天聖経(69) 第13巻「真の神様と祖国光復」 第6章 真の父母が伝授する世界と南北統一教本

第六章 真の父母が伝授する世界と南北統一教本
1)「世界と南北の統一は真の愛で」
2)「天宙は私の故郷であり祖国」
3)「真の愛は誰もが願う」
4)「終末時代に人類とアメリカ(世界)が行く道」
5)「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」
1)「世界と南北の統一は真の愛で」
世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様!
今、正に始まった新千年紀は、分裂と藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆さんの各家庭に、新千年紀の祝福が共にあらんことを祈願いたします。初めに、私の80回の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光を捧げます。
私の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。私は、韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできまました。私は、16歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。
そうして知ってみると、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り神様との関係が断絶されたことにあったのです。これによって、神様と人生と宇宙などの根本問題について無知に陥ったのです。
これまで私は、世界各地の公式席上で、1万回以上のみ言を通して、「神主義」に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、12種類の世界各国の言語に翻訳され、既に300巻余りの書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形、無形両世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。
きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。
我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の2大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない案件であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。ゆえに歴史は、神様の創造理想実現を目標にした、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。
歴史の背後ではいつも、善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が作用してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。
2000年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤としてユダヤの氏族と民族を統一し、12支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、イエス様は世界の王の王にならなければならなかったのです。
しかし、イエス様が十字架にかけられることにより、それ以降、外的な肉的文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達して、ローマ文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、400年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。
人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何をねらっているのでしょうか。神様をはっきりとねらっています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンは、そのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められる事でしょう。
サタンが神様に、「神様! 最初に私を天使長として立てられた時、一時的な愛で立てられましたか。そうでなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。
それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。
神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が、「ああ、本当に神様は神様であられる。降参しました」と告白しない限りは、神様は完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。
神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は、「怨讐を愛せよ」ということでした。話は簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。
神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に、神様は「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。
神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとする怨讐に対して、「彼らを許し給え」と祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。永遠に神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。
皆さんも神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。
神様は、このような条件に従い、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても神様を愛し、怨讐までも愛する運動をキリスト教は展開してきたのです。私たちは家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。
キリスト教の愛の精神により、激しく迫害を加えてきたローマ帝国がついに屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。
怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。
韓国が日帝のもとにあったとき、韓国、日本、ドイツ、アメリカなど主要な摂理的4大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本とアメリカが怨讐の関係であり、アメリカとドイツが怨讐の関係です。
ところが、私は、このような怨讐関係にある日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、アメリカが神様を無視し、神様を失ってしまえば滅んで死んでしまうので、「アメリカを生かさなければならない」と言って、真の愛の道を実践しました。日本やドイツの人々に、「敵対関係であったアメリカを、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。
怨讐関係にある国家を自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は、顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。
私は、アメリカ連邦政府より屈辱を受けて罪なく法廷に立った時、アメリカの未来を心配し、保守正論紙、「ワシントン・タイムズ」を発行し、放送局を設立させるなど、むしろアメリカのためにあらゆる努力をしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類にも及ぶ各種の教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。
皆さん! 日帝のもとで反日地下運動をしていた私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたからといって引っ張っていき、むごい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言言えばみな処刑される運命だったのですが、反対に、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。
今日、日本の多くの若者たちがなぜ、私に永遠なる命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは、私が国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従い、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛して生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。
私は、日帝のもとで、当時の日本にも恨みがあったのです。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びる者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して謝罪する者に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者にさらに刃物をもって打てば、打った者の子孫が滅びるのです。
アメリカもやはり、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥ったアメリカを救うため、父母兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。
また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたでしょう。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら受難の道を克服してきたのです。
内外の貴賓の皆様!
既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化し得る神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。北朝鮮は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯文明によって彼ら自身が自ら溶けていくことができるような作戦をとらなければ、お互いが滅びるのです。ゆえに、私たちは徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。
私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として成そうとするのです。それで彼らは、自分の敵が現れれば除去してしまうのです。私たちはそうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕する私たちとならなければなりません。
私たちが彼らに影響を与え得る環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が成立しないのです。
したって、韓国と北朝鮮は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となる愛し合う道を探し求めなければならないのです。
皆さん、現在、南と北の目的が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道にいるので、その目的が異なっているのです。
どのように統一されるかという問題をおいて見るとき、深刻です。その主体的使命を誰がしなければなりませんか。それを南韓がすると言うとき、北朝鮮が反対するでしょうし、北朝鮮が主導すると言うとき、韓国が反対することでしょう。互いが、「我々がしようというとおりにしよう」と言うときには成されないのです。自分自身の立場に固執すれば、必ずまた決裂することでしょう。
これを、どのように克服するのかが問題です。問題は、韓国の人が韓国を愛する以上に北朝鮮をもっと愛するという人が出てこなければならないということです。同様に、北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。
韓国の誰よりももっと国を愛する人、北朝鮮の誰よりももっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。
それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも苦労し、韓国の人よりも苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。
悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。
そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。
人類を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かってより次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。ゆえに、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。
人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。
「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は、発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、お金でもありません。
このように見るとき、上や、下や前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は、世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は、人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。
したがって、愛国者の心のように、「民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない」、と誓い得る真なる心情の基盤が問題なのです。真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。
皆さん、全く字を知らない女性でも、博士と結婚して愛の因縁を結ぶならば、1日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に生きようという情の因縁をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。神様ご自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。それでは南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。
北朝鮮を思いながら胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の1日を準備して、あなた方の前に現れるだろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
皆さん、その最初の段階として、郷土とどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に生きたいと思わず、郷土と共に生きたくない人が国を愛するというのは偽りです。
国と共に生きてこそ、世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてこそ、神様と生きるようになっています。ゆえに郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。政治をする指導者たちが国をどれほど愛していますか。彼らに、国民と共に真心から共に生きようという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。
引き裂かれた南と北がそのまま一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。「本当に共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。
南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国問題を心配する場合は世界を代表した立場に立って、60億人類を代表し、30億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。
そして、「私は、あなた方と共に、本当に共に生きる運動を展開するだろう」という誓いをしなければなりません。それが聖人の道理に通じれば聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆さんに、このようなみ言を伝えているのです。
内外の貴賓の皆様!
神様の真の愛を中心として互いに因縁を結べば必ず主管権と所有権、それから、相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では入力よりは出力が小さいですが、真の愛の世界では入力よりも出力がもっと大きいのです。
真の愛とは何でしょうか。「他のため」に生きる愛であり、与えてはそのまま忘れてしまうものです。与えたことを、ことさら記憶もしないのです。また、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。90歳を超えた父母が、70歳になった息子に、「息子よ! 車に気をつけなさい」と言っても不自然でなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても嫌気が差さしたり、疲れるということがありません。
堕落した世界の父母がこうであるのに、まして、本質世界で父母なる神様の愛を授け受けするとき、疲れるはずがあるでしょうか。人生で真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変だということを初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。私が、去る1984年に何の罪もなくアメリカの監獄に入り、獄中のベッドに一人で横たわっているとき神様が訪ねてこられて、信じる人は私しかいないのでニカラグアの事態を解決しなさい、と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。
先進国を代表するというアメリカには、2億4000万という国民と、数限りなく多くの教役者(注:宗教活動に携わる人)がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか推し量ることができるはずです。しかしながら、神様は、強い引力の愛を訪ねていくことができるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。その時、私が「ワシントン・タイムズ」を前面に立てて助ける仕事を展開しなかったならば、南米は思想的に既に廃墟になっていたことでしょう。
紳士、淑女の皆様!
