統一原理セミナー報告書 キリスト教代表12人

五大教団代表の統一原理セミナー報告書
一、キリスト教代表12人
①シモン・ペテロ(イエス様の12弟子のうち、第1弟子)
再臨主の指示と教えに従わなければなりません。
まず「神様は人類の父母」という土題のもとで進行したセミナー教育に対する所感を、簡略に話そうと思います。地上でもこちらでも、私はこのような形態の教育を受けたことかありませんでした。それで、初めは、非常 になじみが薄く、ぎこちないものでした。しかし、教育内容は誠に恩恵深いもので、その雰囲気も非常に良いものでした。講義内容は、神様のみ言や主のみ言のように、非常に親近感があり、かつ熱く感じられました。今まで私たちは、イエス様の指示と教えを受けましたが、これから再臨主を父母として侍る中で、再臨主の指示と教えを受けなければなりません。シモン・ペテロも、再臨主を絶対的に信じて行動することを誓いました。ここで学んだすべての講義内容を、もう一度聴講したいと思います。
シモン・ペテロ(2001年8月28日)
②使徒パウロ(初期キリスト教の偉大な宣教師)
人間の責任分担の重要性を認識
使徒パウロは、恵まれた者の中の恵まれた者です。個人的にイエス様にもお会いし、その愛も受け、再臨の主の温かい愛と指示と使命も受け、万事の主の真心のこもった愛の中で、新しい真理に接するようになったのですから、これ以上に恵まれた者がどこにいるでしょうか。使徒パウロは、ダマスコの近くで工と出会う以前から統的な神観に対する信仰と信頼は、何物とも取り替えられないほどに、しっかりと心に刻まれていました。
事実、復活の主にダマスコの近くで出会って体験していなければ、使徒パウロのそのような思考方式は、少しも動捨しなかったでしょう。信仰というものは、誠に奇異で神秘なものでした。直接、復活の主を体験することにより、自らのすべてのものを差し出すことができました。すべてのものを捨てて、ただただ復活の主にのみ夢中になっていました。今、再び、「統一原理」を学びながら、使徒パウロの伝統的神観がどれほど間違っていたのかを、はっきりと悟るようになりました。
神様や復活の主や再臨のメシヤは、私たち人間が必ず侍らなければならない方々でした。復帰摂理の過程において、神様のみ旨が成し遂げられなくなるたびに、数多くの中心人物たちが交替していきながら、復帰摂理歴史は延長されてきました。
しかし、使徒パウロの考えは、あまりにも浅いものでした。神様のみ旨は変わることはありませんが、ある摂理的中心人物が自らの責任を実行できなくなる時、神様の摂理が延長して新しい人物が現れ、その使命を完結しなければならなくなる、という事実を悟れなかったのです。人間の責任分担の重要性を、深く悟りました。神様の全能性にのみ頼ったまま、人間の責任は考えることができなかったのだと思います。一個人の小さな責任は、神様の大きな予定のみ旨の前には、とても小さなものでしたが、一個人にとってその責任は、100パーセントだと見ることができます。一個人の責任は、神様のみ旨と比較すればとても小さなものですが、個人において100パーセントだと考えれば、それが神様の摂理の前にとても比重のあるものなのです。ところが、パウロは、そのことを考えることすらできなかったのです。
現代キリスト教の絶対予定説は、パウロの足りなかった考えが生んだ、巨大な汚点だと言うことができます。「統一原理」を明らかにされた真の父母様の前に、申し訳ないことこの上ありません。そして、授受作用の理論も、パウロには、あまりにも大きな衝撃をもたらした部分でした。聖徒と聖徒がお互いに愛し合うということは、平凡な真理でした。このように平凡な真理が、なぜ成し遂げられず、闘争と紛争と恨みと嫉妬がなくならない世の中になったのでしょうか。このように正確な授受作用の理論があることを、パウロは知らなかったのです。このような理論は、誰も明らかにし得ない真理であることは知っていますが、パウロがキリスト教史に残した汚点を、どのようにすれば蕩城できるでしょうか。これまで以上に努力し、キリスト教の歴史に最後まで貢献すれば、それを落城できるでしょうか。
真の父母様! パウロの偏見が、再臨の主の前につまずきの石になったのではないでしょうか。今ここでは、決してそのようにはいたしません。「統一原理」を一生懸命に学び、ここの聖徒たちを正しく指導いたします。下さった使命を必ず成就するよう、徹底して準備しています。
使徒パウロ(2001年9月11日)
③ジャン・カルヴァン(1509~1564。宗教改革者)
伝統神学の絶対予定説の問題点を認めます。
神様が人間を訪ねてこられる時、数多くの難難と困難を経てこられました。いくら大きな苦痛があっても、それを子女に表現し得ない父母の心情が、人類歴史の背後に隠されていました。人間は神様が自らの父母であるという事実すら知り得なかった、という復帰摂理歴史が、カルヴァンの心をとても痛めました。カルヴァンは、神様があらゆる所にいらっしゃり、全知全能であられるので、神様のみ旨は、神様自ら成し遂げることができるものと思っていました。復帰摂理の過程に現れた困難も、喜びも悲しみも、すべて神様の全能性によって解決されるものと考えていました。特に神様は、孤独の神様、悲しみの神様、恨の神様だったという事実は、想像すらできませんでした。
