統一原理セミナー報告書 儒教代表12人

 

霊界五大教団代表の統一原理セミナー報告書

 

三、儒教代表十二人

①冉伯牛(紀元前544年~?。魯の国の人。徳行に秀でる)

孔子様が行かれる道なので無条件に従っていきます

 孔子様は、「新しい理論と真理の前に卑屈であってはならない」と、絶えず私たちに教えてくださいました。そして、「統一原理」という理論に対する講義も、何度もしてくださったのです。ところで、儒教全体のグルー プを集められ、講義を受ける経験は初めてのことでした。その理論は聞き價れず、とても難しいものです。それで、私、冉伯牛は講義を何度も反覆して受けるようになりました。ここにおいて儒教人たち、特に冉伯牛が、講義されるすべての講師たちの情熱的な講義と併せて最も驚いた事実は、神様が私たち人類の父母であるということ、そして私たちに講義されるすべての理論は、地上にいらっしゃる文鮮明先生が神様から受けた啓不だったということです。
 孔子様のお話によれば、文鮮明先生は、今現在、地上にいらっしゃりながら、全人類の平和と、戦争がなく、貧困がない世の中をつくるために、一生懸命「ため」に生きる生活をされていらっしゃるということです。人類が地上の文鮮明先生の思想と理論に従って生きていけば、神様、偉大な神様が私たちの生命を導かれ、それに対して責任をもたれるということです。
 また、今まで孔子様から受けてきたすべての教育内容、礼節と道徳と人格教育は、私たちが肉体をもって生きていく時に必要なものですが、永遠の往みかである天国において必要な教育は、「統一原理」を学び、神様の啓示によって文鮮明先生加明らかにされた真理に従って生きなければならないと教えてくださいました。
 冉伯牛は、勉強も不足し、様々な知性が不足していますが、これまで孔子様から学び、教えを受けてきた理論も、人間として当然知っておくべき事実が多くありました。このことについては感謝を禁じ得ません。しかし、孔子様は、先に「統一原理」を勉強され、この新しい真理の世界についても、次元の高いみ言を下さったので、私たちは、孔子様が行く道が正しいならば、それに従順に従っていくつもりです。そして、文鮮明先生の理論について、まだ深くは分かりませんが、孔子様が導かれるので信じていきます。
 そして、文鮮明先生は、万人類の父母であられるので、信じて従っていれば、難しい原理もすべて悟るようになることでしょう。冉伯牛は、孔子様を尊敬し、従ってきました。それゆえに、孔子様の行かれる道であれば、冉伯牛も行きます。

                               冉伯牛(2001年10月7日)

 

②子路(本名:仲由、紀元前542~480。魯の国の宰相と衛の国の高官を務める)

孔子様の道と子路の道は異なりません

 孔子様は、温柔と謙遜と礼節を教えられ、人生を生きていく基本的な倫理に誰よりも縛られて生きてこられた方ですが、常々「新しい真理がある」と言われ、私たちにそのことについて時折、教えてくださっていました。
 きょう、その日が来たようです。私たちに「すべて集まりなさい」と言われ、「新しい真理の前に謙遜になって、受け入れなさい。この真理は、師の道であり、生命の道であり、渾身の力を傾けて従わなければならない道です」と話され、セミナーの場に私たちを案内されました。「人類にとって神様は父母であられる」「文鮮明先生は再臨主であられる」「文鮮明先生は人類の真の父母様であられる」「文鮮明先生は私たち人間を救うために来られた救世主であられる」など、あちこちに貼り付けられている文句は、私たちには聞き慣れないものでした。
 講義が始まり、講義の一節一節ごとが、儒敦人たちには聞き慣れない理論であり、内容でした。しかし、孔子様は、誰よりも先に「統一原理」に精通したと言われながら、「人間ならば誰もがみな通過しなければならない道である」と論してくださいました。今までなじんできたお話に比べると、ここの理論は、儒敦人たちにはとても難しいものです。しかし、「統一原理」は、総じてその論理展開がしっかりしています。
 私たちは、昔から今に至るまで、孔子様を尊敬し、孔子様の願いと思想の前に多く染まって生きてきました。そしてまた、孔子様は、「統一原理」という新しい真理の前でも、それを謙遜に受け入れられました。師のその姿に、子路も感勤しました。私か尊敬してきた師、孔子様が謙遜な姿勢で受けていらっしゃるのに、子路の道がほかにあるでしょうか。
 文鮮明先生がなされること、行かれる道を、私たちも、私たちの師、孔子様と共に行きます。その道が人類平和の近道であるならば、そのとおりにします。「統一原理」はまだ難しく、なじみません。しかし、勉強して修めようと思います。ありがとうございました。