我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私達の教会と国に築くことを天は願っているというのです。
それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父母を愛する以上の、夫や妻を愛する以上の、子供を愛する以上の真の愛を中心としてその環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて理想的な南北統一ができてくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。
私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と神様が一体となった、そのような世界が真の愛のユートピアではないでしょうか。すべての植物が太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間には、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛と共に、慕いながら生きる事のできる地上天国と天上天国が建設されることです。
しかしこの世の中には、すべてのものの主人格として登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限をもった真の愛の主体者あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか。きょう、この場に参席された皆さんは、どうかこれを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自らの夫婦同士でより高く「ため」に生きることができる愛で愛し合うことから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛し得る真なる人と家庭となることを願います。
もしそのようになれば、南北統一は、既に成就したも同然です。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では力なく収拾され、消滅してしまうことでしょう。真の愛で愛する心をもつようになれば、南北統一は絶対問題ではありません。それだけでなく、東西問題や世界的南北の貧富の格差問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。
このような神様の理想を中心として世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結し得る理想世界の平和的無限景が成し遂げられることによって、この地上には真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。
内外の貴賓の皆様!
私は40年以上前から、ここでお話ししたように統一の根本原則を宣言し、国の内外で「神主義」を中心とした理念運動を土台として、周辺4大強国に統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や、日本、アメリカなどに、各々数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ(CAUSA)活動などを通して民間基盤を構築してきたのです。これまで私が主唱してきた「神主義」は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様!私たちはみな共に、真の愛の神主義で私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。
そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。特に、人類歴史の始まりにエバの失敗によって歴史が誤ったので、「終わりの日」には女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。
特に女性の使命は、子女のような立場である青年男女および学生たちを、真なる教育を通して真なる子女たちに復帰することです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、教育を通して夫までも真なる天の息子として復帰し、真の父母に従って神様を中心として侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。いま一度、きょうの私の話が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出合うその日を早める全国民運動となるように願いながら、お話を終えようと思います。神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあることを祈願いたします。ありがとうございました。(316-77,2000.2.10)
2)「天宙は私の故郷であり祖国」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
きょう、私の80回目の誕生日を祝賀してくださるために公私共にお忙しい中、全世界の至る所からここ韓国を訪ねてこられた各界各層の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。私は、今日まで共にいてくださり、見守ってくださった神様に、このすべての栄光をお返ししようと思います。
私は生涯を通して、ただひたすら神様の創造理想実現のために諸般の難問題を解決しようと心を砕いてきました。私は、16歳(数え)の少年の時に天命を受け、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に交流しながら、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。
この意義深い日、私たちが心に刻まなければならないことは、私たちがみな神様の心情と完全に一つになることであり、さらには神様のみ旨を成し遂げることです。人間は、堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実存および人間と宇宙に対して根本的な無知に陥りました。
したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とそのための準備として、地上生活がどのようでなければならないかということを知らないまま生きてきました。神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するために全身全霊を尽くす道でした。私の80年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからです。私はこれまで、世界の至る所の公席で1万回以上お話をしてきました。これは既に300巻以上の本として発刊されています。
きょう、世界最高の指導者の皆様と出会ったこの意味深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を、「天宙は私の故郷であり祖国」という題目でお話ししようと思います。本来、天宙は、人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そして、この天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。
神様は、この上下、左右、前後の1、2、3、4、5、6の中心である第7の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながらも、見えない中心の位置にいらっしゃるのです。堕落したサタン圏内での拘束と苦心の中から、神様の助けにより自由と解放を受け、真なる息子、娘として成長したのちに相対に出会い、真なる夫婦となり、さらに子女を生み、真なる父母となることが人間の正しい人生路程です。
ゆえに、私たちは真なる子女を否定することができず、真なる夫婦を否定することができず、真なる父母を否定することができません。これを否定すれば宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。それゆえ、人間は真なる父母と共に、真なる夫婦と真なる息子、娘によって成された真なる家庭を成し遂げなければならないのです。これがすなわち、理想的な存在のモデルとなるのです。
人間は、家庭において、真なる父母の愛を完全に受けなければならず、真なる夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真なる息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるのは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、物質的な力でもない、均衡をなす神様の真の愛しかありません。
真の愛は投入する力です。与える力であって、受けることのみをする力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され永続することによって、永遠なる均衡が成されるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように授けて受ける作用を通して真の愛の世界を成すためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して戻ってくる力が運動することによって、その中心点は、永遠に定着することができるのです。
すなわち、天運の数である「7」のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡をなして運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは回り回って、再び円形に戻って行くのです。
内外の貴賓の皆様!