エデンの園におけるアダムとエバの堕落は、神様の絶対予定だったのであって、人間の失敗だったとは一度も考えたことがありませんでした。人間の失敗によって堕落したというのは、全く話にならないものだと思っていました。全知全能であられる神様、絶対者であられる神様が、なぜ人間をそのように造られたかについて、数限りなく疑問をもちましたが、その解答を探し出す道は全くありませんでした。
数多くの人士たちが招聘されたこの場において、李相軒先生は、真の父母の思想とカルヴァンの思想を比較しながら、討論しました。その後、カルヴァンは、「統一原理」全体を聴講し、歴史の同時性時代を聞きながら、感服し、畏敬の思いを禁じることができませんでした。李相軒先生は、私、カルヴァンに理解させながら、涙で講義をしました。李相軒先生は、「文鮮明先生の教えを受けていなければ、今ごろ私白身は、地獄の底をさまよっていたでしょう」と言い、「数多くの苦痛とつらさの中で『統一思想』に接し、人生の方向をつかむことができました」と言いました。「統一原理」は、カルヴァンの思想と理論を根こそぎ踏みつぶしてしまいました。
今、カルヅァンは、絶対者であられる神様を信じ、神様のみ旨による絶対予定説も完全に理解することができます。今、私、カルヴァンは、申し訳ないことこの上ありません。すべての信仰者たちに「統一思想」を勧めたいと思います。絶対者であられる神様の、人類を中心とした宇宙の創造目的を知ることができなければ、神様を私たち人類の父母としてお迎えすることはできません。本当に李相軒先生に、とても感謝しています。カルヴァンの思想に限定されているすべての思想家だちと哲学者たちが「統一思想」に接すれば、カルヴァンの思想が非常に部分的であることを悟り、恥ずかしく思うでしょう。
人生の根本を悟らせる「統一原理」、「統一思想」を、地上の皆さんには、体系的に研究してくがさることをお願いしたいと思います。そして、皆さんは、「統一原理」を明らかにされた文鮮明先生が人類の真の父母、再臨のメシヤとして来られたことを絶対に信じ、従順にしなければなりません。ジャン・カルヴァンも、必ずその上うにします。現在、キリスト教の絶対予定説は、神様の根本的み旨を知り得なかったために現れたものであることを、深く肝に銘じ、悟っています。これが、ジャン・カルヴァンの告白です。本当にありがとうございます。
ジャン・カルヴァン(2001年9月16日)
④マルチン・ルター(1483~1546。宗教改革者)
「統一原理」が明らかにされていたならば宗教改革も必要なかったものを
まず感謝と尊敬の意を表します。立派な思想を明らかにしてくださった文鮮明先生に心から感謝しながら、この文をお捧げいたします。本来、ルターは、限りない神様の愛の体験を根拠として信仰生活をしてきました。今回の教育を受けてみると、神様の前に宗教改革は、大きな不孝をしでかした事件になったかもしれない、という心の葛藤が起きました。
文鮮明先生、人類の真の父母様、そして再臨のメシヤなど、すべての呼称は当然であり、ふさわしいものです。何をもって、このような恩恵に報いることができるでしょうか。天の秘密を、このように理路整然と明らかにしてくださったので、感謝しています。今正に、人間救済の道が開かれたという確信をもちました。「統一原理」は すべての思想と宗数的教えを受容し得る絶対真理です。このように体系的に成し遂げられた「統一原理」がルター当時に現れていたならば、宗教改革は必要なかったことでしょう。そして、数多くの生命が犠牲になることはなかったでしょう。今も宗教の名によって、数多くの人々が犠牲になっているので、残念に思います。宗数人たちが「統一原理」さえ知れば、宗教の障壁、人種の障壁、思想の障壁がすべて崩れることでしょう。しかし、このような真理が、なぜ今になって人類にもたらされたのか……。数多くの紛争と摩擦などによって、病にかかっていった人類を回顧してみるとき、無念な思いがします。
文鮮明先生、どのような呼称でこの文をお捧げすれば、最も大きな尊敬と感謝となるでしょうか。ルターは、ただ感動と感謝だけです。地上にいらっしゃる間に、このような原理と思想が全人類に、地の果てまで広く伝播され、人類の悲惨な歴史が終息し、ただただ神様の愛の世界が実現されることを願います。
先生、再臨の主様、ルターはまだ、お父様とお呼びすることはできないでしょう。主は、全人類の父母として来られましたが、人類は、各自の資質を磨き上げ、神様と真の父母様の前に、真の子女の姿に生まれ変わらなければなりません。ルターが真の子女の立場に立つまで、あまりにも多くの時間がかかると思うのですが、このような姿でも子女として受け入れてくださるのでしょうか。先生、ルターも真の子女の立場に立てるよう努力いたします。天の秘密を明らかにしてくださったことを、心から感謝いたします。最高の感謝の表現をお捧げして、この文を締めくくろうと思います。先生、ありがとうございます。本当にありがとうございます。ルターは、こ の真理の前に渾身の力を尽くします。
マルチン・ルター(2001年9月16目)
⑤アウグスティヌス(354~430。ヒッポの主教。カトリック神学の教父)
「統一原理」が全天宙に伝播されることを
ここでも、「統一原理」が偉大な真理だと認識する人たちが、とても増えました。「統一原理」を聞いた人たちは、彼らの思考方式が変わり、彼らの生活方式も、とてつもかく変わってきています。これは、地上でも霊界でも、同一の現象でしょう。このように、「統一原理」を聞きさえすれば、新しい姿に変化するのですが、なぜ一部の教団と教派の信仰者たちは、それを聞きもしないで性急な結論を下すのか、それがとてももどかしく思います。
