するのです。(207-165,1990.11.9)
4)真なる心情を本郷の地に植えよう
個人が安息するには家庭がなければならないので、今まで統一教会は、家庭を探し求めるために闘ってきたのです。また、家庭が安息するためには宗族圏がなければなりません。宗族が囲いとなり、吹き付ける風とそれ以外のすべてを防いでくれる責任を代わりに果たすような、そのような舞台をつくらなければ、自分が安らかな家庭で生存することはできないのです。そのためには、親戚を中心として族長になれというのです。
族長になれば、戦いが起こっても町中の親戚が出て戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。ですから先生は皆さんに対して、宗族的メシヤの使命を果たすようにいうのです。何をしなさいですって> 宗族的メシヤの使命を果たしなさいとというのです。今までは事実上、他郷での暮らしでした。これからは故郷を訪ねていくのです。故郷へ行き、涙を流して精誠を尽くさなければなりません。
イスラエル民族がエジプトに行って400年間暮らしたのと同じく、私たちは43年間そのように暮らしたので、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。ですから、世界的サタンが讒訴し得る起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナン福地の理想天国を形成することができませんでした。ですから、サタン世界に何かを求めてはならないのです。「ふろしき包みを背負って歩いたとしても、私たちが一番です。悪口を言われて歩き、夜には近所の犬にほえられても、私たちが一番です」。そのような自負心をもち、堂々とした足取りで、村の天地を愛の喊声と共に消化することに参与し、前進しなければならないことをよく覚えておき、闘ってほしいと思います。(178-139,1988.6.1)
皆さんは、真の父母様の前に真の子女の名分をもっているので、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じて、すべてを愛圏の中に投入しなければなりません。神様が投入したのと同じように、皆さんが完全に投入することにより一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活するのです。(177-161,1988.5.17)
自分の郷里を中心として、新しい種として植えられる父母の赤い血筋がそこに埋められ、すべての山野、山河がすべての犠牲の代価をたたえるように、頭を下げるようにしなければなりません。そこに植えられて花が咲けば、初めの花は天の花として、2番目の花は父母様の花として、3番目の花は自分の長男の花として、4番目、5番目は自分のものとしなければなりません。適当にしてもよいでしょうか。とんでもないことです。(181-273,1988.10.3)
今回、故郷に帰ったならば、皆さんもカナン福地に入ったイスラエル民族と同じなのですから、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやんではなりません。権力者をうらやんではなりません。気を奪われることなく、正しい教育をしなければなりません。神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏である私たち民族を愛する伝統が第1です。皆さんの子を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはなりません。
何千年ぶりに、何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもって細胞と骨の髄が響くように泣き、血の涙でその地を濡らし、血の涙に浸った聖なる血だという名が天から降りなければなりません。そこから天国が始まるのです。(177-228,1988.5.20)
故郷に帰って、皆さんの故郷を復活させなければなりません。イスラエル民族は、それができませんでした。40年間乞食の群れとなって渡り歩き、帰ってきてからは豊かに暮らしているカナン7族がうらやましく思われ、彼らの持つ子羊がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って暮らす身の上だったからです。そうしているうちに国を売り渡し、神様を売り渡すことになったのです。(175-34,1988.4.6)
人を愛する場合には、最も悲惨な人たちから、悲惨な子供から愛して、ずっと中年に上がってくるのです。世の中で貧しく暮らす人たちには、良心的な人々が多くいます。私たち統一教会の家庭は、世の中で一番貧しく暮らす人を愛しなさいというのです。貧しく暮らす人は、悪魔の世界にいても、これからそのような人の中から、神様の天運を受け継げる人が出てくると見るのです。(175-31,1988.4.6)
それでは、故郷に帰ってどうしなければならないのでしょうか。皆さんと一つになるようにしなければなりません。その方法は簡単です。息子は出ていって、天の伝統を伝授する教師となり、「こうすれば天国ができる」という手本を見せてあげるのです。父母は、その町内の父母たちに、「こうすれば天国の部落になる」というのを見せなければなりません。そうすれば良いのです。簡単です。
夫は妻を、妻は夫を愛し、父母は子を、子は父母を愛する愛の家庭を築き、それをすべて伝授すればよいのです。(135-35,1985.8.20)