                               子路(2001年10月7日)

 

③孟子(前392~前294〔289〕。戦国時代中期の人。善の性稟の根源は天であると教え、性善説を主張)

「統一原理」の出現は人類の希望です

 孔子様の教えとその思想に魅了された私、孟子は、人間の生の基盤、根本は孔子様の思想であると規定し、ひたすらそれだけに陶酔して生きました。ところが、こちらで、文鮮明先生の平和思想である「統一原理」と「統一思想」を通して、神様による人間の創造と救援、神様の摂理などを新しく悟るようになりました。「統一原理」の内容は、感動的、感激的であり、衝撃的でした。
 孟子は、「人間の善の性稟が人間救済の道である」と常に考えてきたのですが、「統一原理」がそれを具体的に明らかにしてくれました。それは、本当に感嘆すべき内容です。「統一原理」と比較すれば、孔子様の思想は限りなく部分的なものにすぎませんが、決して間違ったものではありませんでした。また、神様は全人類の父母だという事実も、孔子様の教えと大きく外れたものではないと思います。「統一原理」と「統一思想」は、すべての宗教と思想の障壁を崩し、人類を平和世界へ導く唯一の教えだと思います。「統一原理」セミナーに参加して新しい真理を悟り、感慨無量です。
 そして、復帰摂理における時代的な中心人物が、その当時の責任を遂行することができなかった時の神様の心情は、孟子の胸を非常に痛めました。孔子様の思想は部分的なものでしたが、外れた教えではなかったことに感謝します。今回、「統一原理」と「統一思想」に新しく接することによって、学問に対する情熱がより一層高められました。孟子は、このような情熱をもって、「統一原理」と「統一思想」を深く研究し、分析したいと思います。
 神様から新しい真理の教示を受けられた文鮮明先生を大変尊敬し、また「統一原理」と「統一思想」の偉大性に感嘆と感激を禁じ得ません。「統一原理」の出現は、人類の希望です。新しい希望と喜悦がとめどもなくわき上がってきます。
 すべてのことに感謝しながら、孟子も、新しい真理に対する情熱を見せようと思います。儒教の根本の教えが、神様の教えと大きく外れたものではなかったことに感謝します。「統一原理」と「統一思想」が人類の主流思想となることを願います。

 孟子(2002年1月16日)

 

④荀子(前340~前245年ごろ。趙の国の人。性悪説を主張。社会の混乱の原囚は人間の責仕)