アウグスティヌスは、「統一原理」によって半狂人になりました。地上でこの真理を知ることができず、ここに来て知るようになったことが、あまりにも無念でした。しかし、文鮮明先生がここに来られる日を思いながら、今からでも主をお迎えする準備をすることが賢明だと思いました。過去のすべての過ちを捨て、ただこの真理だけに従っていきます。アウグスティヌスは、与えられた召命を常に心に刻印しながら、すべての生活を忠実にするでしょう。
数多くの聖彼たちは、「統一原理」を喜んでいます。アウグスティヌスは、彼らと対話しながら原理教育をしています。特にキリスト教徒だちと、より親しくしながら生活しています。一部のキリスト教徒たちは、この真理と異なる見解をもっていました。アウグスティヌスは、彼らを正しく説得することに、一役買っています。
ある日、篤実なキリスト教の女性がアウグスティヌスのところに現れて、「アウグスティヌスは『統一原理』を聞いても、なぜ何の反応もないのですか」と質問しました。その質問の意味は、なぜ異端の声に簡単に染まっていき、馬鹿のように働いているのかというのです。この女性は、アウグスティヌスの自尊心を激しく傷つけました。本当に怒りが込み上げてきましたが、耐えながら彼女に、自らの経験を話してあげました。「『統一原理』の講義を詳細に聞いてみなさい。講義を聞いて、途中で異端だと言ってはいけません。すべて聞いてみれば、『異端』という言葉よりも、あなたの胸が締めつけられ、痛みしか残るものがないでしょう」と、本当に真摯に語っ、てあげました。このような人たちは、よくいるものです。
文鮮明先生! 真の父母様! アウグスティヌスです。今からは、私を信じて、安心してください。アウグスティヌスは、この真理の前に、少しの疑心も、反抗もいたしません。このように再び、御機嫌をお伺いすることができる機会を下さり、本当にありがとうございます。一日も早く、この真理が、この地からあの地の果てまで、完全に伝播されることを祈ります。
アウグスティヌス(2001年9月17日)
⑥テルトゥリアヌス(160~225。キリスト教弁証家、ラテン学派の代表者)
人類平和運動キャンペーンを展開したく思います。「統一原理」の生活化が急がれます
感動的な原理教育を受け、私に所感を発表できる機会まで下さり、本当に感謝いたします。長久な人類歴史の流れの中で、何も知らずに、ただ来てはそのまま逝く人間たちが多いのですが、今日、地上の人たちは、このような真理を受けられる機会と環境で生活しているので、どれほど幸福でしょうか。彼らがとてもうらやましくなる時が、少なくありませんでした。
「統一原理」は神様の啓示です。そうでなければ、人間をこのように感動、感化させられるでしょうん。「統一原理」のすべての内容は、一様に感動的で衝撃的ですが、特に授受作用の理論がそうです。授受作用の理論は、あまりにも平凡な原理であり、すべての存在物に普遍的に適用される理論です。すべての人間たちがこのような理論によって生活するならば、人間社会から対立、摩擦、闘争は、完全に消えるだろうと思います。この理論は、一寸の誤差もなく、細密で体系的なので、ただ感嘆するばかりです。このような授受作用の理論を一つだけ武装しても、人類救援に画期的な成果を上げることでしょう。しかし、すべての人間が、このような原理を体得できずにいるという現実が、切ないばかりです。そして、「統一原理」を教示なさった文鮮明先生が、あまりにも御高齢だということが、とてもやるせないです。
「銃一原理」に対して、誰が反旗を翻すでしょうか。もしそのような人がいるならば、彼は無分別な人であり、とても愚かだと自白することになるのです。人間の頭脳から、このような真理が出てくるものでしょうか。今、再びテルトゥリアヌスが地上人に戻れるならば、絶対にやりたいことがあります。このような真理でもって人類の平利運勤キャンペーンを積極的に展開したいのが、それです。授受作用の論理一つだけでも、人間に対する神様の根本愛を、十分に説明できることでしょう。
「統一原理」がすべて、人間生活に適用されるならば、地獄は当然なくなることでしょう。所感発表の時間があまりにも短くて、話したいことを全部は話せません。
地上にいらっしゃる文鮮明先生は、天上天下の真の父母として来られました。このことは人類の大慶事です。今や人類の救いの道が大きく開かれたので、私たちは、どれほど恵まれた人たちでしょうか。地上と霊界が一つに統一され得る最も有力なことは、「統一原理」が全天地にくまなく伝播されることだと思います。その日が一日も早く到来するように、テルトゥリアヌスは、「銃口原理」の伝播に全力を尽くすつもりです。
今日、地上人は固陋な考えから抜け出して、ここ霊界があることを悟り、神様の摂理を正しく研究しなければなりません。神様はお一人なのに、様々な教派に分かれていることは、神様のみ意でしょうか。神様の摂理の焦点がどこにあるのかを悟り、神様の摂理に合わせていく人が真の信仰者だと思います。神の国は、遠い所ではありません。人類が行くべき終着地は、ただ一つの所です。人類が永遠の住まい、主なる神の家で、神様と共に永存することが神様のみ旨だとすれば、私たちは今、どこに、どのように立っているかを深く考えるべきでしょう。