善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるでしょうが、一つは受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人だというのです。それゆえ、子供が自分よりも低くなることを望む父母はいないのです。高くなることを望みます。また夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟が、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。
ゆえに、受けたものよりも大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いでもあるのです。一歩進んで、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人だけが自由と解放を受け、天宙的に歓迎されるのです。すなわち、個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。
それでは、皆さんは、どこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。しかし、本然の故郷は、広い意味で考えるとき天宙の中でも地球星であり、祖国は私たちの先祖である神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち私の故郷です。そこには、黒人、黄色人、そして、白人が共に調和して暮らしているのです。
このすべての人種は、誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。ゆえに、宇宙で東西南北のどこに行ったとしても、共にいらっしゃる神様が人類の父であられることは間違いないのです。
例えば、アメリカの主人が白人であったり、黒人であったり、黄色人種だという考えは誤りです。アメリカの主人は、神様であられます。韓国も同様です。ただ皮膚の色が違うのは、住んでいる地域に従って、保護色を合わせるための気候と環境の影響のせいなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人はみな根本的に同じなのです。
例えば、血の色や、皮膚や骨の形はみな同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。ゆえに、人種の差別はあり得ません。それで統一教会では、国際合同結婚式を通して人類を平等化してきました。自然の道理と原則を尊重してみると、五色人種が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。また、黄色人種と黒人が結婚すればお互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた子孫を生むと考えるのです。愛があるところには葛藤がありません。たとえ皆さんの生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いのないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地というのは、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。
人間世界で、最も重要なことは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなくては、真の愛が成されないのです。また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と、真なる血統の因縁の中で懐妊されるのです。このように、真の愛と、真の生命と、真の血統を通して永生の道が開かれるのです。真なる人となり、真なる愛と、真なる生命と、真なる血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。永遠なる真の愛、永遠なる真の生命、永遠なる真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全なる真の息子、娘になるのです。
どうして結婚をするのでしょうか。まさしく、このような真なる血統的伝統を、過去、現在、未来に連結するためです。堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に接することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様に接することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女たちであるカインとアベルは、神様の血筋を受けることができず、サタンの血筋を受け継ぎました。故にイエス様は、ヨハネによる福音書第3章3節で、「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのです。
人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければならないのです。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にあるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。今日の世界でフリーセックスやホモセクシュアルが氾濫しているのを御覧になり、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。
しかし、そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなくてはならないというのが神様の立場です。投入し忘れ、また投入し忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。堕落した生命を生かすためには、それよりも強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に宿された子供を見ながら、悲惨に感じている神様がどんなに哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の60億の堕落人類となったのです。
人間は本来、3時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の腹の中で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで人間は、地を母のように愛さなければならないというのです。霊界は、太陽のような光が夜も昼も射す所です。太陽の当たる所は常に昼です。霊界もこれと同じです。霊界での愛の光は変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛が充満した世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬という季節を通して実を結んだものを収穫し、倉庫に貯蔵する所と同じなので、地上世界の人生が結実した所です。
復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真なる血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。ゆえに、これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で神様の直接主管圏に入っていった人は、一人もいませんでした。それで神様は、これまでお一人で孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。ゆえに、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。それで神様は信じることができる一人の人、すなわち血筋を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを探してこられたのです。
皆さんも御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史はメシヤを迎えるための選民の歴史です。準備された選民イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨だったのです。しかしユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかけられることによって、そのみ旨は再臨理想として残されました。したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。
メシヤが出発しなければならない起点は、アダムとエバが堕落しないで完成した家庭よりももっと神様に栄えある立場で、もっと素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭とならなければなりません。メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから祝福結婚した家庭を連結し、地上天国、天上天国の完成を見るのです。ゆえに、メシヤは人類の前に真なる父母として来られなければなりません。来られるメシヤは、サタンの愛とサタンの血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を成さなければなりません。
すなわち真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、神様の新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなくては道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。
ゆえに、全人類は8段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければならないのです。すなわち腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と王妃の時代までの8段階を復帰しなければなりません。結局、人間は神様の子女として、王子、王女として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。
皆さん! このように、私たち人間は本来、成長して、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。
このためには、地獄の底から8段階の蕩減条件過程を通過して天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能なのです。このような祝福家庭(blessed couple)は、世の中の前に助けとなる、主体的なプラス・カップル(plus couple)にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わった新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私も、やはり生涯を通じて、これを実践してきました。
神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は、私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを言います。このように投入しては忘れ、投入しては忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイント(零点)になるのです。愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でもおじいさん、おばあさんなど、10人の家族が暮らすとしても、最も「他のため」に生きる人が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。
神様は、人類歴史始まって以来いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層「他のため」に投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して忘れて投入することができるお方であるので、「他のため」に投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して忘れて投入することができるお方であるので、「他のため」に生きる者の王となり、先祖となることができるのです。私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、まさしくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行きながら今日に至るまで、有形・無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか彼らの中心位置に立つようになったのです。
真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちの為に投入し、反対する政権のために生きてきてみると、いつの間にか、人々がレバレンド・ムーンを尊敬するようになっていたのです。
私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すことであり、サタンの戦略は打って失ってしまう戦略です。このような原則のもとで、レバレンド・ムーンは人類救援の為の方便として、五大洋六大州に広がっている五色人種を「一人の方、神様のもとの一つの世界」を成すために国際合同結婚式を挙行し、数千数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つとなるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。アメリカ人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つとなれば、怨讐であった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。
さらに、レバレンド・ムーンは霊界にいる霊人たちまで、真の愛により祝福してきました。地上と天上に天国が成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、地上にいる真の父母を通してのみ可能であるのです。人類の先祖が偽りの父母として罪悪の種を蒔いておいたので、メシヤは人類の真の父母として来て、地上と霊界の全ての人類を解放してあげなければならないのです。血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人ではなすことができないのです。
もし神様がなすことができるのであれば、既にずっと以前にされたであろうし、また堕落もさせなかったはずです。人間に賦与された自己の責任分担は、原理法度の神様においては一切干渉することができないのです。ゆえに、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもった人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単純に、男女が配偶者として出会うところにのみあるのではありません。
本然の神様の生命の種を賦与され、真なる神様の子女として生まれ変わるための、神聖な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。世界が数千、数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏もキリスト教、イスラーム(イスラム教)、儒教、仏教など4大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一家庭化時代を迎えたのです。新約時代を経て、完成時代である成約時代を迎えて、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入り、天国の時代に入っていくようになったのです。
言い換えれば、今は国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を越えて、天宙が一つの神様のもとで、一つとなる時代に突入したのです。さらに地球星が全祝福家庭の故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、一つとなることによって、永遠なる神様の祖国が主権復帰された地上・天上天国が始まるのです。
内外の貴賓の皆様!
