統一原理セミナー報告書 ヒンドゥー教代表12人

 

霊界五大教団代表の統一原理セミナー報告書

 

五、ヒンドゥー教代表十二人

1.四大聖人の激励メッセージ

 ムハンマド様がヒンドウー教指導者たちに

 ヒンドゥー教指導者の皆さん、私はイスラーム(イスラム教)指導者、ムハンマド(マホメット)です。私は皆さんより先にセミナーに参席し、「統一原理」を聞きましたが、それに対する簡単な所感と、「統一原理」に対する紹介をしてさしあげようと思います。「統一原理」は私たちの頭脳で判断する真理ではありません。私は何よりも、すべてのムスリム(イスラム教徒)の自尊心のために、ムスリムたちが「統一原理」を聴講すること自体を許しませんでした。しかし、ムスリムたちが「統一原理」を聞くようになったきっかけは、ここにいらっしゃるドクター李(李相軒先生)のたび重なる勧誘と、その方の人柄によるものでした。
 ヒンドゥー教指導者の皆さん! 私たちの霊魂は一つであり、私たちの人生の永遠の根拠地も、正に一箇所だけです。そこには神様がいらっしゃいます。皆さんと私は、一つの兄弟姉妹です。私か「統一原理」を先に聞いたので、皆さんの兄です。お願いします。私の懇切なお願いです。「統一原理」を詳しくしっかりと聞いてください。私が私の兄弟姉妹たちの霊魂にはっきりと責任を負います。このセミナーが終わった時、私たちはみな、もう一度会いましょう。皆さんの心を無心にされ、ただ「統一原理」に全身全霊を傾けてください。皆さんは多様な体験をすることになるでしょう。神様も何度も臨在なさるでしょう。皆さんが霊魂の勝利者になられるように願います。

                                  (2002年4月7日)

 

 孔子様がヒンドゥー教指導者たちに

 ヒンドゥー教指導者の皆さん、お会いできてうれしいです。私は儒教指導者の孔子と申します。私は、先にお話しされたムハンマド様の意見に全面的に共感します。ここにいる四大聖人たち、聖アウグスティヌス、そして使徒パウロ先生は、一緒によく集まりをもちます。私たちはみな、一つになっています。私たちが一つになった根本的な動機は、「統一原理」にあります。最初、私たちは互いにとても気まずい関係でした。しかし、私たちが「統一原理」を何度も聞く中に、教派の思想的、理念的障壁が一つ一つ崩れていきました。皆さん、孔子はこの体面ゆえに、自分を曲げることができませんでした。何か、本来の人間の姿を見いだしたく思っていました。ところが、「統一原理」がそれを見いだしてくれたのです。「統一原理」は人間の心情世界を体験させ、正しいか正しくないかをみな明らかにしながら、心的な悩みと苦痛をきれいに整理してくれました。
 ヒンドゥー教指導者の皆さん! 「統一原理」は人間を再創造する工場のようなものです。皆さんの理念と思想はどこに由来し、皆さんが仕える神とはどなたですか。正しいか正しくないかを、皆さんの基準で判断しないでください。「統一原理」を聞けば、良心の示しがあることでしょう。その示しに絶対服従してください。私たちがみな、一つにならざるを得ない根本的な真理を、皆さんははっきりと悟るようになるでしょう。一瞬の一つの主題も見逃さないでください。懇切にお願いします。

                                  (2002年4月7日)

 