人類の真の父母様! 人類の復帰に、どれほど御苦労が多いでしょうか。本当にお疲れ様でした。こちらの私たちは、「統一原理」を中心として、全人類の生の方向が一つになることを祈ります。
テルトゥリアヌス(2001年9月19目)
⑦コンスタンティヌス大帝(313年にキリスト教を最初に公認した皇帝)
真の父母様の直接的な指導を受けたく思います
こちらでも皇帝の称号で呼んでくださるので、本当におそれ多く恩います。文鮮明先生は、一国の皇帝ではなく、全人類の王の王であられ、君主の君主であられ、皇帝の皇帝であられ、真の父母であられることを、今回の教育を通してはっきり悟るようになりました。このような恩恵と感激を表現できる機会を下さり、本当に感謝しながらも、一方では、おそれ多く思います。
当初、人類の出発が誤らなかったならば、このような「原理」は既にその当時、出ていたことでしょう。しかし、人類歴史は堕落世界へと傾き、染まってしまいました。このように切ない人類歴史を経綸されながら、神様がどれほど苦心されただろうかを、私は考えてみます。誤った人類歴史を収拾するために、人類に真の父母が必要だったという事実、言い換えれば、人類は、真の父母の真の愛なくして救われないという事実を、原理を通してよく学びました。
今、新しい真埋か人類に現れたので、全人類は、真の父母様の顕現とその苦労に、喜びと賛美の祝祭を棒げるのは当然のことでしょう。しかし、私は、この事実を知らずに今まで生きたので、おそれ多いのですが、今からでも全人類を代表して、小さな国の皇帝の名によってお祝い申し上げようと思います。
文鮮明先生、真の父母様、人類のメシヤ、再臨の主、王の王として登場された主、万歳、万歳、万歳! 感謝いたします。感謝いたします。感謝いたします。私は、全人類が「統一原理」の真理に従って生きていくことを宿願し、こちらにおいてだけでも、神様の国が一日も早く建設されるよう、全力を尽くすつもりです。このような聖業の隊列に私を同参させてくださったことに心から感謝申し上げ、私たちのために熱い講義をしてくださった講師の方々にも感謝申し上げます。 真の父母様、地上における私の皇帝としての人生が決して無駄にならないためには、こちらでどのように生きればいいでしょうか。どのようにすれば、真の父母様に近い所で侍ることができるでしょうか。これは、皇帝として扱ってほしいという意味では決してなく、今後、もう少し品位があり、価値のある生を営むために努力したいという意味です。
「統一原理」に対していれば、私の心が一層粛然とし、新しい生を出発しようという意欲が、おのずと生じます。そして、今まで誤って生きてきた地上生活をも悔い改めさせます。寛容と許し、そして、悔い改めの気持ちが先に造成されれば、真の生の価値を切実に感じるようになるでしょう。文鮮明先生の直接指導を受けようとするならば、どうすればいいでしょうか。あまりにも生意気なお願いでしょう。できるならば、真の父母様の指導を受けて生きようと思います。それは、ここの講師の方々の姿が、私たち皆を感動させ、感激に浮き立つようにしているからです。 文鮮明先生! 感謝いたします。
コンスタンティヌス大帝(2001年9月22日)
⑧エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772。近世の代表的神秘主義者)
霊的現象の神学的・哲学的根拠を提示する真理
私、スウェーデンボルグは地上にいる時、霊界の実相をたくさん体験しました。地上にいる時も、神様の臨在を様々な面で、たくさん体験しました。ですから、無形世界に対して少しも疑ってみたことがありませんでした。しかし、無形世界が実体世界と同じ姿で、永遠の世界として永存しているという事実は、知らずにいました。それに対する体系的な理論も経験しかことがなく、神様がそれを敦えてくださったこともありませんでした。地上でで多くの人間が生きていますが無形世界の実在を認め、理解するならば、今と全く異なった姿で生きていくにとでしょう。
今、スウェーデンボルグが地上に残した無形世界の経験的理論は、全く根拠がないので、「そのはずだ」という推論的なものだけが、それも限りなく部分的なものだけが記録されているのです。ところが、「統一原理」と「統一思想」は、神様の創造目的に基づいて、哲学的に、神学的に、そして歴史的にとても細かく、正確に説明されています。それで、目の不自由な人にも、無形世界へ訪ねてこれるようにその道を開いたので、人間にこれ以上の福音がどこにあるでしょうか。本当に、あまりにとてつもないことです。外形世界と有形世界の根本的道理だけ人間に理解させれば、誰も地獄に来ないと思います。大部分の人々が事実を悟れないために、永遠の苦難のを免れることができずに、生きていくのです。
私、スウェーデンボルグは、一生涯に、霊的現象を経験したことがたくさんあります。そのうち、一つだけを話そうと思います。大部分の私の霊的体験は、神様が人間に無形世界の現象を教えてきたものです。