「統一原理」によって儒学が完成することを

 「統一原理」と「統一思想」は、特別な論理展開によって構成された人類の改革思想です。「統一原理」と「統一思想」は、とても偉大であり、とても明白であり、とても組織的であり、体系的であって、そしてとても創造的で希望的です。
 「統一思想」をはじめとする「統一原理」の論理展開は、あたかも人生の公式や数学の公式と同じです。したがって、政治、経済、教育、思想、宗教、文学、芸術など、人類のあらゆる領域の指導者たちは、「統一思想」を中心として一つになるべきです。これが、私、荀子の確固不動の展望です。それは、「統一原理」と「統一思想」が、人間生活において一部分ではなく全分野を網羅し、根本的基準を扱っているからです。講師たちが「『統一原理』は神様の教示である」と紹介しましたが、私は、その表現に全面的に同意します。人間の頭脳を通しては、このように幅広く多様な側面を体系的に明らかにすることはできません。「統一原理」は、人類の普遍的な特性と共通性を具体的に明らかにし、人類を正しい方向に導いています。[統一原理」のどの部分でも、それを研究、分析すれば、それは間違いなくノーベル賞の主題になって余りあるものです。荀子は、「統一原理」に対して、ただただ偉大で、驚くべきものだという表現しかできません。
 そして、「神様は人類の父母だ」という教えも、間違いのない事実です。文鮮明先生が成約時代の人類の真の父母様であられるということも、間違いのない事実です。キリスト教的な表現である「イエス様以後の時代に責任をもった再臨のメシヤである」という表現も、論理的、摂理的に検証された事実です。荀子は、この点に対して全く異議を提起しません。
 私たち儒家が「統一原理」と「統一思想」を徹底的に研究、分析し、儒家思想と結びつけることを積極的に推奨します。そのようにすれば、儒家思想は、より一層次元の高い知性人の思想として格上げされるでしょう。神様を人類の父母として侍る平和思想は、民族と人種を超越した理念です。荀子は、儒家に、「統一思想」を積極的に受け入れることを推奨しようと思います。
 しかし、地上の儒家が天上から伝えるこのような荀子の願いをどのように信じ、受け入れるのかが心配です。地上の儒家だちよ、どうぞ荀子の懇請に顔を背けることがないようお願いします。「統一原理」には、奇跡的な思想的・学問的内容が内在しているので、地上の儒家の皆さんは、これを研究、分析し、儒学を完成してくれるよう、重ね重ねお願いします。このことができなければ、皆さんは、この時代に後れた落伍者となってしまうでしょう。地上の皆さんが成約時代の真の父母様の真理である「統一原理」と「統一思想」のすべての内容を受け入れ、積極的に研究することを願います。

                               荀子(2002年1月16日)

 

⑤司馬遷(前145~?。『史記』著述。孔子を聖人として格上する)

人生の問題についてこれ以上悩まないで、「統一原理」を精読してみなさい

 孔子様に侍っていたがゆえに、「統一原理」と「統一息想」に新たに接することができました。まず神様に感謝し、文鮮明先生に感謝して、そして孔子様に感謝します。孔子様は、まず御自身が「統一原理」を何度も精読さたのち、それをとても注意深く私たち後学に紹介されました。人間が歩むべき真理はただ一つであり、人類の父母はただお一人、神様だけであると。
 私、司馬遷は、孔子様の導きによって人類の最も根本的な真理と出会い、神様と人間、そして宇宙と自然の意味を正しく悟るようになりました。孔子様は、これまで御自身が悩まれた人間の本性、存往価値、人間の尊厳性、人間に内在している様々な属性、人間の思考の出発点と方向と基準、歴史の始原、歴史の法則等々、様々な次元について「新たに悟るようになった」と私たちに語られました。
 司馬遷は、孔子様がなぜあのように深刻に注意深く私たちに語られたのか、「統一原理」講義を聴講したのちに初めて孔子様の心情が分かるようになりました。真に偉大で驚くべき貴重な内宮が「統一原理」に含まれています。そこには、人間に関連したあらゆる内容が洗いざらい明らかになっています。私、司馬遷が「統一原理」に対してどれほど説明しても足りません。
 神様は、子女から歴史的に排斥、背信されましたが、彼らの父母として子女を愛され、新しい真理で再び生まれ変わることを教えてこられました。神様の摂理と真理が完全に現れるまで、宗派と教派の分裂が何度も起こったのですが、宗教の根本目的は「正しく生きよう」、「善良に生きよう」ということであり、これが様々な次元で様相を異にしながら分裂してきたのです。今や正しい真理が出現したので、全人類は団結して一つになり、神様を父母として侍る一つの兄弟姉妹となって、エデンの創造理想郷に向かって前進することを誓うようお願いします。
 地上と天上に文鮮明先生が人類の真の父母様として顕現されたので、人類の行くべき道は、はっきりと確定しました。すべての信仰者と非信仰者は一つになって、幸福の世界を建設するために全力投入しなければなりません。それから、ここ霊界から、司馬遷が地上の儒教人たちに一つお願いしたいことがあります。限られた地上生活においては、孔子様の思想と教えが人生にとても垂要な意味をもちますが、永遠の世界で生活するためには、消極的意味の枠から抜け出なければならないと思います。多様な姿をもった円満な理想郷の世界こそ、正に人間が行くべき終着地です。今はもう、人生の問題に対してこれ以下悩まないで、「統一原理」を精読してみてください。そこで皆さんは、はっきりと確かな解答を発見するでしょう。