 イエス様がヒンドウー教指導者たちに

 愛するヒンドゥー教指導者の皆さん、私か誰だか御存じですか。私はイエスと申します。私は世の中に生まれ、神様のみ旨を成すために努力しましたが、結局、十字架に釘打たれるようになり、神様の心をとても痛ませた親不孝者のイエスです。愛するヒンドゥー教指導者の皆さん、よく来られました。私たちが世の中に生まれる時、 等しく同一の人間の姿で生まれたにもかかわらず、なぜ私たちは、教派の葛藤、思想の葛藤、絶え間のない戦争を引き起こしているのでしょうか。
 皆さん、このイエスの姿を見てください。孔子様、お釈迦様、ムハンマド様、すべてが同じ人間の姿です。ところが、様々な次元の宗教が生まれ、自らの教えだけが正しいと主張し、時において争いました。四大聖人たちが一つになるまで、簡単ではありませんでした。皆さん、驚かないでください。神様は皇人類の父母であられます。キリスト教の神様だけではありません。私たちの父母が厳然として存在されるのに、私たちはみな、父母を知らずに生きてきました。
 「統一原理」は、人間の頭脳から出てきた内容ではありません。地上にいらっしゃる文鮮明先生が、神様からの天の秘密を明らかにされたのです。文鮮明先生は、神様から「真の父母様」という勝利の称号を受けられ、全人類の款世主、メシヤとして顕現されました。ヒンドゥー教指導者の皆さん、私たちすべてが平和思想で一つになるために、神様を知らなければならず、文鮮明先生を知らなければなりません。ですから、「統一原理」を詳しくお聞きになり、心のお示しを待ってみてください。心は皆さんの最も貴い先生です。神様は、キリスト教だけの父母ではありません。皆さんすべての父母であられます。

                                  (2002年4月7日)

 

 お釈迦様がヒンドゥー教指導者たちに

 ヒンドゥー教指導者の皆さん! 私は釈迦です。仏教界の指導者、釈迦です。地上で神様を教えることができず、人間の創造主が神様だということも諭せませんでした。このような釈迦を神様はお許しになり、愛してくださって、私も途方もない聖人だちと一つ所で集いをもつようになりました。
 ヒンドゥー教指導者の皆さん! 人間は一人一人、神を求めています。その存在が誰であろうと、神様であろうと、ほかの神であろうとです。人間はなぜ神を求めていますか。それは誰も例外のない人間の共通の事実です。時代と環境によって私たちが出会った神の姿は違うとしても、神を見いだそうとする本性が、正に人間にあります。このような本性の原因者が誰であろうと、私たちはそのお方を知らなければなりません。そして、探し出さなければなりません。
 ヒンドゥー教指導者の皆さん、釈迦がキリスト教の教えと「統一原理」を間くまで、少なからず困難がありました。皆さん、人間の姿と構造が同じだというのは、父母が同一だという意味です。私たち、四大聖人たちと聖賢たちは、みな一つとなり、自らの見解を討論し、地上世界と天上世界の平和のために、何度も集いをもちました。私たち自身の教えは互いに異なるようですが、結局、一つでした。「統一原理」はそれをよく指摘しています。人生の根本を教え論しています。それから、私たち、四人聖人と聖賢たちは、ヒンドゥー教の皆さんを積極的に肋けるつもりです。そして、私たちが互いに愛し合い、一つになることを懇切に願います。最初は、皆さんの思想と多少違うとしても、最後まで忍耐して聞いてくださるようにお願いします。

                                  (2002年4月7日)

 

2.ヒンドゥー教代表十二人

 

①ヤージュニャヴァルキヤ(Yajinavalkya)(『白ヤジュル・ヴェーダ』を執筆した古代賢人)

 四大聖人たちの指導を受けながら、「統一原理」の教えに従います

 四大聖人たちと聖賢たちが、ヒンドゥー教のために、このように激励してくださって感謝します。特に、ムハンマド様は何度もここに来られて、「愛しています。私たちは互いに愛し合いましょう。私たちが互いに愛し合えば、地上でも互いに愛し合い、一つになります」とお話ししてくださって、とても感謝し、感激しました。また、四人聖人たちが互いに尊敬し合い、互いに一つになっている姿は、とても美しいものでした。彼らはみな、彼らが一つになったのは「統一原理」があるからだと、ずっとお話しされ、私、ヤージュニャヴァルキヤは、最初から「統一原理」に対する好奇心を強くもちました。  私が神様と呼べば、神様は訪ねてこられますか。このような教えは一度も聞いたことがなく、とても不慣れです。ヒンドゥー教徒はみな、遠い国から初めてここに訪ねてきたかのようです。私たち、ヒンドゥー教において、「統一原理」はとても難しいものです。そして、神様が恐ろしいです。罪人でない罪人のような気分です。しかし、四大聖人たちが一つになるまでの苦衷を話してくださり、私にはとても大きな慰めになりました。私たちは、四大聖人たちの姿に似て、その指導を受けながら、「統一原理」の教えに従おうと思います。そして今は、「統一原理」がとても不慣れですが、私たちはそれを熱心に勉強したいと思います。また、私たちは、指導されているという地上の文鮮明先生を、詳しく見極めたいと思います。ありがとうございました。