私は、新千年紀が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して、「真の愛の天宙化は、新千年天国完成」というみ言を宣布しました。
「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にしようという意味であり、新しい千年紀を迎え、全体世界を通して天国を完成するということになります。天宙は神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家の完成のために、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式原理の家を求めて一つにならなければなりません。国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。その中でも、真の愛の家庭というものは巨大な天の国の家、天宙の出発点であり、核になるのです。家庭で夫は妻の真の愛の家であり、妻は夫の真の愛の家であり、父母は子女の真の愛の家であり、子女は父母の真の愛の家です。
神様の国は、真なる自由と信仰の理想が花咲き、実を結ぶ所であり、真の愛と真の生命と真の血統が結びついた真なる家庭がとどまる所です。さらには、永遠なる真の愛と幸福が充満した千年王国時代が始まる所です。私がこれまで主唱してきた天地安息圏の中心が、神様が共にある真なる男女が結合した家庭であるために、真なる家庭の価値を説き明かしてきたのです。ゆえに、私たちは、聖書でいうエデンの園をこの地球上に具現させなければなりません。
今、新たに迎えた千年紀は、6000年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成される、成約の時代をいうのです。二度と涙がなく、死亡がなく、哀しみ痛む声が聞こえない、新しき天と新しき地をいいます。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代をいうのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。
以上、お話ししたように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠なる祖国を意味するのです。そしてついに「一なる神様のもとの一つの国(One nation under God)」を越え「一なる神様のもとの一つの天宙(One cosmos under God)」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が成される時です。ゆえに、神様と人間の根本関係である父子の因縁を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷であり祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。
重ねて、この場を訪ねてくださった全世界の指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真なる兄弟姉妹となり、平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを祈願しながら、み言を終えようと思います。皆様の国と、各家庭に神様の祝福が共にあらんことを祈ります。ありがとうございました。(315-206,2000.2.2)
3)「真の愛は誰もが願う」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
公私共にお忙しい中を、第4回「世界文化体育大典」に参席して下さった皆様に、心から感謝申し上げます。
理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と葛藤の1世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年紀の希望は、漠然と成就するのではありません。神様の創造理想を中心として全世界が、「一なる神様のもとの一つの世界」を指向するという具体的な青写真をもって、各界、各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。
私は、16歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全霊を尽くしてきました。知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。神様と人間の本然の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落はその断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することをいいます。
私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一なる神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のための一環です。特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、「一なる神様のもとの一つの世界」を追求する聖なる理想の現実化なのです。
きょう、私の80歳の誕生日の祝賀行事と第4回「世界文化体育大典」を記念する歴史的大会を終えながら、皆さんと共に考えてみようとするみ言の題目は、「真の愛は誰もが願う」です。
皆さん、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それは、お金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは、真の愛です。真の愛が私たちにこれほどに貴く、重要なのは、何のためでしょうか。人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいと願われるのです。ところで、人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいと言われれば、おそらく互いに不平を言うことでしょう。
ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に所有しようと争うのですが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって「ため」に生き、所有しようとするのです。このように愛は、誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。
愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様お一人では所有することができません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては、愛は成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。
ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラス(+)とマイナス(-)の対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人では所有することができないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。
同じように、子女がいなければ子女を愛する事のできる父母の愛が現れず、子女に対する父母の愛の主人にもなれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象として一つになれば、これら二つは分けることができません。
もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また、女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。
すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上に、その相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「相対のため」に生きてあげなければなりません。これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らせる根本の道理です。このように夫婦が互いのために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は、完全に根絶されるのです。
真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が縦的にだんだんその次元を高めれば、結局その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるからです。ですから、宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。真の愛は、人間のみならず、すべての万物も願います。ですから万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。
万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局、より高い愛の次元に吸収されて上昇するという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は、人間にすべて吸収されることを願うのです。
ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このように、すべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、ありや微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。
このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、持ったりすることのできる立場にいるのです。このすべてのものをみな食べて、持ちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、持たなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。
神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖されるのです。私の理論とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の理論に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。
神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論を基礎とした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるだけでなく、結局、すべて消えてなくならざるを得ないのです。すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、鼻でも、目でも、手でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。
植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭も、それが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結するとてつもない価値の場なのです。
神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その相対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。ところが、今日の世の中を見ると、義理の父が10人もいるケースを見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか!
女性と男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一、神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本となる本質は、真の愛です。
また、この真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係を結ばなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで仲良く暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛している若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界で歓迎されません。真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは、「他のため」に生きることによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げて行くのです。
このような利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は、地獄以外の何ものでもありません。全体のために生きなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様は、そのすべての真の愛の主人になるのです。
すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階における愛の主人として定着されるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。ですからもっと貴いもののために神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。100パーセント投入されたのち、100パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。
投入して忘れることを続ければ、その愛の段階を高め、究極的には神様の位置に連結されるのです。そうして、神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。
みんなが天国に行きたいと思うのですが、「私のために生きろ」という思いだけをもっては、天国に行けないのです。真の愛は、神様が造られた全ての傑作品を抱いて、「他のため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「他のため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。一生に3回以上生命を捧げて、「他のため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。
神様に出会うには、3回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっていっているのです。子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。真の愛の起源であられる神様を父母として、私達人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。
父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(90度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を成します。それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。
すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根に、生命の一番の根に、血統の一番の根に、そして良心の一番の根に神様がいらっしゃるのです。このように神様を中心とした家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本中心は常にお一人、神様であられるのです。
アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずであり、彼らから愛の教育、すなわち、愛することを学んでいたはずです。彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。
統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出て行く水と入ってくる水が出合い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。
エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することにより、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。こうして、神様の創造理想である8段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。
すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。
反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「他のため」に生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、8段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。
そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に8段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。
今、新たに始まった2000年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、地上と天上すべてに永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。
私たち全員がこの聖なる聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人になることを願います。皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました。(316-235,2000.2.13)
4)「終末における人類とアメリカ(世界)が行く道」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
きょう、私の80回目の誕生日を祝賀してくださるために、全世界から参席してくださった各界各層の指導者の皆様に、心から感謝いたします。
特に、私は今日まで常に共にいてくださり、守ってくださった神様に、このすべての栄光をお返しし、深く感謝申し上げます。私は生涯を通じて、ただひたすら神様の創造理想実現のための諸般の難問題を解決するために、心を砕いてきました。知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し、救援するために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。このような神様のみ旨と心情を知った私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も季節も環境も超越し、ひたすらみ旨を成し遂げるために全身全霊を尽くしてきた日々でした。過ぎし80年の星霜を振り返るとき、ありとあらゆる迫害と苦難を受けたにもかかわらず、きょうこの場を皆さんと共にすることができたのは、神様が共にいてくださったからです。
この意義深い日に、皆さんと共に神様の摂理的な観点から歴史と世界を理解するために、「終末における人類とアメリカが行く道」という題目でみ言を分かちたいと思います。神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末はサタン主管圏の悪なる歴史の終末であり、同時に神様の主管の善なる歴史の出発の起点となります。
したがって終末は、天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち、個人完成を完結させるべき「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、ひいては天宙完成を完結させなければならない終末だというのです。神様は摂理路程で、終末期を迎えるごとに神様中心の理念圏へと人類を導いてこられましたが、実に人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善の立場に立つことができませんでした。
しかし神様は、絶対、唯一、永遠、不変の方であられるので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。ゆえに神様は、堕落によって人類が失ってしまった真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通じて天上と地上に神様が運行できるその世界を取り戻し、成し遂げられることでしょう。神様が求めていらっしゃる本然の世界とは、どんな世界でしょうか。その世界は、真なる父母を中心とした真なる世界です。ところが人類は、堕落によって歴史過程においてではなく、歴史の初めに、人類の真なる父母と真なる世界を失ってしまいました。
その結果、堕落によって私たちが住んでいるこの地も、人類が所有している理念も、どれ一つとして真の父母と直接因縁を連結させてあげることのできるものがありません。ですから人類はまず、「真」を求めなければなりません。
そうして真なる父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が真なる神様の心情を通じて動じ、静ずることのできるその日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」となるのです。このような理想が成就する時が終末であり、再臨の時期です。したがって再臨期は、火の審判や、地が崩れ、信じる人が空中に引き上げられるなど、天変地異現象が起こるのではありません。もつれた曲折の悲運の歴史を蕩減し、個人から家庭、社会、国家を経て、世界を正しく立てる時なのです。縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び取り戻し、横的に連結させ、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成す時です。その日を願って生きてきたのが人類の所望であり、人類歴史が行くべき終着地だというのです。
ところが、個人も家庭も国家も行く道を失ってしまいました。世界には各種の公害問題、食糧問題、さらに宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっていて、各種の紛争の主要な原因となっています。誰がこの世界に責任をもちますか。深刻な問題です。過去の共産主義国家群も、自分の民族主義を超えることができませんでした。今日、強大国であるアメリカも、汎アメリカ主義の理想を超えることができずにいます。自国の利益のみを優先するときは、世界を指導することができません。自らを犠牲にするとしても世界人類を抱き、より次元の高い理想的国家へ前進しようという理念で団結した、民族や宗教が必要な時です。このような側面から私は、神様の命を受け、ここアメリカに来て青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的危機に強力な警告をするとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。
皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。
第1は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」ということです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きよというのです。そうすればその神様は、結局、「私」を訪ねてこられるのです。家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母の為ため生き、夫は妻の為ため生き、妻は夫のために生きなければなりません。より多く「他のため」に生きる者が、善の中心者になるのです。
第2は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。怨讐を本当の子供よりももっと愛するところには、サタンも自然屈服するのです。いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界185カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。
キリスト教の宣教歴史を見ても、イエス様を信じるキリスト教徒たちが行く道は追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように2000年の歴史を経て、殉教の血の跡が土壌となり、民主世界という巨大な体制を発展させてきましたが、今日では、その原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。
キリスト教理念を中心とした国家群が神様を否定し、イエス様を否定し、さらには神様の摂理を否定しています。甚だしくは、「神はいない」「神は死んだ」と主唱している神学までもあるのを見るとき、真なる子女を探してあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情は、いかばかりでしょうか。
内外の貴賓の皆様!