                              司馬遷(2002年1月16日)

 

⑥王弼(226~249。儒教、仏教、道教などを超宗教的に研究した中国最初の人物)

抑えることのできない新しい勇気と希望がとめどもなくあふれてきますが、これは誰の力でしょうか

 私、王弼は、「統一原理」と「統一思想」の内容に完全に魅了されてしまいました。神様の愛は、公平無私でした。神様は、変わらない愛によって、散在した全人類を導いてこられました。それは、神様がまさしく人類の父母だからです。
 「統一原理」と「統一思想」には、人類が拍手し、膝を打って「そのとおりだ、そのとおりだ」と言いながら受け入れるべき内容が多く内在しています。それは、あまりにも不思議であり、神秘的な真理です。神様は、人類の父母なので、人類に救世主・文鮮明先生を送られ、人類を新しい真理によって導いていらっしゃいます。信仰の基準、思想的内容、哲学的内容、芸術的ジャンル、文化的価値、政治的、経済的、教育的な根本基準が「統一原理」と「統一思想」にすべて含まれています。明確な神観、人生観、世界観、教育観、価値観、歴史観などは、「統一原理」が前提となるときに初めて定立し得るのです。それは、「統一原理」から、人生の根本の方向が明確に導き出されているからです。誰でも「統一原理」を聞きさえすれば、その人は、意識改革、人格革命を起こすことでしょう。神様の啓示によって明らかにされたものが「統一原理」であり、それは、不思議であり、神秘的であって、希望と喜びと幸福の道に導いてくれています。
 今日、人類が直接「統一原理」を受け入れる環境圈が造成されるまでの文鮮明先生の苦労と功労に対しては、私たち人間がどれほど褒めたたえても足りません。私たち人類は、一日も早く、文鮮明先生を真の父母様、メシヤとして侍らなければなりません。
 もし王弼が地上生活において「統一原理」を知っていれば、世界のどの指導者よりも偉人な人物になったことでしょう。「統一原理」を知ってみると、自然にそのような気特ちになります。宗教統一、思想統一、価値観統一など、人類の諸般の統一基準が「統一原理」に表されています。そして、「統一原理」を悟ってからは、王弼の個人的観念や見解などはすべて消えうせ、「統一原理」の感動、感激、ビジョンだけが王弼の胸にはっきりと位置を占めるようになりました。そして、抑えることのできない新しい勇気と希望がとめどもなくあふれてきます。誰でも「統一原理」を知れば、その人は、宇宙と人生の明確な方向と目的を設定することができるのです。
 今、私、王弼は、神様を父母として侍り、文鮮明先生の指示とみ言に絶対服従することを固く誓います。もし私たち儒教人が「統一原理」に無関心であれば、彼らは、彼らの尊敬した孔子様との距離がますます遠ざかることでしょう。

                                 王弼(2002年1月17日)

 

⑦陶淵明(365~427。儒学と道学を融和した文学者)