                      ヤージュニャヴァルキヤ(2002年4月14日)

 

②シュヴェータケートゥ(Svetakeyu)(紀元前800年、ヒンドゥー敦の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

 「統一原理」はヒンドゥー教の経典になるでしょう

 人間を創造された神様が明らかにいらっしゃるにもかかわらず、私たちはそれを知らずに生きてきたというから、あまりにも愚かな人生を造ったように思います。私たちを生んでくれた肉身の父母がいたのに、その父母を知らずに、人の父母をうらやましがり、仕えてきたようなものです。「統一原理」はただ何も考えずに聞けば、理解し難いと思います。それは、ある一分野ではない、膨大な分野を扱っています。「統一原理」の全般的内容は、人間ならば誰しも、必ず熟知すべき教えです。それは大部分のヒンドゥー教徒たちにひどくなじみがありませんが、ヒンドゥー教徒の生活に絶対必要な真理だと思います。
 これまでヒンドゥー教徒の信仰生活は、相当、散漫でした。ヒンドゥー教徒だけが仕える唯一神もなく、絶対的な経典もない中で、自由な信仰をしていました。私たちは今、「統一原理」セミナーを通して、絶対者、神様が誰なのかはっきりと知りました。神様を胸深く悟ることはできませんでしたが、理論的にはっきりと知るようになりました。私、シュヴェータケートゥは、人生において歩む公式を体得しました。それから、まだ「統一原理」を深く理解することはできていませんが、「統一原理」は、私たちヒンドゥー教徒の経典になり得ると思います。「統一原理」を明らかにされた文鮮明先生は、私たちヒンドゥー教の真の父母様となられることを信じます。大変、ありがとうございました。

                        シュヴェータケートゥ(2002年4月9日)

 

③マイトリ(Maitri)(紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

 私たちの行動の方向を、はっきり定めるつもりです

 ヒンドゥー教徒たちに、このようにあふれんばかりの愛を施してくださり、心から感謝いたします。温かい愛と配慮で私たちの手をつかんでくださり、激励してくがさる四大聖人たちの姿を体験すれば、私たちは「統一原理」を聞かなくても、それが意味するところを十分に理解することができるでしょう。私、マイトリは、ヒンドゥー教徒たちからも受けられなかった温かい愛と理解を、四人聖人たちから受けました。四大聖人たちは等しく、「統一原理」を理解するようになれば、神様と人間、人生、そして歴史に対する質問がなくなるとおっしゃりながら、真正な愛で私たちを見守ってくださいました。私は生まれて初めて、満ち足りた感情を体験しました。私たちは、統一原理を聞く前から、そのような気分で「統一原理」の講義に臨むようになりました。
 果たして、「統一原理」は文字どおり、「統一原理」であることを自覚しました。今回の教育の場は、人間が歩むべき公式的な道を案内する修練場です。「統一原理」はヒンドゥー教だけでなく、あらゆる宗教者たちが必ず理解すべき生活の指針書です。それから、人間を創造された神様がただお一人だけなのに、人間個々人、あるいは、ある共同体が神様のみ旨と異なる道を歩むとすれば、それは間違った道であることでしょう。私は、誰にでも「統一原理」を勧めたいと思います。「統一原理」は本当に不思議で、驚くべき内容を教えています。そして、宇宙と人生に対するはっきりとした教えがあるにもかかわらず、私たちはそれを全く知らずに生きてきました。
 このようにとてつもない教えを明らかにされたお方は、文鮮明先生だと、講師たちは紹介しました。神でない人間が、これを明らかにしたというから、本当に驚くべき事実であらざるを得ません。講師たちによれば、神様がそのお方に、「真の父母」という称号をお与えになったということです。私たちに、今、指導を受けるべき真の師と真の指導者がいらっしゃるので、とても有り難いです。今は多少、落ち着かず、慣れませんが、私たちは根本的な核心を知ったので、私たちの行動の方向をはっきりと定めるつもりです。