ある日、私、スウェーデンボルグが静かに祈祷して瞑想していると、突然、非常に明るい光が現れて私を光の中にふわふわと乗せて、どこかに進んでいきました。突然、光が消え、雷が鳴り、稲妻が光り始めました。同時に雷の音とともに叫び声、呻吟する声、理解できないわめき声が聞こえてきました。ここは何をする所だろうかと、詳細に見ると、多くの人々がちょうど山崩れが起こったかのように、大きな岩の下に挟まっていました。血だらけになったむごたらしい姿をしたまま、「肋けてくれ」と叫んでいる声を聞いて、びっくり仰天しました。私は、それが獄だということをたちまち悟りました。光はまさしく神様であられ、神様は、このスウェーデンボルグに地獄を見せてくださり、「あなたが彼らを救いなさい」と要請なさった、と考えました。無形世界には地獄というものがあるので、人間は罪を犯せばこちらに来ると、お教えになられたのです。しかし、本当に惜しいことに、スウェーデンボルグは、それを悟ることができませんでした。彼らに神様の救いのみ手を伸ばせたにもかかわらず、私は神様を助けることができませんでした。あまりにも心が痛みます。ここにいる講師たちに、いくら感謝しても足らないことでしょう。ここの講師たちは、神様の内部事情を推し量り、そのまま実践する方々です。
神様、申し訳ありませんでした。そして、私は「統一原理」の主人公、丈鮮明先生が誰なのかを、よく知っています。講義を間く瞬間、先生のお顔(竜顔)を拝見しました。あまりにも切なげにされる竜顔を拝見しました。そして、神様の限りない愛を受けていらっしゃる玉体も拝見しました。後れはしましたが、スウェーデンボルグも、神様と文鮮明先生をお助けしようと思います。当時は、霊界に対する体系的な理論がなかったために、霊界の現象を体系的に説明することができませんでした。今、そのような理論的基盤が、私を正しく立たせました。
人類の真の父母様、足らない私も、父母様として侍り、希望をもって「統一原理」を一生懸命に研究するつもりですし、今までの霊的経験を「統一原理」と調和させて、こちらのすべての人々に知らせます。そのために、常に祈祷し、努力いたします。真の父母様、お疲れ様でした。スウェーデンボルグは、人類の父母の教えを固く信じています。お目にかかるその日まで、努力いたします。感謝いたします。
エマヌエル・スウェーデンボルグ(2001年10月3日)
⑨カール・バルト(1886~1968。現代神学者)
伝統神学だけに固執すれば、あなたの霊魂は枯渇するでしょう
カール・バルトは、神様に対して多くの研究をしてきたと思っていました。しかし、きょうの今回の「統一原理」は、カール・バルトをとても恥ずかしくさせ、粛然とさせています。そのまま、ただ静かに瞑想に浸りたくなりました。この心情を、どのように文字で表現できるでしょうか!
無窮無尽であられる神様は、どこからどこまでが神様の領域なのか分かりません。全地球、天上天下がみな神様の属性と能力、そして知性の顕現ですが、「統一原理」の真理を聞いてみると、カール・バルトは開いた口がふさがりません。このような真理を明らかにされた文鮮明先生は、再臨の上、救世主であられることを重ねて信じます。このように奥妙な真理がどこに隠されていて、なぜ今、明らかにされたのでしょうか。神様の胸の中に、無窮無尽な天の秘密が込められているという事実を知って、この上なく驚くばかりです。どうすれば神様の背後に隠された事情、神様の胸に隠された事実をみな解明してみることができるでしょうか。私たち人間か神様のすべてを知るということは、大変な驕慢であり、傲慢だと考えます。
しかし、文鮮明先生は、神様の心情をすべて推し量られ、神様の孝子の中の孝子になられました。このような「宝石」が隠された所をどのように知り、それを解明することができたのでしょうか。カール・バルトは、どうしてこんなにも無知だったのでしょうか。人間の限界と無能を悟り、限りなくむなしくなるばかりです。今まで、何をもって神様に仕えたのでしょうか。神学とは、何を教え、何を研究するものでしょうか。「統一原理」に接してみて、「神学」という用語を完全に投げつけたい思いです。神学を通して何を教え、何を学ぶのでしょうか。それを通じては、何も得るものがないように思います。宇宙の根本は、人間の頭脳でもっては解決する方法がないようです。ただ虚脱感にとらわれるばかりです。
現代神学は、人間を驕慢と傲慢のるつぼに押し込めるだけです。とても奇妙な隅っこに押し込めています。このような神学的問題は、「統一原理」がなくては解決できないことでしょう。この事実を悟り、カール・バルトは限りなく無能な人であり、意味のない人生を送ったということを認めるようになりました。これは率直な心情です。
今日の神学者の皆さん、あなた方は頭を上げなさい。二つの目を大きく開け、しっかりしてごらんなさい。カール・バルトは、伝統的神学の観念を、みなつかみ投げ、燃やしてしまいたい思いです。胸が詰まります。神学者の皆さん、あなた方の考えを変えてごらんなさい。聖書をどのように見ますか。ある側面では、聖書の奥妙な真理が、あなた方を拘束しているようです。カール・バルトは、きようこの場で、私白身の仮面を赤裸々にはいでしまおうと思います。あなた方も、それをはいで捨てなさい。みな焼いてしまいなさい。そして、新しい真理を受け入れなさい。神様は私たち人間の父母であり、あなた方は神様の子女たちです。この真理は、あなた方はも ちろん、全人類にとっても爆弾的な宣言であり、福音です。成約時代の「統一原理」は、聖書六十六巻を凌駕する素靖らしい福音書であり、爆弾の書です。カール・バルトは、こちらの霊人の姿で「統一原理」と「統一思想」を学びました。
神学者の皆さん、聖書の文字に縛られて生きれば、あなた方の霊魂も共に、そのわなから抜け出せないことでしょう。結局、哀れな霊魂になってしまうことでしょう。あなた方、神学者の皆さんが信じている救援観には、少なからず問題があるように思います。こちら霊界で、それをどうしてみな列挙できるでしょうか。あなた八の救援観とこららの実相を比較してみれば、到底理解できない部分があまりにも多いことでしょう。