新しい真理の前に少しも譲歩することはありません

 孔子様は、私たちに「統一原理」を紹介するに当たって、その内容には全く言及されず、ただ「今や私たちの人生に歴史的な勇断を下す時だ」とだけ語られました。そして、「あまりにも貴い時間なので、孔子の言葉に従うのではなく、ここの講師たちの講義内容に力を注ぎなさい。そして、『統一原理』の講義をすべて聞いてみたあとで、再び会いましょう」と言われました。   儒教人たちは、孔子様を大先生として仰いでいます。陶淵明は、孔子様の影もよけて歩きたいという畏敬の念をもっています。ところで、孔子様が「直接『統一原理』を聞いてみなさい」と命令される理由とは何でしょうか。間違いなく、「統一原理」は偉大な真理に違いないと規定するのは、あまりにも当然の結論です。
 「統一原理」は、その最初の講義から私たちの心の琴線に触れました。「神様は人類の父母だ」という大主題のもと、「文鮮明先生は果たしていかなるお方なのか。皆さんが会ってみてください」というプラカードがあちらこちらに掛かっていました。プラカードを見た瞬間、ある記憶が突然、陶淵明の脳裏を突きました。陶淵明は、ここに参加する前に文鮮明先生を、幻を通して見たことがあります。そのお方が、太陽の光のようなまぶしい光の中で、一生懸命何かに尽力していらっしゃる姿を見たのです。そのお方は、厚い服を着て、すっかり汗でびしょびしょになった状態で何かに尽力していらっしゃったのです。今回、そのお姿を見た瞬間、私、陶淵明は、全身が溶けだすような熱さと涙があふれて、それ以上こらえることができませんでした。私の胸の奥深くからしみ出てくる心情の声が、せきを切ったようにあふれてきました。「あなたは出会ったのです。文鮮明先生に出会ったのです」という叫び声、そして「そのお方の道と同じ道を行きなさい」という叫び声が続けざまにわき上がり、とめどもなく涙が流れ出てきました。
 心からあふれてくる深い感動ゆえに、私は、講義の内容に集中することができませんでした。しかし、聴講者の姿勢を思いながら、講義に集中しようと努力しました。ところが、「あなたの知性とは何なのか。あなたは何に従うのか」という叱責が心の中からわき上がってきました。私は「どうしたらよいだろうか」と戸惑ったのですが、「文鮮明先生は、『統一原理』を探し出されるまで、皆さんが想像もできない血の闘争を何度もしてこられたのです。生死の峠道を何度も行き来しながら、『統一原理』を探し出されたのです」という講師の叫び声で、はっと我に返りました。
 孔子様は、「講義が終わったあとで再び会いましょう」と言われよしたが、私の心は既に定まりました。講義を聞く中で、想像もできない体験をしたからです。真理の叫び声が私の心を揺り動かしました。どうして私が、あえてこのような話ができたのでしょうか。そして、多くの精誠を棒げたのちに、「統一原理」を学ぼうと決めました。儒教人たちよ、陶淵明は、新しい真理の前に少しも逃げたり、また、ひきょうな立場に立つことはないでしょう。

                                陶淵明(2002年1月17日)

 

⑧朱子(230~300。経学、史学、自然科学、仏教、道教などを儒学の側面から体系化する)

このように明白な真理を、なぜ朱子には暗示してくださらなかったのでしょうか

 これまで、私、朱子は、様々な側面で考え、研究して、天の道理を正しく知るために研究、分析することに努力してきました。しかし、神様は、私に時代的恩恵を下さらなかったようです。「統一原理」を聞きながら、私自身が孤高に暮らす無学な人のように感じられ、一方では、似つかわしくないことを学ぶ学生のように感じられました。私は、地上で中途半端には生きませんでした。格別な学問的情熱をもって、宇宙と自然と人生の意味を追求するために、少なからず努力しました。
 ところで、「統一原理」とは何でしょうか。それは、神様の啓示によって、文鮮明先生の御苦労によって明らかにされた真理だということです。このような事実を知って、私、朱子は、あまりにも自尊心が傷つきました。「神様は人類の父母だ」と明らかにされたのですが、神様は、なぜこのように偏愛をされるのでしょうか。なぜ私たちは、あの講師たちの講義を通してのみ、その事実を知らなければならないのでしょうか。神様は、朱子の一生を通して、その事実に対する少しの暗示も下さいませんでした。ここにいる参席者の中で、このようにつらく感じている人は朱子だけでしょうか。
 神様! 文鮮明先生! 「統一原理」と「統一思想」は、あまりにも新鮮で、新しく、途方もない内容です。それは、広範囲ですが、あまりにも具体的で緻密です。そのように重要な内容が必ず神様の啓示によってのみ明らかにされなければならないとすれば、私、朱子の一生を通じて捧げた努力と苦労には、どのような意味があるのでしょうか。私の努力を考えれば、あまりにも無念です。
 神様! 私の心情を推し量りください。私は、神様を父母として侍り、この道に従っていくでしょう。しかし、少なからず腹が立ち、捨てられたという気分をぬぐい去ることができません。私が本軌道に立てるように支え、愛してください。今の心情は、あまりにももつれています。文鮮明先生、肋けてください。朱子が整理されない心情を残すようになって申し訳ないのですが、どうすることもできないのです。本当に苦しくて大変なのです。

                              朱子(2002年1月19日)

 