                             マイトリ(2002年4月10日)

 

④カウシータキ(Kausitaki)(紀元前800年、ヒンドゥー敦の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

 ヒンドウー教徒は神様の前に申し訳ないこと、極まりありません

 人間が神様から造られた披造物のうち、最も高次元の存在として、神様が最も愛する子女の格優に位置することを悟るようになりました。ヒンドゥー教徒が神様の前に不孝中の不孝を犯したことを知るようになりました。私、カウシータキが「統一原理」を間くようになった根本的な動機は、四大聖人たちの愛とお話にありますが、聞いてみて、「統一原理」自体は、誰もが聞かなければならない、人間の貴重な真理であることを悟るようになりました。ややもすると、この事実を知らずに通り過ぎそうになりました。私たち人間は、今まで真理を求め、さまよって生きてきました。しかし、正しい指導者の正しい教えを受けられず、さまよっているうちに、ヒンドゥー教徒たちは様々な神を見いだすようになりました。
 これまで神様は、様々な神に仕える人々を、教限りなく待ってこられたようでした。私たちヒンドゥー教徒は、神様の前に申し訳ないこと、極まりありません。多くの歳月の間、神様に仕えることができず、無為な生活を過ごしました。流れていった歳月がとてももったいなく思われます。しかし、神様は父母なので、子女を捨てず、探してくださり、待ってくださいました。教団の責任者もなく、私たちの勝手に生きてきたヒンドゥー教従たちを、四大聖人たちがこまめに面倒を見てくださり、いちいち準備してくださったので、私たちは何の弁明ができるでしょうか。有り難い、光栄な気持ちをもって、「統一原理」の教えに従っていこうと思います。
 そして私たちは、「統一原理」を明らかにされ、私たちを導いてくださる文鮮明先生、真の父母様のみ旨に従っていくことでしょう。そして、文鮮明先生を真の父母様として侍って歩む道が、人間の人生の終着地だと詳しく指導してくださった四大聖人たちに、心から感謝いたします。「統一原理」の講師の方々、本当にお疲れ様でした。私たちに対して特別に配慮してくださり、愛してくださりながら、新しい真理を紹介してくださいましたが、多くの感動を受けました。

                           カウシータキ(2002年4月11日)

 

⑤アールニ(Aruni)(紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

神様に侍り、正しい道を行くことでしょう

 私、アールニがこのように貴い名簿に記録されたことを、栄光の中の栄光と考えます。「統一原理」は私に新しい生命を与えました。人間の正しい指導者を見出すために、そして生命と人間の尊厳性を正しく理解するために、私自身は少なからず努力しましたが、ようやく、見いだすことができました。あふれんばかりの感動と興奮、それが私のすべてです。人間には二つの部類があると思います。神の存在を認定し、神に依存する人間と、神はいないと主張する人間が、それです。私たち人間は、神様の前に不足な点が少なくありませんが、それでも後者よりは、前者がより甲斐のある人生だと思います。
 今まで、ヒンドゥー教徒たちの人生の姿を客観的に見ると、本当にかわいそうで、けなげでした。とてつもない祭物を捧げ、あらゆる精誠を捧げながら、ひれ伏して切に求める凄絶な姿は、ほかでもない、神様を求めようとする人間の本性の発露だと思います。ですから、神様、ヒンドゥー敦徒たちをも哀れにお思いください。今、私たちも、新しい真理を諭してくださったので、神様に侍り、正しい道を行くことでしょう。神様が私たちを訪ねてこられるまで、多くの歳月がかかりましたが、今、私たちは、私たちの父母が誰かを知りました。そして、この道に導かれた文鮮明先生が誰なのかも知りました。真の父母様、お会いしたことはありませんが、本当にお 疲れ様でした。感謝いたします。様々な種類の混沌と葛藤の中から正道を見いだしてくださり、おそれ多く、また感謝いたします。