神様が今まで投入して犠牲になったすべてのものは、誰のためのものでしょうか。それは、アメリカのためのものでもなく、キリスト教自体のためのものでもありません。結局は、堕落によって失ってしまった「私」一人を救うためであったということを知らなければなりません。堕落が一人の個人から始まったので、救いも一人の個人から始めなければなりません。
したって代表的な一人が出てきて、「この時代の責任を果たそう。人間が神様に負ったすべての負債を清算して、堂々と善なるものをお返しできる私になろう」と自覚せずしては、復帰する道がないのです。漠然とした立場では、絶対に蕩減復帰をすることができません。観念的であってはいけません。神様の代身となり、悲惨なことがあれば、悲惨な目に遭う当事者以上の心情をもたなければ、神様の心情に到達することができません。
皆さんは、皆さんの子女が死んで行くというそのような深刻な心情で、60億の世界人類のために祈祷したことがありますか。皆さん個人を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くされましたか。そのような点では、誰も簡単に自信をもつことができないはずです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が、再臨主です。人間始祖が堕落したのち、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダムから2000年後にアブラハムを探し立てられ、その子孫を選民とされ、新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、それが正にイスラエル民族です。
メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体として迎えるための主流民族になったのです。その主流の要を求めていくと、人間始祖アダム・エバができなかった使命を再現するための基準と理念が必要ですが、それが正にメシヤ思想であり、クリスチャンの立場から見れば、新婦思想です。主を新郎として迎えるための新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。
このような莫大な使命をもっていたのに、ユダヤ民族がイエス様を十字架で処刑することによって、第1イスラエルとして召命されたユダヤ民族は流れ去ってしまい、第2イスラエルであるキリスト教がその使命を継承してきたのです。この一つの目的を中心として神様は、6000年の摂理をしてこられましたが、その摂理の終盤が、今のこの時代なのです。それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは、世界を救い、統一させるための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった位置である真の父母の立場を取り戻すことです。
新・旧約聖書の教えを見ても、メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て真の父母になるのです。このような使命で来られた方がイエス様でした。イエス様はイスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様が願われた世界と天国のために生命を捧げました。
十字架にかかられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は死の場でも、「彼らの罪を赦し給え」と切に祈られたのです。死にゆく場でも未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。
したがってイエス様の生涯は、1代33年で終わったのではなく、神様の協助によって歴史と共に残り、その精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。
内外の貴賓の皆様!
アメリカが今は世界で一番の強大国だと言いますが、神様の摂理線上にまっすぐ立たない限り、いつまでも栄え続けることはできません。
人類文化史を見れば、古代文明の発祥は主に熱帯圏から始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。人間が堕落しなかったならば、春の季節の温帯文明から始まるべきでしたが、熱帯文明から始まって、その次は、秋の季節の涼帯文明圏に属するようになりました。これが自由世界を中心とした温帯文明圏に属するようになり、西洋文明がその中心です。大体赤道を中心として見るとき、北緯23度圏で連結されていますが、アメリカ、イギリス、ドイツなど、西側の先進諸国がこれに該当します。秋の季節の涼帯文明が終わりつつ、冬の季節の寒帯文明がしばらく押し寄せるようになります。これが共産主義の出現です。
多くの知性人たちは、ソビエト連邦が解体したのち、以前の冷戦体制は終わったと思っていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化された民主と共産の2大思想の代替理念として世界の至る所に蔓延しているのです。
本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、堕落によって熱帯文明から、原始的な状態から出発したのです。今こそ、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた本当の春の文明である温帯文明が現れることでしょう。誰が、寒帯文明の冬の季節を溶かすことができますか。権力や経済、科学や知識をもってしては不可能なのです。河川と海岸を中心とした文明の循環を見てみても、文明は巡礼します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心として発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、この地中海文明は再びイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明で結実するようになるのです。
このような文化史的観点から、韓半島の位置はとても重要です。韓国は、北の方にはロシアと中国を結ぶ寒帯文明圏の極地点であり、南の方はアメリカと日本を結ぶ涼帯文明の極地点です。したがってここで、涼帯文明を消化することのできる世界史的な春の季節、温帯文明圏が誕生するというのは摂理観的です。このような側面から、涼帯文明の結実地として人類的課題として残された南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが韓国から出てきたということは、神様の摂理的な帰結だと言わざるを得ないのです。
実際に私が、生涯を通じて人種と理念と国境を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、このような神様の摂理による道であったということを申し上げたいと思います。これは摂理史的な原則であって、私が作り上げた特別な理論ではありません。天のみ旨を悟った私は、理論だけでなく、このような神様の構想を現実化するために、外的には五大洋六大州に影響を及ぼさない所がありません。
アラスカ、南極、南米33カ国、旧ソビエト連邦各国とアジア、アフリカ大陸の各国など、全方位的な宣教と事業基盤を通じて、到来した新千年時代に人類が当面した公害、食糧問題などを解決することのできる準備をしてきたのです。近年ではブラジルのパンタナールとアマゾンを中心に、地球環境保存に対する実際的な基盤を築いてきました。一方、これまで内的には、国際合同結婚式および真の家庭の価値誓約運動を通じ、約4億3000万組が参与することによって、神様が長い間待ち望んでこられた理想家庭を土台にした地上天国建設に拍車をかけてきたのです。
内外貴賓の皆様!