⑨マテオ・リッチ(「中国名」利焉賓〕(東洋の上帝と西洋の神様が同一であることを主張)

人類の現実的問題解決のために、「統一原理」が出現しました

 神様は人類の父母だという教えは、あまりにもうれしいメッセージです。神様はお一人であり、人類は等しく神様の子女です。これは、あまりにも痛快であり、愉快であり、明快であり、うれしいメッセージであって、偉大な真理ではないでしょうか。
 今まで大部分の宗教人たちは、自分の宗教の教えだけが正しいと主張してきましたが、それは、神様を中心といて見れば、ごく小さな一部分であることを悟るようになるのです。四季の中で、春の万物現象を見た宗教は、常に芽生えて青々と生える側面だけを主張するのであり、冬の現象を見た宗教は、雪がしんしんと降り、冷たい風が吹いて水が凍る側面だけを主張するのです。このようになれば、両者間には対立、反目、摩擦が起きるようになるでしょう。宗教人よ、今まで神様は、このような現象を見つめてこられたのです。今はもう、ゲームが終わりました。人類の様々な次元で起こる対立と摩擦、そして苦痛と戦争も、終焉を告げることでしょう。
 文鮮明先生は、全人類の現実的問題を解決してくださいました。現実的問題の解決において、武力的手段は決して功を奏しません。神様は、子女が銃刀と爆弾でお互いに殺し合うことを願われていません。このような現実問題を解決して、人類が一つになるために、「統一原理」が出現したのです。
 神様もお一人であり、真理は一つであって、人類も一つです。今まで、人類歴史に現れたすべての宗教や思想は、新しい真理を中心として一つにならなければなりません。大きなビルを建築するにおいては、様々な種類の釘、鉄筋、セメント、そして様々な道具と機具なども、各自その役割を果たすのです。真の父母様、文鮮明先生は、人類の現実的問題の収拾に多くの苦労と努力と時間を必要とされるでしょう。様々な分野の指導者たちは、神様を中心として新しいエデンの園を建設するために、全力投入しなければなりません。そして、全人類は、一つの兄弟姉妹として一つの家族を成し、新しいエデンの圈でお互いに幸福に生きていきましょう。そして、自ら のふろしきをすべてもって集まりましょう。そして、お互いに分け合い、お互いに取り替えてみましょう。
 今後、本当に楽しい世の中になるのではないでしょうか。私たちはみな、神様の子女です。子女が父母の願う道を歩んでこそ、父母が喜ばれるのです。神様は、キリスト教だけの主人ではなく、儒教だけの主人でもなく、東洋人や西洋人だけの主人では決してないということを肝に銘じなさい。すべての教団の主人であり、すべての人々の父母であられるのです。
 父のみ旨のために生きてみましょう。そのようにすれば、私だけの幸福ではなく、私たちすべての幸福を共有するでしょう。人類よ、目覚めることを願います。

                          マテオ・リッチ(2002年1月21日)

 

⑩李栗谷(主気派の代表者)

人類は、神様に侍ることができなかった不孝者でした

 大部分の人間は、世の中に生まれて、罪を犯すことなく美しく善良に生きれば、のちの世でも極楽世界にとどまるだろうという推測をもって、今まで生きてきました。私、李栗谷もそのように思い、大部分の儒孝者たちもそのように思って生きたはずです。しかし、人類歴史の中には、私たち人類が想像することもできない途方もない事情が隠されていたのです。それを考えると、無念で憤りを禁ずることができません。
 父母に仕え、孝行することは、人間の根本です。しかし、人類は、神様が人類の父母であるということを知らずに生きてきたのです。結局人類は、歴史的に自らの父母に仕えることができず生きてきた不孝者でした。しかし、ただお一人、文鮮明先生は、歴史の背後に隠された秘密を明らかにされ、神様の孝子の中の孝子となられました。文先生の苦労と恩恵に感謝せざるを得ません。
 今、人類の行くべき道は明確に定まりました。ところで、いまだ天上や地上において教団の葛藤、摩擦、対立が少なからず起きているのですが、どのようにすればこれを収拾できるのでしょうか。大部分の儒学者は、この問題に対して少なからず悩んでいます。結局、彼らには学問的土台があるので「神主義」に戻ってくるとは思いますが、彼らの体面と自尊心ゆえに、時間がある程度かかるだろうと予想されます。
 文鮮明先生! 真の父母様! 戦争、貧困、宗教などの問題、思想の問題は、今や、「神主義」を中心として一つに統一されることは間違いありません。彼らの知性が必ずそのようにするでしょう。そして、すべての信仰者よ、教団の門を大きく開いてみましょう。そして「神主義」を生活化しましょう。それが神様の究極的な目的です。