                             アールニ(2002年4月11日)

 

⑥マーンドゥーキヤ(Mandukya)(紀元前800年、ビンドゥー教の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

 「統一原理」は人類の平和思想です

 「統一原理」に接することのできる機会を下さった神様に、感謝申し上げます。人間が生きていく根本的な道理は、創造主、神様を知り、侍って暮らすことであり、悟れば簡単なことでしたが、創造主を知らなかったために、あちらこちらにさまよいました。あたかも物品の主人公を知らなければ、その物品の用途が分からないように、私たち人間は、そのように生きてきました。ヒンドゥー教徒たちは様々な神に仕えます。したがって、ヒンドゥー教徒には、様々な次元の神観があります。一人一人、自己中心的な神観と思想と哲学をもち、互いに頑強に主張しています。しかし、私、マーンドゥーキヤは、それを通しては、人生の根本を十分に解明した思想や哲学を経験することはできませんでした。
 四大聖人たちは、文字どおり、人類歴史の偉大な聖人たちであるにもかかわらず、自分かちの教えを離れ、神様に侍り、一つとなり、私たちを激励していらっしゃいました。そのような姿を見るとき、「統一原理」の偉大性を推し量るに値するものでした。私が「統一原理」を直接聞いてみて、それは人類が徒うべき当然の教えであり、全世界の人々の経典にならなければならないと考えます。子女には父母は一人だけなのに、いつも散り散りになり、互いに事情を知らずに生きたので、父母と子女の間に愛がなかったのです。さらには、父母のいない中、子供たちは互いに、自分のことが正しいといって、争っているのです。
 「統一原理」が人類を一つにできる平和思想であることは、確かです。四大聖人たちを一つにさせたのを見ると、「統一原理」は確かにそのようにならざるを得ないでしょう。このように偉大な思想を明らかにされた文鮮明先生、真の父母様、本当にお疲れ様でした。真の父母様、全人類から栄光をお受けくださるよう、懇切にお願いします。私は「統一原理」のすべての教えに従います。感謝いたします。

                        マーンドゥーキヤ(2002年4月12日)

 

⑦ピッパラーダ(Pippalada)(紀元前500年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャド』に記録された聖人)

 私たちは、「統一原理」の教えに従って生きることを決断しました

 神様は私たち人類の父母であり、私たちは神様の子女だという事実は、ピッパラーダにあまりにも大きな衝撃を与えました。私は神様に侍ることも、迎えることもできませんでした。その上、神様が人類の父母だという事実は、想像さえしたことがありませんでした。このような不孝者たちを、神様はみな呼んでくださり、今も、おしかりにならず、条件なく受け入れてくださり、そして愛してくださいました。神様に心から感謝いたします。「統一原理」は、私の誤った過ぎし過去を、バシバシとたたきました。そのたびに、私のあらゆる悪習が抜けていき、そこに新しい芽が芽生えるかのようでした。私は神様の前に限りなく清く、はにかんだ姿で、つつましく立っている少女になったかのようです。私は心の中で祈りました。「神様、私は服も着替えることができずにまいりました。知らせをようやく聞いて、急いで駆けてまいりました。私のお父様がここにいらっしゃると聞きました」。
 「文鮮明先生は私たちを導かれる真の父母様だ」と、講師は紹介しました。そのお方に直接お会いしたことはありませんが、どのように感謝をお棒げすべきか分かりません。「統一原理」は、人間が必ず歩むべき公式です。これまでのヒンドゥー教徒たちの人生をお許しくださったので、私たちをこの場に呼んでくださったのではないでしょうか。ヒンドゥー教徒たちに新しい人生の方向を提示してくださったことに、心から感謝をいたします。特に、熱い父母の愛を体験して、とても感激しています。今や、私たちヒンドゥー教徒たちがばらばらに生きてきた人生を、再び一つになるようにしてくださったので、私たちも、「統一思想」と「統一原理」の教えに従って生きることを決断しました。ありがとうございました。