しかし、これが事実であり、こちらの現実です。固陋な信仰のわなから解放されるようにお願いします。セミナーの所感が一種の手紙の形式になってしまいました。カール・バルトの心情は、混乱しています。「統一原理」と「統一思想」を深く学び、精読して研究するようお願いします。そして、神学者の皆さんは、カール・バルトの様々な書籍と「統一原理」を、比較してみるようお願いします。神様は、人類の父母であられます。文鮮明先生は、私たち人類の救世主として来られました。そして、その方は一緒に、人類にとてつもない福音をもって来られました。その新しい福音書、それが正に「統一原理」であり、「統一思想」です。
神学者の皆さん、あなた方は聖書を読み続けながら、無条件に理解しようと努力したではありませんか。旧約時代があり、新約時代があり、そして成約時代があります。成約時代の福音書が「統一原理」であり、「統一思想」です。文鮮明先生は、「神様は人類の父母」であることを明らかにされました。そのお方は、再臨主であり、メシヤであり、全人類の真の父母様であられます。
神学者の皆さん、あなた方の胸に、正義の血がはとばしるでしょうし、あなた方の情熱は、神様の真理で武装されることでしょう。あなた方は、真なる真理の前に卑屈にならないようにお願いします。カール・バルトは、あなた方の胸に新しい福音の爆弾になることでしょう。
再臨の主、文鮮明先生、人類の救世主、真の父母様、感謝いたします。私たち神学者をお救いください。これは、カール・バルトの切実なお願いです。
カール・バルト(2001年10月6日)
⑩マーティン・ルーサー・キング(アメリカの人権牧師)
人種の障壁を撤廃する真理が出現しました
神様は人間をお造りになる時、神様の子女としてお造りになりました。ですから神様は人類の父母です。このような教えは、あまりにも感動的です。そして、黄色人種、白人、黒人など人種差別、教派の葛藤、民生主義と全体主義から外れた兄弟たちの葛藤、国と国の紛争、摩擦などは、神様の本然のみ旨ではないという事実、エデンの園で人間の出発が誤ることによって、偽りの歴史が流れてきたという事実を新しく知り、マーティン・ルーサー・キングはとても感動を受けました。
神様は、偏愛なさるお方ではありません。様々な次元の人種的障壁、教派的障壁は、神様が創造されたのではなく、人間の誤った生の方向によって生じたものでした。マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」の前に本当に感謝します。すべての人間は、神様から共通に賦与された自らの価値基準をもって生きていきます。それは、神様から賦与された特権です。ところが、どこからか、いつからかは分かりませんが、人類歴史に人種差別と教団の葛藤が絶えず流れてきたのです。
しかし、「統一原理」は、すべての人間に共通に与えられた平和思想です。「統一思想」は、人類を統一させられる真理です。これは、人間の力で得られるものではなく、神様から受け取った天の秘密です。このように篤くべき天の秘密を明らかにしたという事実自体、全人類が其に祝賀すべき犬事件です。
マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」の出現に対し、限りなく感謝に感謝を重ねます。「統一原理」によれば、自由と平等は、人種と教団、地位の高低に関係なく、誰もが享受すべき特権です。この事実を感じるようになる時、また無限に感謝に感謝を重ねます。また、天の秘密の真理を明らかにされるまでの文鮮明先生の苦難と苦労の前に、また感謝を申し上げます。神様と人間は父子の関係だという事実の前に、無限なる幸福を感じます。
また、「統一原理」は、ある一つの教団に限定された教えではなく、すべての教団を包容することができる教えです。「統一原理」は、人間の内面的・外面的真理をもっているので、すべての宗教者たちはもちろん、全人類が精読するならば、人生の真の案内書になることでしょう。人類が当然、歩いていくべき生活指針書です。「統一原理」の理路整然さに感嘆を禁じ得ません。
人類は平和と解放のために数えきれないばど努力してきましたが、それは、このような真理がなかったがゆえに、いつも水の泡のように消えてしまいました。そのような運動は、群集心理により、起こっては消えてしまったのです。「統一原理」は、人類平和を具現できる真理だと確信します。人類のすべての障壁を取り払い、ただ神様の思想によって統一させ得る、唯一の真理だと考えます。マーティン・ルーサー・キングに機会が与えられるならば、マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」でもって新しい人間革命を起こす自信があります。ここの講師たちは、革命家ではないようですが、心情に波動を起こして人を感動させる、偉大な感化力をもっています。それは、人間の力ではなく、神様の聖霊の力と真理の力がプラスになったものだと考えます。 文鮮明先生、人類に平和をもたらし、偉大な真理を明らかにしてくださって、あまりにも感謝です。また人類の真の親として顕現なさることにより、人類の胸に恨みの積もった人種の障壁を撤廃させられる絶対的基準を見いだすようになったので、無限に感謝いたします。本当に感謝いたします。