                              李栗谷(2002年2月27日)

 

⑪安重根(儒学の上にカトリックを受け入れ、独立連動に身を投じる)

私の思想に「統一原理」を接ぎ木し、人類の統一に渾身の力を尽くします

 神様! 申し訳ありません。神様は私たち人類の父母であり、私たちはみな一つの兄弟姉妹だったのですが、私は、そのように生きられませんでした。宗教、人種、思想、民族などの分裂と対立は、神様が本来願われたものではなく、人間がその先祖から神様の心を痛めてきたという事実を、私は知りませんでした。私の祖国と民族だけを考えていた利己主義者でした。「統一原理」を間いて多くのことを悔い改め、これまで、民族的問題が解決しないでいたのですが、新しい真理を通してそれを悟りました、人間は創造以後、誤って出発し、人類歴史の流れ自体も誤ったのです。このことを誰が知っていたでしょうか。
 私は、民族的愛着と感情が解決しないでいたのですが、神様が人類の父母だということと神様の創造目的を理解するようになるやいなや、それが人類愛の心に変わりました。文鮮明先生! 払は悟りました。国の愛国者よりも神様の孝子の道のほうがより大切であることを、「統一原理」を通して悟りました。今からは、文先生が直接明らかにされた「統一原理」が、世界の人類の前に永遠に残る真理となるでしょう。このように偉大な新しい真理を与えてくださったので、文鮮明先生は、真の父母であられ、偉大な救世主であって、大聖子であられます。
 私の宇宙観と人生観に「統一原理」を接ぎ木し、人類の統一に渾身の力を尽くすことを誓います。神様、ありがとうございます。そして、文鮮明先生、我が韓国を大きく輝かせてくださり、さらに感謝いたします。「東海(日本海)の水と白頭山……。我が国万歳」の愛国歌が目に見えるかのようです。本当に誇らしいです。

                              安重根(2002年1月31日)

 

⑫石井周庵(道学協会を設立した)

ここで原理運動とメシヤ思想を教えていく仕事に力を注いでいきます

 私、石井周庵は、とても済まなく、申し訳ありませんが、日本を代表して韓国民族に謝罪文を差し上げようと思います。
 日本は、韓国と韓国の国民に多大な罪を犯しました。摂理的に神様が経綸される計画も知らず、神様のみ旨も知りませんでした。また、神様のみ旨と関係がなくても、倫理的に韓国民族にむごい行為をしたことに対して、心より謝罪申し上げます。今後、ここ天上において、日本と韓国の間の問題に対して、日本は徹底的に謝罪し、どのような侮辱にも耐えることでしょう。
 神様は、人類の父母様として、民族間の感情を寛大に解いてくださり、目本の国民と国家を許してくださったので、日本も、新たに出発する国民となってこそ、子孫が福を受けるだろうと信じます。
 文鮮明先生、真の父母様! 感謝し、また申し訳ありません。既に許し愛してくださっているのですが、その恩恵にどのようにして報いるべきでしょうか。それに報いる道は、真の父母様に渾身の力を尽くして侍ることだけだと思います。ここだけでも、私たちは、原理運動とメシヤ思想を教え、悟らせ、それを伝播する運動に力を注ぐことを誓います。
 韓国の国民だちよ、日本をお許しください。そして、地下の日本人は、韓国の国民に行った過ちを子孫たちに、真実に、正しく教え、恥ずかしくないように生きてくれるよう懇切にお願いします。永遠の神様の世界は、互いが心から愛し、「ため」に生きる世界です。個人主義は、神様の世界とは距離が遠いのです。日本の国民よ、心から韓国の国民に、率直に謝罪することをお願いします。

                              石井周庵(2002年2月2日)

(2022.4.12:写経奉献)