先生は、世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは皆さんなりに、宗族的な先祖になるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知るべきです。皆さんの宗族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから12支派が編成されていくことでしょう。ですから伝統が必要だということです。自分のことを考える人は、ここから外れなければならないのです。(131-62,1984.4.1)
真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これが植えられなかったのが堕落でした。そして皆さんは、皆さんの一族の中で宗長にならなければなりません。(177-80,1988.5.15)
「神様は宇宙のアベルであり、この世界の人類は神様の前にカインの立場にあるのですが、神様は、僕の僕の体をまとい、養子、子女の体をもまとい、今まで復帰歴史をしてきたので、私たちはその伝統を受け、自分の宗族のところへ行き、そのような伝統を再び提示し、屈服させる役事をしましょう!」 というのです。それは長くかかりません。3年、長くても3年です。ですから10年と見るのです。(159-80,1968.3.3)
5)この時代に私たちがやるべきこと
①真の父母様を証そう
万民の願いは何でしょうか。世界の国家を迎える前に、真の父母を迎えようということです。誰から出発したいと思うのでしょうか。皆さんの新しい息子、娘は、皆さんの血筋を通して生まれるのを願うのではありません。真の父母の血筋を通して生まれたいと思うのです。それゆえ真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。(35-237,1970.10.19)
すべては、どこに帰結するのでしょうか。真の父母に会うことに帰結するのです。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですから、そのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです。永遠な世界というものを考えれば、人間の一生というのは、一度呼吸する期間と同じです。(51-354,1971.12.5)
真の父母というのは、どのような存在でしょうか。真の父母は、全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、60億人類が生きている今日の、この世界における国家圏の中心です。真の父母は、今後の理想世界につながる未来線上における出発点です。(35-237,1970.10.19)
「チャンプモ(真の父母)」という3文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界になり得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定するのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動することのできる、この驚くべき恵みに、皆さんは、まず感謝しなければなりません。(43-144,1971.4.29)
人間の願いは、真の父母に会うことです。死の道を行ったとしても会わなければならないのが真の父母なのです。歴史のすべてを失い、時代のすべてを失い、自分の子孫すべてを失うことがあったとしても、真の父母に出会ったならば、歴史を得て、時代を得て、未来を得るのです。そのようなお方がすなわち、真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。(35-237,1970.10.19)
皆さんが真の父母と完全に一つとなるときに、国家があり、宗族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地の栄光のあらゆる価値を総合した実体基準が真の父母です。真の父母をこの世のお金と取り替えますか。自分の生命を渡して取り替えることができるでしょうか。それゆえ、昔とは違うのです。
皆さんはどこに行っても、真の父母に侍るために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千世、万世の子孫たちもそうしなければなりません。それゆえ統一教会は、違うのです。(30-237,1970.3.23)
統一教会でいう真の父母とは何でしょうか。堕落しなかったとすれば、神様が縦的な愛になり、アダムとエバは神様の体になるのです。神様の体のようなものです。神様は骨のようなものであり、アダムとエバは体のようなものだということです。神様にも心があり、体があります。神様は、内的な立場で内的父母となり、アダムとエバは、外的な立場で外的な父母となるのです。内的、外的な父母が一つとなったその場において、愛によって結ばれて内的父母に仕えるようになり、外的父母をもつことになります。神様と人間との愛の結びつきにより、真の父母、つまり完成した人間が成就するということです。愛と結びつかなければ、完成人間はないのです。(184-71,1988.11.13)
②すべての家庭に父母様のお写真を掲げよう
父母様の写真を貼り、統一教会の旗さえ掲げれば、それは天国の眷属となるのです。天国の眷属をつくってあげようというのです。それゆえ、今回旗を掲げるのをためらって雷に打たれた人がたくさんいましたね。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさしたことで、手が悪くなり、幾晩も祈祷し、悔い改めて初めて良くなる、そのようなことが起こっているのです。なぜでしょうか。天運が来ているのに、個人の運勢によって防ぐことはできません。宿命的な道なのです。モーセが杖を持っているときは、それを見ていた人はみな生きました。統一教会の旗を見て、行く時も来る時も敬拝し、写真を見て、行く時も来る時も敬拝すれば生きるのです。(219-91,1991.8.25)