                         ピッパラーダ(2002年4月12日)

 

⑧マヌ(Manu)(紀元前200年、ヒンドゥー教徒の倫理指針書『マヌ法典』を著述)

 私は初めて、人間として生まれたことに心から感謝しています

 「統一原理」をみな聞いてみて、マヌは本当に恥ずかしさに堪えません。人間の創造主は神様であられ、人問は神様の子女なので、人間は必ず創造主の指示と指導を受けて生きなければならなかったにもかかわらず、そのように生きられませんでした。私は神様に、とても申し訳なさを感じます。「統一原理」によれば、すべての人間は、生まれた時から血統的に原罪をもっていました。そのような血統的原罪は、人間自らが解決できない根本問題でした。根本問題を知らないまま、人間が自分自らある律法や法経を定めておき、いくら真実な信仰をしたとしても、人間の原罪は決して清算できませんでした。
 「統一原理」は人間の根本的な問題を教えています。私の知力でしては、「統一原理」のどの部分も評価することは不可能です。今、神様は人間の創造主であられることと、人間の父母だと明かしてくださった点と、文鮮明先生が真の父母様だと明かしてくださった点だけでも、私は、私の人生において、無限の満足を感じます。天と地を丸ごと得たように感激しています。また、驚くべきことは、四人聖人たちが私たちの先輩のように、なんらの隔たりなしに訪ねてこられ、自分たちの立場を説明し、互いに尊敬し合い、称賛し合い、配慮してくださりながら、一つになったという点です。これは「統一原理」の真理性と偉大性を立証するに違いありません。彼らの姿は、とても感動的でした。「統一原理」はとても威力をもっています。私も「統一原理」を信じて従うことでしょう。私は初めて、人間として生まれたことに心からの感謝を感じます。

                               マヌ(2002年4月13日)

 

⑨ヴィヤーサ(Vyasa)(紀元前500年、ヒンドゥー教経典『マハーバラタ(約九万連の叙事詩)』を執筆)

 私たちは、人類の真の父母様を信じ、侍ります

 私、ヴィヤーサがこのような栄光の班列に参席したのは、誰の功労でしょうか。神様の子女であるからでしょう。神様は父母であられるので、私をお訪ねになったのだと、固く信じます。数日前、「統一原理」を聞く前のことです。四大聖人たちが白い積雲の上にふんわりと乗り、やって来る途中で、みな軽やかに静かに降り立ちました。彼らは同じ服を着て、並んで歩いていく途中、急に炎の中にさっと入ってしまいました。私は、彼らがその炎の中に入ってどうするのかと驚いたのですが、起きてみると、それは瞬問的な幻想でした。
 ところが、私が幻想の中で見た所は、原理講義所でした。講義を聞いている時、講義所は、ことごとく赤い炎に変わりました。その中で人々は、超然と座って講義を聞いていましか。これは、あとで分かったことです。神様は炎の姿をしているという事実、そして四大聖人たちがみな、同じ服装で一つになっているという事実です。私は「統一原理」で説明されたすべてのことを、100パーセント以上信じるでしょう。それを、感激をもって熱く受け入れます。
 神様、私の父母様! 文鮮明先生を私たちは、人類の真の父母様として信じ、侍ってまいります。感謝と光栄なる心情で、「統一原理」でもって固く武装します。神様! 真の父母様! ありがとうございます。

                            ヴィヤーサ(2002年4月12日)

 

⑩カピラ(Kapila)(初期ヒンドゥー教の哲学者、「サーンキヤ(心と物質の二重体)」哲学体系を定立)