人類の真の父母様、人類の救世主、再臨の主、私たちの心を尽くして力強く呼んでみます。私たちは、神様の孝子の中の孝子であられる真の父母を迎えたので、どれほど幸福か、推し量る道がありません。感謝いたします。
マーティン・ルーサー・キング(2001年10月6日)
⑪金大建(1821~1846。カトリックの韓国最初の司祭、殉教者。百三位聖人の中の一人)
主を中心として、新しい文化が韓国で創造されるでしょう
「統一原理」という用語自体が、人間の心をとても純化させています。ここを訪れる道は、黒山の人だかりになっ ています。「統一原理」を聞きたいと声を張り上げる人々と、間けないように遮る人々が、互いに交錯して大騒動になっています。ここの大部分の人々は、「統一原理」は、文鮮明先生、再臨の主が明らかにされた新しい福音であり、ここは、人類の真の父母様、救世主を迎えるための教育現場だと言っています。
本当に、金大建は、地上に何も業績を残せなかった者であるにもかかわらず、この場に招聘してくださり、無限に感謝します。ところで、ここには、本当に表現し難い不思議な情感が流れていました。講義の場に入ってくる瞬間、出入り口でまだ講義が始まる前から、どこから現れたのか分かりませんが、きらびやかな光が私をぐるぐる取り巻きます。その瞬間、全身と心は、喜びで満ちあふれ、私は、自らも分からない中で、恍惚の境地に陥っていきました。けれども、あまりにも神秘的なので周囲をよく見ると、これは現実ではなく、霊的体験でした。とても感謝です。ここはどうして、かくも美しく、平穏なのでしょうか。そして、どうして謙虚な人々だけが集まっているのでしょうか! 案内の人だちと講師たちは、あまり見かけない俊英な姿と印象をもっています。
講義が始まる瞬間、金大建という身分が自然に明らかになり、私は躊躇なく前に進み出て、講師たちにあいさつを交わすようになりました。私の体は、私のものではなく、どこかに導かれていくかのようでした。これが「霊的体験だな!」と思い、私は本当に神秘的な講義を聞くようになりました。
講師たちの講義の声は、天の声のように一回り響いて私に聞こえてきますが、それはあたかも神様が教えられているかのように聞こえてきました。これは講義ではなく、神様の声を通してそのまま現れた教えです。このような雰囲気の中で、私は、神様の召命を直接感じました。ある程度の時間が過ぎると、私はあたかも、かまどの上に置かれていた素焼きの土器が、お膳の上に安らかに置かれたもののようになりました。私の心も静かになりました。
今から金大建は、「統一原理」に対する所感を話そうと思います。「統一原理」と「統一思想」の講師たちはみな、情熱と精誠と知性によって、私たちを完全に幻惑させるほど素晴らしい講義をしました。
けれども、到底理解できない部分があります。これはどうなっているのでしょうか。金大建は天主様(神様)と一生を共にして生きようと決めた時、最も大きな悩みは、一生を一人で生きていけるだろうかという点でした。もちろん周囲の人も、この点に対して疑問がなかったのではありません。その理由は、人間の生理構造は現実的に一人で生きるようになってはいなかったからです。けれども、修道者の道は、生理的なすべての条件を抑制して、ただ神様に侍って生きていく道です。これは修道者の当然の道であり、神聖な生活だと考えていました。
ここで全大建の理論が崩れつつありました。神様の根本的み旨は、人間に下さった祝福を通じて、子女を繁殖して生きていくようになっているのに、なぜこのように独身で生きなければならなかったのでしょうか。このような疑問をもったまま、今、修道者の道理から外れた生活が、どれほどたくさん起きているでしょうか。信仰と現実の二重の偽善的仮面をかぶって、罪人の姿で信仰する人々がどれほど多いでしょうか! そして、これがどれほど矛盾的生活でしょうか! また、これはもう一つの罪悪です。今日、カトリックは、このような問題をどのように解決するのでしょうか。
しかし、文鮮明先生が明らかにされた「統一原理」と「統一思想」は、全人類に希望と喜びを与えていて、また、修道者の生の方向も正しく提示しています。「統一原理」と「統一思想」の敦えに従い、真の父母、再臨の主、メシヤに侍り祝福を受ければ、このような悩みがすべて解決することでしょう。今も多くの修道者たちが、信仰と現実を別々に切り離して生活しています。人間の生理構造は、神様の創造目的を実現できるように創造されたので、人間はどうすべきでしょうか。もし「統一原理」の敦えに矛盾があるならば、人間の祝福問題も矛盾することになるでしょう。しかし、「統一弘理」は、神様が下さった新しい福音であり、啓示なので、真理の矛盾性は、全くないことでしょう。
誰もが「統一原理」を一度聞いてごらんなさい。神様が人類の父母であることを、一句一句すべてに感じることでしょう。
文鮮明先生、どうして「統一原理」が私たちの韓国から現れたのでしょうか。それがあまりにも感謝で、有り難いです。金大建の歴史は、取るに足りない悲劇として終わりましたが、文鮮明先生は、国威を宣楊し、韓国の位相を高め、全人類の信仰の母国としてお立てになったので、感慨無量です。「統一原理」は、世界万民の偉大な福音になるだろうと信じます。神様は、私たちの韓国を愛してくださいました。ゆえに再臨の主を、韓国の地に韓国人として送ってくださいました。ですから、韓国の文化か世界に末長く輝くでしょうし、韓国が世界の聖地になるでしょうし、韓国語が世界語になることでしょう。この韓国の地にまかれた金大建の血が、このような 摂理歴史に一役買ったようです。