その間、世界は政治、軍事、経済において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。燦爛たるギリシャ・ローマ文明の滅亡は、その良い例なのです。
今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマのような立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯よりは内部から崩れ始めた道徳的堕落に起因し、天の運勢が離れたからです。一時期は、労働者、農民を主体視した唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心に、世界人口の3分の1、地球面積の3分の2を占領したこともありました。しかし、それは永遠ではあり得ませんでした。これからは、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来ることでしょう。宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげなければならない預言者です。
しかし、今のように四分五裂し、続いてきた教派間の葛藤と宗教間の争いは、神様の摂理に障害物となるだけです。それで私は、ずっと以前から教会全体の予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決しようと努力してきました。さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教間の和解と一致によって、人類平和増進の先頭に立ってきたのです。近年には「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでにここワシントンD・Cで7回にわたって「国際訓読セミナー」を行ってきました。
全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現のための神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復し、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された終末は、真の父母が顕現される時です。言い換えれば、堕落によって父母を失ってしまった人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、願いの結実体であり、勝利の結実体です。
統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を超えて、黒人と白人、黄色人が一つの兄弟姉妹としてまみえ、夫婦となるのは、地球村を一つにしようとされる神様のみ旨成就において、最も重要な事の一つです。今日、このように人類は、失ってしまった本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復し、究極的に、子供を失い、嘆いてこられた神様を解放してあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。
これまで民主主義は、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに比べて私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決するならば、人間解放はもちろん、人間の自由回復は自然に成し遂げられるのです。
内外貴賓の皆様!
特別に、きょうアメリカの首都ワシントンD・Cで、神様の摂理を語っているのは深い意味があります。
アメリカは、いろいろな面で神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、信仰の自由のために命を懸けて自由の国を求めてきたピルグリム・ファーザーズです。彼らは真の信仰の自由を求めて、愛する父母、兄弟、故郷と離別し、さらには国まで捨てるという覚悟で、命を懸けて大西洋を渡ってきました。
メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは1620年11月の晩秋でした。その年、初めての冬を越えながら共に到着した102名の中で、寒さと飢えによって半分以上の人々が死亡しました。彼らが素晴らしかった点は、子孫たちのために翌年に蒔く種を残しておいて、自分たちは飢えて死んでいったという事実です。清教徒たちは、何をするにしても神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは、初めの年の収穫をもって神様に感謝を捧げ、教会と学校を先に造ってから、彼らが住む家を造りました。清教徒達が開拓する路程で、農業をする時も、戦争をする時も、常にまず祈祷をしました。独立戦争当時、あの有名な最後の激戦地フォージ渓谷で、ジョージ・ワシントン将軍は戦闘で激戦に臨む瞬間、命を懸けた祈祷をしたはずです。神様のみ旨を先立てた戦闘で、神様はアメリカに手を挙げて下さいました。
当時、世界的な強大国であったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは、神様と神様が愛する息子、娘たちが共に戦ったのです。それで、アメリカという自由信仰の国家が成立するようになったのではありませんか。今もアメリカは、国会が開院される時は、祈祷から始めます。大統領が就任宣誓をする時、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉を書いている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上に唯一、プロテスタントを信奉する世界的な形態を備えた国家となったのです。
ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりは進化論を教育しています。さらには50パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さを事ごとく破壊してしまっているのです。このような現実を心配されている神様の声を聞いた私は、既に1971年に、祖国と家族をあとにしたままアメリカにやって来ました。
何度も全国を巡回しながら、私は、「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療するために医者として来た」と叫びました。その時私は、既にアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に至る所で神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れていらっしゃいました。
振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの5番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にしがみついて限りなく涙を流したのが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私が予言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。
皆さん!
レバレンド・ムーンがなぜ、アメリカで反対されながらも苦労してこのように叫んでいるのでしょうか。私は、神様が今日アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労を誰よりもよく知っているので、去る30年間、アメリカにいながら1日たりとも楽な気持ちで過ごしたことがないのです。
アメリカの主人は誰ですか。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が、本当のアメリカの主人です。アメリカは地上に神の国を立てる為に選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的に主にアメリカの地にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれることを切に祈っていらっしゃいます。
一方、私は、神様のみ旨に従って1982年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。このすべてのものに、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことを願う心から投資してきたのです。私が1965年にワシントンD・Cを訪問し、決定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆さんすべては、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができなければなりません。
内外の貴賓の皆様!
今、始まった新千年紀は、6000年の間追い求めてこられた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。
人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間別かれていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙を流さない新らしき天と、新しき地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一なる神様のもとに一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。これは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。
今、時が来ました! アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。第2の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。そうして離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。
6000年間も準備して訪ねてこられた神様がアメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きて行くアメリカは、地上天国のモデルなのです。
この時、私たちみんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。「長子の国(注:兄弟の最年長のこと。最も期待が大きい国の意味)」であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします。
もう一度この場を訪ねてくださった皆様に、深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まることを願いつつ、お話を終えようと思います。
皆様の家庭と国に神様の祝福が共にあらんことを願います。ありがとうございました。(2000.1.22,1ワシントンD.C,ヒルトンホテル,「真の父母様御聖誕80周年記念集会」講演文)
5)「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」
南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様。
たった今始まった新千年紀は、20世紀の遺物である分裂と葛藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現されるときです。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にあることを祈願いたします。
まず、私の80回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界(全国)各地から訪ねてきてくださった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様にすべての栄光をお捧げいたします。私の生涯を振り返ってみるとき、ただの一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、16歳(数え)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出合い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就するために全身全霊を傾けてきました。
そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶されたことにあったのです。このことによって、人間は神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今まで私は、世界各地の公式席上において1万回以上語ったみ言を通して、「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。それらの内容は、世界各国の12の言語に翻訳され、既に300巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。
今日、私は、この意義深い場に感謝しながら、私たち民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算というべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として、「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。
内外の貴賓の皆様。
皆様は、どこの国の国民ですか。大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか。それでは、神様の祖国はどこになりますか。今、神様の祖国はありません。この世界のすべての国家の起源はどこですか。神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか。このような、すべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。
この世の国々は、すべて闘いによって分かれて生まれました。それゆえに、ある二つの国があるとき、その2ヵ国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第3国、第4国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるということを私たちはよく知っています。このように、2国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。
闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する2国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。堕落とは何ですか。神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったということを証明することだという結論を下せます。
そのようにして生まれた国は、どこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求しますが、本当に平和の世界に行くことができるかという問題が、今、人類共通の課題として残っているのです。
平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それゆえに、このような戦争の起源を克服して乗り越えていくことのできる運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出すことができるのです。原因が完全であるために結果が完全であり、平和で始まるがゆえに平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは理論的に妥当なのです。
このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家だといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達し得ないことを知ることができます。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容を主張する運動が必要だというのです。
内外の貴賓の皆様。
皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか。歴史上に、「私の国である」ということのできる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それでは、その国を取り戻すために苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか。そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜しだすことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統をもった国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。
私たちは、次元が違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致することのできる国となることを願わなければなりません。そのような国民性をもって国家形態を備えなければならないのです。
一つの国が形成されるためには主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何ですか。世界と国のために生きることです。そのようにしさえすれば滅びません。滅びない所が限界点です。
国のために生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなる時まで残るようになるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。
主権とは何ですか。根源である神様と因縁を結ぶことです。国を統治する人たちは、国民が深く寝入ったあとに、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければならないのです。
そのようになれば、その国は繁栄します。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして国民は誰ですか。国民は万民です。それでは国土はどこですか。地球星です。地上天国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか。主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。
地上天国は誰に似ているというのですか。「私」に似ているのです。「私」という個人が集まって国になるのです。したって、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。また、人間には万物が必要であるように、国土がなければなりません。
このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の3大要素です。そのようになっています。
人について見てみるとき、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば、天地人だという決定的な結論が出てきます。天とは何ですか。人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国は誰に似たのかというと、「私」に似ているのです。
いくら大きい社会、行くら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様がご自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか。人に似なければなりません。天・地・人に似るのです。