統一旗を掲げるのは、通り掛かりの信徒が空腹であれば、ここに入って休みなさいという表示であり、昼時であれば、昼ご飯でも食べていきなさいという表示です。それゆえ、いつでも客をもてなせる準備をしていなければなりません。父母に代わって、そのような準備をしなければならないのです。ですから部屋もなければなりません。
ところが父母様が来ないので、父母様の代わりとしての客に侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準の前に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、神様に侍るように、父母様に侍るように客をもてなしなさいというのです。そのような人は、恵みを受けます。(169-220,1987.10.31)
文総裁は有名です。国のための愛国者だということは、みな認めています。また、私が成した功績には、天下がみな頭を垂れます。そして、「あの方の写真を掛けている以上、夫婦がむやみにけんかをするわけにはいかない」と言い、息子、娘の前でも、「あの文先生の前ではそれではいけない」と言うようになれば、悪いことはありません。自分の両親の写真以上に尊ぶことによって、先祖たちが来て、先祖として侍るのです。また、先祖たちが来て、その家に侍ることのできる祭壇となるのです。それゆえ、天上世界の恵みを受けられる道があるので、午前3時になれば、自分たちは寝ていても、(先祖たちが)みな一家周辺の邪悪な悪魔をすべて追い払うのです。(219-91,1991.8.25)
今日以降、皆さんは先生の写真をもって歩くのが良いのです。そうすればどんな苦難に遭っても、無事に耐え抜くことができるよう保護してくれることでしょう。モーセがエジプトのパロ王からイスラエルの民を脱出させてカナンに導くために、奇跡を見せたとき、長子は患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門の柱に塗った家は、その患難は避けて通ったのです。霊界は、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれるのです。(130-290,1984.2.7)
イスラエル民族がエジプトから出てくるときに、門の柱に血を塗って災いを免れたのと同じように、写真をもっていれば、そのようなことがあるかもしれないのです。先生の写真をポケットに入れておいても、霊界は分かるのです。このように小さな条件が、門の柱に血を塗るのと同じことになるのです。(132-190,1984.6.1)
今ではレバレンド・ムーンの名声は国境を越えました。あちこちの政治家の中には、書斎にレバレンド・ムーンの写真を掲げて仰ぐ人が多いことを私は知っています。尹博士も私の写真を掲げましたか。毎日あいさつしますか。毎日キスをしますか。熱情的でなければなりません。キスしなければなりません。そうしたからといって、失礼になることはありません。神様の愛に代わってキスすることにより、私がキスすることにより、霊界に行った人々に同参権、同位権をもたせようとしているのだといえば、神様は、「ノー」とは言わないのです。「そうだ、そのとおりだ」と言うのです。尹世元博士、そうしてみてはどうですか。(171-239,1988.1.1)
先生のほほえみは、モナリザのほほえみほどに神秘的なところがあるという経験をしたことがあるはずです。ある時はこうで、またある時はああで、数十万種類の姿に見える先生のこの神秘的な姿は、霊界をして皆さんに協助させるという経験を大部分がもっていると思います。霊界の霊人たちはみな、先生のことをよく知っているのですから、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、気を悪くするでしょうか。皆さんの先祖がこれを媒介体としてつながることができるのです。そのような良い材料であると理解してほしいと思います。(132-190,1984.6.1)
③氏族(宗族)復興会をしよう
これからは、家庭復興会をしなければなりません。家庭復興会は皆さんの一族を中心としてするのですが、その復興会は全体の氏族を代表した復興会です。それは韓国だけでなく、世界の多くの祝福家庭が、氏族をつなげた、その氏族を代表した復興会だと思わなければなりません。そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。
今日、韓国にある統一教会は、韓国が基地となることにより、氏族基盤を中心として、世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれほどの恵みか知れません。ですから、この復興会の宴会で牛をほふってもよいのです。それは、皆さんの思いどおりにしてもよいのです。鶏をほふるならほふり、鶏をほふっただけの恵みを受ければよいのです。牛をほふれば牛をほふっただけの、牛100頭をほふったとすれば牛100頭をほふっただけの恵みを受けるのです。相手のためにというその心情、自分の努力いかんによってすべて左右されるのです。それに比例して皆さんの先祖の解放圏が広がっていくのです。(185-141,1989.1.3)
今や、韓国統一が可能な時になったのです。すべてがそうです。これからは、故郷を訪ねていって氏族復興会をすれば、それは歴史的な復興会になるのです。これは、国を取り戻そうと三・一運動で万歳を叫んだ以上の驚くべき事件です。