文鮮明先生、人類の真の父母様、多くのカトリックの修道者たちをお救いください。そして、神様を人類の父母として明らかにしてくださったことに、心から感謝いたします。また、とてつもない新しい真理を明らかにされ、人類を身代わりして神様の前に孝子の中の孝子の基準を立ててくださったことを、無限に感謝申し上げます。
全大建は、この真理の前に無条件に感謝して従います。また、ここに記録できない神秘的な体験と、すべての所感を伝達できないことを、もどかしく思います。しかし、無窮なる真理の道は、勝利の道だと信じ、一日も早く「統一原理」の教えが国教となり、世界万民が一つの道、統一の道を歩んで、神様を父母として侍る方向に前進、発展するだろうと信じます。文鮮明先生を尊敬し、お仕えいたします。
金大建(2001年10月6日)
⑫李龍道(1901~1933。メソジスト教会牧師。復興師)
地上で主を迎えられなかったことを痛哭しています
神様を知り、神様と共に生きながら、そして来たるべき主を待ち、慕い、生きていく人生が李龍道の願いです。そして、私は一点の恥ずかしさもなく、心の幸福を感じながらその上うに生きてきました。それが私の人生の全体でした。
しかし、「統一原理」と「統一思想」を知ってみると、私の人生に少なからず問題があることを発見しました。人間の無知は、罪を生み、その罪が芽を出し、多くの実が結ばれてしまいました。罪悪の根を抜いてしまおうとしても、堅く根を下ろしているので、簡単ではないだろうという結論に至るようになりました。どうすればいいでしょうか。どうすれば「統一原理」を、李龍道白身の人生で根こそぎ生活化させられるか、というのが私の大きな関心事です。
「統一原理」と「統一思想」は、とても体系的であり、論理的であり、批判されるに値する部分はほとんどないように思います。前の部分で気になっていたものは、あとの部分でそれを解消してくれます。また、「統一思想」で、様々な次元の宇宙の問題、世界の問題、人生の問題が一様に解決されているので、この真理を聞きさえすれば、誰も反対できないことでしょう。
「統一原理」の理論には、全く問題がありません。けれども、いつも大切に保っていた李龍道の信仰と哲学、神様に対する信仰、イエス様に対する信頼感のようなものが、「統一原理」と比肩してみて、非常に外れているという事実を悟るようになりました。私は、この事実の前に、唖然とするしかありませんでした。人類がそのように待ってきた再臨の主は、ほかでもない文鮮明先生であり、神様は人類の父母であり、文鮮明先生は16歳(数え)の時から、イエス様から使命を引き継がれたということは、衝撃的な宣言です。
それなら私たちも、明らかに、再臨の時に時代的恩恵を受けて当然でした。今、しかも地上人が信じてくれるかどうかも分からないこの事実を、ここ霊界で現実的に生活する人々に、どう理解させることができますか。それを考えれば、胸がとても重く、手に負えません。李龍道も、ここの講師に劣らず、地上生活で再臨の主に侍り働くことができる機会と環境を迎えていたのに、なぜそうできなかったのか、なぜ時代的な恵沢を受けられなかったのか、私はとても惜しい心情を吐露せざるを得ません。
私、李龍道は、ここで「統一原理」と「統一思想」を批判する考えは毛頭ありません。「統一原理」と「統一思想」は、全世界人類の偉大な福音です。そして、「統一原理」はイスラエルではない韓国から出現し、再臨の主も純粋な韓国人だという事実に、一人の韓国人として無限の自負心を感じます。韓国の祖国領土が人類の中心国になるのに、何の不満があるでしょうか。それにもかかわらず、李龍道の過去の人生を回顧してみると、それはあまりにもしゃくに障り、もどかしく、無念この上ありません。ここ霊界でだけでも、メシヤが韓国人であることを誇り、韓国で誕生したということをすごく誇り、旗をひらめかせたい思いです。しかし、地上で再臨の主 を迎えられなかった点については、本当にとてもしゃくに障り、自尊心に泥を塗ったようです。
神様! 李龍道の堕落の根性が、今、ふつふつと沸いています。同じ韓民族として講義する講師だちと李龍道を比較してみると、李龍道のみすぼらしい姿が、あまりにも明確に現れます。しかし、無駄な劣等意識を捨てなければなりません。消さなければなりません。堕落の根性に引かれていく李龍道のみすぼらしい姿から、抜け出さなければなりません。今、李龍道の心で激烈な戦争が起きています。しかし、新しい真理を受け入れ、このような葛藤から抜け出そうと努力いたします。
文鮮明先生! 李龍道に機会を下さい。本当に切ないです。本当に無念です。同時性の時代の説明を聞きながら、狂いそうでした。李龍道にも、主に侍る機会を下さい。李龍道もやれます。何でもやらせてくださりさえすれば、やることができます。今からでも、文鮮明先生を主として信じて従いながら、悔い改め、祈祷し、神様と主のみ旨を現実化させるために最善の努力を傾注いたします。
文鮮明先生! 主よ! 人類の真の父母様! あまりにもとてつもない御尊名をあえて呼んでみますが、李龍道のこちらの生に新しい機会を下さい。先生! 本当にお疲れ様でした。人類の真の父母様として、再臨のメシヤとして、人類の前に勝利なさった真の父母様となってください!
李龍道(2001年10月7日)
(2022.4.2:写経奉献)