統一教会の用語で「祖国」というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような「祖国」を捜し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。
その祖国は、大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は、大韓民国ではなく、アメリカでもありません。共産国家でもないのです。その祖国は、神様が願う祖国です。ゆえに、私たちは、新しいその祖国の文化をつくり上げなければならず、その祖国の歴史をつくり上げなければなりません。
私たちは、新しい理想的な祖国を建てるために、新しい基準を定めなければなりません。私たちの生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか。ですから、違うというのです。
統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければならないのです。世界のために生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。
満場の内外の貴賓、紳士、淑女の皆様。
神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼は、どのような主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が、「愛の心をもって怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。
しかし、復帰摂理歴史を通じて、「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動だということを皆さんは知らなければなりません。
今までで、神様が最も愛することのできる人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきだというものでした。イエス様は、「ローマよ、あなたは力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架にかかりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。
そのような思想は、ローマの兵士たちに対して、「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦し給え」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えられ、二つの国家間の国境を乗り越えられる一つの原型、または模範となりました。
イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っていて、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、そのたびに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるというのです。
それでは、神様の理想国家の実現、すなわち神様の祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。それゆえに、「神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こう」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種を蒔けば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。
神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れ得ないことを皆さんは知らなければなりません。
見ていてください。アメリカが反対したがゆえに、国務省が反対したがゆえに、国会が反対したがゆえに、私は国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、アメリカで勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。
私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。
自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。アメリカの国務省が高い所から反対するとき、私が低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカの国務省は私に屈服してしまうはずです。
私が非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。
怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となることができ、人類が入っていける理想郷になり得ることを知らなければなりません。
私、文総裁は、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか。皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人たちは、私が愚かな人であると思っています。しかし、神様は、私が一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。
怨讐を愛する心をもてば、言えないことがありません。なぜですか。神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。立派な人というならば、そのような人が立派な人であり、堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、私はそれを栄光に思い、世の中に対して自信をもって攻撃するのです。
私一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。
「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は、民族の国境をさっと越えることができるというのです。
愛する心だけをもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるということを知らなければなりません。
私の哲学は簡単です。より大きなもののために犠牲になり、奉仕することです。私は、やってみなかったことがありません。農夫にもなってみて、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になって、まぐろも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみるとイギリス人がついて来て、アメリカ人もついて来て、世界の数多くの人々がついて来ています。ついて来るなと足でけ飛ばしてもまたついて来て、後ろに飛ばされてもまたついて来ます。ですから統一教会を、いくら研究してみても、その内容のすべてを知ることはできないのです。
内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様。
今から行くべきなのは、どのような道ですか。行くら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか。皆さんには国がないのです。いくら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でないときは、この氏族の首を切ることもあり得るのです。そうでしょう。それゆえに、天が歓迎することのできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第1イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎することのできる、そのような地になるべきです。ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか。そのようになることができませんでした。方向が違います。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。
したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、神様の祖国光復の時を迎えることはできません。
今日の「解放」というものは第1の解放です。今、統一教会においては、第2の解放が必要なのです。大韓民国も第2の解放が必要です。ここで大韓民国が第2の解放を迎えれば、国家と民族はそのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第3の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第1の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第2の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。
その国はどのような国ですか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致することのできる国民性をもたねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか。
その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた韓国と北朝鮮を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなくては統一することができません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する「統一思想」です。分かりますか。
今、私たちは二つの事をしなければなりません。世界において、いかなる国家持ついて来ることができない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついて来ることができない鉄のような信仰で団結した国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇ることのできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第1目的地だということを知らなければなりません。
祖国を取り戻すことができなければ、サタン世界の国家を凌駕することのできる天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなくては、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしてもできません。真の父母の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているということを知らなければならないのです。このような観点で見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、真の父母の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。真の父母の思想を国家の中心理念すれば、共産党は問題ありません。
紳士、淑女の皆様。
今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。
それゆえに、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活はできません。「祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶ」ということを考えながら、新しい歴史を創建し、神様の祖国光復の1日を迎えるその時に、自らの功労が現れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。言い換えれば、神様の祖国光復のための希望が現実の希望より、千倍、万倍強くなってこそ、今の生命を捧げることがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。
もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。既に彼が死んでしまったとしても、彼の友人になることができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたゆえに、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っている限り、神様がその基台の上に代わりの者を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまうときには、そこで彼が行くら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。
このような立場で皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか。神様の祖国光復のための信念が、何よりも高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、6000年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任を持っているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々がもつことを願いましたが、もとうとしてももつことができなかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。
したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、凛々しく、見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれることを神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか。今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。
しかし、今からはそのような祖国を建てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統が因縁となっており、他の民族がもつことができない歴史があります。そのような祖国のために私たちは、密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、神様の祖国光復の基台が自分によって徐々に近づくのです。きょうの苦労を代価として払うことが神様の祖国光復の1日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意をもっていかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることはできないのです。
私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、韓国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てることができるのではないかというのです。
ところが、皆さんに国がありますか。もっていないということを考えるとき、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。死んで、その面目のなさと恥ずかしさを、どのように免れるのですか。自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。その上、悪なるサタンの環境は私たちに反対し、怨讐たちは私たちの道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。
私が行き来するのも、その国を取り戻すための、神様の祖国光復のための建国の功臣になるためであり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて、今日の悪なる世界に来てこのことを行っている、という事実を思いながら生きていかなければなりません。
そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
皆さんは、個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか。世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか。
ですから私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、暮らそうとするのです。そのために生まれたということを、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないということを知らなければなりません。寝ているときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種をすべて集めた頂上の玉座に座っているという心をもたなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。
サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子、娘の生活であるということを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子、娘を愛そうとするならば、そのような息子、娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子、娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念をもって今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないということを、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。
「私は、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡し得る道があるのです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければならないのです。このことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を持っているのです。それと同じように、私たちがこの地上で、そのような使命をもっているならば、神様も私たちの報告と私たちの要求を待たれるようになるというのです。
したがって、自分が密使の立場で、「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。これと同じように、皆さんがそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら、「私は、これを願うので成し遂げてください」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見ることができるのです。
そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の者がいれば病気を治すことができ、困難なときには、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ、信念をもってすべてのものを打開していくことができるのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様!