歓迎される立場で天理が動き得る、そのような環境をもったということです。このような舞台で自分の氏族を動かせないとすれば、それはもうみな死ななければなりません。(186-232,1989.2.5)
歴史というのは、真の真理を求めていく路程です。その真理は、真の個人が生きる道、真の家庭が生きる道、真の社会が築かれ得る道、真の国が築かれ得る道、真の世界が築かれ得る道を提示しなければなりません。そうして、個人から世界までの焦点がすべて一致してこそ、世界完成、国家完成、氏族完成、家庭完成、個人完成が可能なのです。このようにぴったりと合わせ得る核となるみ言、すなわち真理をもってこられるお方が真の父母なので、その真理はすなわち、神様の真の愛です。(20-25,1968.3.31)
全世界の人類は、今や気を確かにもたなければなりません。統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるとするならば、人類を鉄格子の窓で審判するというのではいけません。たたくことによっては、一人として完全に屈服させることはできないのです。子供のために、手がひきがえるの背のようにでこぼこになり、曲がって開かなくなるほどに苦労した母親の犠牲的な愛には、不孝者を悔い改めさせ、戻ってこさせる力があるものです。棍棒をもってしてはできません。審判の大王であり、天地を思いのままに主導なさる神様でも、真の愛なしには天宙統一は不可能なのです。真の愛は、困難が問題にはなりません。自分の生命を投げ出しても、行ける力が真の愛にはあるのです。(201-339,1990.4.30)
統一教会のみ言は良いのだが、人は良くないというように成れば滅びます。統一教会の文先生は皆さんの前に、み言を語っただけでしょうか。み言を語っただけではありません。先生が今、皆さんに教えていることは、先生がすべて行ってから教えているものなのです。それゆえ、これは間違いありません。先生は、知識の面においても、実際的な面においても、矛盾や相いれないということのない理念体系をつくり、教えてあげているのです。それに対しては、誰も何も言えません。サタンも公認し、神様も公認します。(24-108,1969.7.13)
神様は、み言をもって私たちを呼んでいらっしゃるので、私たちは、そのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえるための道は何でしょうか。真なるみ言を通じることです。そのみ言は、父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子となることはできません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。私たちは、そのようなみ言を求めていかなければなりません。そのみ言がある論理的な条件にぴったりと合うといっても、それで終わるものではありません。大原則でありながらも、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても、生命となり得るみ言です。そのようなみ言を求めなければなりません。(10-130,1960.9.18)
父母のみ言は、永遠なものです。時間と空間を超越するということです。それゆえ、神様のみ言は歴史を超越します。時代を超越します。主義を超越します。思想を超越します。ですから、どこの誰の言葉よりも貴いものです。そのみ言は、夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れ込んでいくのです。そのようなみ言を求めなければなりません。(10-130,1960.9.18)
私の恨は何でしょうか。両親の生きているうちに、統一教会に入会するように涙を流し、絶叫しながら勧めることができなかった不孝を残したことです。この恨を、皆さんを通して解こうと思います。私の一族を伝道することができませんでした。8人の兄弟姉妹がいましたが、私は彼らの前で「原理」のみ言を一言も語ることはできませんでした。兄は、私が語れば何でも絶対服従するのです。カイン復帰を完全にしました。「家を売れ」と言えば家を売り、「牛を売れ」と言えば牛を売ってくれるのです。母親、父親が及ぶところではありません。そのような兄に対して、一度も「原理」のみ言を語ることができませんでした。(203-183,1990.6.24)
故郷に帰ってこれからは、灯台を立てなければなりません。灯台とは何でしょうか。夜、暗い所に明かりをともすのです。それは、どんな灯台でしょうか。南北統一、東西統一の灯台の明かりをともしなさいということです。これからは、聖地のその明かりを消さないように、灯をともさなければなりません。(181-296,1988.10.3)
今後、皆さんは口を閉じていてはいけません。人が集まってくれば、先生が1950年代に7年間2時間以上寝ることなく、皆さんに昼夜を問わず教えたように、夜も昼もなく7年ぐらいやってごらんなさい。7年間しなくてもよいのです。4年もかかりません。4カ月以内にすべて終わるのです。私が故郷に行くならば、もう、あっという間に統一してしまうのです。ですから、両親によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに本当の意味で、よくよく教えてあげなければなりません。自分の手で、人の口を借りることなく、皆さんの血と汗を通して教えてあげなければなりません。精誠のこもったその教える態度を、その姿勢を父母が見習い、兄、姉、弟、妹が見習い、甥、姪が見習えば、「家の宝である私たちのおじさん、私たちの弟、お姉さん、私たちの息子、娘」と言うようになるのです。(185-116,1989.1.3)