 「統一原理」の講師になりたいです

 世の中に人間として生まれ、神の実存を知り、人間が行くべき本郷を知ったという喜びよりも大きな喜びが、いったいどこにあるでしょうか。文鮮明先生、ありがとうございます。神様を父母として侍り、真の父母様の指導を受けながら、正しい道を歩めるように教えてくださって、心から感謝をいたします。また、「統一原理」は、全人類の経典とすべき新しい真理だと思います。私たちヒンドゥー教徒は、「統一原理」を中心として一つになるよう、全力を傾けます。それから、「統一原理」を広く普及します。まだ「統一原理」を全く理解しない者たちに、無尽蔵な材料を提供します。感謝、感謝です。それから、ヒンドゥー教徒たちの中から、「統一原理」と「統 一思想」の優秀な講師を、ムハンマド様が募集するという広告が掲示されました。それに選ばれた人たちは、とても光栄に思うことでしょう。しかし、誰が認定されるか気掛かりです。それを本当に感謝に思います。全人類は一つの兄弟姉妹だというので、なおさら感謝です。神様、真の父母様、万歳!

                              カピラ(2002年4月18日)

 

⑪ナーラダ(Narada)(古代説話に登場する伝説的聖人であり、音楽家)

 美しいメロディーで神様と真の父母様を賛美します

 私、ナーラダは、「統一原理」に触れたあと、飛んでいきそうなほど気分が良いです。とても爽快な気持ちです。心の隅々から美しいメロディーが流れ出て、心と心はメロディーで連結されたかのようです。私は「統一原理」を聞き、果たすべき使命があると思いました。ムハンマド様は原理講義を上手にされますが、神様と真の父母様を喜ばせてさしあげるのは、講義だけでなく、賛美も必要だと思います。神様と真の父母様を喜ばせるための、素晴らしく、また品位のあるメロディーを作曲したいと思います。そして、歌詞もつけて、講義時間ごとに賛美するように決心しました。
 「統一原理」は、全人類を希望と喜びと幸福と平和の道に導いています。摂理的な神様の悲しみを、今、ヒンドゥー教徒たちが根こそぎぬぐってさしあげたいと思います。ムハンマド様は、「多くの講師たちが私と様々な所を巡回しながら熱情的な講義をして、ここ天上世界に「統一原理」を聞けなかったという人たちが一人もいないようにしよう」と誓いました。今、すべてのヒンドゥー教徒たちは、夢に胸ふくらんでいます。「神様と一緒に暮らせる所に行ける」と言いながら、とても喜んでいます。
 文鮮明先生、真の父母様、後れましたが、今からでも熱心に神様を父母として侍ることに、全身全霊を傾けます。そして、人類の真の父母様の指示に従って、働きます。

                             ナーラダ(2002年4月18日)

 

⑫カナーダ(Kanada)(インド哲学の「ヴァイシェーシカ」学派を定立した聖人、物質の原因は原子であり、原子の動因は神だとする)

 「統一原理」の伝播に全力を尽くします

 「統一原理」を聞き、神様を知ってみると、神様と人間は離すことのできない父子の関係に定められています。それが人生の根本です。ところが、私たち人間は、神様とあまりにも遠い距離で生きてきたのです。私、カナーダは、その点がとても申し訳なく思うばかりです。それから、私たち人類が文鮮明先生、真の父母様に出会えるということは、語り得ない祝福の中の祝福です。私たち人間が真の父母様に出会うことができなかったなら、いまだに、私たちの父母である神様を知らなかったでしょうし、人生の根本も全く知らなかったことでしょう。真の父母様は、本当に貴いお方です。真の父母様、本当にありがとうございます。
 「統一原理」は、ある教派にのみ属した理論ではありません。それは全人類が歩むべき公式路程を詳しく明らかにした真理書です。誰でもそれを聞きさえすれば、それは人間の頭脳による内容ではないことを即座に認めるようになるでしょう。それは、神様の啓示であるに違いないということを確信します。しかし、堕落の根性が人間の心の中に根づいているので、それを聞く前に、それはある教派の教えにすぎないだろうと考える人たちが少なくないことでしょう。そのような固陋な人たちがいるということが、もどかしく思うばかりです。ヒンドゥー教徒は真の父母様の特別な配慮によって、「統一原理」教育を受けるようになりました。今、私たちは、この恩恵に報いるために、「統一原理」を直接伝播しようと思います。私たちは、神様と真の父母様がどなたであられるのかを、徹底して証します。

                              カナーダ(2002年4月18日)

(2022.4.13:写経奉献)