私たちが行くべき所はどこですか。個人を尋ねていくことが、私たちが行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちが行くべき道は、国を尋ねていくことです。分かりますか。父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないということです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんなことは知らない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。
死ぬときまで国を求めていき、もてる精誠のすべてを尽くして、正に天国の主権復帰のために祝典を行い、祝賀することができ、勝利の凱歌を上げることができる、その時を迎えなければなりません。イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか。それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそのようなことができなければならないというのです。
今、以北(注:朝鮮半島で休戦ライン以北を言う語。北朝鮮)では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。これはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行うということなのです。国のためには、自分の夫や、妻、父母、息子など、すべて捨てて立ち上がることができなければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻すことができません。その国を復帰するとき、その国とともに父母を取り戻すようになるのです。国を見いだすことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにありますか。それゆえに、国を取り戻す前には妻を愛することはできないのであり、父母を愛することはできないのであり、息子を愛することはできないのです。これがキリスト教の行くべき道であり、統一教会の行く道なのです。
皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、「神様の真の息子、娘である」と言うことができるのです。
それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか。それは、自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に神様の国を建設することができる人だというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天のために生きる人が天国を建設することのできる人だというのです。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ神様の国を建設することができます。
それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の一番難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。
6000年間、神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に、「ああ、私は降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか。皆さんは、雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それゆえに、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになるときには負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないということです。
その国を取り戻すのは世界を取り戻すためであり、世界を取り戻すのは霊界のためなのです。そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しするために行くのです。そのような闘いをしなければならないのが私たち統一教会の使命であるということを知らなければなりません。
私たちは、はだしで出ていき、神様の祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かすことができますか。食べること、着ること、行き来することに、いつ神経を使うことができるでしょうか。はだしで、素手で開拓していかなければなりません。このようなことを行うところが統一教会なのです。
皆さんは祖国を探し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか。勇士とは国を代表し、ほかの人ができない仕事をなせる人のことを言うのです。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。誰よりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。
国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍は誰ですか。そして、国を成すことのできる基台はどこですか。一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となり得る基盤は何ですか。それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう。
それから、天の国の民とは誰ですか。教会員です。また、主権者とは誰ですか。皆さんです。皆さんが里長の代身者であり、面長の代身者であり、郡主の代身者であり、道知事の代身者です。サタン世界から爆弾が運ばれるなら、真っ先に駆けつけなければなりません。分かりますか。そのような心がありますか。
そして、お金が1銭でもあれば、教会を広げることに使うのです。その国の版図を広げ、国民を結集させることに使うのです。その国の版図を広げ、国民を結束させることに使うのです。教会の責任者は、主権者の代わりです。里長の代わりであり、父母の代わりなのです。このような伝統的思想を残さなければなりません。私たちには何もないのです。
この韓国に建てられる国は、どのような国でしょうか。互いが流通し交流するようになるときは、共産国が建てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国として、そのままにしておくのでしょうか。そうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について見るとき、私たちの時もますます近づいてきているということを感じるようになります。皆さんが、このことを成して責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、また、どの程度の犠牲の代価を払うことができる決意ができているのかというのです。自信がありますか。38八度線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。
人員が不足なこの時に、誰が北朝鮮の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「私が責任者にならなければならない」と10年、20年準備して、それでもなれなければ、子孫に、「お前は一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地で天との因縁を代表した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬことのできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか。私は今まで、そのように思って準備してきました。
そのような事を考えるときに、若い者たちは地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか。そのように暮らすようになっていますか、いませんか。死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女たちに国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。
「私は、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべて明らかになるようになっているからです。
このようなことを考えるとき、人が足りないということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか。人が不足しているということを知らなければなりません。かかしのような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットを造って北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男として生まれ、それも20歳、30歳の若い心と体をもっていながら、「原理」のみ言を語ることができないというのでは話になりません。
目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛をすべて受けることができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をもつことができるのではないかというのです。
イエス様も、国を建てられるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとすれば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は、最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれているのです。
この三千里(注:朝鮮半島全体)が祖国になりましたか。そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たち全員が一片丹心で頑張らなければなりません。
善というものは何でしょうか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、神様の祖国光復のために氏族が犠牲になることが善です。神様の祖国光復のためにすべてが犠牲になって、神様の祖国光復が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様のために絶対忠誠することです。そのようにすれば、その過程のすべてのものは認められるようになるのです。
私たちは、どのようにすべきでしょうか。イエス様は、「わが父よ・・・・・・わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ26:39)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは、何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもって、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。
イエス様は、祭物の使命をもって来られました。皆さんは、世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が神様の主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても、「必ず成る」という信念をもって死んでいったのです。
統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、神様の祖国光復、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私が望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは、神様の祖国光復の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。
韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。きょうもあすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈(注:預言者と、義のために戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。
私たちは、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は、祖国を見いだすことができません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることになるでしょうか。世界を自分の祖国と思って世界のために生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いて行くこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものとならなければなりません。
それゆえに私たちは、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚しなさいというのです。私たちの祖国のためにです。
今は、私が言えば何でも聞くことができる群れが生じ、私が方向を提示すれば動くことができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、神様の祖国光復を約束できる、そのような基台を広めていくのです。6000年摂理の中心的み旨として立てた家庭を信奉することのできる、教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉することができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたゆえに、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するために先頭に立って走らなければなりません。
夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国と共に寝なければなりません。今は神様の国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚める時もその国を建国するための一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成すためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。
成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。神様の祖国光復というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるということを思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて、「お父様。あなたが訪ねていかれるあすの安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配することのできる勝利的な国家の基台に向かっていく寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と、祈祷しなければなりません。
疲れたといって、思いのままに横になることができないのです。死んでも、国のために死ななければなりません。それゆえに、年を取って疲労を感じるそのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。
イエス様は、「(あなたがたは)何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。・・・・・・まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ6:31~33)と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。ゆえに、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻なので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。死ぬにしても、「私が成し得る力をすべて果たし、私はこれ以上できないというその位置で死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではいけません。それゆえに、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ。サタン世界よ、お前は何もしないで遊び暮らしていろ。我々は、その国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん。
特に女性の使命として、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。
さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。
改めて、きょうのみ言が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出合う、その日を早める汎国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。神様の祝福が皆さんと、皆さんの御家庭に共にあることを祈願いたします。ありがとうございました。(2000.3.9「文鮮明先生御聖誕80周年祝賀 南北統一前進大会」講演文)
(●2022.5.22:写経奉献)