皆さん、これからみ言を宣布しなければなりません。これから「原理宣布だ」と言って、皆さんの町内で8時間でも何時間でも夜を明かして、私が7年間したように、皆さんもそのようにしなければなりません。7年もかかりません。7カ月もすれば、すべて変わって行くことでしょう。そうなれば、私がトラックにいろいろと積んで行くかもしれません。一族が私を招待してです。(185-250,1989.1.8)
先生は、7年間1日に2時間しか寝ませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は劉協会長に3年間、16時間ずつ講義させました。劉協会長が苦しんでいるときに私が、「こら、横になって人を殺そうというのか。先生に横になると言いもせずに横になっているのか」と怒鳴ったことが、今となっては心が痛みます。劉協会長は魚が好きでした。アキアミ(注:甲殻類に属するえびの一種)というえびの塩辛の臭いは、その横に行くこともできないほどなのに、それをおいしいといって食べたことを今でもはっきり覚えています。今では味付けした牛のカルビー(あばら肉)の片身全部を食べさせてやれる時代になったのに、あんなにかわいそうな生活をしていたことを思うと、胸が痛むことがあります。どうしてそうしたのかというと、伝統を立てるためです。(185-250,1989.1.8)
④訓読会を組織化せよ
先生のみ言は、先生が語ったものではありません。先生が言ったことではないのです。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつ、どこで聞いても心が動き始めます。心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こるのです。そのような力があります。(289-295,1998.2.1)
集まりがあるときは勉強です。夜も昼も時間さえあれば勉強です。何百回、何千回と読んで、自分のものになるまで、自分がその相対的実体圏をもつまで、これからはそのようなことをするのです。統一教会員は、座っていると病気になります。病気にならないためには一生懸命に読み、試験をし、努力するのです。(288-41,1997.10.31)
真の父母は、み言の先祖であり、人格の先祖であり、心情の先祖です。(14-22,1964.4.19)
訓読会は、私が千辛万苦して人生において積んだすべての宝の箱を、民族の前で開けて与えることなのです。誰にでも、すべて。「翻訳もするな」と言いました。翻訳できません。私の民族の前に通告する時までです。それを知らなければなりません。時間さえあれば訓読会をしなければなりません。一人でも、トイレでも訓読会、1日に何時間でも、どこを読んだか記録して、ポケットにみ言の本を入れておいて常に訓読会をしなければなりません。(290-29,1998.2.2)
『御旨の道』を読み、原理を読むのはもちろんですが、『祝福と理想家庭』であるとか、今まで先生の語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙して闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければなりません。ここには、父母様の歴史的に記念となる過去、現在、闘ってきた内容がすべて含まれているので、私たち統一家が父母様と一つとなるためには、その内容と一つとなりながら、そこにあるそのみ言と相対的な基準をつくっていかなければならないのです。自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、7代まで、そして横的には160家庭、180家庭を中心として完全に一つとなってみ言を定着させなければならないのです。(288-16,1997.10.31)
訓読会は、すべての祝福家庭が夫婦二人きりでもしなければなりません。毎日、朝1時間ずつ。もし朝にできなければ、夜寝る前に12時でも1時にでもすべきです。私はしています。今回、南米を巡回したときにも、12時を過ぎて疲れていても、それを実践しました。1日も欠かすことはできません。分かりましたか。皆さんも読んでみてください。『祝福家庭と理想天国』! この本は、祝福家庭の内容をすべて教えてあげ、理想天国の内容をすべて教えてあげたものです。先生がそれをめぐって闘ってきた勝利の基盤を、ハイウェイを切り開いておいたので、ここに高速道路をつくり、皆さんはすべて自動車となり、ガソリンとなって、最高のスピードで走らなければなりません。(288-41,1997.10.31)
私たち統一教会の原理の内容を、嫌気が差すほど語ってみなさい。一度、嫌になるほどやってみようということになれば、どんなにおもしろく、どんなに良いか知れません。み言が創造の能力をもっているという事実を、確実に知らなければなりません。私がどこへ行こうとも、天が共にあるということを知っているので、その心情が直接、大衆に影響を及ぼすのです。どういうことか分かりますか。(107-251,1980.5.19)
先生が今まで説教した説教集を、すべて読んだ人は手を挙げてみなさい。この者たち! どんな教育をしたのですか、協会長。先生は、その説教集の中でも深い内容は語れませんでした。今でも語ることはできません。
み言の貴さを知り、み言の下には生命の源泉があります。湧き水の源泉、水の源泉ではありません。降水ではありません。その生命の源泉が流れているということを知らなければなりません。自分個人の家にその湧き水のパイプをひき、永遠の生命水が湧き出すような道を模索しなければならないのが、統一家の群れの責任なのに、何をしてきたのですか。あれはみな、古物屋に売る本なのですか。(181-268,1988.10.3)
(●2022.5.22:写経奉献)


